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そのまま洞窟を進むとやがて道は狭くなり、這わないと通れない所もあった。しかし行き止まりになることはなく、サキは休みながらも幾刻も進み続けた。前に進めない時は岩肌をのぼり、下り、四肢に傷ができる。徐々にその痛みの感覚すら麻痺してくるほどだった。
進み続けても出口はなく、しかし進むことへの恐怖すら麻痺してくる。もう意地だった。
そのように狭い道を屈みながら進んでいた時、道の先にぼんやりとした光を見つけた。
(何? 出口の光……じゃないわよね。)
僅かに浮かれた心はすぐに沈む。青白い光はどうみても外の日光とは思えない。
「きゃあっ?!」
手さぐりで光に向かって進み、目の前が青白い光で明るくなったと思った瞬間、サキは手を滑らせて岩肌を転がり落ちた。
「やだ、痛い…」
咄嗟に頭をかばったが、強かに右肩を岩にぶつけて転がった。あまりの痛みと衝撃に唇を噛んで耐え、しばらくするとのろのろと起き上がって辺りを見渡した。
そこには大きく開けた空間があった。地面一面が光っている。青白く光っているのは苔のようで、先ほどは苔に手を滑らせてしまったらしい。どこからか川が繋がっているのか、岩の向こうには小さな湖が見えた。湖の奥は暗闇であり、霧がかかっていたため道の先がどうなっているのかが分からない。
光で目が利くようになったことで、サキも自身の状態をようやく確認することができた。小奇麗だったはずの白い着物は泥で黒く汚れており、四肢は擦り傷だらけで血が滲んでいた。手よりも足の傷はひどく、皮がむけ血で赤黒くなっている。見てしまったあまりの惨状に思わず目を背けてしまう。
同時に体の力が抜けその場に膝を抱えて座り込んだ。もうどれほどの刻を歩いたのかわからないのだ。洞窟に入った時の気力はすっかり失せてしまっていた。空腹感などは疾うに過ぎて、今は腹部が痛むだけだ。
(私、ここで死ぬの?)
ぐっと目を閉じる。死ぬ事なんて生贄になると告げられた時からわかっていたはずだ。それでも、いざ死が迫ると気丈にはなれなかった。
その時、ずず、と何かが這うような音が聞こえた。はっとサキは視線を上げ辺りに目をこらす。どこからともなく何かが蠢く気配がする。サキがそれを認識したのは周囲を囲まれてからだった。
「―――蛇!」
蛇に囲まれているとわかった瞬間鳥肌が立つ。いつまにかサキの回りには何十匹もの蛇が集まっていた。蛇の種類は青緑、茶褐色のものや縞模様の入ったものなどさまざまだ。
対してサキは恐怖に固まり動くことが出来なかった。周囲の蛇をまじまじと見つめる。蛇達はしばらく威嚇することもなく止まっていたが、徐々に近づいてきた。
「いやっ……」
ぬるり、と一匹がサキの足に絡みついた。生暖かい感触が気持ち悪い。抵抗しようとするものの力は入らず、振り払うこともできずに蛇を見つめるしかなかった。
このまま大量の蛇に絞殺されるのではないかという考えがよぎった時、蛇の動きが止まった。
「お前たち、怖がらせてはいけないだろう」
低い声が辺りに響く。
その途端、足に絡みついていた蛇達がそろそろと離れ後退し始めた。道の奥に目を凝らしてみると、巨大な蛇がこちらへ向かってくるのが見える。それに伴い蛇たちはサキの正面の道を開けるよう動き出した。
蛇が離れていったことにほっとしたのも束の間、近づいてきた大蛇の姿を見てサキは呆然のあまり目を見開いた。そこには5丈はあるかという白い大蛇がいた。丸い目は紅く、サキを真っ直ぐ見据えている。姿も気配も明らかに尋常ではないのがわかる。
「ここまで来た者は初めてだぞ、娘」
そこでようやくその低い声が大蛇から発せられたものであると気づく。
「名はなんという?」
「サキと、申します。あ、あなた様が水神様ですか」
掠れた震え声でなんとか名乗る。慌ててその場で頭を下げ礼をとった。水神の姿を見たものは今までおらず村にも伝えられていなかったが、ここが水神の住処であるならばこの大蛇こそが水神に違いない。
「人間は私のことをそう呼んでいるらしいが」
肯定であった。
まさか本当に水神が現れるとは思わなかった、というのがサキの正直な思いである。ここまで来た者が初めてなのであれば、今まで生贄となった何人もの娘たちはどうしたのだろう。洞窟の入り口で水神の迎えを待ち、力尽きてしまったのだろうか。
「勝手にも水神様の御住まいにお邪魔しましたことをお詫びいたします。しかし」
「雨を降らせろというのだろう。知っている」
口上を述べようと力を振り絞ったが、言葉は水神にさえぎられた。
「そなたに免じてその願い、叶えてやろう」
水神が上へと視線を向ける。ただそれだけだった。
何をしているのかもわからないサキを、水神が視線で湖の畔まで来るよう促した。サキが近づくとぞろぞろと後ろから蛇たちもついてくる。
湖には人影が写っていた。それが水神やサキの姿が映ったものではないのを見て、よくよく目をこらす。荒れた地面が見えた。
「あっ、父さん!」
人影の中に父の姿が見えた。続いて周囲の景色が村のものであることに気づく。勢いよく雨が降っており、声は聞こえないが、田畑の周囲で村の人々が雨を受けて喜んでいるようだった。
待ち望んだ雨に歓喜する様子を見て、サキはほっと息を吐いた。役目は果たせたのだ。家族もきっとサキを誇りに思ってくれる。
安心したと同時に涙がこぼれた。
「何を泣く?」
「嬉しいのです。水神様、村の願いを聞き入れて頂き感謝いたします。……これで、思い残すことはありません」
これで思い残すことなく死ぬことができる。そう思いサキは水神に向き直った。
「うむ? 中つ国への未練が消えたか」
中つ国とはいわゆる人の住む世界、日ノ本のことだ。神が住む天上は高天原、そして女神が住む黄泉の下つ国。サキがこれから行くべきは下つ国。
(さあ、水神様。一思いに殺してちょうだい!)
サキは目を瞑り、来るべき衝撃に備えて身を強張らせた。
※5丈=約15m




