8.白いスケジューラ
「何かハンガーが騒がしいと思ったら、そんな事があってたわけ?」
「まあな。ほんとに、なんだったんだあの女は」
レンのオフィスでコーヒーのカップを付き合わせ、ミツルは彼女に事の次第を報告していた。
「視察に来ておいて説明も聞かず、ヒステリー起こして帰っちゃうようなのが軍人って。国防陸軍もよくわからないところだね」
「どっちかっていうと、班長の『馬鹿野郎』が堪えた感じだったがな」
「いまどき馬鹿って言われたぐらいで怒る人なんて珍しいよ。ね、ミツルくんの、ばーか」
「……なんでそこで俺に攻撃が向くんだ?」
レンに可愛く舌を出され、とはいえ身に覚えのない罵声に戸惑うミツル。
彼女はカレンダーを表示すると、二十七日のスケジューラを呼び出した。
「私の誕生日の予定、昨日中に上げておいてって言ったよね? 例年だと里帰りのところ、君という恋人を立ててスケジュール開けてるんだぞ。ほら、サプライズなんて柄にもない事はやめて、とっとと予定を出してくれ」
「いや、それが、な……忘れてた」
「だろうと思ったよ。ほんとにバカなんだから」
もうすぐ十八にもなる彼女は子供ように頬を張り、午後が白いスケジュールを閉じる。
彼女と付き合ってもう半年だが、未だに同棲どころかお泊まりすら一度きりだ。
ミツルとて愛を告白した手前、もうちょっと踏み込んだ関係になりたいのだが、互いに忙しく、しかも尋常ならぬ周囲の注目とハナの頻繁なちょっかいのせいでデートすらままならない。
「すっげぇ誕生日にしてみせるからもうちょっと待ってくれ」
「期待しないで待ってるよ。バカでビビリのミツルくん」
惚れた弱みにつけ込む無邪気。
彼女の事は嫌いではないが、四人の〈娘〉に手を焼く身としてはちょっと考えて欲しいところもある。とはいえ、それは彼女も一緒だろう。
「ところでレン、最近のあいつらの論理記録なんだが解析は進んでるか?」
「それが例のコンペ騒ぎですっかり滞っててね。ツカサのやつが〈スタンピードVer2〉の具体案をせっつくから、そっちに時間取られちゃって」
レンが表示させた新しい仕様書には、あちこちに赤い修正が目立っていた。
スタンピード――すなわちスタンピード・パックは、救命重機のための増加装備だ。追加燃料タンクと構造補強材を兼ね、さらに特殊装備も搭載できる一体型パックなのだが、半年前のとある事件の折り半壊し、以降修理という名の新造と改修が進行中だった。
「以前の設計から流用できる箇所もあるけど、潰れちゃったブルーの脚とかは見直さないといけないしね。これを機に載っけようって思ってる装備もあるし」
「どれどれ……37ミリ……エアランチャー?」
「それはハウンド用。スポンサーの諫坂空力が持ってきた装備なんだけど、救助用の資材とか消火ペレットとかを射出できるんだって」
「射撃装備はダメだって前に言ってたと思うんだが」
「うん、まあ射撃ってわけじゃないし、許可は取れそうなんだよ。ただ私としては増槽を削ってまで載せる必要もないかなって思ってるんだけど」
レンが言葉に持たせた含みを、ミツルはコーヒーを口にしながら拾う。
コンペには投射能力の項目もある。技術班と冗談めかして「手で投げるか」などと笑っていたミツルも、確かに専用の射出装置があればその有用性は認める。認めるが……。
「やっぱり過剰じゃないか? 消防車やハシゴ車の代わりまでさせなくていいだろう」
「そうだよね、これも見送った方がいいかな」
簡易図面にまた赤マークが増えた。
レンの仕事は重機の制御システムの構築と改良、そして係の管理とサクラたちの育成。すでに多忙を極めている。
スタンピード改良案に本腰を入れるとなれば負担はさらに増すだろう。
ミツルは彼女のために一つの提案をする。
「いっそツカサたち――〈機体設計班〉に丸投げしちゃどうだろう。あいつらも理念は理解してるんだし、そうそう無茶なアイデアは出さないと思うが」
「うーん、そうするかなあ」
気のない返事で仕様書を閉じ、レンはリクライニングチェアを倒して伸びをする。
その露わになったおでこをミツルが撫でると、彼女はくすぐったそうに笑った。
「やめてよ。広いの気にしてるんだから」
「このでっかい額の奥に、俺なんか敵わない脳味噌が詰まってるってんだからな」
さらにキス。
親愛の位置だが今はこれが精一杯の愛情表現だ。
しかしこんなオフィスでの他愛ない睦み合いも、重機係ならば気は抜けない。
「帰ったわよ。あら、二人とも仲よさそうね」
「二人とも、オフィスラブなら定時後にしてね」
思えば影あり。四人娘を引率していたハナと、お茶のマグを手にしたトクガワが入ってくる。
ハナの冷え冷えとした視線に跳ね起きたレン。
