106.筆頭錬金術師クレメンテ
「うにゃ、にゃんにゃあのローブの布……見たことにゃい! 何織りにゃ……?」
さすがルルススくん、着眼点が違う。
確かに上質そうなあのローブ、艶々で風に揺れる度にキラキラと控えめに輝いて……なのにどうしてなのだろう。あの人、中に着ているシャツがだらしない。胸元は開いてるしヨレヨレだ。
「……お顔もお綺麗にゃのににゃんかもったいにゃい人間にゃ」
「え、ルルススくん目いいね? 私お顔まではまだよく見えな――」
と、目を凝らした刹那、聞きなれた声と姿が視界に飛び込んできた。
「兄上! お待ちください!」
「待たない。ここは騒がしいし隙だらけで駄目だ。どこか落ち着ける場所へ移動する。さて何処に……」
バチッと、目が合った。そしてその後ろのレッテリオさんとも。
「……ああ、君が例のイリーナの弟子か」
「え……っ」
漆黒のローブ! 綺麗なお顔にちょっぴりの垂れ目……! 金の髪! それにレッテリオさんが「兄上」って呼ぶということは、この人――錬金術研究院の筆頭術師クレメンテ……!
「はじめまし……」
慌てて頭を下げたところを手で制され「頭を上げなさい」と言われてしまう。
そしてほんの大股一歩の距離で見下ろされ……この視線、まるで観察されているようだ。
どうしよう。初対面の挨拶くらいキチンとしたかったのにタイミングを逃してしまった。
「よし。君の工房へ行こう」
「えっ」
「ええ~?」
「兄上!」
「君、案内しなさい」
レッテリオさんの声を無視して、レッテリオさんとよく似た顔の筆頭がニヤリと、なんだか楽しそうに笑って言う。
「いえ、でも……」
「強引にゃお兄さんにゃねぇ」
「兄上、アイリスは何か用があってここへ来たのでしょう。工房へとんぼ返りさせるなんて俺が許しませんよ」
「……うるさい弟だな。お前が呼んだのだろう?」
「呼んではいません! あなたが急に、勝手に、突然押しかけてきたのでしょうが」
これは……兄弟喧嘩なのだろうか?
「仕方がない。弟子……アイリスだったか?」
「はい!」
「君の用件が済んだら工房へ向かう。よいな」
この「よいな」は決定事項の「よいな」だろう。
でも、この「よいな」に頷いていいものか……私はチラリとレッテリオさんを見る。
「……はぁ。アイリス、申し訳ないけど了承してくれるかな」
「分かりました。でも、私の用事って細々あって……」
商業ギルドに祭りの出店申請を出しに行く約束があること、ルルススくんは髪飾りを作ってもらっている工房へ行く予定があると話す。
「あと、皆さんに差し入れを……あの、レッテリオさんたちに試食をして頂きたいなと思って」
「いただこう」
「兄上。ここはあなたの庭じゃないんですから、もう少し大人しくしてください」
「お前の庭は私の庭でよいではないか」
すごい「お前の物は俺の物」を言う人が本当にいたとは。そこで固まっている新人騎士さん四人も同じようなことを言っている。
やっぱり突っ込まずにはいれなかったんだね……。
「今は祭りの前で忙しいんです。とにかく中へ……」
「ああ、あの祭りか。……おや」
筆頭が私を見てニヤっと笑った。
「アイリス、くるりと回りなさい」
「……え?」
「その場で回って」
「兄上、何ですか突然……」
本当に、一体なんなのだ。筆頭が言うのだから何か意味があるのだろうけど……でも後でイリーナ先生とぺネロープ先生に報告しよう。筆頭術師のクレメンテがよく分からないことを命じたり急に工房に連れていけとか言います……って、報告してもいいよね!?
私は訳が分からないままその場で回り、何故かイグニスも楽しそうに回り……ああ、マントを見せびらかしたいのか。かわいい。
「あの……何でしょうか。筆頭……」
この人……物凄く遠くから見たことがあるだけだったから、こんな感じの方だったとは全く知らなかった。
方向性に違いはあるけど、兄弟共々なんだか距離感が近くて、男の人にも貴族の人にもあまり慣れていない私は戸惑いしかない。
「君は花を髪に挿していないのだな?」
筆頭はクスリと笑いレッテリオさんを見る。そして私もレッテリオさんを見たけど……何だか複雑そうな、困ったような妙な顔をしている。
「……花?」
「つけてる女の子たち~いたよねぇ~」
「王女の白ばらにゃね。ルルススの髪飾りとやっぱり合いそうにゃ。にゃっにゃっ」
二人の言葉でハッとした。そういえば、髪に白ばらを飾る意味――迷宮で何か言われたよ、ね? あれっ何だっけ……?
高速で考え思い出そうとしている私の傍らで、新人騎士さんたちがボソボソ、ソワソワ、何やら言葉を交わしているのが聞こえた。
「えっ、アイリスちゃん予約なし……?」
「まさか」
「やめとけ」
「命が惜しくないのかお前。俺は惜しい」
「……予約?」
――そうだ。確か……白ばらを髪に飾るのは祭りのパートナーがいるっていう印だって……。
「えっ……!? お花って、お祭りの日にだけ付けるんじゃなかったんですか!?」
「少し前から白ばら付けておけば予約済みだと周囲に示せるだろう? だから前もって渡すのだ。それに赤くしなければならないしな」
「……あ」
拙いことに気が付いてしまった。いや、今気が付いてよかったのかもしれない。
「そ、そうですよね……! 赤くしなきゃ意味がないんでしたっけ……」
四人の騎士さん、ルルススくんにイグニス、そしてレッテリオさんが、何を今更……という顔で私を見た。
「そうだね。最終的には『騎士の赤ばら』を返さないといけないから……。アイリス、一応聞くけど渡した待宵草、どうしてる?」
「えっと……状態保持の保管庫に……しまってました」
レッテリオさんは無言で片手で顔を覆い、はぁ……と再びの溜息を落とした。
「アイリスちゃん……」
「先輩、ちゃんと教えとかないと……」
「祭りで返される真っ白の花……」
「むごい……」
私を後ろから見下ろす四人からそんな声が。
「あの、白の花を返すのがむごいっ……て?」
「あれ? 知らない? 白いままの待宵草を返すのは『ごめんなさい』の意味なんだよ」
「えっ、そんなの知りませんでした! 私、お祭りまでに枯らしたりしないように大切にしなきゃって思っただけで……!」
「あの師匠にしてこの弟子ありか」
恐ろしい……まさかそうくるとは。と、筆頭は若干ひきつった笑いを浮かべ、レッテリオさんの肩をポンポンと叩いていた。
「……どういう意味ですか? 兄上」
「よい。お前にはまだ早い」