111.手帳
「次はこっちだね」
私は手帳を手に取った。
パラパラとめくってみると、その中には随分と雑多な内容が書き込まれていた。
「……あ、これは錬金術のレシピだ。へぇ~……この調合面白そう」
「どれ、見せなさい。――ああ、これか。これは古いやり方だな……だが、あの調合に応用できるかもしれない……」
「えっ、筆頭、これって古いやり方なんですか? 斬新だな~って思ったんですけど……」
「それはそうだろう。君たちは習わないやり方だ。だが――」
「アイリス、兄上、一旦そこまでにしてください!」
レッテリオさんからの言葉で私たちはハッと我に返った。
そして顔を上げた一瞬の隙に、私たちの手から手帳が取り上げられた。
「あっ」
「おい、レッテリオ!」
「錬金術のレシピが書き込まれているのならやはり王女のものですね。はい、皆で順番に読みましょう」
「そうだな。それでは私から……」
筆頭が再び手帳に手を伸ばしたが、レッテリオさんは手帳を持った手をサッと頭上に掲げた。
ああ、レッテリオさんの方がちょっと背が高いんだ。筆頭ってば子供みたいに手を伸ばして……。
「兄上は一番最後ですよ。……笑ってるけどアイリスもね?」
「えっ」
「そうにゃね。この二人はだめにゃ。錬金術のことになるとすぐ夢中ににゃっちゃうにゃから!」
ルルススくんの言葉に皆が頷き、私と筆頭は最後に読むことが決まってしまった。
残念すぎる……早く読みたいなぁ~……――。
「――……リス、アイリス!」
ハッと顔を上げると、呆れ顔のレッテリオさんが私を覗き込んでいた。
「……はい?」
「はい? じゃなくて。ほら、アイリスの番だよ」
ポンと手帳を手渡された。
本棚に入っていた『食品にポーション効果を付与する実験』の書き付けを読んでいたらまた夢中になってしまっていた。だってこれ、失敗ばかりだけど作っていた料理がすっごく美味しそうで……!
ああ、レシピはしっかりと頭の中の【レシピ】に記憶させてもらいました。
「……あれ? もう読んだんですか? 早かったですね?」
「そうでもないよ。まったく本当に錬金術師は……。兄上も一緒に読んでください! ほら、兄上、あ に う え !!」
筆頭の手には『白いばらを赤くする方法』という本が。ああ、私と同じで集中して読んでるのかな。
「……あれ、夏祭りの必勝本だぞ?」
「え? バルドさん必勝本て……?」
「あー……どうしたら意中の子に白ばらを渡せるかとか、どこで渡すと勝率がいいとか、良い返事を貰うには……とか、そういう本だ」
「ええ……」
筆頭、何をそんなに真剣に読んでるんですか……。
◆
私はちょっと緊張しつつ、筆頭と横並びになって手帳を読み始めた。
めくるのは私。筆頭は読むのが早いそうなので、私のペースに合わせてくれるらしい。
前から順に読んでいって分かったけど、どうやらこの手帳、思い付いたことを書き付けるために使っていたようだ。たまにページが飛んでいたり、見開きページで書いている内容がガラッと変わったりもしているし、何よりもその内容に脈絡がない。
面白い素材を売っている店のメモ、森の洞窟に咲いた見慣れない花の観察日記(数日で飽きたのか途中で終わっていて、数ページ後に突然「種ができていた!」と書いてあった)、それから工房にも出入りしていた騎士――これはあの『臙脂色表紙の半分の本』に出て来た騎士だろうか? ――その人への愚痴なんかも書かれていた。
人の手帳を覗くのは、罪悪感と合わさってちょっとドキドキしたのだけど、王女の手帳は日記でも”一般的な手帳”ともちょっと違っていて、妙な罪悪感はほとんどなかった。むしろ”錬金術師の日常メモ”という感じでとても楽しい読み物だ。
「あ」
そんな風に楽しく読み進めていくと、こんな記述があった。
『*忘れないこと!* 明日は街へ行く日! *迎えは七刻』
もしかしてこれは、あの物語にあったヴェネトスの街へ行く前日のメモだったり……? そうだ。そういえばあの『臙脂色表紙の半分の本』の物語はどこまでが真実なのだろう? どこからが創作なのだろう?
何故か本は燃えてしまい残せなかった『王女の白ばら』とは全然違う物語だったから、なんとなく真実のような気がしてしまっていたけど……もしかしたら真実が『王女の白ばら』で、『臙脂色表紙の半分の本』が創作でもある可能性もある。
少なくとも、隣国の街との間に争いがありその後に婚姻が結ばれたのは真実だ。これは街の歴史書にもしっかりと残っている。
それから多分、ヴェネトスに王女が来て、騎士がいて、何かが起こりあの迷宮へ封印されたこともあったのだろうと思う。
だって、『臙脂色表紙の半分の本』に書かれていた神殿は、ヴェネトスの迷宮の深層にあった部屋とそっくりな状況だった。
それから白ばら――『待宵草』もだ。
きっと、ヴェネトスに残る『王女の白ばら』と、この屋根裏にあった『臙脂色表紙の半分の本』、それからこの『手帳』。この三つには残せなかった真実と、創作だからこそ残せた、迷宮の核と封印の真実が書かれているはずだ。
私は「さあ、次は何が書いてあるかな?」とドキドキしながらページをめくると――。
その内容は、ここまでとはガラッと変わっていた。
『指示!
