112.竜と迷宮と白と赤のばら
◇ちょっと長めです
本と手帳を読み終えた私たちは、屋根裏部屋でそのまま話をしていた。
読み終わった者は頭の中で情報を整理し、次に読み終えた者と意見を交わす。そんな風にして、徐々に『迷宮について分ったこと』と『王女の白ばら』の話との類似点や疑問点などをハッキリさせていった。
「うん。この『臙脂色表紙の半分の本』と後半部分らしき紙束、それから王女の『手帳』はきっと真実だろう。これらは一緒にここにあった、そうだな? レッテリオ」
筆頭の言葉にレッテリオさんは頷く。
たまたま入った屋根裏部屋で、銀時計の継承者であるレッテリオさんが見つけたのは偶然だ。だけど、たまたま本を見つけて気になって、更にたまたま見つけた宝箱に入れたことになんだか不思議な縁を感じてしまう。
「そうそう、本と手帳はな、わざとここに隠し置いたんだってよ。ばあちゃんが言ってたぜ!」
「そうそう。恋物語に脚色した『王女の白ばら』の本は何故か燃えてしまうから、世に出なかったもう一つのお伽話のはここに隠したんですって。お婆様がおっしゃってたわ」
レグとラスが「思い出した」と、祖母から聞いた話を語る。
「へえ~そうなんだぁ~。でも~ふくちょ~と戦った竜が悪者じゃなくて~ぼくホッとした〜!」
「まあなぁ。しかしあの炎竜……やっぱり守護者だったのか……?」
そこまでの強さは感じなかったんだが……。バルドさんはそんな独り言を呟き、本を読み返し首を傾げた。
「ああ。あの時は状況が悪すぎたんでしたね……」
そうでなかったなら――と続けたかったのだろう。だけどレッテリオさんはそこで言葉を止め、複雑そうな顔をした。
「……負け惜しみに聞こえるだろうが、あの時はな。炎竜と遭遇すると分かっていたらもっと準備をしていたし、新人を連れていくこともしなかったし、立場のあるランベルトも連れてはいかなかったな。まあ、全てが今更だし、最悪を想定しなかった俺の落ち度だ」
大怪我をしたバルドさんだったけど、それは他の騎士たちを逃がすためだったと聞いている。もしもきちんと準備をしていたら……バルドさんは今も騎士だったのだろうか? 『金の斧亭』は今、あったのだろうか?
穏やかに笑うバルドさんの頬には傷が残っている。迷宮で手当てした時に見た背中の傷跡はもっともっとひどかった。きっと当時は相当に深い傷だったろうし、騎士を続けるのは難しかったのかもしれない。でも……。
そこで私は、ふと思った。もしかしたらバルドさんは、諸々の責任を取って騎士を引退したのかもしれないと。だって今だって、バルドさんは一人で迷宮深くに潜っている。決して戦えないわけではないのだ。
――バルドさんって凄いな……。
大人だから自分の落ち度だと笑って話せるんだろうか? だって、もし私が錬金術師になることを諦めなきゃいけなかったら……後悔だけでなく悔しさでいっぱいで、こんな風に話せるとは思えない。絶対に笑ったりできない。
実際、ペネロープ先生には「何とかお願いします」と縋り付いてしまったしね……。
「ふくちょ~……竜がごめんねぇ~……」
「ハハ、イグニスが謝ることじゃない。それにいい切っ掛けだったんだ、本当に。俺は料理を作るのも食うのも好きだったからな」
「そ~お~? じゃあ~ぼくが竜を好きでもいやじゃな~い~?」
「嫌なわけあるか。俺だって強い竜は好きだぞ?」
そう言いイグニスを撫でる手は大きい。
イグニスはバルドさんにスリスリ擦り寄り目を細める。精霊って色んな意味で我儘だけど、イグニスは本当に人の気持ちにも寄り添える優しい精霊で……。いい子だなぁ……。
「イグニスは本当に竜が好きにゃんにゃね。大きくにゃりたいって言ってたしにゃぁ」
「そうだよ~! 早く大きくなりたいなぁ~……くふ……ぼく~この本ほしいなぁ~」
イグニスはチラッチラッと私とレッテリオさんを見上げた。
「フフッ、イリーナ先生に聞いてみようね」
「きっとイグニスにならくれるんじゃないかな」
パアァ……とイグニスの顔がほころんだ。イグニスのためなら苦手なお手紙だって、先生が面倒になるくらい沢山書いちゃう! それに破損したまま屋根裏部屋に忘れられていた本だ。王女様の手帳は無理だろうけど、この本ならきっと貰えるだろう。
それにしても、おねだりする程この本が気に入ったなんて……? イグニスがこんなに竜に憧れを持っていたなんて知らなかった!
