130.炎の精霊の古い竜
――どうしよう!?
私の魔力にも限界がある。そう何度も起動はできないし、炎竜をなんとかしないと再起動も叶わない。
どうしよう、どうしよう、と焦る気持ちが更に焦りを煽ってしまい、頭の中で【レシピ】を空回りさせている。
私の前にいるペネロープ先生の肩が大きく上下した。深呼吸をし、杖を構え直したんだ。そうだ、魔力が足りなくなるかもしれないのは私だけじゃない。足止めをしている先生だって、炎竜が入ったおかげで予想外に多くの魔力を消費しているはずだ。
どうしよう。本当に早くしなくちゃクピドに逃げられてしまうか――街を燃やされてしまう!
「アイリス~! ぼくがやるよぉ~! 待っててねぇ〜!」
「えっ、イグニス!? 待っててって……!?」
イグニスがマントをひるがえし、高く飛び上がった。そしてクピドと共に陣に縛られている炎竜に向かって炎を吐いた。
その途端、蹲っていた炎竜が煩わしい! と言うように「ガァッ!」と鳴き口を大きく開け炎を吹き付ける。
「イグニス! 逃げて!!」
「逃げないぃ~~! んん~!」
イグニスはカパッとお口を開くと、スープをすするように炎竜の深紅の炎を飲み込んだ。
「ほら~! もっともっと~! ぼくのママなら~もっと強いはずだよねぇ~!!」
イグニスの挑発に乗ったのか、自由を封じられた炎竜は八つ当たりまがいに炎を吐いて、吐きまくる。
「す、凄いのにゃ……! イグニス、にゃんであんにゃ炎を食べれるにゃ!?」
城門に身を隠しながらルルススくんが言った。
「イグニスが無理をしてなければいいんだけど……」
「無理はしているでしょうね」
「えっ、先生やっぱりイグニスを止めたほうが……!?」
私よりも炎に近いペネロープ先生の額には汗が滲んでいる。炎竜の炎はそれ程の熱量なのだ。
「いいえ。無理はしているけど、イグニスは炎の精霊の中でも特殊な個体だから……だから耐えられるのでしょう」
「特殊……?」
あの可愛いらしいサンショウウオの姿のこと……? 確かに珍しいとは思うけど……。
「ああ、あなたの【レシピ】にも入っていない情報だったのね。イグニスの姿は古い古い炎の精霊の姿なのよ。きっとその血は古く、濃い」
「えっ……」
私は大きな竜と対峙している小さなその姿を見上げた。
あの可愛い姿にはそんな理由があったなんて……!
「あれ……? じゃあママである炎竜も元はサンショウウオ……?」
「まあ、多分そうでしょうね」
イグニス……いつか、本当にあんな大きな竜になるんだ……?
そして先生は、腰のポーチから魔力回復ポーションを抜き取り飲んだ。まだ魔力を回復させる程ではないはずなのに……?
「アイリス、再起動の準備をなさい」
「あっ、はい!」
と、その瞬間、ゴォッ! と一際大きな炎を噴き上げた炎竜は、ぺネロープ先生を睨みながらその首をぺたりと地面に付けた。
なるほど、『金縛りの陣』で再度縛り付けたのか……!
でも、炎竜自体を陣から出さないと『封印の転送陣』は再起動できない。しかしどうしたものかと思ったその時、イグニスの体が赤い光を発した。
「えっ……イグニス!」
カッ! と光がはじけた。夜だというのに目を開けていられない程の明るさだ。
「まさか……」
炎を飲み込んでいたイグニスの身に何かが……!? だって、凄い量の炎だった! 炎の精霊と言ったって、よく似た魔力の親子だからって許容できる量には思えない!
