105.『夏の果実のマリネ』と『干し葡萄とクリームチーズの甘じょっぱいパン』
テーブルの上には小さく切り分けた『干し葡萄とクリームチーズの甘じょっぱいパン』と、『ライ麦の田舎風パン』の上に『夏の果実のマリネ』を乗せたブルスケッタを並べた。
レグとラスに声を掛けにいったら、一緒に働いていたハリネズミ隊のみんなも当然いたので、どうせなら……と皆を試食に招待したのだ。
その結果がこれ。テーブルの上はパンでいっぱい、キッチンはハリネズミだらけとなっていた。
「えっと……レグとラスはいつもお留守番と畑をありがとうございます! ハリネズミさんたちもありがとう。休憩も兼ねて……試食をお願いします!」
そう言った後のキッチンはすごかった。
大中小のハリネズミが入り乱れ、イグニスはその中へにょろりと入り込み、ルルススくんは素早い猫パンチでパンを取り、レグはハリネズミ隊を使ってパンを強奪し、ラスは優雅にお茶を飲みつつ試食をしてくれていた。
「ちょっ……みんなちょっと落ち着いて……! ハリネズミさんたち大丈夫!?」
「ピーピー!」
「フンフンフンフン!」
ハリネズミたちは私に向かって一斉にそんな鳴き声を返してくれる。だけど私には何を言っているのか全く分からない。
「ふふっ、美味しいと言ってますわ」
「ラス。そうなんだ……よかった~!」
「ええ。特に干し葡萄のパンが人気のようですわね。うん……ワタシもこのトロッと甘い干し葡萄とチーズのパン、美味しいと思いますわ!」
黙々と食べるラスの前には、ちょっと大きめのハリネズミがサッとお代わりのパンを置いた。
ラス、さすが女王様。
「じゃ、私も……うん! マリネも美味しい! え、すっごい瑞々しい……!」
バルサミコ酢のちょっとの癖とコクがすっごく良い! 果実の甘みとマリネ液の酸っぱさが絶秒のバランスで、その上、オリーブオイルで包まれたプルッとした果肉が舌を楽しませてくれる。
ああ、口内でぷちゅっと潰すと最高に美味しい。今は試食だからとトーストしなかったライ麦のパンも、カリッカリに焼いて更に香ばしさを出したら――。
「絶対にもっと美味しい……!」
「このマリネ、サッパリしてて美味しいのにゃ! 暑い時期には水分補給にもにゃるし、もってこいのオヤツににゃね」
「ぼくには~ちょっとすっぱ~い! アイリス~蜂蜜かけてい~い~?」
「うん、どうぞ! イグニスは干し葡萄のパンの方が好みだった?」
「そうだねぇ~! でも~マリネもくせになりそう~くふ~!」
予想以上の大騒ぎとなった試食だったけど、大きなテーブルいっぱいのパンも大人数で囲んだ賑やかな食卓も、私は嬉しくて仕方がない。
だって、まだ季節も変わらないうちに、こんな賑やかに食卓を囲めるとは思ってもいなかったからだ。イグニスとたった二人で再出発したのは初夏の頃。盛夏をすぎてそろそろ夏も終わるけど……。
「よかった」
私はふと、先生と同期のコンチェッタとクラリーチェにお手紙を出そう、そう思った。
◆
「ありがとう、ルルススくん」
私は大き目の瓶に詰めた『夏の果実のマリネ』を五つ布で包み、ルルススくんへ渡した。
「いいのにゃ。こんにゃ瓶くらい、ルルススの鞄には何でもにゃいのにゃ! 遠慮は不要にゃ」
「ねぇ~はやくいこ~!」
私たちを急かすのは、尻尾をフリフリ、何故か今日も騎士団のマントを着けているイグニスだ。
「もう、イグニスってば。そんなに街に行きたかったの? お祭りはまだだよ?」
「知ってるけど~もうにぎやかになってるはず~ってレグとラスが言ってたんだもん~!」
そうなのか。レグとラスはこの森に住んで長いみたいだし、色々とこの辺りの事にも詳しそう。今度いろいろ聞いてみよう。もしかしたら新しい発見があるかもしれない。
「にゃっにゃっにゃっ。お祭りはもう明後日にゃもんにゃ! ルルススは久しぶりに商売できるのが楽しみにゃ!」
「そうだよね。私もルルススくんが作った髪飾り早く見たいなー」
南の海の街で拾ってきた海硝子を使うと言っていたはずだ。採取してそれを売るだけでなく、工房と協力して商品を作ってしまうルルススくんってすごいと思う。それに素材にもお値段にもこだわるルルススくんが作った髪飾りだ。どんなものができたのか……本当に楽しみ!
