108.悪い子
お祭り前のちょっとソワソワしている街をバルドさんと並んで歩く。私の頭の上に乗っているイグニスも、ワクワクそわそわと周囲を見回している。
「俺は元々、王都の騎士団にいたっていうのは話したか?」
「えっ、いえ! 初めて聞きました」
「小さな隊の副隊長をやっててな。新人の訓練も受け持っていて、そこで騎士学校から上がってきたばかりのレッテリオやランベルトの指導もした。貴族の子弟で騎士になる奴のほとんどは、王都の学校を出て王国騎士団で訓練を受けるんだ」
そうだったんだ。だからレッテリオさんやランベルトさんとあんなに親しかったのか。
「へぇ……。あ、じゃあバルドさんって、レッテリオさんたちにとっては先生みたいなもの……? でもどちらかっていうと仲のいい仕事仲間って雰囲気ですよね」
子弟の距離感というよりそんな感じがする。だって私とイリーナ先生、ペネロープ先生との距離感とはちょっと違う。
勿論あの二人も、バルドさんに対して敬意をもって接しているのは分かるんだけど、結構気安い感じがあるよね。それにあの二人は良いお家の出身だけど、その辺もあまり関係ない感じなのもちょっと不思議だ。
そんなことを聞いてみると、バルドさんは「アイリスはよく見てるな」と言い、笑う。
「ハハ、まあアイリスはまだ見習いだし、錬金術師の師弟関係と騎士団ではまた違う部分もある。それにほら、先生の性格もあるんじゃないか? 俺はこの通りだから下の奴らとも気安く付き合いやすい。それもあって、貴族じゃない俺が貴族の子弟を躾ける役目になったんだろ」
まだ世間慣れしてない坊ちゃんたちを躾けるのはなかなか面白いぞ? と、ルルススくんが皮算用をしている時の悪い顔のような笑顔を見せる。
「まぁそれで、カーラとは王都で出会ったんだ。カーラはなかなか腕の良い採狩人でな。森や迷宮で何度か顔を合わせて、色々あって一緒になったんだが……ヴェネトスに戻るランベルトに『ヴェネスティ領に来てほしい』ってしつこく口説かれて、カーラの故郷だしまぁいいか、って移って来たんだ。八年前だったかな」
「へえ~! でも、なんでランベルトさんはバルドさんを?」
「あの頃からここの迷宮は徐々に深くなっていて、火力が必要だった。それと、やりやすさだろうな。ランベルトは立場上、ここの騎士団に戻ればそれなりの役職に就く。気心知れた補佐が欲しかったんだろう」
八年も前から迷宮は変わってきていたんだ。
確か、バルドさんが炎竜と戦ったのは三年前だから……バルドさんがここへ来て五年目だったのか。
「それでぇ~? カーラとのおはなしはぁ~?」
「ああ、それでな? ヴェネトスに移ってくるまで俺もこの祭りのことも『王女の白ばら』のことも知らなくて、初めての年にカーラから贈られてこの風習を知ったんだ。そりゃあもう、騎士団では散々駄目な奴だって言われて……カーラの女っぷりは上がったんだがな」
「ああーそれは……」
「翌年からはヴェネトスで一番の白ばらを贈って名誉挽回を図った。騎士を辞めることになったときも……再プロポーズのつもりで贈って、受け取ってもらえてホッとしたり……まあ、色々思い出深いんだ。あの花は」
バルドさんが品質の良い白ばらにこだわる理由は、単にカーラさんへの愛情だけじゃなかったんだ。思い出かぁ……。
「ヴェネトスの人にとって『王女の白ばら』って、みんな色んな思い入れがあるんですね」
「多分な。普段口にできない気持ちを伝えるにも良い切っ掛けだからな」
いつもカーラさんに気持ちを伝えていそうなバルドさんだけど、秘めている言葉もあるのだろうか? 私はチラッと隣を見上げた。
「夫婦って色々あるんですね?」
「そりゃあな? 何年も一緒にいるんだ。一番近い他人同士には、山もあれば谷もある」
そんなバルドさんのお話を聞いているうちに騎士団寮が見えてきた。
門の前に筆頭の姿はない。さすがに中で待っているのだろうけど……と思ったら、バーン! と扉が開けられた。
これ、とっても見覚えがあるシーンだ。
「待ちくたびれたぞ! アイリス。さあ、工房へ行こうか」
後ろから走って来たレッテリオさんが「兄上……!」と声を荒らげていた。
◆
「にゃっ! アイリス早かったにゃね! あ、副長も一緒にゃか」
工房の扉を開くとルルススくんが迎えてくれた。
「うん。ルルススくんこそ早かったみたいだけど、髪飾りは受け取れた?」
「そこはばっちりにゃ! 良い物が作れたにゃよ! 早くアイリスにもあげたいんにゃけど……」
ルルススくんは私の脚の陰から後ろを覗き込み「いるにゃ」と呟くと、後ろを振り向き大きく頷いた。
「あっ、お茶の用意してくれてたんだ……! ありがとう……!」
やっぱりルルススくんってば頼りになる……!
