115.迷宮とお祭り
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今回は書籍版のみの書き下ろしもたっぷりとなっています!!パンもごはんも恋愛面もきっと楽しんでいただける内容になっているかと思います。
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◆今回ちょっと長めです。区切りが難しかった…
「ええ~!? アイリス~なんでぇ~? ここに書いてあったでしょ~? 炎の魔力で封印するのが一番だよぉ~?」
それはその通りだ。最深部にあった封印の檻も、そこへ繋がっていた幾つもの陣も全てに炎の魔力が関わっている。
それに一度は炎の魔力で封印された精霊だ。彼の身体には炎の魔力の名残があるはず。再び封印するにはその名残……穴のようになったソコに炎の魔力をぶつけるのが一番簡単だ。
それは私にも分かる。
だけど……だけど、だ。
「炎の精霊は他にもいるでしょう? イグニスがやらなきゃいけない仕事じゃないと思うの。だって、イグニスは私の契約精霊でしょう? 契約精霊は契約者の為に力を貸してくれるんでしょう?」
ズルい言い方だ。こんな契約で縛るような言い方は褒められたものじゃない。だけど言わずにはいられない。
これはイグニスだけでなく、イグニスの力を借りたいレッテリオさんや筆頭への言葉でもあるからだ。いくら関係があると言っても「イグニスがやらなくてはならない道理はない」私はそう言っているのだ。
「んん~……そうだけどぉ~」
戸惑いが見えるイグニスは、尻尾をゆらゆらと揺らし私を見て、そしてレッテリオさんを見上げた。
多分イグニスとしては一緒に迷宮探索をし、この異変を鎮めたいと思っているのだろう。だって炎の精霊であることにもその力にも、高いプライドを持っている精霊だ。
自分の親がやった仕事の跡を継ぎたい、炎の精霊として力を貸してあげたい、きっとそう思っているはずだ。だけど私の顔を見てくれたのは、契約精霊として契約者の意向もくんであげたい。その気持ちの表れだろう。
イグニスの気持ちは分かる。でも――。
「……アイリス。どうしてもイグニスの参加は認められない?」
「はい。私も直接的にはもう手を引きます。見習い錬金術師が手を出す規模を超えていると思います。――ですよね? 筆頭」
固い声のレッテリオさんを通り越し、私はよく似た顔で静かに微笑んでいる彼を見て言った。
「ああ、別に手を引いても構わない。確かにただの見習いには負担でしかないだろう。炎の精霊イグニス、どうぞ我が弟の我儘など気にせず、契約精霊としてのお役目を果たしてください」
筆頭は立ち上がり、イグニスに向かって芝居がかった仕草で礼をした。薄い紗の漆黒のローブがサラサラと音を立て、筆頭は冷めた目で私を一瞥するとさっさと部屋を出て行った。
今の礼はもしかしたら貴族らしい所作なのかもしれない。私に芝居がかった仕草とそれの違いはよく分からないけど、でも、何となく馬鹿にされたような気がした。イグニスをじゃなく、契約者として不甲斐ない私を、だ。
ああ、馬鹿にされたんじゃなくてもしかしたら呆れ……ううん、失望に近いかもしれない。
筆頭錬金術師なんて、雲の上の人に認められていたとは思っていない。でも、筆頭は私を見習いと蔑むことはなかった。あんな風に一人前と見習いの間に線を引くような態度を取ったりはしなかった。
「……兄やアイリスが言うことも分かるよ」
気まずい空気の中、レッテリオさんが口を開いた。
「でも……いや、そうだね。迷宮の件は一旦ここまでにしよう。これはアイリスとイグニスの仕事でも役目でもない。無理を言って申し訳なかった」
「レッくん~……」
「イグニス、これまで協力してくれてありがとう。アイリスも、危険なことに巻き込んで申し訳なかったね。ここからは後方支援を頼むよ」
多分、レッテリオさんはいつも通りの笑顔なのだと思う。
でも私は、何故か「はい」とも「いいえ」とも言えずただ俯いたまま。「アイリス」と優しい声で尚呼ばれても、バルドさんに慰めるように頭をポンポンとされても、どうしてか顔を上げることができなかった。
だから私は、レッテリオさんはきっと笑顔だと予想するだけで――。
「アイリスぅ~?」
「アイリス」
