93.加密列のお茶と秘密
「……どうして私に『王女の白ばら』をくれたんですか?」
「どうしてって……あれ? 意味は伝えたよね?」
「白ばらの意味は理解しました! でも、そうじゃなくって……なんで、落第の見習い錬金術師の私に……なのかなって……」
だってそうでしょう? レッテリオさんは騎士で、公爵家の人間で、更に自身は子爵で……。ただの庶民で見習いの錬金術師の私とは、立場も身分も能力も違いすぎる。
それに――。
「私、レッテリオさんには迷惑かけたりお世話になってばかり……ですよね?」
街へ行くのに馬に乗せてもらったり、街を案内させたり、帰りは工房まで送ってもらったり。迷宮に連れて行ってももらったし、採取も手伝ってもらって高脚蜘蛛からも沼からも助けてもらった。道が伸びて不安になった時にもその笑顔が不安を消してくれた。
――完璧にお世話になりっぱなしだ。
そうだ、それに『携帯食』という仕事までもらった。お世話になって、与えてもらってばかり。
「……どうして、私に?」
私はレッテリオさんがくれた『白ばら』の意味が分からない。
その意味が分からないことには、自分のこともよく分からないのだ。だって、全てのことには理由があって結果がある。錬成実験と一緒だ。合わせる素材を選び、適切な処理をすると良い反応が得られる。どこかで手順や選択を間違えたら、求める正解には辿り着けない。
今の私は、素材選びの前……何を作りたいのか、何を素材として与えられているのかも分からない。分からないから不安で、でもどこか楽しみでもあって、フワフワとモヤモヤで自分の気持ちがよく見えない。
「よく……分からないんです。それに知り合ってまだそんなに経ってないし……」
時間は関係ないとか、一目惚れっていうのも知ってはいる。物語で読んだことがあるし街中でそんな話を聞いたこともある。でも――。
「……私、レッテリオさんに話していないこともあります。多分レッテリオさんが思ってるような子じゃないです」
騎士なんていう立派な職業のレッテリオさんには、できるだけ良いところだけを見せたくて頑張っていた。そうだ、レッテリオさんに会ってからは一生懸命前だけを向いてやってきてる気がする。
それまでの私は、できない自分にいじけそうになっていて、先に行ってしまった年下の同期に嫉妬をしていた。先生たちには心配ばかりかけているし、故郷の両親にだけは心配かけたくなくて、ろくに便りも書けていない。ガルゴール爺を伝言板にして逃げてばかりだ。
……あれ? 考えてみたら、レッテリオさんに会った時からちょっと変わった? 一人実習になってからだろうか?
でも、やっぱり――。
「私……レッテリオさんに好いてもらえるようなこと何もしてない……。いっぱいお世話になってばかりで、何も返してあげれてません」
そんな私が『王女の白ばら』に『騎士の赤ばら』を返していいのかって……分からない。
「――俺からの白ばらは迷惑だった?」
俯いてしまった顔を上げられないまま、私はふるると顔を横に振る。
「アイリス、全部逆だよ。俺の方こそアイリスにお世話になりっぱなしなんだ」
「……そんなことないです」
「そんなことある。だって俺なんて、『役目だ』って言われて子爵位を貰ってヴェネトスに来て、役目だからって迷宮探索隊を作って部下を育てて迷宮に潜って……。そもそも騎士だってなんとなくなっただけだし、特に何も目指してなかった。一緒に街に行った後にアイリスの話を聞いて……ああ、俺は何も自分で決めていないし、何も頑張ってないし、情けないなって思ったんだ」
そろり、顔を上げた。
「アイリスに出会って俺はちょっとマシな騎士になれた。やっと自分で選んだんだ、道を」
レッテリオさんのその微笑みは、初めて会った日から今日まで何も変わっていない様に見える。だけど本当は、私と同じで……変わったの?