「ん~……でもぉ~なんでこっちの本は~世に出さなかったのかなぁ〜?」
竜かっこいいのに……と、イグニスは不思議そうに首を傾げて言った。
それは私も思った。だってこの本、きっと『王女の白ばら』よりも真実に近いことが書かれているはず。それなのにどうして世に出なかった本になってしまったの? だって、この本は燃えずに存在しているのに……どうして?
「出す人間がいなかったんにゃにゃい?」
「え?」
ルルススくんは半分に破損しているその本をぽむ、と肉球で叩いた。
「本は錬金術で簡単に作れるものにゃにゃいにゃ。作る職人がいにゃきゃだめにゃ。『王女の白ばら』は、きっとより広まるようウケを狙った恋物語に仕立てたんにゃ。 国中に広める手段を持ち、儲けを見込み商売として担う人物がいたってことにゃ」
「あ、そっか。でも何故か本はすべて燃えてしまい儲けどころか損しかでなかった……と」
「そうにゃ。そんにゃ本と似たような内容の本に手を出す商人はいにゃいにゃね。また燃えちゃったら困るにゃ。大損にゃ。いくら王女さまでも、作って取り扱ってくれるところがにゃきゃ無理にゃ」
なるほど、納得いく理由だ。
「この本は試作品だったのかな……?」
「どうだろうね。しかしこの本は燃えずに残ってるんだから、せめてコスタンティーニ家にだけでも作って残してくれればよかったのに……」
そうしたら迷宮の異変にだって、もう少しマシな対処ができたかもしれないのにな。レッテリオさんが呟いた。
「まあ、よいではないか」
「兄上」
「一冊と手帳が残っていただけマシだ。ところで『待宵草』の種蒔きだが……良い案じゃないか。この本がヒントになったのだろう? 王女は封印する者の魔力を抑える目的で植えたのだろうが、魔素が濃くなりすぎている迷宮でもきっと良い効果が出るだろう」
と、バルドさんが「思い出した!」と手を打った。
「そうだった! 俺はその件でレッテリオに話をしにきたんだ」
「え? ああ、種蒔きですか! もしかしてもう種の用意ができました?」
「大量に用意した。人員とスケジュールはランベルトと相談しておいてくれ。俺は明日からでも行けるが――レッテリオ、あの銀時計は今どんな感じだ?」
レッテリオさんは銀時計をそっと開き、嫌そうな顔を見せた。
「少し増えてますね。七刻半まで赤くなっています」
「急いだほうがよさそうだな。俺だけでもこの後迷宮に入るか……」
「いや、急ぐのならば精霊の力を借りたほうがいい。待宵草は魔素を吸い上げ育つが、精霊の力で花を咲かせさっさと結実させた方がより効率がいいだろう」
「でも兄上、精霊と言っても俺は……」
「ここにはレグとラスという大地の精霊、それに炎の精霊のイグニスさんもいる。――アイリス、三人にご助力願えないか?」
筆頭から突然ふられてビクッとしてしまった。
そうか。確かに『待宵草』はその実を熟させるときに一番魔力を必要とする。すなわち迷宮に溢れている魔素を吸い取ってくれるのは、花が咲き実ができたその時だ。
「えっ、えっと、はい! 三人さえよければ私は……。レグ、ラス、イグニスも……お手伝いお願いしていい?」
レグとラスはニンマリ笑って「任せろ、任せろ!」「勿論、勿論!」と言い、イグニスも「いいよ~!」と嬉しそうに部屋を飛び回る。
イグニスはきっと、こんな風に頼りにされるのが嬉しいのだろう。お願いするといつも頑張ってくれるし、自分の力を見せてくれようとする。こんなに小さくて可愛いイグニスだけど、炎の精霊としての誇りやプライドはとっても大きい。
それに多分、迷宮に炎の精霊が関わっているとハッキリ分かったせいもあるのだろう。ヤル気というか……イグニスの目には、何か責任感のようなものが見える。
迷宮に封印をしたのが炎の精霊の炎竜だから? 同族意識とか?
