98.三十八層・番人の銀時計と赤の陣
『祭壇』の周囲はゾッとする程に深い赤色で囲まれていた。愛の証である『騎士の赤ばら』は深紅を通り越し赤黒くも見え、なんだか違う花のようだ。
「これなんだけど……アイリス、何か分かることはないかな? 俺たちで調べてみたけど、部屋と同じ白の結界石で作られているとしか分からなくて」
「分かることと言われても……」
うーん……。やっぱり私には、神殿には付き物の祭壇に見える。少々小さ目であること以外には何の個性もない。
「普通の祭壇じゃないでしょうか……? 特に彫刻や錬成陣も見えないし、壁の手前という位置から見ても……」
私はしゃがんで下から上までよく観察してみる。だけどツルツルの白い肌には何もないのだ。祭壇にしては地味すぎるくらい――。
「――そうだ。この祭壇、何もなさすぎて変なんです。祭壇だけど祭壇じゃないのかも……?」
私は頭の中の『レシピ』を検索した。迷宮や祭壇についての記述はそう多く入っていないけど、図録にあった祭壇はもっと華美なものばかりだし、この地味さは捧げ物をする祭壇としては違和感しかない。
「にゃあにゃあ? レッくんはこの迷宮って『何かを封印してる』って言ってにゃかった? 封印してあるにゃら……鍵があると思うのにゃ。祭壇には捧げもの、封印には鍵にゃ! ねえ、レッくんが番人にゃら――鍵を持ってるんにゃにゃい?」
ルルススくんは髭をピーンと立て、ワクワクに声が弾ませる。
黒目をまん丸にして好奇心の塊そのものだ。
「――これか」
レッテリオさんは銀時計を取り出す。そしてちょっと考えて口を開いた。
「コルヌとイグニスにお願いがあるんだけど、二人で結界を張ってくれないかな? 何が起こるか予想がつかないから皆を守ってほしい。ランベルトと副長も、お願いします」
私たちは頷きそれぞれに身構えた。二人は武器を取り私は杖を構える。コルヌは水の壁を作り、イグニスは有り余る魔力で結界を張り、レッテリオさんと私たちとをそれぞれ包んだ。
「もしもこれが鍵なら何か起こるかもしれない」
レッテリオさんはそう呟くと、ちょっと緊張した面持ちで祭壇の前に立った。
何か起こらないと困るけど、何も起こらないでほしい。
私はそんな相反した気持ちで、レッテリオさんの背中を見つめた。
――コトリ。
硬い音がして、祭壇に時計が置かれた。
「ぅわっ」
瞬間、レッテリオさんが小さく声を上げ、何かが起きたのだと分かった。
「レッテリオさん!」
私の前を塞ぐようにランベルトさんとバルドさんが立ち、その間から前を見ると――。
「ん?」
「なんだ、あれは?」
レッテリオさんが振り返り、微妙な顔で私を見た。
「アイリス、あれ何だか分かる?」
指さしたその先、真白な壁には小さな錬成陣が浮かび上がっていた。
◆
「これ……炎の属性ですね。それから【保持】……? 違う【封印】だ。こっちは【循環】で【共鳴】……? 【感知】もある……」
他にも色々刻まれているけど、古い形式でよく分からない。『レシピ』で似ているものを探してみるけど、半分くらいしか理解ができない。
「動かしても危険がなさそうな陣ならいいが……」
遠巻きに見ているランベルトさんが呟いた。
「どうだかなぁ? 俺には全く判断がつかん」
「そうですね。俺にもよく分かりません」
危険があるかないか……。
あるかないかと聞かれたら、多分ないと思う。だけど理解できない部分が多くてハッキリとは言い切れない。
でも現れた場所や陣の複雑さからして、これは核に関連したものだろう。
そして多分この陣が、深層に満ちる炎の魔力の鍵であり、迷宮の異変の鍵でもあるはず。
――よく見るんだ、私。
この陣を残した術師の意図を読み取れ。これが何の陣なのか、何を錬成するためのものなのか……。
「多分、攻撃の陣ではないです。どちらかといえば守護の陣に近くて……印象では厳重に何かを隔離するための陣です。……ちょっと試しに魔力を流してみますね」
そっと触れ魔力を流すと、バチン! と火花が散り指先が弾かれた。
「アイリス!」
「大丈夫です」
私は近付いたレッテリオさんを手で制し、淡く光る陣を見つめた。
「起動は問題なさそうだけど……ああ、属性が違うから弾かれたのかな?」
ペンダントにして服の中に下げてある、先生からもらった守護の指輪が熱くなっていた。
陣の属性は炎で、先生の指輪は大地の属性……ということは、同属性の魔力が起動の条件か。ああでも、これが危険なものだから弾かれた可能性もなくはない?
