129.格好いいところを見ていて
「まあ、いいか。ねぇ、アイリスはどんな男が好き?」
「えっ……?」
状況にそぐわないクピドの言葉に、私は僅かに首を傾げた。
「僕は銀の髪が好きで、僕のことを好きな子が好き。アイリスは美しい銀の髪だし、美味しくて上質な魔力が籠った料理をくれたから好きだよ」
甘い言葉を吐くその背後には、人の何倍もの背丈を持った深紅の竜が唸り声を上げている。低いその声はビリビリと空気を揺らし、私たちを威圧する。
「おまえ~! それママだよねぇ~!? なんでママがおまえの味方するのぉ~!?」
イグニスの声を聞いたクピドはクスクスと笑うだけで返事はしない。
でも、いくら炎の魔力を奪っていたからって、こんな立派な炎竜が何故クピドに従っているのだろう? 【魅了】の効果なのだろうか?
「人間はよく『強い男が好き』とか、『優しい人がいい』とか言うよね。だからアイリス、君に僕の力を見せてあげるよ。そしたら好きになってくれるよね?」
うっかり見惚れてしまいそうな笑みを浮かべたクピドは、自身にしか納得できない理屈を並べ、竜を撫でると腕を振り上げた。
そして次の瞬間、炎竜が大きな口を開け炎を吐いた。
「イグニス!」
バルドさんが斧に金色の魔力をまとわせイグニスの名を呼んだ。
「はぁ~い! フゥウ~~!!」
イグニスが斧に向かって炎を吹き付けた。ニヤリと笑ったバルドさんが振り上げる斧には、見たこともない金色の炎が宿っている。
「オラァ!!」
ドォン……! と斧が振り下ろされて、向かって来ていた炎竜の炎が分断された。
すごい! もしかしてさっき二人で相談したのってこれ……!?
「わっ! 面白いねそれ! イグニスの炎でこっちの炎を相殺したんだ!?」
「おう。三年前のお返しをさせてもらうぞ……!」
「ぼくも~! ママ返して~~!!」
「アハハ! 炎竜、相手をしてあげてね。――アイリス!」
私は睨むようにしてクピドを見上げる。
「ふふ、僕の花嫁! 僕の格好いいところを見ていてね!」
クピドがサアッと両手を広げ、まるで赤ばらの花弁のような魔力を辺りに振りまいた。すると炎がうねり鞭となり、私を守るように剣を構えていたランベルトさんとレッテリオさんに襲いかかった。
「水よ! 炎を防げ!」
「風よ! 炎を吹き消せ!」
二人は剣にそれぞれの魔力を乗せ、炎の鞭を薙ぎ払う。が、クピドはご機嫌で次々に炎を繰り出し、対向する二人を弄ぶ。
「わ、私も……!」
何か援護を……! と思いグッと杖を握り直したそのとき、ペネロープ先生が私の手を引き首を横に振った。
「おやめなさい。私たちは封印のために魔力を温存するのが役目。炎は彼らに任せなさい」
「で、でも! 補助の魔術なら……!」
「アイリス、周りを見なさい。補助なら水の精霊のコルヌがしています。ポッレンもそれとなく搦め取りを始めています。レグとラスも大地の加護を展開しています。それからよく考えて。クピドは今はああして炎で遊んでいるけど、その気になれば全員【魅了】でどうにでもできるんですよ!」
その小声の叱責にハッとした。
そうだった。クピドは『僕の格好いいところを見ていてね!』なんてふざけたことを言い、今はその通り自分の力を誇示して遊んでいる。
クピドはレッテリオさんとランベルトさんに対峙しつつも、気紛れに街に炎を飛ばしてふざけている。確かに遊び半分だ。
「……はい、温存します」
「ええ、そうしましょう。大丈夫、あの『金の戦斧鬼』は竜殺しとしても有名だから、何とか退けるくらいはしてくれるでしょう」
「えっ、竜殺しですか!? でもあれ、イグニスのママみたいですよ!?」
「……それ、ちょっと疑問なのよ」
「え?」
先生はバルドさんと共闘するイグニスを見つめ言う。
「本当に……月の精霊に炎の精霊が使役できて? あれは炎竜であって炎竜ではないものかもしれませんよ」
「炎竜であって炎竜ではない――?」
私は揺らめく炎をまとった巨体と、マントをまとった小さなイグニスを見つめた。
「炎竜ってのは改めて凄いな、おい……!」
「んん~! ぼくも褒められてるけど~……ママ~もうやめてよぉ~!」
ゴォンと炎が地面を舐め、かつてバルドさんの頬や背中をえぐった爪が、牙が、硬く熱い尻尾が斧を持つ体を吹き飛ばす。やっぱり人と竜では単純に大きさが違いすぎる。
炎竜にしてみたら何でもない尻尾のひと払いだけど、対峙するバルドさんにしてみれば、鉄の棒で殴られているようなものだ。
「チッ……ママじゃあ急所を狙うわけにもいかないし、やりにくいな」
今の攻撃で口内を切ったのだろう。バルドさんはペッと血を吐き出しそうぼやく。と、そんなバルドさんに見習いハリネズミの一人がタタタッと駆け寄ると、飛び上がった『回復ポーション』を頭から振り掛けた。
「ルルススの秘蔵のポーションにゃ! 『氷の精霊』の加護もあるにゃ! 冷え冷えにゃ!」
城門の陰からルルススくんが声を上げた。『氷の精霊』って、年中氷に閉ざされている氷の国にしかいない精霊じゃ……!? 水の精霊の仲間だけど、滅多に会えないって聞く。
「おっと、これはいいな」
バルドさんの傷や火傷が癒され、コルヌが張った水の結界を覆うように細氷が舞っている。