「『迷宮の番人』の役目を果たそうという気になったんだ。――あと一年しか猶予はないしね」
「一年って?」
「あ、そうか、まだ言ってなかったか。あと一年で俺は王都の騎士団に戻らなきゃいけないんだ。こちらには出向って形を取ってるから……」
「そう……なんですか。じゃああと一年でさよならなんですね……」
「寂しいって思った?」
ニッという、いつもの柔らかい笑みとは違う笑み。
「思い……」
――言えない。
「思いました」と言うのは、何だか照れ臭いし、でも「思いません」と言うのも嘘だし、言いたくはない。
ぐぅ……と口篭らせて、ちょっと恨めし気にレッテリオさんを見上げた。きっと面白そうに笑っているのだろう。そう思ったのだけど……。
「……俺は寂しいなって思ったんだ」
「え……?」
そう言ったレッテリオさんの顔は私からは見えない。
ぎゅっと両腕で、抱え込むようにして抱き込まれてしまったからだ。
「身分や迷宮のことについて嘘を吐いていたし、まだアイリスには秘密にしていることもある。得体が知れなくて信用ができないのは俺の方だと思う。きっと俺こそ、アイリスが思ってるような男じゃない」
「……そうですか? でも、レッテリオさん……優しいと思うし、面倒見いいなって思うし……」
「アイリスだってオレから見たら前向きだし頑張ってるし、いい子だなって思うよ?」
ぎゅうっと包まれる腕は暖かい。私たちを照らしているイグニスの炎も暖かくて、なんだか「落第の見習い錬金術師の私なんて」と思って硬くなっていた心が、徐々に、トロトロとほどけていくような気がしてしまう。
――レッテリオさんから見えていた私も、認めてあげていいのかな?
私はそっと顔を上げ、レッテリオさんを見上げた。
近くから見るその瞳は澄んだ蒼色。だけどその奥底までは私にはまだ窺い知れない。
レッテリオさんは何を考えて、何を抱えているのだろう?
「あとたった一年しかないって焦り出したこの時期にアイリスに出会ったんだ。もしかしたら術師イリーナの差し金か? って探ったりもしたんだけど……君は驚くほど素直で裏なんか無かったし、それどころか美味しい携帯食を作ってくれて、術師イリーナも驚いていたしね」
「私は自分のことで手一杯だったし、そんな裏なんかある訳ないです」
「うん。今は分かってる」
そうっと私の前髪が指先で撫でられる。
ドキドキと心臓が騒がしいけど、だけどなんだか心地よくもあって私はそのまま目を閉じる。
もうちょっとだけ、このまま身を預けてもいいだろうか?
だって、撫でてもらうなんていつ振りだろう?
誰かに抱きしめてもらうのも、寄りかかるのもいつ振りだろう?
「アイリス、まだ君に言っていないことがあるんだ」
それはこの前、工房でも言われたことだ。
レッテリオさんはどうしてか辛そうな顔をしていたけど……。
「再び迷宮が騒がしくなって、もう一度調べ直して、少しずつ色々なことが分かってきて――。この迷宮はもしかしたらアイリスとイグニスのためにはならないかもしれない。アイリスとイグニスを巻き込むのは間違っているかもしれない」
「……どういうことですか?」
単なる足手まとい? それとも――もしかして、イグニスが言っていた炎の精霊の気配が関係しているのだろうか? 同族の精霊の縄張りかもしれないここを、探るように踏み入るのが危険なのだろうか。
「まだ秘密。……ね? 信用できないだろう? 俺の言うことなんて、何が秘密で、どれが嘘でどれが本当か……分からないだろう?」
『王女の白ばら』のことだって信じられないよね。もしかして、そう言っているのだろうか?
「分からないけど……」
私は苦い笑顔のレッテリオさんを、真っすぐ見つめ言った。
「信用はしています。レッテリオさんの秘密も嘘も本当も、全部ひっくるめて信用します。迷宮に潜るのも、イグニスを探索にまぜてもらうのも、私が決めたんです」
そうだ。
決めちゃえばいいんだ。
素材も錬成方法もその処理も、別に教科書通りやらなきゃいけない訳じゃない。【レシピ】にはよく分からないアレンジレシピも沢山載っている。私だって、自分の思うようにアレンジして――自分の思う通りの錬金術師になればいいんだ。
レッテリオさんがどうこうとか関係ない。私が決めたらそれでいい。白ばらだって――嬉しかった気持ちを素直に受け止めればいい……と、思うんだ。
「レッテリオさんも決めちゃいましょう! やりたいようにやればいいんですよ、きっと! だってここ、レッテリオさんの領地なんだから、秘密も何もかも、領主様の好きにしちゃっていいはずですよね。気にしないでください」
蒼玉の瞳が一瞬揺れて、トロリと細められた。
「……アイリスって、やっぱり見た目詐欺だよね。男前ってこういうことを言うんだな~って思った」
「え、褒めてます? あ、それとも駄目出しですか?」
「褒めてる。男前だけどやっぱり可愛いしね」
「っ、さ、詐欺って言ったのに……!」
「あはは、俺は中身も知ってるから詐欺じゃないよ」