「イグニス! イグニス!! イグニ……ス……!?」
光りが収まりそろりと目を開けると、そこには鮮やかな紅色をした竜がいた。
「えっ…………?」
私は辺りを見回した。私以外の皆もぽかんとした顔でその竜を見上げている。あのクピドでさえもだ。
「んん~……? やっぱりぃ~!」
どこからともなく……いや、紅色の竜だ。その大きな口から聞こえるその声は――。
「イグニスの声にゃ!?」
「い、イグニス……!?」
ヒラッと小さな紺色がはためいている。騎士団とお揃いのイグニスのマントだ。それが、その巨体の頭にある……小さな突起? 棘? に引っ掛かっている。
「アイリス~! このママ~ママだけどぉ~ママじゃないよぉ~!」
「イグニス!?」
私がそう聞くと、竜はにぱーっと口を横に伸ばし、くふくふ笑って頷いた。
その笑い声は紛れもなくイグニスのものだし、その顔も……! そこに伏している炎竜と変わらない大きさだというのに、サンショウウオ似の平たいお口と円らな瞳はそのままだし、愛嬌のある動きもイグニスそのものだ。
何があったのか、何がどうなってこうなったのかサッパリ分からないけど、イグニスが無事ならそれでいい。なんだか……すっごく大きくなってしまったけど、可愛らしさはそのままだし、イグニスがなりたがっていた竜だし、まあ、いいだろう。
「んんん~クピド~? そのママ~どうやって作ったのぉ~?」
竜のイグニスが、クピドにその大きな鼻先を近付け言った。
「ふふっ、炎を食べたからバレちゃった? どうやってって……まあ、いただいた炎の魔力を溜めこんで圧縮して、こねくり回したんだよ。あはは! ママに会いたかった? イグニス」
「……へいきぃ~ママ、いたもんん~」
「へぇ」
含み笑いを浮かべるクピドに背を向けて、イグニスは倒れ込んでいる炎竜に顔を近付けた。
「ママ似の竜さん~ぼくのとこに~おいで~」
「グルゥ……」
炎竜は静かに唸ると目を閉じた。そしてイグニスが大きなお口をカパッと開けて「すぅぅううう~!」と息を吸うと、炎竜の身体は光の粒となりホロホロ崩れ、イグニスの口の中に吸い込まれていった。
「げふぅ~」
イグニスはゲップひとつと引き換えに、炎竜を……炎竜の魔力を飲み込んでしまった。
「――さて。お前の盾になっていた炎竜は消えた。こちらの勝ちだ、クピド」
身を起こそうとしていたクピドの首筋にレッテリオさんが剣を突き付け言った。
「アイリス、早く再起動を!」
「っ、あ、はい!」
そうだった。イグニス竜の姿と行動にあんまりにも吃驚しすぎてボーっとしてしまっていたけど、クピドが身動きしたならば、ペネロープ先生の『金縛りの陣』の限界が近いということだ。早く転送と封印を……!
「待って、アイリス」
クピドが哀願の言葉を口にする。
「アイリス、クピドの言葉は無視して早く」
レッテリオさんが平坦な声で言う。私は一瞬躊躇した手を伸ばし――。
「はい……!」
壁の紋章に触れ再び銀時計を嵌め込んだ。するとクピドを囲むように、地面に『封印の転送陣』が淡い光を湛え展開し始める。
ここに私の炎の魔力を流し込めば――!
銀時計に手を押し当て魔力を流すと、ふと後ろが気になり横目でクピドを盗み見た。
あんなに鮮やかだった薔薇色の髪が、ほとんど銀色に変わっていた。
今のクピドの魔力のほとんどは、迷宮から得た炎の魔力だったはず。彼の髪が元々の色に戻れば、きっと街の人たちに掛けられている【眠り】の術は解けるだろう。
「アイリス、たまに迷宮に会いに来てよ」
白い衣装で地面に膝を付き、剣を突き付けられているその顔はなんだか悲しそうだ。
確かに……クピドは昔も、今も、罰を受けるようなことをした。今回は人を傷つけてはいないと思うけど……でも、やり方は間違っていた。
でも、悪い意味で無邪気すぎるけど、本人に悪気はないし人懐こい気質だ。やり方さえ間違わなければ……と思ってしまう。だってクピドは、このまま迷宮の奥底に閉じ込められるのだ。
きっと、この先レッテリオさんが番人を続ける限り何十年と。それどころか、後を継ぐ者がいる限り何百年とだ。
「クピド……」
「アイリス、聞かなくていいから」
「レッテリオさん」
こんな厳しい声、初めて聞いた気がする。
いつも笑顔で言葉も柔らかいレッテリオさんが、私には見せていなかった姿なのだろう。
「はぁ。気にくわないなぁ……一人じゃ何にもできない番人のくせに! お前なんて……あの王女の騎士よりも全然弱い!」
苛立たし気なクピドをよそに、レグとラスがひとつ、ふたつと魔石を陣に埋めていく。
「その通りだよ。――クピド、お前さっき、魔力もそこそこ、剣の腕だって大したことない、それで何ができる? って俺に言ったよな?」
「言った」
「だからこそ、できることもある。俺は支える側になれる」
「支える? あはは! 支えられてるようにしか見えないなあ。ハリネズミにまで手伝わせてるじゃないか」
トットコトットコ魔石を抱えて走るレグを見てクピドが笑う。
「大して強くもないし、大した魔術も使えないから仕方がないかな。もし俺が最強の騎士だったら一人でお前を倒しただろうし、魔術に秀でていたらきっとすぐに封印し直しただろう。でも、それは無理だからね。俺なりのやり方で番人の務めを果たそうと思っているよ」
「……務めを果たす? 僕を迷宮に押し込むだけだろう?」
クピドはハァと重たい溜息を吐き言った。
『封印の転送陣』の輝きが強くなってきている。あともう少し、レグがあの魔石を埋め込めば起動する。
「クピド、お前に伝えておく。番人とカストラ子爵の名を受け継いだ者として、迷宮とカストラ領を守り慈しむ。そこに住む人々と精霊を支える騎士になると誓うよ」
クピドが目をパチパチとまばたき、何かを言おうとしたその瞬間。陣が起動し強い光を放った。
――そして、クピドの姿は消えた。