美味しそうなお茶を探してお茶菓子はどうしよう……と思っていたけど、全部やっておいてくれるだなんて!
「ルルススくん本当にありがとう……!」
「いいのにゃ。お部屋を片付けて整えてくれたのはレグとラスにゃ。ルルススはお菓子を買ってきただけにゃよ」
ピーンと髭を張り、トテトテと歩くルルススくんの後ろに続き、私はちょっと緊張しながら筆頭を工房へ招き入れた。
「ごめんね、アイリス」
「いえ、レッテリオさんも……お兄さんこんな感じの方だったんですね……?」
「うん。自分勝手で本当に……」
皺寄せはいっつも俺に来るんだよ。と、レッテリオさんはちょっと遠い目をした。
◇
イグニスにお湯を沸かしてもらい紅茶を入れていると、テーブルの方から「わっ」と賑やかな声が上った。
「おっとおっと! なんだよ久しぶりだな!」
「あらあら! 懐かしい子ね!」
「レグ! ラス! 君たち、まさか彼女の契約精霊になったのか? 驚きだ……!」
レグとラス、それに筆頭が頬を寄せ合い再会を喜んでいる……?
「レグ、ラス、筆頭とお知り合いだったの……!?」
「おうおう! ペネロープちゃんが修行してた頃にちょっとな!」
「うふうふ! 素敵なローブの色! 立派になったのね、クレメンテくん」
私はお茶を、イグニスはお砂糖のポットを抱えテーブルへ。
レグとラスは席に着いていて、見習いハリネズミさんたちは壁際で楽しそうにこちらを見ている。あ、もしかしてお茶菓子狙い……? 散らかっていた部屋を片付けてくれたのはハリネズミ隊だろうし、後でお礼と一緒にお菓子を分けてあげなくちゃ。
「兄上、こちらへ来たことが……?」
「レッテリオ、何を言ってるんだ。お前も来たことがあるだろう? 魔力の好みがハッキリしているレグとラスに会ったことはないかもしれんが、お前とランベルトと、一緒に連れて来たことがあるはずだ」
レッテリオさんは「全く憶えていない……」と首を捻っている。
ここは見習いの工房だから、きっとまだ筆頭が見習いのときのことじゃないだろうか。それならレッテリオさんはまだ幼かったはず。憶えていないのも仕方がない。
「お前たち、ここの屋根裏に忍び込んだんだぞ? ランベルトと散々散らかして……あのときは私が片付けたんだからな?」
「すみません。全く記憶に――」
「ああ、ああ! あの時の子か! 悪い子だったなぁ!」
「あらあら! あの時の子なのね! 本で遊んで本当に悪い子だったわ!」
「え……?」
初対面のレグとラスに「悪い子」と呼ばれたレッテリオさんが目を瞬いた。
「あの、レグさん、ラスさん。本って……もしかして、ここの屋根裏部屋……本棚が沢山並ぶというか……」
「うんうん! ほとんどびっしり重なってるな! お前たちが倒したんだけどな!」
「そうそう! あなたたち凄かったのよ? 本を積み重ねて遊んでいて……! まあ、お片付けも随分と適当でしたけど。ねぇ? クレメンテくん」
「ハハハ。弟と従兄弟の始末としてはまあまあでしょう」
私とレッテリオさん、バルドさんも顔を見合わせた。
――本棚を倒して? それって、もしかして……レッテリオさんが言っていた、本で雪崩を起こして遊んだっていう、あの部屋なんじゃ……!?
迷宮に花を植えた竜と乙女のお話の本があった場所……!
「屋根裏部屋へ行きましょう……! 兄上、そこに迷宮の異変の鍵があるかもしれません」