107.お祭り出店手続き
「それじゃあ私は行ってくるので……レッテリオさん、あの、よろしくお願いします」
「うん。アイリスにも迷惑を掛けてごめんね……」
筆頭は隣でレッテリオさんが渋い顔をしていても全く気にしていないようで、にこやかに手を振ってくれている。
私は愛想笑いを浮かべつつ、レッテリオさんに新作の試食兼差し入れを手渡し商業ギルドへと走った。
だって相手は錬金術研究院の筆頭錬金術師だ。見習いの私が長々と待たせておけるような人ではない。
「ここからは別行動しようにゃ。ルルススは髪飾りを受け取ったらそのまま工房に帰るにゃね!」
「うん、わかった! 私もギルドで手続きをしたらすぐに騎士団寮に戻って、それから帰るね」
「ルルスス~あとでね~」
イグニスがルルススくんに手を振って、ルルススくんも走りながら手を振り返してくれていた。
――ああ、イグニスの見送りはこんなに可愛いしなごむのに、筆頭の見送りは全くなごまなかった。あの人は、私にとってはレッテリオさんのお兄さんというよりも『筆頭』だ。
「めちゃくちゃ緊張する……っ」
何かお茶菓子はあっただろうか? その前にお茶はどうしよう? ペネロープ先生の紅茶コレクションから選ぼう。きっとちょっとお高い良いお茶があるはずだ……!
◆
「はい、出店手続きはこれで完了です。でね、アイリスさん。さっきも言ったけど出店場所、もう良い場所は空いてなくてここなの。本当にいい?」
商業ギルドの受け付けブースの奥、相談スペースで手続きをしてくれたのはエマさん。
そして今、エマさんがちょっと申し訳なさそうに広げた地図は、広場や通りに出店場所が書き込まれた配置図だ。見てみると、広場だけでなく大通りの両端にもビッシリと出店が配置されている。
「はい。申し込みが遅くなった私のせいだし、格安でしたし!」
私の配置場所は広場の一番奥の隅、しかも大きな木の陰になる不人気な場所だ。
「本当はもう少しマシな場所にしたいんだけど……他に残ってないのよね。でもここ毎年空いたまま残る場所だからちょっとあまりにも……」
「わ、そこまで……? うーん、でも仕方ないし――」
トントン、と階段を下る足音が聞こえ、何となく顔を上げると降りてきた人物と目が合った。
「お、アイリスか。……ん? 今頃出店の申し込みをしてるのか?」
「わ~ふくちょ~」
「はい! ……今日は、もしかして?」
階段から降りてきのはバルドさんだった。その後ろには私が初めて見る男の人が。パリッとした身なりといい、個室があるギルドの二階から降りてきたことを考えても、きっとこの人が商業ギルドのギルド長だろう。
「ああ。例の件で話しをしに来てたんだ」
「あの、上手くいきそうですか?」
商業ギルドで例の件といったら、迷宮に『待宵草』の種を撒くあの話だ。迷宮に溢れている魔素を少しでも吸収させ、赤くなった『望月草』の実は売ってしまおう! という無駄のない計画。それならきっと、少しの無理も聞いてもらえるのだろうと思う。
「まあな。こっちの心配はいらないが……アイリスのほうはちょっと心配じゃないか? その場所はないだろう」
「え、そうですか……?」
「ああ。まぁアイリスはいいかもしれないが、ルルススくんも一緒だろう? がっかりするか怒るか……いや、もしかしたら逆に燃えるかもしれないが」
そうだった。楽しそうに準備をしているルルススくんのことを考えると、この場所では可哀想かもしれない。
「――アイリス、何を売るつもりなんだ?」
バルドさんが何か思い付いたような顔で私に訊ねた。
「え? 私は果実とゼリーのソーダ水とポーション類を少しで、ルルススくんは髪飾りです」
「お! それはいいな。よし、うちの場所をアイリスに半分譲ろう。君、うちの書類出してくれるか? 広場に出店する『金の斧亭』だ」
バルドさんはエマさんにそう指示をして、私の隣に座った。エマさんは戸惑ったようにギルド長を見たけど、ギルド長が黙って頷いたので書類を探しに席を立った。
「あの、バルドさん? いいんですか?」
「ああ。うちは毎年、串焼き肉やローストビーフを出してたんだが、迷宮の件で仕込みが間に合いそうになくてな。で、今年は代わりにカーラがスイーツを用意してるんだが、うちといえば肉だろ? 毎年男性客が多かったから、今年は女性客を呼び込まないと……と考えてたんだ」
「あ、ルルススくんの髪飾りは女性の目を引きそうですもんね!」
「アイリスのソーダ水もな。キラキラと色鮮やかなものはお客の目を引く」
「なるほど。じゃあちょっとポーション瓶にも工夫があるといいかもしれませんね……?」
まとめて研究院へ送るのとは訳が違う。特にお祭りの屋台なんて、実用品を買う場所じゃない。お祭りを楽しむ中でつい手に取りたくなるような、可愛さがあった方がきっといい。
ラベルを工夫するとかリボンを付けてみるとか、ルルススくんにも相談して何かやってみよう!
