97.三十八層・赤い神殿
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「最近の異変で変化した道順も確認済みだし、罠の解除も済んでいる。万が一があってもアイリスを守ると約束するから」
そんな言葉にドキリとする間もなく、私たちはさっさと天幕を仕舞い三十八層へと向かった。
「まさか最下層まで行くことになるとは思わなかったなぁ~……」
私は杖を握り締めつつ、薄暗い洞窟のような場所を歩いていた。
ここは『白の神殿』のその先。本来なら危険な魔物が出るその場所は、四メトル程の幅があり天井は高い。よく見ると、足元や壁の低い位置には白い結界石の破片がゴロゴロと転がっていて、光り苔や発光石の光を反射しこの場所を照らし出していた。
「ぼくも~アイリスと一緒に来るとは思ってなかった~。がんばってよかった~! ねぇ~コルヌ~」
「そうだナ! オレの【浄化】に加えてイグニスの【結界】も張ってるから完璧だゼ!」
隊列は私を中央に、先頭をバルドさん、左右をレッテリオさん、ルルススくんとイグニス、後ろにランベルトさんとコルヌという十字の形だ。そして私たちの周囲に薄っすら掛かっている、赤い紗のようなこのモヤがイグニスの結界だ。
「悪いものから守るからねぇ~!」
「ありがとう、イグニス」
イグニスは背中のマントを翻し尻尾をフリフリ。朝見せた微妙な緊張はもう無いようでホッとした。
それどころか逆に機嫌も調子も良さそうなんだよね? いつも通り私とルルススくんが一緒だから、自然と落ち着いたのかもしれない。
私たちは何事もなく次層への階段へ辿り着き、早速バルドさんから下り行く。私も足を踏み入れようとして、ふと前回迷宮に潜った時のことが頭をよぎり、ピタっと足が止まってしまった。
「アイリス? どうした?」
「あ、いえ」
後ろのランベルトさんに曖昧な笑顔を返し、ゆっくり一歩。私は足を下ろした。
今日の階段は白。狭い壁も天井も白の結界石だ。前回、本当に外に出られるのかと不安に思った、あの砂利の階段じゃない。
そう理解はしているのだけど、私の心臓はドキン、ドキン、と嫌な音を立てている。
――と、地面を睨みながら下っていた、私の目の前に手が差し出された。
「アイリス、大丈夫。すぐに着くよ」
「レッテリオさん」
顔を上げればそこにはいつもの笑顔。少しホッとして、私はその手を取った。
「……ありがとうございます」
あの時と同じ、私を引き上げてくれた手だ。
控えめにその手を握り階段を行くと、嫌な鼓動も徐々に静まっていった。そしてレッテリオさんが言った通り階段はあっという間に終わり、私は三十六層に着いた。
「この階層もそう広くないし、次の階段もすぐだから」
「あ、はい」
「あと、残念かもしれないけど、順路には採取できるような場所はないんだ。この辺りだと魔物素材か鉱石なんだけど……」
「あ、いえ、大丈夫です。あの……ありがとうございます」
そう言って、私は繋いだ手をほどいた。
レッテリオさんはそのまま手を引いて歩き出したのだけど、いくら薄暗いとはいえ……やっぱり恥ずかしい。そう、それにもう落ち着いたし! 何よりも後ろの……見守ってる体なんだろう、ランベルトさんの視線が気になるし……ね!?
「アイリス、アイリス」
「ん?」
「素材はルルススが採るにゃ。こんにゃ岩だらけの場所でも、ルルススの眼だから見つけられる地味な素材もあるんにゃよ!」
「アイリス~三十八層には素材あったからねぇ~! すっごい望月草だよ~」
そうだった。最深部で採取できる望月草……! 不穏さばかりに頭がいっていたけど、きっと濃い魔素を溜め込んだ素晴らしい品質のはず!
