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水神の国  作者: 菜摘キロ
後日譚
7/9

少女の一日

 毎日、女官たちが灯籠を灯す頃にサキは目を覚ます。

 目を覚ませば一番に見るのはいつも水神の顔だ。睡眠が不要の水神は、共寝しながらサキが目覚めるのを待っている。今日も寝ぼけまなこで水神を見ると、彼は書物を読む手を止めて目を細めた。

「おはようございます」

「ああ、おはよう。もう起きるのか」

 そう聞きつつも、水神はサキの頭に手を回しするりと髪を撫でる。言外にサキが寝具から抜け出すのを阻む様子に、サキは意を決して掛けていた衣を捲った。

「もう起きる時間です」

 村で生活していた習慣から、惰眠を貪ることにはまだ抵抗がある。昼夜がわからないこの屋敷では、生活はサキの体内時計が頼りだ。水神はむしろいつでも寝ていればよいという姿勢なので、サキは必ず決まった時間――中つ国でいえば明け方に灯りをつけるよう女官たちに頼んでいるのだ。

 因みに、屋敷内には灯籠や灯台がある。平気なのかといつだったかサキが尋ねた時、水神が心底不思議そうな顔をしたのが忘れられない。誰だ、水神は火を嫌うと言ったのは。そんな言い伝えのせいで、以前に暗闇の洞窟の中を歩く羽目になったことをサキは密かに憤慨してしまった。


 無事に寝台を抜け出せば、女官が用意しておいてくれた水で顔を洗う。几帳を隔てた向こうで、女官たちが衣の色を合わせてああでもないこうでもないと言い立てるのをサキはぼんやりと見つめていた。

 女官たちはサキのことを御前様と呼んだ。以前は言葉少ない彼女たちだったが、サキが再び屋敷へ戻ってきてからはむしろかしましい。村の女たちも祭りなど自分を飾る機会があれば、どの色帯が綺麗だとか可愛いだとか賑やかだったものだ。これは神も人も変わらないのだなと思う。

(こちらの衣は、私にはどれも素晴らしすぎて選ぶこともできないけど。)

「御前様、たまには紅い衣もいかがでしょう」

「そうね。でも派手ではないかしら」

「そんなことはありません」

 紅い色で縁には銀色で刺繍をされた美しい着物を差し出されて、サキは口元を引きつらせた。


 身支度が終われば食事を済ませて、あとはもう余暇の時間だ。

 書を読めるようになりたいと文字を習い始めたサキは、用意してもらった教本を睨みながら言葉を書きつけていく。その横で水神はじっとサキを見つめていた。手習い中なため話しかけるのを控えているようだが、ただ穴の開くほど見つめられれば気恥ずかしいものだ。

「私を見ていても、面白いものもないでしょう。飽きませんか」

「飽きない」

 躊躇いなく言い切った様子を見て、サキは頬を染めるしかなかった。

 残念ながら、いつもこの調子では気が散ってしまう。水神の気遣いはどこかずれているのだが、好きなことをさせて大事にしてくれるのがわかっている分、サキはそれを指摘することができなかった。

「き、気分転換にいきましょう」

 そう言えば、水神はサキを抱えて屋敷の外に連れ出してくれる。

 湖の上に建っている水神の屋敷は、彼の助けがないと出るのも難しい。うっかり湖に落ちれば中つ国に流されてしまうかもしれないのだ。

 屋敷から出て湖をしばらく行けば対岸に着く。青白く光る苔が生えた地面に降りると、どこからかたくさんの蛇たちが集まってきた。蛇たちは水神らから少し離れて、しかし様子を窺うようについてくる。水神とは違って、いるのはただの蛇だ。最初は蛇の多さに慄いていたサキも今は慣れ、洞窟の中を散歩する際にはすでにお馴染みの光景だった。

「うむ? サキ、また何かきたようだぞ」

「えっ、またですか」

 湖の畔で水神が立ち止まり、サキも横に並ぶ。湖面には洞窟の入口があった滝壺が映されており、滝に向かって櫃を持った村人たちが歩く姿が見えた。サキが気にすることもあってか、水神はよく村の様子を教えてくれる。

 村人たちは、サキがいなくなってから定期的に米や乾物などの供え物を持ってくる。洞窟が塞がれ生贄を出すことができなくなったからだろうか、その頻度はサキがいた頃よりも多いように見えた。まず自分たちの生活は大丈夫なのだろうかと思うのだが、この頃は天気も安定している。

「明日、水田の様子でも見に行くか」

「はい。久しぶりに見たいです」

 雨も程よく降り、このままいけば来年は作物の実りも良くなるだろう。

 サキが微笑んだのを見て、水神も口元を緩めたようだった。


 中つ国の日が沈むころに屋敷の灯りも落とす。サキが寝台に潜り込むと、遅れて水神も横に並んだ。

「今日の衣は派手だったな。あれが好みか」

 唐突につぶやかれた言葉を聞いて、サキは思わずふふっと笑みがこぼれる。朝に着替えた時は何の反応もなかったが、思うところがあったらしい。

 周囲は真っ暗で、残念ながら水神の表情は見えなかった。

「いえ。そうですね……明日は控えめなものにします」

 怖ろしかった水神の傍で、安心できると感じるようになったのはいつからだろう。幸せだと思う。幸せな気分のまま、ふわふわと眠気に誘われる。

「おやすみなさい」

 サキは水神の肩口に頭を擦りつけると瞼を閉じた。

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