123.炎は月を焼いて月は炎を飲み込んだ
◇お知らせです。だいぶ遡りますが、スライム製品工房のツィツィの名前を変更しました。(2020/7)
カルミネ・ツィツィ・ジッリ→ミケーレ・ツィツィ・ジッリです。
レッテリオの爵位名と似ていたので、ほとんど出てこないツィツィの本名を変更させていただきました。
「だからアイリスが欲しいんだ」
王女と炎の精霊の炎竜に封印されて、クピドは長い歳月を掛けて、炎の魔力に染められてしまった。
精霊にもそんなことが起こるのか? とも思ったけど、結局は魔力の話だ。なくはないだろう。
だって錬金術でだって応用していることだ。相性が良く、馴染みやすい性質の要素、魔力というものは確かにある。逆に相性が悪く、反発をしてしまう素材もある。
もしかしたらだけど、月の精霊はその特性として染まりやすいのかもしれない。
だってクピドは『月は映すもの』と言っていた。対象を映す。映すのは自身。干渉することが得意なのかもしれない。取り込んだり混じったりしやすいのかもしれない。
今だって、私の夢に入り込んで、溶け込んで、混ざって干渉しているんだもの。多分この解釈で正解だろう。
「それであなたは、迷宮とも混ざり合って核となって……? あちこち旅をして、それで迷宮を拡張していったの?」
「そうだよ。旅ができるようになったのは随分経ってからだと思うけどね。あの炎竜の魔力の影響がだいぶ薄れて封印が緩んだんだ」
「銀の髪……私じゃなくてもいいんだよね?」
「うん、まあそうだね。君は可愛いし結構気に入ってるけど……僕の【魅了】が効き辛いのはちょっと気に入らないかな。あ、イグニスのせいかなぁ? 君、イグニスと近すぎるんだよね」
「そうなの? それって魔力も近いってこと……?」
クピドが嫌そうに頷く。本当に炎の精霊が嫌いなんだ。
「そうなんだよねぇ……。でも、離れたら僕に染まってくれるよね、アイリス」
「……。無理じゃないかな。多分、逆にあなたがイグニスの魔力に影響されちゃうと思うけど……」
「そう? やっぱりそっかー。じゃあ別の子を探すか……そうだ、長い時間【魅了】を掛け続ければイグニスの魔力も薄れるかも? んー……アイリスが手に入るのなら、僕は赤い髪に甘んじてもいいかなぁ」
ん? 独り言だと思って聞き流していたけど、今、気になることを言ってなかった? 『僕は赤い髪に甘んじても』って……?
そもそも今クピドの髪が銀色に戻りつつあるのはどうして? 封印が緩み炎竜の影響が薄れたからだと思っていたけど……もしかして、炎の魔力をあんなに使ったから?
契約者としてイグニスの魔力に影響されている私と共にいると、一緒にいる人間は微量だけど炎の魔力に影響を受ける。染まりやすい性質のクピドなら、その影響は顕著に表れるだろう。
それこそ、月の魔力が反映された銀色の髪が、炎の魔力で赤色に染まる程に。
「どういうこと? クピド。あなた、炎の精霊に封印されていたからその髪色になったんじゃないの?」
「そうだよ。でも――途中からはちょっと違うかな」
クピドはフフフ、と再び唇を怪しい三日月にして微笑む。
「吸収してやったんだ。ここへ流れ込んでくる封印の魔力を辿って、回復するために眠った炎竜の魔力を僕がいただいたんだ! アハハ!」
炎竜の力を奪ったってこと……!?
だからか……!!
だからこの迷宮はこんなにも炎の魔力に溢れ、クピドは炎の精霊かと思う程炎を操り、そして――。
だから、国中の炎の精霊の数が減っていたんだ……!!
「あなた、封印されていたのに……力を奪ったの?」
「フフッ、やだなアイリス。炎の精霊のほうが僕の力を奪うためにその力をドバドバ使っていただけだよ? 僕のせいじゃない。現に僕はそれなりの年月眠らされていたんだし。封印が弱まった隙にちょっと力を拝借して、ちょっと迷宮で遊ぶくらい構わないだろう?」
構わないわけない!
