95.イグニスチョコと森豆乳のホットチョコレート
ランベルトさんを起こし銀時計を三人で覗き込む。
盤面の赤色は『七刻』のまま動きはない。逆に長針の方は未だのろり、ウロウロと動いている。
「……何がどうなっているのか……まぁ、正直気味が悪いとしか言いようがないな」
「それを持ち主の俺の前で言うか? ランベルト。俺だって正直これを胸には仕舞いたくない」
苦い顔を見せ、レッテリオさんは銀時計を摘まみ上げる。
うん。その気持ちは私も分かる。いくら錬金術師的に気になるものであってもちょっと怖い。色んな意味で。
「レッテリオさん、あの……万が一ですけど身体に影響が出ても怖いですし、こっちに入れておきませんか?」
私はリュックの底から【スライム容器(小・イグニスの魔石混)】を差し出した。
「これ、イグニスが作った魔石を混ぜ込んであって、炎の属性を帯びてるんです。あと【状態保持】も付いてるんである程度安定させられるんじゃないかと思って……」
この迷宮には最近炎の属性の魔物や素材が出ると聞き、一応持ってきていた。
ヴェネトス近隣で、炎の属性を持つ素材は多くない。だからもし採取できたら最高の状態で持ち帰ろう! と思って持参していたのだ。
「アイリス、なんだそれ。私は聞いていないぞそんな面白い容器」
「アイリス? 新しいものができてるならお願いだからまずは教えて。ね?」
好奇心と責任の狭間で揺れるような顔のランベルトさんと、笑顔だけど「不満ですよ」という顔のレッテリオさん。背の高い二人に上から同時に言われるとなかなかに圧がある。
「ご、ごめんなさい。でもツィツィ工房の新製品になるかもしれない開発途中のものですし、ツィツィさんが研究院に報告するって言ってたので……いくら二人でもまだお話できないかな~って」
こうして見せて、その効果も話してしまっては同じことかもしれないが、こんな想定外がなければ見せる予定はなかったのだ。
「……確かにそうだが」
「……それは分かるけど」
「お二人だって私が知らない物色々持ってますよね? 騎士には騎士の、錬金術師には錬金術師の領分があると思い……ます!」
「確かにな」
「……うちの兄みたいなこと言わないで。アイリス」
二人は顔を見合わせ苦笑して、小さく溜息を吐く。
多分ランベルトさんは領主様とか王都への報告の面倒を考えたからで、レッテリオさんは錬金術師は面倒だとでも思ったんじゃないかな? それにしてもお兄さんって……研究院筆頭のことだよね。筆頭と同じようなことを言えた私、ちょっとは成長してるのかもしれない? ふふっ。
「じゃ、容器を借りるね、アイリス」
レッテリオさんは【スライム容器(小・イグニスの魔石混)】の中に銀時計をそっと仕舞い、腰の【ふしぎ鞄】に放り込んだ。
◆
「他に何か気付いたことは?」
「アイリスが会ったっていう『王女の白ばら』の男だけど――」
コトコト、コトコト。
私は話し始めた二人の横で小鍋にお湯を沸かしていた。そしてそこへ『森乳豆の粉』を入れ溶かす。ゆっくりかき混ぜればあっという間、『森の豆乳』のでき上がりだ。
『森乳豆の粉』は、森で採れる『森乳豆』のミルクを乾燥させて粉にしてみたもの。この豆、指でプチプチ潰すとミルクのような液体が採れるのだ。
迷宮に持ち込む食料を考えていて、牛乳があればもっと色々バリエーションを付けられるし栄養も摂れるのに……と思い、考え付いたのがこれだった。
作り方は『コンソメキューブ』と一緒。でもこれは粉のままの方が使いやすいので固めてはいない。
「このくらいでいいかな」
私は五徳から小鍋を下ろし、二つの小さ目木製カップと(使い捨てが出来る薄い木で作られている)ランベルトさんのカップに注ぐ。
「うん、いい匂い!」
この森の豆乳、一度粉にしたからか大豆から作る豆乳のあの独特の匂いが少ない。他の食材と合わせるのにも向いてそうなので、今後の実験という名のお料理が楽しみだったりもする。
乳豆は蔓状の植物で、一年を通して採取できる栄養価の高い『森のミルク』だ。これだけで色々な栄養素を摂ることができるので、森に入る採狩人にもよく食べられている。だけど街で流通はしていない。