「期待しているといいのにゃ! アイリスはお花に合う髪飾りを選んでにゃ! お友だち特典でお安くしてあげるにゃ」
「くふ~! レッくんのお花~! あ、アイリスちゃ~んととってあるぅ……? レグとラスに渡しちゃってないよねぇ~?」
「し、してないよ! ちゃんと別にして、ちゃんと保管してるから大丈夫!」
「ニャッニャッニャッ! 素材にされたらレッくん泣いちゃうにゃね」
「くふ~アイリスだとやりそうで~ハラハラしてるんじゃないかなぁ~? くふふ~」
ルルススくんはクシャミをした時のような顔で笑い、イグニスは何でか嬉しそうに私の頭上を飛び回っている。
「もー……私だって素材と大切なものの区別くらいつくんだからね!」
「大切なものにゃって~くふふ~!」
「にゃにゃにゃっ!」
トタトタタン! とルルススくんのダンスがキマッた。
◆
このヴェネトスの街には二つの騎士団寮がある。
ひとつは国境や城の警備をしている第一騎士団の寮。こちらはヴェネトスというよりヴェネスティ領の騎士団という色合いが強いらしく、貴族の人も多いとかで、街の中心である城に近い場所にある。
そしてもう一つは、街の警備や治安維持など、住人との関わりが多い第二騎士団の寮だ。レッテリオさんたちの所属はこちらで、各種ギルドがある大通りや市場なんかがある賑やかな区画に建っている。
「えっと……ここだね」
大通りからはずれた広場のすぐ隣。中央市場は近いけど城壁も近く、商売にはあまり向かず、かと言って住居を構えるには少し騒がしい立地。そんな場所に第二騎士団寮はあった。
街の城壁と同じ、白の石壁で囲まれた敷地にある建物は四階建ての石造り。門に立つのは勿論、紺色の団服を着た騎士だ。
「ルルススくん、私いま思ったんだけど……面会予約とか、事前手続きが必要だった……かな?」
「かもしれにゃいにゃ。そもそもお祭り前で忙しいって言ってたし、レッくんいるのかにゃあ?」
そうだった。なんだか最近ずっと一緒にいたから、なんとなく行けば会えるような気になってしまっていた。
「どうしよう……今更だけど転送便を送ってみたほうがいいかな?」
「そうにゃね~でももう目の前にゃし、聞いてみたらいいんにゃにゃい?」
「うん……。そうだよ……ね」
チラッと視線を向けた門番はなかなかに厳つい。そして出入りしている騎士さんたちも立派な体格の人が多い。
どうしよう。レッテリオさんもランベルトさんも、背は高いけど細身だったから怖くなかったけど……なんでここの騎士さんたちはこんなに厳ついの!? ああほら、ジロッて見られてるし、私たち完全に場違いだし、でもこのままじゃ不審者になってしまうし――。
「あれっ? アイリスちゃん?」
「あ、イグニスさんもー! おっ、マント!」
逡巡していた私に声を掛けたのは、迷宮探索隊の新人さんたちだ。初めて迷宮へ行った時、一緒の馬車に乗ったあの四人。
市場のほうから来たから、もしかしたらお昼休憩だったのかもしれない。
「お久しぶりです」
「騎士にゃ」
「み~んな~見て見て~! ぼくのマントかっこい~でしょ~?」
挨拶を返すと、途端に四人に囲まれてしまった。そして始まるいつものお喋り。同じ隊のレッテリオさんも来るかな? と思ったけど、レッテリオさんの姿は見えない。
「カッコイイっすね! 俺より似合ってるかも」
「イグニスさん勇ましい~!」
「あの、もしかしてケットシーのルルススさん……!? ファンです!」
突然差し出された手にルルススくんが一歩下がり、私のローブにしがみ付く。
「にゃ? アイリス、この騎士たちはにゃんにゃ?」
「ああ、ルルススくんは初めてだもんね。レッテリオさんの部下の人たちで……」
「……レッくんも苦労してるんにゃね。ルルススはびっくりしたにゃ」
その何とも言えない言葉に私は苦笑い。でもみんないい人だったし、きっと、多分、頼りになる騎士さんになるんだと思う。……いや、頼りになる騎士だと信じたい。
「あの、レッテリオさんって今、いらっしゃいますか?」
「あ~レッテリオ先輩なら中に――」
と、寮を指さした時だった。バーン! と両開き扉が開けられて、騎士には見えない、ローブをまとった男性が出てきた。
そのあまりにも堂々とした扉の開けっぷりと、独特の存在感があるその男性に、門番も私たちの視線も釘付けになってしまう。
漆黒のローブに、高い位置で乱雑に括られた長い金髪が映えていた。