121.眠りの檻で
◆書籍2巻の発売前日になりました。webも書籍も、どちらも楽しんでいただけましたら幸いです!
気が付くと、そこは白い部屋だった。
倒れ込んでいたのは白い石の床、横は白い壁、上は白い天井、そして――。
「えっ? なんで、ここ……?」
私は見覚えのある大きな鳥籠の中にいた。
お祭りの広場で妙な男……『月の精霊・クピド』と名乗ったあの男に眠らされたはずなのに、どうしてこんな場所に……!?
私は慌てて飛び起きその黒い檻を観察してみる。手触りもその色も輝きも、やっぱり私の杖と同じ、迷宮の底で見たあの檻だ。
「扉は閉まってる……ああ、やっぱり鍵もか」
駄目元で押してみたが扉は動かず、カシャン! と高い音を立てるだけだ。
「ううーん……」
なんで自分がここにいるのかは分からないけど、檻から出られれば転送陣を使って迷宮からも出れるはず。
まず、問題はこの檻だ。炎の精霊が作っただろうこの檻は非常に硬くて魔術にも強い。
「私の力じゃどうにも……あ、そうだ!」
同じ炎の力で作られた、同じ特性を持つ杖でなら何とかなるかもしれない……!
「えっ、あれっ!? なんで杖がないの!?」
私はローブをめくり、バタバタと腰のベルトを手で触りまくり探すけど、どうしてか杖はない。そしてふと違和感を覚え腰のポーチを探ってみて、その異変に肌が粟立った。
「なんで……ないの?」
屑魔石が一つもなかった。いつも持っているポーション類もない。それにいくつか入れてあったはずの蜂蜜ダイスもたった一つしかない。黄色の紙で包まれた『蜂蜜ダイス』だ。
「黄色……。あ、小刀はある……」
ハッと気が付き、髪に手を伸ばした。が、編み込みはそのままだけど、ルルススくんからもらった髪留めがない。挿していた白ばらは燃やされてしまったけど、髪留めはイグニスの魔石のおかげで無事だったはず。
「イグニス……イグニス! イグニスー!」
大きな声で呼んでみるが、むなしく小さな白い部屋に反響するだけでイグニスは現れない。
杖もない、魔石もない、【ポーション蜂蜜ダイス】も、錬金薬もない。だけど黄色の包み紙――普通の『蜂蜜ダイス』はあるし、小刀もある。
「魔力を帯びたものだけが……ない?」
どういうことなの?
そもそもここは迷宮の中……私は広場にいたはずなのに、倒れた後に一体、誰に連れてこられたの?
まさか。と一人の男の姿が浮かんだ。
「クピド……」
「なに? アイリス」
「えっ!?」
声が聞こえた後ろを振り返った。
いつの間にそこにいたのだろう!? それともずっといたの?
クピドはスタスタと鳥籠に歩み寄ると、私の顔を見てニッコリと微笑みかけた。
「アイリスって意外としぶといね? 本当なら眠りながら僕に【魅了】されていくはずだったんだけど……」
「えっ」
顎を掴まれグイっと顔を上向かせられた。
クピドはその薄金色の瞳をおもしろそうに歪め、私を検分するように見つめている。
「ッ、なに」
「……そっかあ。君、もの凄く魔力量が多いんだね。君の器を塗り替えるのは僕の【魅了】でもなかなか骨が折れそうだ」
「そ、そう」
ちょっと待って。【魅了】で器を塗り替えるって……それって【魅了】っていうより、もっと高ランク禁術の【隷属】や【支配】に近いんじゃないの!?