「うーん……ん? あ、これ対になる陣があるかも」
「対? 私たちの探索では見つかっていないが……」
「なかったナ!」
陣に描かれた【共鳴】の部分が点滅している。
「この壁の陣と同じで隠されているんだと思います。その銀時計のような『鍵』が必要ですね。多分ですけど、正しい属性の魔力を流せば対の陣が見つかると思います」
「随分と手間暇かかった仕掛けだな? どんな魔術師がやったんだか」
「副長、封印ですから。簡単に手出しされては『番人』としても困ります」
「だが解けかけてるんだろう? 炎竜も出たし」
「そうなんですよね。でも封印は生きてるみたいだし……どういうことだ?」
確かにそうだ。
「封印……」
この陣は壊れてはいない。生きている。
――もしかして、誰かが封印を開けて、また閉じた……?
私の頭にあの紅色の髪をした男が浮かぶ。
「考えても分からにゃいのにゃ。イグニス、早くこれに魔力を流すのにゃ」
「そうだね~! ぼくやってみるよ~」
イグニスはふぅ~っと、小さな炎を陣に吹きかける。すると途端に陣が強く光り出し、床に赤い光の線が走った。
「床か!」
危険はないかと全員が身構えた。コルヌは角を振り、波で守護結界を張る。
光は床を這い回り、やがて私たちの足下いっぱいに陣が描かれた。生い茂った望月草の林が、下からの光にぼんやりと照らされている。
「チッ、陣が見えないな」
「下がれ。俺が刈り取ろう」
バルドさんが素早く斧に手を伸ばした。
「にゃっ! 待つにゃ! まずは花だけを刈ってほしいにゃ! こんにゃ魔力たっぷりの望月草を無駄にするにゃんて有り得にゃいのにゃ!」
「ああ、そういうことなら……風よ!」
レッテリオさんが左腕で空を払うと、風が真っ赤なばらの首を一斉に刈り取った。そして器用に風で集め、ルルススくんが開けた【ふしぎ鞄】の中へ。
「やったにゃ~! これはひとまずルルススが預かるにゃ。あとで山分けにゃ! ニャシシッ」
大きな花が無くなると、床に広がっていた錬成陣が朧気に見えてくる。だが全容を把握するには茎が邪魔をしている。
「やるぞ」
バルドさんが背中から斧を抜いた。
そして刃を撫ぜると漆黒だった刃が黄金色に輝き、ブォンッと重い音で一薙ぎ。部屋中に茂っていた望月草は、根元から切断され床に散らばった。
「あ、しまった。これじゃあ余計に陣が見えないか」
「じゃ~次はぼく~! いっくよ~……フゥー!!」
「ッ! だめっ! イグニス!」
止める間もなくイグニスが炎を吹き出した。
「陣から出てください! みんな!」
イグニスの炎は言うまでもなく『炎の属性』だ。それも強くて純粋な。
「コルヌ! 守護……」
「おっせーヨ!!」
もしもこの床の陣が、壁の陣と対になるものなら――。
「アイリス!」
炎が地面を舐めたその瞬間、陣が真っ赤に光り天井まで届く柱となった。
そんな中、私の目に見えたのは、ちょっと焦った顔をしたレッテリオさんが伸ばした手。
「巻き込まれちゃうけど大丈夫ですよ!」と言ってあげたかったけど、押しつぶされそうな重力の中、私は言葉を出すことができなかった。
◆
「ごっ、ごめ~~ん! ごめんねぇ~みんなぁ~……!」
気が付くと、私たちは真っ白な小部屋にいた。
きっとあの壁の陣は封印で、床のものは転送陣だったのだろう。
「イグニス、大丈夫だ……よ」
言葉の途中で、私は目を瞬いた。
「なに、これ……」
目の前にあったのは、黒の金属光沢をまとった鳥籠のような檻。丁度、人ひとりが入れる程度の大きさだ。
そして、その檻の扉は――開いていた。