炎竜は炎の精霊の中でも高い魔力を持つ精霊だ。その力が奪われ続けていたら、地に炎の力が満ちていかなくなる。
しかも魔力を使いすぎた炎竜は、自身を癒すために眠っていたのだ。そんな状況でクピドを封印し続け、魔力まで奪われたんじゃ新しい炎の精霊が生まれるはずもない。
――これ、イグニスが生まれたのは奇跡かもしれない。
しかもママの炎竜が眠っている火山は、もう何百年も噴火していない静かな火山だ。今も活動している火山に比べたら炎の力は断然弱い。ほんと、よく生まれてくれた。
「だけどそんな風に迷宮を拡張して、炎竜で人を傷つけたり街を燃やしたりしたから、だからまた封印されちゃうんだよ? あなた、嫌じゃないの?」
「嫌だよ。いい加減一人には飽きたし……だから、ね! アイリスをお嫁に貰おうかと思って」
ギュッと手を握られて、すると、ふと甘く重い香りを感じた。白い床はいつの間にか真っ赤な望月草で溢れ、クピドが笑みを深くすると花弁が燃え、甘い香りが更に強くなった。
「なに……、クピド……?」
身体が重くて重くて起こしていられなくなって、クピドに促されるまま私はその胸に倒れ込む。
「――僕はもう迷宮の核になってしまったから、迷宮からそう遠くには離れられそうにないんだよね」
身体がおかしい。でもこの、じわりと頭に染み込むような嫌な重さには覚えがある。初めてクピドに出会った時や、広場で魔力を流し込まれた時と同じだ。
「だから、旅するのも人に会うのも迷宮の中だけ。どこにでも行けるから別にいいんだけど……美しい銀の髪だけが足りないんだ」
耳元で言葉を囁かれる度に、身体は重くなり、思考が鈍っていく。なんだか妙に心が凪いで、それなのに何故だかクピドのことだけが気になって、見つめて、傍にいたくなって――どろりと甘えたくなってしまう。
「ねえアイリス。君はどこに行きたい?」
私の髪を弄び、微笑むクピドの瞳に心が縫い留められてしまった。
掴まれている手を振りほどく気にも、身を離す気にもサラサラならないし、さっきまで自分が何を考えていたのか……煙に巻かれてしまったように、全てがぼんやりとしている。
だけど……――ああ、そうだ。
私は甘い甘い香りに誘われるまま、舌に言葉を乗せる。
きっとこれが望まれている返事だと、よく分からない嬉しさと共に口にした。
「クピドの傍に……いる」
なんとも言えない不快感で胃がむかむかする。
この人の腕の中にいて、蕩けるほど嬉しくて、緩む頬を止められないのにどうしてそんな風に思うのだろう?
「うん。いい子だね」
クスクスと、機嫌の良さそうな笑みがクピドから漏れ落ちて、私も笑みを深め彼を見上げたその時――。
バチン!
何処からか大きな音がして、私の頭の靄がフゥッと吹き飛ばされた。それと同時に、頭だけでなく体も、心も軽く澄んでいくのを感じる。
「……番人かぁ」
小さな舌打ちが聞こえたかと思うと、燃え落ちた望月草の中から蔦草がドォッと生え、私とクピドの間に壁ができた。よく見ると、それは一瞬のうちにできた蔦の檻でクピドを閉じ込めている。
「えっ……」
何が起こっているのかと私が目を瞬いていると、何処からかブワァッと風が吹き込み、私の髪を巻き上げた。
「あーあ。閉じ込められちゃったか。騎士のくせになかなかの魔力だね、あいつ」
クピドは何が起こっているのか理解しているようで、自身を囲む蔦を忌々しそうに蹴り溜息を吐いている。
――番人……騎士って、もしかして?
私を囲む風は優しくて、それでいて周囲の甘い香りを容赦なく吹き飛ばしていっている。
「ねえ、クピド。もう【魅了】を使うのはやめない?」
私は心地よい風に身を任せつつ、太くて硬い蔦の檻に締め付けられていくクピドに言った。
「どうして? これが僕のやり方だし、持てる力を使ってなにが悪いの?」
ああ、駄目だ。やっぱり価値観が違っていて話が成立しない。
「また封印されちゃうよ?」
「うーん……そうだね。そっかぁ……封印は嫌だなぁ」
そう言っている間にも、蔦は檻を狭めていきクピドを締め上げていく。私からはもうクピドの顔はほとんど見えない。
「迷宮の中に住むのは構わないけど……旅くらいはさせてほしいよね。ああでも、この調子じゃあの番人は容赦しなそうだなあ」
ギュウギュウと蔦が締め付け、クピドの輪郭が朧気になっていく。
「アイリス。僕、一人はつまらないから君が欲しいだけなんだ」
『そのお菓子が欲しいんだ』とでもいうような軽いその言葉に、私はつい笑いを零してしまう。本当に自分の都合だけ、純粋すぎる精霊だ。
「ごめんね、クピド。私、あなたのものにはならない」
「残念だなあ。――じゃあ、あとでね。満月と一緒に君を奪いに行くから」
そう言い、グッグッと締める蔦の隙間から手を振ったと思ったら、突風が部屋に吹き荒れ、クピドの姿をかき消していった。
そして、私も――。
◆
「――……あれ?」
目を開けると、飛び込んできたのは意外な人の顔だった。
「ペネロープ先生……?」
「アイリス! 馬鹿な子ですね、まったく!!」
少し懐かしい叱る声。思わずヘラッと笑ってしまって、『しまった。また怒られる……!』と思ったけど、ペネロープ先生は横になったままの私を抱き締めた。
「まったく……変なものに好かれて……! あなたは警戒心や危機感が薄すぎると何度も言ったでしょう! お人好しも大概になさい! 」
「……はい。ペネロープ先生」
ほんと、確かにそうだ。
今回は本当にそう。違和感があったのに、迷宮でのルールに反するかもしれないとも思ったのに、迷宮で出会ったクピドにスープをあげてしまった。あそこでスープを分けたりしなかったら。せめてもう少し線引きをしていたら、私が銀の髪を持っていてもクピドに気に入られることはなかったかもしれない。
――今度からは、もうちょっと色々警戒しよう。
私を抱き締める先生の、少し涙声混じりのお小言を聞きながらそう思った。