126.賑やかな食卓作戦会議
「にゃにゃ、アイリスにゃんかスッキリした顔してるにゃね」
「そうかな?」
迷宮やクピドのことも分かってきたし、レッテリオさんともちゃんとお話しできたせいかな……?
「色々あったしにゃ、落ち込んでるにゃらルルススの肉球触らせてあげようかと思ったんにゃけど、大丈夫そうにゃね」
ニャシシ! とルルススくんが笑って言うと、レッテリオさんが「えっ!」と大きな声を上げた。
「にゃっ!?」
「あの、それは是非、触らせていただきたく……!」
そうだった。レッテリオさんはケットシー好きさんだった。
「にゃ~……特別にゃ! 触るといいにゃ!」
「ありがとう、ルルススくん……! はぁ……すごい……ぷにぷにだ……!」
レッテリオさんは目を輝かせ、ルルススくんの手にそうっと触れている。
うん、分かる。ルルススくんの肉球は本当に柔らかくてぷにっぷにで大きくて……レッテリオさんの表情がトロトロに蕩けてしまうのもよく分かる。
「にゃあにゃあ? レッくんのお兄さんたちって……そんにゃに凄いにゃ? 何でもできるように見えて、実は苦手なこともあるんにゃにゃい?」
「ん? ああ……さっきの話、聞こえてたんだね」
ルルススくんはちょっと気まずそうに耳をくるん、くるんと回しヒゲをしょんぼり下げた。
「ごめんにゃ。ルルスス耳がいいのにゃ」
「いや、構わないよ。兄たちの苦手なことかぁ……ああ、二番目の兄は絵がかなり苦手かなぁ。でもそんなことくらいだよ? 絵が下手だからって、錬金術師として力不足にはならないだろうね」
その言葉に、私は思わず目を見開いた。
二番目の兄って……筆頭のことだよね? まさか錬金術師研究院の筆頭錬金術師が絵を苦手としているだなんて! レッテリオさんは「そんなこと」と言ったけど、全然『そんなこと』なんかじゃない……!
「レッテリオさん、なりますよ!?」
「え?」
「錬金術師としての力不足になっちゃいます、それ!」
えっ? と、今度はレッテリオさんが目を丸くした。
「錬金術師はレシピや報告書を書くこともありますし、採取の方法や素材について絵を描くことも多いんです。筆頭ほどの高位錬金術師ならその機会も多いはずですし……絵が苦手だなんてかなり意外ですし、きっと不便に感じてると思います。あと、レシピや報告書の美しさって評価にも響くんです! 絵が駄目だと本当に足を引っ張るんですよ」
私は逆に、レシピ作りで高評価をもらい、実技が足を引っ張っているタイプだ。
「そうなんだ……? いやでも、それを差し引いても筆頭の地位にいるんだろう? やっぱり……」
「描けにゃいんにゃから誰かに手伝ってもらってるんにゃにゃい? それか、絵以外の方法を使ってるのかもしれにゃいにゃね」
「……なるほど」
レッテリオさんの苦い表情はやわらぎ、なんだかそう、憑き物が落ちたようなスッキリとした顔をしている。ルルススくんは、プニプニと触らせていた掌でレッテリオさんの手を包み込みニャシシっと笑った。そしてそのまま手を引き階段を下りていく。
「でにゃ。レッくん、迷宮の方は落ち着いてるにゃか? 銀時計はどんにゃ感じ?」
「クピド~迷宮にいるのかなぁ~? ぼく〜アイリスを守るためにも〜迷宮に探しに行ってもいいよぉ〜! ね~いいよねぇ〜? アイリス〜」
「うん! 夢の中でだけど、クピドは迷宮の最下層にいたし……あの人はやっぱり『核』になってるみたいだし……」
私の甘えなんかで、もうイグニスの力を無駄にしてはいけない。イグニスがやる気なら、それを後押しするのも相棒である私の役目じゃないかと思う。
「イグニス、アイリス、ありがとう。でも……クピドは迷宮にはいないかもしれない」
そう言いレッテリオさんが見せた銀時計の盤面は、すっかり元の色に戻っているではないか!
「えっ?」
「にゃっ!」
「ぜんぜん赤くな〜い! なんでぇ〜?」
確か広場で最後に見かけた時はほとんど真っ赤だったのに……どうして急に? だってクピドの力は今、満月に向かって一番強くなってる時でしょう? きっと、核として在る迷宮の魔力だって相当に高まっているはずだ。
「俺が迷宮を出る直前まではほとんど赤くなってたんだ。でもさっき見たら……こうなってた」
「んん~? レッくんたちがまいた~待宵草が~魔力をもってったのかなぁ~?」
「それにしては早すぎるにゃ。真っ赤ににゃってた分を急に全部はおかしいにゃ」
私は銀時計を睨みつつ、夢の中でのクピドの話を思い返していた。
クピドは迷宮の核になり、封印に使われていた炎の魔力を吸収していた。それならば、迷宮からその魔力を取り出す……自分自身に移すことも可能なのでは?