「そうだよ」
私はにこやかに、そして無遠慮に私の髪を撫で、頬を撫でる男を見上げうすら寒さを覚えた。ニッコリと無邪気に微笑んでいるけど、この精霊は今、とんでもないことを言っていた。
――【魅了】は、だから禁術に指定されているんだ。
【魅了】という名称から誤解されがちだけど、これは『人を好きにさせる』なんて可愛らしい術ではない。【魅了】とは、人の中にある『好意』を増幅させ、感情を誤解させる術だ。脳の思考を司る部分に何らかの作用を加え、人の意思を動かすのだと本には書いてあった。
そもそも人の感情に関わる魔術は多くの魔力量が必要になる。魔石で言ったら、大きな都市に一つあるかないか、そのくらい大きくて高品質の魔石が必要になる。
それもそれは一つじゃ足りない。術をかける時に一つ、それから維持するのにも時間に応じていくつも必要になる。更に術の深さや内容によっても変わっていく。
そんな面倒で繊細で、魔力的にも厳しい術を行使できる魔術師なんてそうそういないんじゃない? わざわざ禁術になんかしなくても……とも思っていたけど、今のクピドの言葉で『禁術』の意味が理解できてしまった。
『君の器を塗り替えるのは僕の【魅了】でもなかなか骨が折れそうだ』
魔力の器を塗り替える。それは私を支配するということだ。
魔力は、どんな人にも宿っている第二の血液のようなもの。体中を巡って体を動かし、生命活動を維持するために消費されている。
魔術が効くのもその為だ。魔力と魔力が作用し合い、効果を生むのが魔術。
【魅了】という魔術は、魔力量さえあればどれだけの人数でも、どんな大きな魔力を持つ人間も【魅了】してしまうもの。
それは、難しいとされているハードルを越えてしまえるクピド――広場で多くの人を眠らせたことから分かったけど――彼の【魅了】は、人を人形のようにしてしまう【隷属】や、意のままに操る【支配】にもなる術ということだ。
どうしよう。逃げれる気がしない。
こんな場所ってだけでも難しいのに、魔力おばけな精霊のクピドまでいたら――。
「……あなた、何がしたいの?」
「ん? 君が欲しいだけだよ」
微笑む瞳はとろりと蕩けて、それこそ月が溶けた水を映したように怪しく、甘やかにも見えてつい身を引いてしまう。
多分、この人が私を痛めつけるようなことはないと思うけど、どうにも人とも私の知ってる精霊とも、価値観が違っていそうでちょっと怖い。
「本当はぐっすり眠っている君が変わっていくのを眺めていようと思っていたんだけど……でも、これはこれでいいかな。ねえアイリス、満月が昇るまで僕とお話しようよ」
「お話……?」
「そう。僕のものになるアイリスがどんな人間なのか、少し知りたいしね」
ご機嫌な様子のクピドは鳥籠の扉に手を掛けると、あっさりとその鍵を開け私に手を差し出した。
「さあ、おいで。アイリス」
真っ白な部屋に白い服の精霊。その月色の瞳を面白そうに煌めかせ、薔薇色の髪も……。
あれ? 髪の毛の色が変わってる?
そういえば意識を失う直前にチラッと見たような、見なかったような……? どうして髪の色が変わっているのだろう。それも銀色。
――クピドが二百年前にも、今もこだわっているのも『銀髪』だ。クピドにとって銀の髪は、どんな意味があるのだろう?
私は白ばらを挿していた編み込みの髪に触れ、ローブの袖の下でグッと拳を握った。
「出ておいで、アイリス」
こんな手を取りたくはないけど……クピドを知るには絶好の機会。上手く話してこんなことをやめさせるとか、ちょっとでも気を変えさせるとか……それとも銀の髪の意味が分かれば、クピドを止められるかもしれない。
「……」
街を守っているランベルトさんとコルヌ、バルドさん、倒れ込んだイグニスやカーラさん、ルルススくん――それからレッテリオさん。
エマさんやツィツィさんたちだっている。迷宮探索隊の新人さんたちもいる。知らない人も沢山いる。
――ヴェネトスも人も、絶対に焼かせたりなんてしない。
私は差し出された手を取り、檻を出た。