イグニスとルルススくんが、私の顔を覗き込む。
ああ、二人に心配そうな顔をさせてしまっていた。
ごめんね。そんな気持ちで私は微笑み返す。やっぱり俯いたままでだ。
だって、もし顔を上げたらレッテリオさんの顔も見えてしまうから。
だって、もしもその顔に筆頭のような呆れが見えてしまったら……きっと私は顔を歪ませてしまうだろうと思ったからだ。
◆
その後テーブルでは、銀の髪の男の捜索と合わせて、最近あった事件の中に【魅了】の痕跡がないかを調査することが話し合われた。
それから帰ってしまったと思っていた筆頭は外にいたようで、騒がしさに気付いたレグとラグが裏庭の畑に行くと、筆頭が見習いハリネズミと遊んでいた。それを見たレッテリオさんは呆れていたけど、「兄上、まだここにいたのなら一つ仕事を」と、ヴェネトスの門に刻まれているはずの転送と封印の陣の確認を頼んでいた。
きっと筆頭なら、それを再構築し描けるようにもなってしまうのだろうなあと私は思った。
「アイリス、お邪魔したね」
「いえ、あの……レッテリオさん、イグニスのこと……」
「ああ、気にしないで。それじゃあまたね」
「あ、はい……」
ほとんど何も話せないまま、私はレッテリオさんたちの背中を見送った。閉まった扉を前に、なんでか小さく溜息が零れてしまう。
「レッくんたち、これからすぐに迷宮に向かうんにゃって」
「ひっとうは~門を見に行って~たいちょ~のとこに寄るってウキウキしてたよぉ~」
溜息を吐き俯き加減の私を見上げ、ルルススくんとイグニスが言った。
「そうなんだ。白ばら……待宵草は早めに沢山植えたほうよさそうだったもんね……」
「ほらほら、アイリス! 落ち込んでるんじゃねーよ!」
「そうそう、アイリス! 迷宮のことは皆にお任せして、お祭りの準備をしましょう!」
「そうにゃ! ルルススの本業は商人にゃからね! アイリスの本業も見習い錬金術師にゃ! 自分たちのやるべきことが最優先にゃよ!」
「くふふ~そうだねぇ~! 迷宮は~もっと大きくなってから~また行こうねぇ~!」
◆
慌ただしく祭りの出店準備をしているうちに、あっという間に今日はお祭り当日だ。時刻は朝七刻の鐘が鳴ったばかり。
出店の準備はすっかりできていて、私の荷物のほとんどは玄関前に置いたリュックに詰め込まれていて、玉檸檬水のサーバーだけはルルススくんのふしぎ鞄に入れてもらっている。ルルススくんの準備も勿論完璧。朝ごはんも済んだしあとは忘れ物がないか点検をして、街へ行くだけだ。
私とルルススくんは、前日祭での出店は見送って今日のお昼だけの出店にした。用意できた売り物の数がそれ程多くないのが理由の一つ。
そしてもう一つの大きな理由は、レッテリオさんたちの迷宮での種蒔きだ。と言っても、私はモヤモヤした気持ちを抱えていても、イグニスを迷宮に送り出す気にはなれなかったので、レッテリオさんの言った通り『後方支援』をしていた。
「それにしても……まだこの時間にゃのに、レッくんたちはもう動いてるんにゃね。もう待宵草が送られてきたにゃ」
「え、もう?」
「レッくん~今日のお祭りにはいきたい~って言ってたからがんばってるんじゃないかなぁ~? ね~? アイリス~」
「そうだね。でもどうかなぁ……?」
朝からこの量だ。昨夜の分だとして……種を蒔いてもこんなにすぐ育っちゃうんじゃ、迷宮を離れるのはまだ難しそうな気がする。
あの後、迷宮で種まきを始めたレッテリオさんたちはずっと迷宮に籠っていた。
そして私とイグニス、ルルススくんは、今回の迷宮での活動には参加しないことになったけど、お手伝いだけはしていた。
毎食の食事を作って送り、育って赤くなった望月草の実を【転送便】で受け取ってレグとラスに加工してもらっていたのだ。
魔力が溢れている迷宮では、待宵草の種はあっという間に真っ赤な望月草へと成長し、熟してしまう。だけど今はお祭り期間中。迷宮探索隊の騎士だけじゃ人出不足だった。
「うはうは! これも炎の魔力たっぷりな実だぜー! 少しは迷宮の魔素減ったのかな?」
「うふうふ! 綺麗で大きな魔石を作れそうですわね!」
ルルススくんの鞄を介して送られてきた花の山の前はハリネズミたちの行列ができていた。レグが指示を出し皆でテキパキと実を収穫したら、ラグが魔力たっぷりの実を精製して魔石へと加工する。
