読者を違反に誘った作者の作品は、人気だろうが二度と読むことはありません
追記 今回のエッセイを投稿後、幾つかの出来事がございました。それについて、3/17の活動報告にて述べさせていただきました。よろしければ、ご覧ください。
最初に。
対象とした作品に心当たりがあっても、それを特定して(感想欄などで)公開はしないよう、お願いいたします。
再炎上を望んではなく、また、幾つか理由があり「とある行為に対しての意見・感想」として書いております。
このエッセイでは、感想の返信を、必ずするとのお約束はできません。また、一定期間後、感想欄を閉じる、エッセイ自体を改稿・下げる、可能性がございます。ご了承の上、ご覧ください。
また、これは個人的な一意見だということを、先に述べておきます。
ある日、目を疑うようなものを見ました。
それはエッセイジャンルの、とある作者の行為・言動です。
過激な論調で反論を誘うものでしたが、エッセイですし、それ自体、それだけなら問題はなかったでしょう。
私が目を疑ったのは下記の点です。
1、作者は煽るだけ煽り感想欄を閉じた上、言いたいことがあるなら「レビューを書くよう」エッセイ内で強く誘導。
そのため、本来のレビューの使い方と違う、読者が作品への反論を書いたレビューが続出した。
2、本来の用途と違う使い方で、レビューに反論等書いたら読者が違反で罰則を受ける可能性がある。それを恐れたとある方が、それを止めるために読者に忠告を込めたエッセイを書く。作者はそれを支持、「読者がこんなレビューを書くなんて」との発言を書く。
3、小説家になろう運営から、一部文章削除の通告がくる。忠告エッセイを書いた方がどうか誘導をやめて欲しいと懇願する。その後で更に時を経て、やっと作者が、エッセイ本文のレビューへの誘導の文章を削除する。
4、活動報告などの文章では、誘導への反省の色は見えない。そして、エッセイ以外のジャンルで書いたシリーズ作品が、「日刊一位になりました!」と報告。
作者の本心など分かりません。
ですが、私はこう取りました。
これは、多くの方に読んで貰うための、ランキングに載るために書かれたエッセイだと。
目的は、エッセイ内容の周知より、そこから他にどんな作品を書いているか興味を持たせ、知名度と共に創作作品をランキングにあげたいためにしたことだと。
知名度をあげたい。
ランキングにのりたい。
色んな方に読んで欲しい。
――どれが目的でも、そう思うのは当然のことです。
別ジャンルでエッセイを書きたい。
相互作用でどちらも読んでくださる方がいるかもと思う。
――普通のことで、何も問題ありません。
色々考えた上で感想欄を閉じた。
――感想欄を開くも閉じるも作者の自由です。
炎上商法で過激なことを書くのも、戦法の一つでしょう。
私が今後、この作者の作品を一切読まないと決めた理由は一つだけです。
「分かっていて、読者を違反に誘った」そう、私が感じたから。
その行為は、私の中の基準では、「人として、してはならない行為」だから。
この作者には逃げ道があります。例えば、こう。
好きな内容でエッセイを書いただけだよ。
――そうですね。思わず反論したくなる非常に過激な文章で、感想受付は閉じて憤りの行き場をなくした上で。
レビューについて誘導したけど、違反して書けなんて一言も書いてないよ。
――そうですね。言われて読者がレビューでなら言い分を伝えられると気付くのを想定していたからといって。
正当なレビューなら褒められることしかなく、反論のレビューなら内容によっては違反で読者が罰せられる。レビューの規則を読んでない読者が悪いと言える。
どう転んでも作者に損はない内容で。
万一気付いてなかったとして。他者から指摘されて分かり、実際誘導された読者を見て尚、誘導を暫くしたままでいても。
ここで事実を一つ。その作品のレビュー欄には、当時、なろう運営により違反として削除されたレビュー跡が幾つも残っていました。削除されたレビューを書いた読者が、罰則を受けたのか、受けなかったのか、受けたとしてそれがどんなものだったかは、知ることはできませんが。
作者はそれをどのような思いで見ていたのでしょうか。
よく話題に上がるものと違って不正じゃないでしょ?