「しっかし、しっかし、ここの森の魔素がおかしいのも迷宮の影響かもしれないな!」
「ええ、ええ。きっとそうですわ。こことあそこは近しい場所ですもの」
「やっぱりこの森にも影響が出ていたのか。ところでイグニスさん、君はこの赤ばらをどう思う?」
「ええ~?」
筆頭は私がもらったあの赤ばらを取り出しイグニスを手招きする。イグニスはペトペト歩いて近寄ると、筆頭の手元から彼を見上げて言った。
「ひっとお~レッくんのお兄さんなんでしょう~? ぼくのこと~イグニスって呼んでいいからねぇ~」
「それは光栄だ。弟に感謝しなければいけないな」
イグニスは「そ~だね~! くふふ~」とご機嫌の様子。
「さて、イグニス。この奇妙な赤ばら……二つの魔力を感じるが、私は|炎の精霊《炎の精霊》と契約をしていないし炎には疎い。どうかな? 美味しそうな匂いはするかい?」
「しないよ~これ~嫌な臭いなんだよぉ~! 炎の魔力は感じるけどぉ~変なんだぁ~」
「変? それは具体的にどう?」
「んんん~……よく分からない匂いを~炎でくるんでてぇ~感じ悪いんだぁ~!」
――感じ悪い? それってどういうこと? どういう意味なのだろう……?
「でもイグニス、この赤ばら……私たちが嗅ぐと普通のばらの香りだよ? ちょっと香りがキツすぎて甘ったるいけど」
「アイリスにはそうなのぉ~? ぼくはね~おいしそうかな~って思ってかいでみると~なんか変な匂いがするんだぁ~」
炎の魔力を持ったものが好物のイグニスが言うのだから間違いないだろう。この赤ばら――迷宮に溢れた炎の魔力を吸収した望月草はどこか変なんだ。
変……変……? 変って、どういうこと?
筆頭は二つの魔力を感じるって――。
なんだかずっと考えていたことがやっと繋がりそうな気がする。もう少し、何か……何だろう?
「あ……? あの、筆頭。迷宮の核って……」
「あの本が真実だとして、現在の迷宮の状態を鑑みれば……可能性が高いのは炎竜の力だろう。封印の為に魔石を置いたことも考えられる」
「しかし兄上、現在の核は動いていました」
「じゃあ動くものが核なのだろう? 炎竜が出たのだったか……いや、しかし……」
おや? と筆頭も首を傾げた。沢山の情報を得たからこそだろうか。ぼんやりとその姿が見えているのにどうしても掴み切れない。何かがしっくりこない。
そして全員が黙り込んでしまったその時、イグニスが「んん~?」と小さな声を上げた。
イグニスは話に飽きてきたのか、床をごろ~ん、ごろ~んとしながら開かれていた手帳の紙を弄んでいた。小さな手で紙の角をはじき遊んでいる姿は何とも言えない。
「ねぇねぇ~アイリス~。ここ~もう一ページあるみたいだねぇ~? くっついてるよぉ~」
イグニスはその黒い瞳をパチパチとまばたかせ、面白いものを見つけちゃった! と尻尾をパタパタと動かしていた。
◆ブクマや★、感想をありがとうございます!感想へのお返事はなかなかすぐにはお返しできていないのですが全て拝見しています。読んでいただけているのが分かり嬉しく思っています。本当にありがとう!