私とバルドさんの前に書類が用意され、出店場所の手続きをやり直す。二度手間になってしまってエマさんには申し訳ない。
でも『金の斧亭』の出店場所は、広場でもなかなか人通りが多そうな良い場所。これはきっと、ルルススくんも喜んでくれるはず!
「はい! それでは改めて、手続き完了です! アイリスさん、楽しみにしてますね。それと金の斧亭さんのスイーツも楽しみにしています……! あの、私ずっと食べに行きたかったんですけど、カフェタイムは仕事でなかなか行けなくて……!」
「それは有難い。妻に伝えておくよ」
カーラさんのスイーツが褒められてバルドさんはご機嫌だ。するとその肩に、イグニスがペトンと飛び乗った。
「ねぇねぇ~ふくちょ~のお肉はないのぉ~?」
「そうだなぁ。アイリスたちに半分譲ったし、今年は肉はなしで迷宮の対応に回ることになりそうだ。すまんな、イグニス」
「ざんねんだよ~! もぉ~迷宮のせいだねぇ~」
シュンとなるイグニスに苦笑しつつ、私とバルドさんはギルドを後にした。
「あの、迷宮の待宵草の種まきにはこれから?」
「ああ。早いほうがいいからこの後レッテリオに会うつもりだ。迷宮の魔素を吸収させるならどこに蒔いてもよさそうだが……どうなんだ? イグニス」
「ん~でも~濃くなってる場所にまくのが~いちばんいいと思うよ~!」
「そうか。……それならやっぱり種まき担当は俺とレッテリオだな」
今、一番魔素が濃くなっているのは迷宮の最深部。あそこにはよく分からない檻や転送陣がある。迷宮の秘密に関わる部分だし、何が出てくるか分からない場所でもある。浅層なら適当な理由をつけて採狩人に任せることもできたけど、最深部ではそうもいかない。
「あの、でもバルドさん。今レッテリオさんのところにお兄さんが来ててですね……」
「……は? あいつの兄貴って錬金術研究院のお偉いさんだろう?」
「そうなんです! 筆頭術師なんです……! それなのにこれから私の工房でゆっくりお話しをするとかで……!」
「どうしてお偉いさんっていうのは迷惑なんだろうな……?」
「ふくちょうもくる~? 種まきのお話もあるでしょ~?」
くふふ~! と何故か嬉しそうなイグニスがバルドさんの袖を引く。
ああ、イグニスは美味しいお肉をくれるバルドさんのことが大好きだもんね……。
「そうだな……行っていいのなら行くが、錬金術研究院の内輪の話じゃないのか?」
「いえ、多分違います。どうやらレッテリオさんが迷宮のことを相談したら筆頭が突然来ちゃった感じみたいで……」
「本当にお偉いさんは迷惑だな」
「私なんて挨拶するのすら初めてだったのに、それすらさせてもらえないくらいマイペースな方でした」
「面倒そうな兄貴だなぁ」
バルドさんは苦笑しつつ声の転送便を飛ばす。「アイリスの工房へ行ってくる。また連絡する」と言っているから、きっと相手はカーラさんだろう。
「さて。じゃあ騎士団寮に急ぐか。……ところでアイリス、白ばらはどうした?」
バルドさんが上から私を見まわし首を傾げた。
ああ、やっぱりみんなそう思うんだね!? 本当に街をよく見てみれば、髪に白ばらを挿した女性が歩いている。中には胸に付けている男性もチラホラ。
「くふ~! それはねぇ~もうさっき言われたんだよぉ~アイリスってば~保管庫にしまっちゃってたんだ~」
「何だって……? それはお前、惨いだろう……?」
「違うんです! 私この前までこのお祭りのこと知らなくって……! うう……バルドさんこそ、カーラさんにちゃんと渡せたんですか?」
「当たり前だ。帰ってすぐ、いつものようにキッチリ手渡した。うちにとっては大事な行事だからな」
「やっぱりヴェネトスでは大切なお祭りなんですね」
「まあ、そうだな。――うちにとってはまた特別でもある。聞くか?」
ニヤっと笑うバルドさんは聞いてほしそうな顔。
きっと騎士団寮までの道のりに、丁度いい長さの話になるだろう。