――もっともらしい建前を、法律の抜け穴を探す方達のように用意して。むしろ己のリスクは最小限にしている分、不正より性質が悪いのではないかと感想を抱いてしまう。
エッセイ本文はいつでも編集できる。都度都度、都合のいい文章に変えたり煽ってから消しても証拠は残りにくい。
作者は比較的安全な位置で。
自分は規則内ぎりぎりに留まり。
自分の目的のために、読者のみを違反に誘った。
目的は、私の推測とは違うものかもしれません。
ですが、では、どういう目的なら読者を違反に誘っても良かったのでしょうか?
違反に誘っても構わない目的というのは、存在するのでしょうか?
これは、厳密には詐欺ではありません。
ですが、分かっていて悪い方向に誘う、罪を犯しやすくさせるというのは。
―――詐欺のやり口のようではありませんか?
判子をついたのはお客さんだよ。
え、こんなものだと思わなかった?
ちゃんと契約書に書いてあるよー目立たぬように地味な一文でね。もしくは別紙でね。
伝えたことも別にあからさまな嘘じゃないよ。
よく読まなかったのが、無知なのが悪いんだよ?
私はその時、見ていることしか出来なかった。止める方法も思いつかず、行動も出来ず。苦しかった。そのエッセイと活動報告を、この炎上が落ち着きますように、読者が冷静になってくれますように、作者が僅かでも後ろめたさや反省などを見せてくれたら…気付いてくれたら…そう思いながら眺めていました。何度も何度も書き換えられる、ぱっと読んだら納得してしまいそうな耳障りのよい追記を読みながら。
けれど、結果は。
ーー踏まえた事実を元に、私が感じたこと。例も私が推測した逃げ道。
ですから、作者の真意など分からないのに、悪い方に取り過ぎというご意見もあることでしょう。
特定を避けるため、具体的に分かるように、何という作者のどの作品と書くことは出来ません。ヒントになってしまうので、どんな内容のエッセイだとも、いつの時期あったことだとも、書けません。
そんな私が今出来ることはこれだけです。
「読者を違反に誘う作者の作品は、二度と読まない」という意志表示をして、行動する。
そして、なぜそうしようと思ったかを、示すこと。
ささやかですが、意志表示をさせていただきました。
個人的な、なろうの一読者としての感想です。
炎上しても暫くずっとランキングに載り、別作品のランキングまで時を同じくして上位に上り詰めた。つまりは、誰かがポイントを入れたわけで、作者が読者に対して行ったその行為を許容している方も多々いらっしゃるということでしょう。
作品さえ面白ければ(エッセイでない方は読んでいないので内容は知りませんが)作者の人間性なんて別に構わない、という考え方もあるでしょう。
それ以前に、作者が違反したわけではない、ちょっと煽っただけ。ちょっと誘導しただけ。それを人間性なんて、そんな大袈裟な、と思う方もいらっしゃるでしょう。
作品が面白い。ランキングに載っている。だからその作者の人間性も勿論素晴らしい、とは思わない。
実際は、ランキング作品で読み応えがあって、感想の返し方も素晴らしい、活動報告の書かれ方でも、作者も人として良い方だろうなぁと思うものが多くあったけれども、それが普通だとは思っていない。
逆に聖人君子なだけの人物に面白いものを書けるか?書けないだろうとも思う。作者だって、色々な面を持っていることでしょう。
それぞれに言い分がある。推測と事実は違うかもしれない。
いろんな考え方がある。どれも正しくも、間違いでもない。
けれど「私」は、こういうやり方は「好きではない」。
エッセイ内容がどうこうということではなく、その行為、やり方が。
ここに書かなかったとしても、私が一連の流れを見ていて感じたことは、そのままです。
だから、マイナーな意見、焼石に水だとしてもそれを書きます。
読者を違反に誘ってまで、注目を集めようとする行為が、減ることを願って。
少ないながらも、そんな行為を忌避する人がいたという痕跡を残すために。
「貴方の心が正しいと感じることを行いなさい。行なえば非難されるだろうが、行なわなければ、やはり非難されるのだから。 」byエレノア(エリノア)・ルーズベルト
3つの意味を込めて。
小さなことであっても、自分の感想や意見を伝えるということ、声をあげるということは難しいことだな、と思います。知人とのとある会話を思い出し、かなり以前から迷い、躊躇っていたこのエッセイの投稿を決めました。