・あの男の素性を調べること。*王族に該当者はいないか末端まで調べろ』
『あの男、気持ち悪い! ソフィアの様子が気になる。あの甘い匂いがおかしい。匂い!』
ああ、これは『半分の本』の物語が事実だったことの裏付けかもしれない。ソフィアというのは多分本に出て来た『領主の娘』じゃないかな。
この記述はあの、銀の髪をした男が現れ事件が起きた後に書いたものだろう。内容もそうだし、何より王女の筆跡が荒れている。
『報告
・数日前に南の海の街・ペルラにて男の目撃アリ
・銀髪に染めていた娘が傷害の被害
・王族に該当者ナシ
アイツはどこの誰だ?』
最後の『アイツはどこの誰だ?』はグリグリと何重もの円で囲まれていた。
『可能性
・魅了の魔術では? ご法度のはず!
・杖を使っていなかった。←どういうこと??
もしかして人じゃないかも』
「えっ……?」
「……アイリス、指が邪魔だ。読めん。それから声を出すな気が散るだろう」
「あっ、すみません」
怒られてしまった。確かに集中してるときに隣で声を出されたら気になるよね。……というか、筆頭はもう次のページを読んでいたのか。早い。
指をどけて私も隣のページに目を移した。
『・月光の魔力
・月の落とし子のおはなし
・魅了~禁忌の魔術とその物語~』
「あっ」
「……アイリス。いちいち何なのだ」
はぁ……。と筆頭が溜息を吐き私を軽く睨んだ。
「す、すみません。この三つ、本の題名だって思って」
「ああ、やはりそうか。『月光の魔力』は読んだが……君は全部を読んだのか?」
「いえ、私は『月の落とし子のおはなし』と『魅了~禁忌の魔術とその物語~』を読みました」
「どんな内容か気になる。簡単でいいから話してくれ」
筆頭にそう言われてしまえば話さない訳にはいかない。正直、一冊はちょっと話しにくい内容の本なんだけど……。
『月の子のおはなし』は月の魔力から生まれた可愛い精霊”月の子”のお伽話だ。観月の名所となっている湖のお話で、他愛のない悪戯をしたり、森の精霊たちと遊んだりする、王国西部ではわりと知られた絵本だ。
そういえば、月の子が生まれたベッドは真っ赤な望月草だった。
こんなところにも迷宮と王女の物語との共通点が出てくるなんて……?
『魅了~禁忌の魔術とその物語~』は、きっとあまり知られていない本だろう。ヴェネトスに来る途中の街で寄った神殿図書館で埃をかぶっていた本だ。禁忌の魔術というタイトルも、内容もちょっと刺激的だったからあまり出回らなかったのだろうな~……と、読んだ私は思っている。
と、簡単に言うとそんな内容の二冊だ。筆頭には色々聞かれたのでその都度話したけど……なんだかレッテリオさんの視線を感じるので早く手帳を読んでしまいたい。きっと「錬金術師たちは本当に……」とまた呆れているに違いない!
「……すごいな、君の【レシピ】は。よくそこまで細かく記憶しているものだ」
「ありがとうございます。えっと、続きを読んでもよろしいでしょうか……?」
「ああ」
『月の精霊、月の魔力、
移り気で気まぐれ、人を惑わす悪戯な妖精。美しいものを好む』
「あれっ」
「数ページめくってみよう。この王女はどうも適当に開いて書いているようだから……ああ、あった。続き……か?」
そこには、いくつかの錬成陣の素案が描かれていた。
「……あれ? これ――」
「基本は炎の陣だな。転送、共鳴、吸収? 封印……ああ、対にするのか。いや、三点か? しかし細かい良い陣だ」
「筆頭。私、これに似た陣を見たことがあります」
「迷宮か」
私は頷いた。
やっぱり『臙脂色表紙の半分の本』には実際にあったことが書かれているのだろう。神殿といい鳥籠といい、共通点が多すぎる。それにこの陣もだ。
王女が描こうとしたこれが迷宮にあったのなら、封印されていたのは竜じゃなく『銀の髪の男』のはず。だって、物語では封印をしたのは王女の竜だった。
そして次のページに書かれていたこの文言で、手帳は終わっていた。
『転送と封印の陣! *予備としてもう一個描いておくこと→ヴェネトス正門?』
……ヴェネトス正門? あそこにもこの陣があるのか。予備って……どういう意味だろう。
「ふむ……。神殿が廃れる可能性でも考えたか……? 確かに現在、あの場所に神殿はないしな」
「……あっ」
確かにそうだ。
物語の中で神殿があったのは『岩山』で、私が知っている神殿があったのは『岩山』に入口がある『迷宮』だ。
あの神殿は……どうして迷宮になってしまったのだろう。
動いていた迷宮の核って、まさか……――?