96.朝食会議と時季外れの赤ばら
朝食は炙ったキューブパンとスープの残りだ。
やっぱりこのパン、ちょっと焼くだけで全体にバターが染み渡る感じがして……いい! これくらいの手間ならきっと探索隊でもやってもらえるだろう。
少し眠たそうなバルドさんには濃い目の珈琲を淹れ、レッテリオさんとルルススくんにも珈琲を。私はカフェオレで、ランベルトさんとイグニスにはホットチョコレートだ。
ランベルトさん……ホットチョコをよっぽど気に入ったらしい。美味しいって言ってもらえるのは嬉しいけど……ああ、イグニスと一緒に口の周りをチョコで汚してる。
食事中の話題は勿論、レッテリオさんの銀時計の変化と、私に最下層で採取したと思われる『王女の白ばら』を渡した男について。バルドさんは「渡す女がいるくせにアイリスにもだと? ろくでもない男だな!?」と、あの男の気味悪さではなくそっちに怒っていた。
「他に、何か気付いたことがあったら言ってくれ」
ランベルトさんがチョコを舐めつつ全員を見回した。
「それじゃあ俺から。この銀時計だけど、盤面の赤色が少し増えたように思う。昨晩は七刻までだったけど、今は七刻と八刻のちょうど中間までが赤くなってる。あと長針も……ウロウロ動き続けているかな」
「……気持ち悪いなぁ」
「赤色っていうのがまた、なぁ?」
バルドさんの「なぁ?」に全員が頷く。赤いその色は、やっぱり血や炎の属性を感じさせるものだ。それがじわじわと広がっている状態は……やっぱりちょっと怖い。
ランベルトさんは渋い顔で時計を覗き込み、コルヌは「浄化シテみようカ?」と呟いている。ルルススくんは匂いを嗅ぎ、拡大鏡を手によくよく観察をしていて一人楽しそうだ。
「……イグニス? どうしたの?」
いつもならルルススくんと一緒にはしゃぐイグニスが随分と大人しい。私のフードの陰から控えめに時計を覗き込んでいる。
「レッくんの時計~……炎の精霊の力を感じるんだよねぇ~」
「え?」
そういえばイグニスは、迷宮にも炎の精霊の力の気配がすると言っていた。
「まさか……」
私はバルドさんにチラリと視線を向けた。
大きな力をもつ精霊や魔物は、周囲の環境に影響を及ぼすことがある。この場所でその可能性があるものと言ったら――炎竜だ。
実際に炎竜が出た後に三十五層やその下の環境は変わったと聞くし、最近炎の属性の素材が採れるようになったことも、その影響だと思えば納得がいく。
「あの炎竜はきっとどこかにいるんだろうが、今回に限っては大丈夫なはずだ。昨日コルヌが盛大に力を使ってくれたからな」
「おウ! このオレがみっちり浄化したし、水が苦手な炎竜はしばらくは寄ってこれないゼ!」
「あ、そうなんですね! よかった……」
私はホッと息を吐く。そしてちょっと怯えたようにフードに隠れるイグニスを撫で、にっこり笑いかける。
「大丈夫だって、イグニス」
「う、うん~……でも、ぼくべつに~怖いわけじゃないんだからねぇ~? ちょっとソワソワするだけなんだからねぇ~!」
「うん。イグニスは他の炎の精霊に会ったことないもんね」
そう。大地の精霊や風の精霊、水の精霊はそこかしこにいるのだけど、炎の精霊だけは今、ほとんどその姿を見ることがない。数が少ないというより、中位に満たない力の炎の精霊が見つからなくなっているのだ。
だからなのか、イグニスは他の同族に会ったことが未だない。
――炎の精霊が少ない理由は分からないけど、イグニスはやっぱり規格外の子だったんだよねぇ。姿は小さいし、見習いと契約してくれたくらいだから、同じように成長途中だと思ってたんだけど……。
イグニスはポーション効果を引き出したり、高脚蜘蛛の時には大きな炎の壁を作ってたし……実は大きな力を持つ上位の炎の精霊なのかもしれない。
「アイリスぅ?」
どうかしたの~? と私を覗き込む、その丸いお顔はあどけなく可愛い。
「なんでもない」
◆
「銀時計の変化は十中八九、最下層の三十八層に足を踏み入れたせいだと思う」
レッテリオさんがそう言った。
「あそこへ入る前に変化はなかった。それにこの色……あの場の変化と無関係とは思えない」
「そうだな」
「だろうなぁ」