その額に鼻を強打され押さえつつも、ミツルも居ずまいを正した。
「つぅ――っ。か、課長までどうしたんです」
「どうもこうも、視察に来たキャシーちゃんが勝手に帰っちゃったから、総務からクレーム届いたんだよ。接客態度が悪いってね」
「キャシーちゃん……いや接客って、俺マジメに応対しましたから、怒ったのは向こうでしょ」
「ま、大目に見てやってよ。相手は彼の――」
「入谷宗貞陸将の娘さんよ。箱入りには班長の言葉も厳しかったのね」
腕組みをしたハナが課長の言葉を引っさらう。両者の間に含みのある視線が交わされるが、ミツルはそれ以前の段階で驚いた。
「二人とも知ってたんですか?」
「私はさっき調べたの。でもトクガワさんは?」
顔を向けられたトクガワは、なぜか懐かしそうな様子で天井を見る。
「知ってたよ。キャシーちゃんといえばミス国防はもちろん、陸将補の可愛い娘さんって内報に何度も載ったからね。小さい頃からお父さんベッタリで、中学校の作文なんかそりゃ凄かったもんだよ」
「ずいぶん詳しいですね。課長、国防にお友達でもいるんですか」
「そんなところ。さて、面倒なお客が帰ったところで、例のスタンピード、どうなってるか聞かせてよ」
トクガワのさらりとした話題転換に、レンは再度仕様書を開いて二人に示す。
「このとおり二進も三進もいってないよジョー。正直私には手に余るから、設計班に丸投げしようってミツルくんと話してたところ」
「設計班かあ。常識人の野浅君と田岸君はいいとして、ツカサ君はちょっと問題だよね。彼に任せると予算度外視でいろんなギミック付けちゃうからなあ」
「合体機構とかもね。あのアイデアマンっぷりは嫌いじゃないけど」
「……あれ、ツカサのアイデアだったのかよ」
鼻白むミツルに、レンは知らなかったのかと片眉を上げた。
三機の救命重機には、緊急時に合体して巨大人型重機、通称ブルーバードになる機能が備わっている。
それぞれの利点をつなぎ合わせ、大きすぎる重量は余剰推力で誤魔化すという豪快な設計だが、なるほどあの変人ツカサが発想したと聞けば納得だ。
聞くだに役に立たなさそうに思えるが、その力を目の当たりにしたミツルなら秀逸なアイデアと思えなくもない。
――合体してなきゃあの事故にゃ対応できなかったしな。
無論、三機のフレームにそんな機能はなく、合体にはスタンピードパックによる補助が必要だ。パックが使えない現状、その姿は記録映像かシムでしかお目にかかれない。
「レンちゃんが多忙なのも知ってるし、しょうがないかな」
トクガワが薄い頭をなでながら、設計班への手続きを通した。
ミツルにしても一抹の不安が残るが、今は四の五の言える状況じゃない。これ以上レンを忙しくしないためにも彼はその判断を歓迎した。
その是非は置いておいて。
「機械の方が片付いたなら、次はメーテルたちの話をしてもいいかしら」
今度はハナがレンに今日のレポートを転送する。
「外出訓練は順調だわ。ただ少し気になる点があるの」
「気になる点?」
ハナはミツルにうなずき、レポートから四人分の行動ログをピックアップする。
「おおむねの所はいいのだけれど、自律行動に四人ともわずかな突出反応が見られるの。場所は様々でいずれも微々たるものだけれど、彼女たちがレベルテンに近づきつつあるのなら、注目すべきだと私は考えるわ」
ハナの意見に、ミツルもすぐに同意する。
彼女はかつて共に森澄リンク式の開発に携わった同士で、互いに知能工学の博士号持ちだ。開発畑の人間として、これらの反応に寄せる関心も、着目する点も似通ってくる。
一方、レンは二人と違い、状況を俯瞰で見ているらしい。ひとくさり考えて心配ないと彼女は結論した。
「前から言ってるけど二人とも。これはレベルテン云々じゃなくて、むしろ知能発展における一種の反抗期と捉えた方がいいんじゃないかな。前からこの傾向はあったし、最近ひどくなったかというとそうじゃない」
「そうだねえ、言う事を聞かない、自分でやろうとするってのは反抗期にありがちだよねえ」
外野であるトクガワの言葉に、ミツルは反応しようとして言葉に迷った。
四人娘の行動が悪化していないのはミツルも知っている。しかし、常に彼女たちと顔をあわせる立場としては数値に出ないような、強いて言えば雰囲気の変化のようなものを感じるのだが。
「これもまた、改めて打ち合わせをしないとね」
「わかったわレンさん。資料をまとめておくから」
「あ、レンちゃん。今月の残業ペース、もうレッドゾーンだってカワラバンが言ってたよ。休みはちゃんと取るように。これ課長命令だからね」
ハナとトクガワが出て行く。残されたミツルは何か言おうと思ったが、言葉が出てこないまま、作業に戻るレンに手を振るしかなかった。