「レグとラスがいてくれてレッくんたち助かったにゃね!」
「そうだね。お祭りの時期にこれだけの望月草を加工できる工房は……ちょっとないよね」
刈り取った花を運ぶことは簡単だけど、実の保管と加工が問題だったのだ。急な依頼だし、迷宮や騎士団の機密にも関わることだしね。
「ひっとうが~ツグミをくれたのびっくりしたよねぇ~くふ~」
「ほんとにね」
そう。イリーナ先生から声便が届いたと思ったら声の主は筆頭で、「連絡先を交換していなかったからイリーナに繋げてもらった」と言い、実の加工をしてやってくれと言われたのだ。
確かに、全てにおいてこの見習いの工房は都合がいい。
保管も機密も問題ないし、植物素材を扱うのが得意なレグとラスもいる。望月草の実は早く加工しないと魔力が抜けて行ってしまうし、極上素材を無駄にするようなことは見過ごせないし、本当によかった。
「筆頭って意外と気が付く人にゃんにゃね。またツーさんみたいな変な錬金術師が増えたと思ったんにゃけど……やっぱりレッくんのお兄さんにゃったにゃね。優しいとこあるのにゃ」
「……そうだね」
イグニスを迷宮探索に参加させないと言ったあの日以降、私はまだレッテリオさんと話しをしていない。イグニスはもう気にしていないみたいだけど、私は何だか後ろめたいような、自分の中に妙なしこりができてしまっていた。
ルルススくんは筆頭がそれを分かっていて仕事をくれたと思ってるみたいだけど……うん。多分、きっとわかってるのだろう。筆頭も私のアレコレは何も気にしていなかったようで、「見習いにできることをやればいい」とツグミでも言っていた。
レグとラスの加工は私にも勉強になるし、私自身も積極的に手伝っている。地味で単調な作業だけど、実の魔力を少しも損なわず、更に練り合わせて魔石にするこの作業は物凄くいい訓練になった。
本当に見習い向きの作業で、さすが筆頭はよく分かってる……! と、印象がアレだった筆頭だけど、指導者としてもちょっと見直しました。ごめんなさい。
「あ、そうにゃアイリス」
ルルススくんは、もうほとんど準備ができたお祭り用の荷物に頭を突っ込んだ。
「あ、あったにゃ! はいにゃ! これ、アイリスには先に渡しておくにゃ!」
ルルススくんが差し出してきたのは、深紅の魔石と海硝子があしらわれた掌サイズの髪留めだった。
「わ、きれい……!」
植物を象ったそれは、魔石が花の蕾で銀色の金属が茎、そして海硝子で葉を作っていた。
ああ、これはお祭りには必須の白ばらに絶対によく合う……!
「今回作った髪留めにゃ! 髪に花を挿してこれで留めたら可愛いにゃ! あとにゃ、この魔石はイグニスが作った魔石にゃ」
「くふふ~アイリスのには~いちばん良い魔石を使ってもらったんだよぉ~!」
「わぁ~! 二人ともありがとう! これならお祭りだけじゃなくて普段使いもできそうだね!」
サイドの髪をササっと留めるのにも丁度良さそうだ。
「アイリス、アイリス、裏側も見てほしいにゃ!」
「裏側?」
私はピンになっている裏側を見てみた。特に変わったところは――ん? ピンがデコボコしてる? それになんだか、吸い付く手触りというか、ペタっとするというか……?
「このピン、滑り止め加工がされてる? ルルススくん、もしかして?」
「そうにゃ! アイリスから譲ってもらった【高脚蜘蛛の糸】にゃ! ちょっと秘密の加工をしてピンに取り付けたのにゃ!」
「わぁ~! これなら~アイリスの髪でもちゃんと留まるねぇ~!」
私はサイドの髪を軽く捻り、早速この赤い蕾のピンで留めてみる。
「……うん、ちゃんと留まる! ルルススくんありがとう!」
「どういたしましてにゃ~! これでこの工房に迎え入れてもらったお礼はできたにゃね。ルルスス、ずっとアイリスの髪留め作ってあげたかったのにゃ」
「くふ~! アイリスかわい~よ~! ぼくの魔石がにあってるぅ~!」
「ふふっ、イグニスもありがとう」
お祭りの本番は今日――満月となる今夜。
白ばらである待宵草が、赤ばらの望月草になる夜だ。
「じゃあ、そろそろ出発しよっか」
「はいにゃ! 腕が鳴るにゃ!」
「いく~! おいしいもの~!」
初めてのお祭りも出店も楽しめたらいい。
私は飾っておいた白ばらに手を伸ばす。
レッテリオさんからもらった白い待宵草は、工房の森の魔素を吸い綺麗な薄紅色になっていた。