「へぇ~……それ面白いね! ケットシー商人だっけ? 君」
「にゃっ!? にゃんにゃ!? ルルスス、嫌な奴には売らにゃいにゃよ! それがケットシー商人の矜持にゃ!」
不意にクピドに目を向けられたルルススくんは、耳と尻尾を下げ扉に隠れつつそんな言葉を返す。
隠れすぎて手しか見えてないけどね……。
「――よそ見とは失礼だな……ッ!」
ハッと前を振り向くと、レッテリオさんが風の力を借り空を一段、二段と駆け上がりクピドに斬りかかっていた。が、クピドは振り向きざまに炎で壁を作り、レッテリオさんを跳ね飛ばしてしまう。
「番人かぁ。……うーん、魔術はそこそこ、剣の腕だってその斧の男より下。それで何ができるの?」
クピドは毛先が僅かに銀色になった髪の毛を一本抜いて、フゥっと息を吹き付け腕を振った。すると振れるのかと思うような長い剣がその手に現れて、ニッコリ笑ってそしてひと振り。
切っ先をレッテリオさんの鼻先に突き付けた。
「わ、逃げないんだ。うん、その度胸は買うよ。あ、それとも逃げれなかっただけだった? ふふっ、魔力も剣も、アイリスにもその男にも敵わない中途半端だもんね、お前」
レッテリオさんの顔がギュッと歪められた。
剣を握り締め口を開くが、何故かクピドを睨んで言葉を飲み込んでしまったように見える。
「……確かにね」
小さなその呟きは、声は聞こえなかったけど口の動きで分かった。
――レッテリオさん、どうしたんだろう? 戦いの最中だというのに何か……様子が変だ。
私はじっと、イグニスの炎と炎竜の向こう側にいるレッテリオさんを見つめる。
「ん? どうしたの? 番人。ヤル気なくなっちゃった?」
クピドも不思議そうに小首を傾げ、手にしていた剣をヒラヒラと回して弄んでいる。興味深そうに、だけど期待というよりは『さて、どうしてやろうかな』そんな雰囲気だ。
「いや。ただ、痛いところを突かれたなと思ってね」
俯き加減に微笑んだかと思うと、大股一歩、足と共に前に出された剣がクピドの首元を薙ぎ払うと、風の音がヒュンッ! と鋭く鳴った。
幻だろうか? 音と共に羽ばたく大きな鷹が見えたような気がした。レッテリオさんに加護をくれた風の精霊は、確か鷹の姿をしていると言っていた。
「わっ……ッ、わっ!?」
虚を突かれたクピドが突風で弾かれ、ポーンと空へ巻き上げられた。
「中途半端な者には、それなりの戦い方があるんだよ……! 副長! イグニス!」
「おう!」
「はいは~い!」
イグニスがぐわっと大きく口を開け、炎竜の眼前に炎を吐いた。炎竜と言えども突然の炎には目を眩ませてしまうだろう。きっと、ほんの数秒でも時間稼ぎにはなってくれるはず。
そしてその数秒間で、バルドさんは胸に挿していた白ばらのピン――イグニスの魔石だ。それをガリッと噛み砕いて飲み込むと、黄金の斧を炎竜目掛けて振り投げた。
「オラァ! 行けぇ……っ!!」
ブンッと飛んだ斧は高く上がり、その軌跡は箒星のように赤の煌めきを引いている。
ああ、あの温かな赤色はイグニスの魔力だ……!
さっき魔石を噛み砕いたのは、斧にイグニスの魔力を加算させるためだったのか! 私、正直ちょっとびっくりしたんだよね。魔石にあんな使い方があるなんて知らなかった!
「えっ、な……っ!?」
クピドが驚きの声を上げた。バルドさんの斧は炎竜を飛び越え、空中で体勢を崩していたクピドを上衣ごと攫いそして地面に縫い付ける。
「うっわ……!?」
仰向けになったそこは、ポッレンが【誘導】をしていたまさにその場所だ。
「うふうふっ! 計画通りっ! さあ、ペネロープちゃん!」
「任せなさい!」
先生は杖を掲げ、描いてあった『金縛りの陣』に魔力を流してその場にクピドを縛り付けた。久しぶりに見る先生の魔術はやっぱり正確で容赦がなくて、そして美しい。
「人間風情が……炎竜! 街を燃やせ!! 思い切りだ!」
地べたに倒れ込んだクピドが叫んだ。
「させるか……!」
「させないゼ!」
「させません!」
ランベルトさんとコルヌがそれぞれに水の魔術を行使して、先生は杖で素早く『金縛りの陣』描くと、口を開けた炎竜目掛けて飛ばした。
「アイリス! 転送陣を!」
「はい!!」
私はポケットから銀時計を取り出し紋章へ嵌め込む。腕を回し『望月草の実』を投げる準備をしているレグとラスと頷き合い、そして『封印の転送陣』を起動させ――。
「ッ、え!? う、動かない……!」
「えっ!?」「なんだって!?」とみんなの声が飛んだ。
なんで、どうして!? ここまで作戦通りにいったのに……! うろたえ再び魔力を流すが、手応えがどうにもおかしい。何かが邪魔をしているような、魔力の流れを妨げている様な――。
そう思い、ハッとした。
「炎竜!」
私の正面、クピドと同じく『金縛りの陣』で蹲っている深紅の竜に目を留めた。
ああ、やっぱりだ。出現させた『封印の転送陣』に炎竜までもが乗ってしまっている。
これでは転送陣の大きさに対して容量超過だし、炎竜の大きな炎の魔力もいけない。きっと陣に変な影響を及ぼしてしまっている。
「アハハ! やっぱり満月の夜の僕はツイてるね! ふふっ!」
地面から月を見上げて笑うクピドの髪は、赤から銀へと色を変えつつあった。