「あの……変化ってなんですか?」
私は恐る恐る手を上げ訊ねた。
レッテリオさんが昨晩もチラッと言っていたことだろう。
「ああ、アイリスとルルススくんに共有するのを忘れてたか」
そう言うと、ランベルトさんは腰の【ふしぎ鞄】から二つの花を取り出した。
「三十八層は『待宵草』の群生地なんだけど……」
「え、これって『望月草』ですよね?」
その手に乗っているのは薄紅色と深紅の『望月草』だ。花弁中央の実も紅紫色に熟している。
「普段この時期は『待宵草』――最高品質の『王女の白ばら』が採れるはずなんだが……何故か熟しちまっててあてが外れた」
溜息を吐いたのはバルドさんだ。
カーラさんに渡すために採取してくるって言ってたもんね。
「でも満月はまだにゃ。本当なら熟すにはまだ早いのにゃ。なんでにゃ? 植物の周期が狂うにゃんて迷宮でも聞かにゃいにゃ。あ、ずっとズレてる所はあるけど……そうにゃよね?」
「そーだナ。一つの階層、迷宮丸ごと時間が伸びてるってのはアルけどナ」
「へぇ~そうなんだぁ~……じゃあ本当におかしいんだねぇ」
その通り。『待宵草』は、伝承では『月の魔力を溜め込み……』となっているけど、実際には約ひと月かけて周囲の魔素を吸収しその実に溜め、花弁を白から赤に変化させるのだと判明している。
白い待宵草――『王女の白ばら』が、赤い望月草――『騎士の赤ばら』になるためにはひと月分の魔素が必要なのだ。
工房の森の奥にも生えているけど、精霊の加護が強い特別な森でも成長進度は他と変わらない。環境が良ければ高品質に、悪ければ低品質に……と、普通はキッチリひと月かかってその様に成長するものだ。ただ、例外は何事にもある。
私のパンやお料理が得意な炎の精霊だとか……ね!
「う~ん……? 成長速度が変わる程、異常に魔素が濃くなってるとか……?」
「魔素は確かに濃くなってたね。前回迷宮に入った時もイグニスは魔素がおかしいって言っていたし」
「そうそう~昨日もね~すっごい濃かったんだよぉ~」
「それから、この通り花は薄紅から深紅のものばかりで白は無かったはずなんだ。だからアイリスに白ばらを渡した男は、昨日より以前に三十八層に侵入して、どこかの罠にハマっていたと思うんだ」
なるほど。あの白ばらは赤くなる前に採取されたものだから……。
「じゃあきっと、この一日か二日で熟したんですね。あの男の人そんなにヨレヨレじゃなかったから」
でも、それにしてもタイミングが良すぎる気がする。ううん、だからといって『王女の白ばら』を採取した後にわざわざ『騎士の赤ばら』に成長させる意味は分からないけど……でも。
「もしかして、あの男の人が原因……ってことは考えられませんか?」
「え?」
皆の声が重なった。
「にゃにか薬とか魔術を使って成長させたってことにゃか?」
「そう。だって魔素が異常に濃くても、やっぱり植物の生態に変化が出るなんて……外からの力がないと無理だと思うんです」
「それは……盲点だったな」
「魔術か契約精霊でも使ったか……?」
「何か痕跡はなかったのか? レッテリオ、ランベルト」
「俺は魔術に詳しくないので何とも……」
「特に気になったことは……コルヌはどうだ?」
「わっかんないナ! 炎の魔素が濃くて居心地悪いナーとしか思わなかっタ。イグニスは?」
「う~ん……ぼくは息苦しかったから~すぐ三十七層に戻っちゃったぁ」
そこで会話が途切れ、場はシンと静まり返る。
皆それぞれに何かを考えているようだ。まぁ、私は思ったことは全て言ってしまっていたので、変化している『望月草』の群生地見てみたいな~……なんて考えていただけだけど。
と、顔を上げたレッテリオさんとバチッと目が合った。
「――アイリス、お願いがあるんだ。三十八層まで錬金術師として同行してくれないかな」
「えっ!? いいですけど、でも私、戦闘の邪魔になっちゃいませんか?」
「大丈夫だゼ! オレの浄化が効いてるから魔物は出てこれなイ!」
コルヌは短くしていた角を伸ばし、誇らしげに頭を上げた。
「最近の異変で変化した道順も確認済みだし、罠の解除も済んでいる。万が一があってもアイリスを守ると約束するから」