何故かと言うと欠点があるからだ。まず、一粒一粒が二ミッリ(mm)と小さく収穫が面倒なこと。多くの量を食べなくては満腹にならないこと、基本的に『森』と名前に付く植物は栽培が難しくて畑では作れない……など。だから普通、豆乳は大豆から作られている。
私の場合は、収穫の面倒も栽培も、レグとラスが解消してくれた。収穫は二人の力で一瞬だし、工房の裏手に植えた森乳豆の蔦は壁に生い茂っている。
……嬉しいけど、先生に怒られなきゃいいなぁ。
「アイリス? 何作ってるの?」
「あ、お話終わりましたか? レッテリオさん」
私は『森の豆乳』が入ったカップに『イグニスチョコ』を挿し入れると、二人に手渡した。
「『森のホットチョコレート』です! 上の部分以外はコーティングを剥がしてあるので、ゆっくりかき混ぜて、溶かして飲んでくださいね。あ、待ってレッテリオさん、私とレッテリオさんのはイグニスチョコ半分こにして……」
棒状のチョコを折り、その半分を自分のカップに入れた。
だってランベルトさんはこれから不寝番だけど、私たちは仮眠に戻るのだ。だからホットチョコは少しだけ。
「……んん~……美味し!」
私はチョコが付いた唇をペロリと舐め、そのまま口内の蜜柑を舌で潰す。チョコを吸った半生果実の果汁は、酸味が際立って甘酸っぱい。
「ん~!」
イグニスチョコには半生乾燥果実が入っているから、チョコの甘さに柑橘や木苺の香りが加わって、甘さの中にもスッキリ感がある。
「アイリス……これ最高。甘くてホッとする……美味しい……。レッテリオ、これ迷宮探索隊でもやろう」
「疲れてる時にはいいかもしれないな。温まるし。ん~……でも俺にはちょっと甘いかな? ランベルト、持ち手部分のチョコはお前にやる」
「有難い」
甘党のランベルトさんには大好評みたいだけど、レッテリオさんにはちょっと甘すぎたみたいだ。
「ランベルトさん、これマシュマロとかお砂糖を入れたらもっと濃厚な甘さになりますよ」
「マシュマロか……携帯食セットに入れよう」
「さすがにそれは甘すぎじゃないか?」
「甘いのが好きな人にはきっと美味しいと思います。でも、レッテリオさんみたいに甘さ控えめが好きな人は、森豆乳を増やしてちょっと肉桂を入れたら良いと思います! 果実の爽やかな甘みも出てくると思いますよ」
迷宮の冷える夜、気味悪いこともあったけど、ホットチョコレートの甘さと香りが私たちを暖めてくれたような気がした。
「では二人は仮眠を取ってくれ。ひとまず朝までは予定通りで」
「ああ、それじゃあ後はよろしく」
「休ませてもらいますね。ランベルトさん」
「あ、そうだレッテリオ」
腰を上げた私たちに、ランベルトさんが声を掛けた。
「ん?」
「お前の寝床は副長の隣、左端だからな? アイリスは逆の右端。――さっきの続きは迷宮から出てからにすること」
言って、ニヤっと笑った。
「……ランベルト、寝たフリしてたな?」
「そろそろ時間かな~って目が覚めただけだぞ?」
待って。さっきの……ランベルトさんに聞かれてた……の!? に、ニヤニヤしてるし……! 待って、私なに言ったっけ? 何、したっけ……!?
ギュッとしたりされたりしたレッテリオさんとの色々を思い出し、私の顔は一気に熱くなった。首も耳も全部が熱い。
「……こんな場所で何かするわけないだろう」
呆れ半分のムッとした声。
――レッテリオさんって、ランベルトさんと話す時はちょっと素が出てるんだろうか? いつもと口調や声のトーンがちょっと違う。
「いやいや、どうしてくれようかって……」
「どこからどこまで聞いてたんだお前は……!」
ランベルトさんのばか! ちょっとじゃなくて全部聞いてたんじゃないの!? 聞いてたとしても言わないでほしい……!
ああもう、今度は恥ずかしすぎてまた眠れないかもしれない……。
――と思ったのだけど、逆に恥ずかしすぎた私は頭がのぼせて寝落ちした。天幕に入って逃げるように掛布に包まったらすぐだった。
一晩の出来事としてはもう許容量超過だったのだろう。
そう。
「おやすみ」
って。天幕に入った途端、耳に直接囁かれたのがとどめだった。
だってレッテリオさんの声、ホットチョコレートより甘かった……です。