「うん、楽しみにしてる!」
◆
そして辿り着いた三十八層は異様な空間だった。
目に飛び込んできたのは一面の赤。そして白だ。
「わ……望月草がすごい……! それにここ、神殿……?」
そこは真っ赤な望月草と、真っ白な結界石で覆われていた。まるで三十五層の『白の神殿』の続きのよう。造りも素材もそっくりだ。
しかし違うのは、四方の白に赤色が反射して、三十八層全体が赤く染まっていて……不気味なとこだろう。それもここが、それ程広くない長方形の空間だからだ。
奥の壁の手前には……祭壇だろうか? 石造りの何かが見えているが、生い茂った望月草で覆われていてよく見えない。
一歩一歩、望月草の林を掻き分けながら進む。
しかし『赤ばら』の香りが強い。あと棘も痛い。背丈は三十五層の『お花畑』と同じだけど、その花の大きさと香り、色は全く異なっていた。
「んにゃにゃ~……ほんとに真っ赤にゃね……」
「そうだね……香りもすごいし……あ、実もパンッパンだ」
私でも思わず鼻を摘まみたくなる強い香り。もしかして望月草って、溜め込んだ魔素の強さによって香りが変わるのかな? だってこの香りの元って結実した実だよね? うん、帰ったら調べてみよう。
「『お花畑』みたいにゃけど、ここは花壇じゃにゃいんにゃね」
「地面が床だもんね……」
ここの望月草は、白の敷き石を突き破るようにして生えていた。全くその生命力には驚いてしまう。
それにしても、奥へ進む毎に空気が重くなっていく気がする。もしかしてこれが、深層に満ちているという炎の精霊の気配なのだろうか。
「昨日より更に赤くなってるよなぁ?」
「手前半分は薄紅色でしたね。それに……」
レッテリオさんが銀時計をスライム容器から出し、皆に盤面を見せた。
「わ、また赤い部分が増えてません?」
「増えてるね。もう少しで九刻まで赤くなるかな」
「……やっぱり三十八層の魔素に影響されているのか?」
「魔素と? この深紅の『騎士の赤ばら』のせいか?」
ランベルトさんは盤面を睨み呟き、バルドさんは顎を撫でつつ真っ赤な部屋を見回した。
「奥へ急ごう。アイリスに見てもらいたいのはあの台座なんだ」
「はい」
バルドさんが望月草を足で踏み倒し、道を作ってくれているがそれでも歩きにくい。
心なしか三十五層よりも暑い気もするし……ああ、ローブを脱ぎたい。せめて腕まくりしたいけど、棘が痛いしなぁ。
「早く調べて戻ろうゼ? オレはここ落ち着かなイ! 蒸発しそうだゼ~」
「魔石食べるか? コルヌ」
「食ウ」
水の精霊のコルヌには居心地の悪い場所なのだろう。角も体も小さく収縮させてしまっている。それなら相性のいい炎の精霊であるイグニスはどうだろう? と、私はフードを覗いた。
「ねえ、イグニスはどう? ――あれ? イグニス?」
妙に大人しいとは思っていたのだ。声をかけたイグニスは、自分のマントに包まり丸くなっていた。
「どうしたの? 調子悪い?」
「ん~……なんだか変な感じなんだぁ」
イグニスがのそりと顔を上げ、私の頬に掌を付ける。
「わっ、熱いね!?」
「ん~……なんだろ~? ここの炎の魔力にあてられてるのかもしれない~。なんかね~火を吹きたくてウズウズウズウズするんだぁ~」
「え、どうしよう……我慢できそう? 無理そうなら上の階に火を吹きにいこうか?」
レッテリオさんに視線で訊ねてみると、うんと頷いてくれた。
「イグニス、辛かったら三十七層で待っててもいいよ?」
「んん~……ぼくアイリスについていたいから……我慢するぅ~! アイリス~帰ったらいっぱいパン焼こう~!」
「うん、分かった。いっぱい美味しいパン焼いて魔力放出しようね!」
「どんな会話だヨ」
「またすごいパンが焼けそうだな……」
「新製品の開発はほどほどにね? アイリス」
「イグニス、金の斧亭に卸してくれてもいいぞ?」
「お肉と交換ならいいよ~!」
そんな軽口を叩きながら、私たちは奥へと進んでいった。