だって、迷宮を好き勝手に作り替えたのもクピドなんだし……。
ああ、そうか。
『――僕はもう迷宮の核になってしまったから、迷宮からそう遠くには離れられそうにないんだよね』
あの言葉は、言い替えればもう、クピド自身が迷宮だということだったのかもしれない。もしかしたらクピドは、核と言うよりも――。
「レッテリオさん、迷宮の魔力はクピドが持っていったのかもしれません」
「クピドが……? たった一人の精霊にそんなことが可能なのか……?」
「多分、クピドは迷宮と同化しているんじゃないかと思います」
うん。それならば魔力の移動も納得できる。
クピドはもう、月の精霊ではなく――『迷宮の精霊』になっているのかもしれない。
◆
階段を降りるとフワッといい匂いが漂っていた。そして聞こえてくるのは賑やかな声だ。
「おいおい! 遅いぜアイリス!」
「もうもう! 冷めちゃいますわよ?」
「ねえねえっ! このハーブを入れたらもっと美味しくなりそうじゃないっ?」
「おやめなさいポッレン。私たちは鍋に触ってはいけないのよ!」
レグとラス、ポッレンにペネロープ先生、そしてランベルトさんとバルドさん、カーラさんもいる!
「お待たせしました! あと、ご心配をおかけしました。もう大丈夫です!」
バルドさんに頭をぐしゃぐしゃっと撫でられて、カーラさんにはギュッと抱き締められて、ランベルトさんはホッとしたと笑ってくれた。
外はそろそろ夜の帳が降りてくる頃。満月が昇り切るまではあと何刻だろう?
夕食は、お祭りで忙しくなるのを見越して作り置きしておいた『赤茄子と夏野菜のスープ』と『田舎風パン』と試作の『甘い玉蜀黍パン』、それからバルドさんが店から持ってきてくれたローストビーフだ。
食後のデザートにはカーラさんの『冷たい玉檸檬チーズケーキ』と『ワインと桃のタルト』! お祭りがあんなことになって余ってしまった今日の分だ。
この人数じゃ工房のテーブルはちょっと狭いけど、その分賑やかで豪華な食事で……。なんだか、この後に街と自分の行く末がかかっているだなんて嘘みたいだ。
でも、クピドのことは夢じゃない。
私は無くなってしまった指輪のペンダントを握り締め、口を開いた。
「あの、皆さん! 食事中だけど、私が夢の中でクピドから聞いたことをお話させてください!」
◆
「なるほど。炎の精霊の魔力を吸収してたか……諸々に説明がつくな、レッテリオ」
「そうだね。深層の炎の魔力も、待宵草のことも」
騎士二人は脂の乗っているローストビーフをパンに乗せて食べている。そして二人の皿の間に座っているイグニスに、丁度いいタイミングで肉を小さく切ってあげてくれている。
「そうなると、俺とやり合った炎竜はクピドに創り出されたものだったのかもなぁ。実体はあったが……召喚でもしたのか?」
「作り物のくせにあんな傷を負わせただなんて……気に入らないわね!」
そんなことを言うカーラさんに、バルドさんは「過ぎたことだろ」と笑って玉蜀黍パンを渡している。受け取ったカーラさんはチーズトッピングがお気に入りらしい。私はそれに蜂蜜を掛けるのがお薦めです! と、そっと蜂蜜の瓶を近くに置いた。
「そうですね、召喚に近いとは思いますが……そもそも精霊が魔素から生まれるんです。なので理論上では『膨大な魔素を捏ね合わせれば精霊を創れる』と言われています」
先生は少し迷ったように沈黙を挟みそう言った。
ああ、眉間に皺を寄せたその表情! 私、よく見た……! 大抵が注意を受ける時だったと思うけど、グッと眉間に力が入ってその沈黙が怖くて……。
私って、馬鹿だったなぁ。
先生の視線の先を見れば、何を気にしていたのか、何に気遣いしていたのかすぐに分かっただろうに。
「むぅ~……それじゃあアイツ、ぼくのママの魔力を横取りして~ぼくの仲間をつくって使ってたのぉ~? んん~……許せな~い!」
イグニスを傷つけてしまうんじゃないかと心配した、それがあの眉間の皺と沈黙だったんだ。私が叱られていた時だって、きっと何かを慮ってあんな顔をしていたのだろう。
「そうにゃね。精霊を弄ぶ精霊にゃんて、聞いたことにゃいにゃ!」
「そうそう! それにアイリスのことだってなんですの!?」
「おうおう! 銀の髪だから欲しいってなぁ! 失礼だぜ! おれらの契約者なんだからなぁ!」
「ねっ、ねっ! そんな嫌な男、さっさと封印しちゃいましょっ! できるでしょっ? ペネロープちゃん!」
お喋りな三姉弟は森の魔力たっぷりスープを美味しそうに平らげている。ルルススくんは『特製スパイス』を掛けて楽しんでいるようで、一人だけスープの赤色が濃い。辛そう……!
「だからポッレン、ここでちゃん付けはやめて……! それにね、封印だってそう簡単じゃないわ」
「あらあらっ? そうなの? クレメンテくんが解析したんでしょっ? それならペネロープちゃんにだってできるじゃない」
先生は「だから……!」と、少し頬を赤くしてポッレンを睨みつける。どうしても『ちゃん付け』を止めさせたいようだけど、精霊相手じゃ無理だと思う。程度の差はあるけど、精霊はみな我が道を行くようなところがある。
「あの、ペネロープ先生? 私なにも聞いてません。大丈夫です……!」
「くっ……ええ、そうね。聞かなかったことにしてもらいます。本当にポッレンは……!」
ペネロープ先生には悪いけど、いつも厳しかった先生の、ちょっと恥ずかしそうな顔を見れて私はなんだか嬉しかった。