6.嘘の壁
救命重機係は即応体制を備えているが、その緊急出動はひと月に二回あるかどうか。というのも実際のところ、イスルギでは大規模事故がほとんど起こらないからだ。
イスルギは全世界に先駆けた全市IoT環境の街作りを進めており、メガフロートの浮力制御から落とし物の財布まで、ほとんどの問題が都市管理ネットワークにより把握されている。
ヒューマンエラーの撲滅は市を統括する巨大企業イスルギ・コーポレーションの悲願でもあり、よほどの突発自体を除けば、事故は未然に防がれる。
そんなもので、彼らの出動の大半は事前にスケジュールが組まれており、今回の案件もそのうちの一つだった。
「完全エージェント労働、はんたーい!」
『完全エージェント労働反対!』
「大企業はロボットを捨てて、人間に職を与えろー!」
『大企業は不当な首切りをやめろー!』
派手なシュプレヒコールを上げ、ぞろぞろとデモ隊が大通りの片側車線を占拠していた。
先頭で音頭を取るのは派手なシャツの活動家で、強面で高級かつ時代遅れの腕時計をちらつかせているあたり職には困って無さそうだ。
続く市民も、いかにもこの平日に暇そうな、そしてあまりせっぱ詰まってなさそうな顔ぶれが揃っている。
集会自体は市に届け出があるため違法ではない。だがまさかの事態に備え、周囲にはイスルギ民警の警備員や巡査員たちが動員され、デモ隊の動きを監視していた。
中にはビルの三階に背が届きそうな黄色いロボットの姿もあり、その足下ではミツルが辟易した顔で立っていた。
「だったらここじゃなくて内地に戻ったらいい」
ミツルの超小声のつぶやきも、今日は一段と小さく本人にしか聞き取れない。
この集会は特に刺激しないようにと、警備部からお達しが飛んでいるせいだ。
先頭の男からもわかるように、このデモの主催者は〈人道会〉のシンパだ。
彼の団体は表向き〈反エージェント団体〉なる呼称で知られているが、その実、由緒正しい〈指定暴力団〉にして「ヤ」のつく自営業である。
この抗議行動にしても、不正な職業斡旋で食べている彼らの示威行為に他ならない。わざわざ日本列島よりもエージェント労働が普及しているイスルギに乗り込んでくるあたりが、一層その本質を浮き彫りにしていた。
『本当ですぅ。人間は時々、非論理的な事をするのですねぇ』
ミツルのインカムに、仁王立ちするドルフィンからの相づちが打たれる。
耳ざといにもほどがある。ヒトミに苦笑しながら、ミツルは暇つぶしがてら彼女のおしゃべりに付き合った。
「効率演算とか条件演算とか、生モノの脳味噌にはちょっと荷が重いんだよ。それに彼らを突き動かしてるのは、実利とかじゃなくて欲求だったりもするんだ」
『欲求ですかぁ。それはぁ、まだ理解できませんねぇ』
「……ヒトミ、嘘をつくなよ」
『ばれましたかぁ、てへへぇ。とはいえこんな行動にいたる欲求は、私にはわかりませんよぉ』
「そうだな。さておしゃべりはこのくらいだ。監視に戻ってくれ」
『はい、ティーチャ』
なんの気ない会話であったが、ミツルは密かに困ったもんだと頭に手を添える。
ドルフィンバードの頭脳たるヒトミ。ミドルボブで一見ポヤンとした彼女は、その外見や発言に似合わず鋭く深い論理解析能力を備えている。
他の二人より頭の巡りがいい彼女ゆえの会話遊びだろうが、ミツルには気がかりな事がひとつ。
――事実を誇張するようになったか。
人工知能の論理尺度、通称ワットマンスケールの上位段階にはそれぞれ異なった通称がある。
レベルセブンは自律の壁。
レベルエイトなら自我の壁。
レベルナインには欲求の壁。
そして最上位のレベルテンには、一転して不穏な名がついていた。
それが〈嘘の壁〉だ。
今のヒトミのような軽微なものならいいが、このレベルテンで予言されているのはそんな生やさしいものではない。
人間に対しての嘘。つまり人工知能が人間を騙すようになるという予言だ。
公式にはレベルエイトすらいないのだから、究極の到達点にも確たる実証があるわけではない。しかし研究者の間でまことしやかに囁かれているのも事実で、非公式なレベルナイン級を四人も預かるミツルとしては気が気ではない。
――さっき止めなかったら、ヒトミは俺にどう言うつもりだったんだろうか。
いっそ彼女に聞いてみたいが、もし嘘を重ねられてはと思うと彼は踏み切れなかった。
『ティーチャ、デモ先頭から50メートルで街宣車が違法駐車しました』
上空を旋回するアオイからの通信に、彼は逡巡をやめて仕事に戻る。
「わかったサクラに撤去を――ってそうか、あいつ今日は休みだ」
旅客機不時着事件からはすでに一週間が経過しているが、ハウンドの修理はまだ終わっていない。頼夏精密によると強度を極力落とさないように矯正するには三週間を要するとの事だ。
なのでサクラはメーテルとハンガーでお留守番。ここにいるのはスワローとドルフィンのみ。
「ドルフィンは……ちょっとなぁ」
『やってもいいですよぉ。ただ車の無事は保証できませんけどぉ』
本人申告が当を得る。
ドルフィンのアームは油圧制御の三本爪。水中ならともかく陸上での精密作業は難しい。強度のない物体を掴むには徹底的に向いていない。
「しょうがない。アオイ、降りてきてくれ」
『イェス・ティーチャ』
指示を出しつつ、ミツルはデモ隊の横を現場へと走った。
件の黒塗り街宣ワゴンは中央分離帯付近に停車し、ルーフの街宣台ではその筋っぽいパンチパーマ男がメガホン片手に大声を張り上げる。
交通管制システムが停車を許さないはずだが、どうも管制を勝手に切っているようだ。
もちろん正当な理由のない管制離脱は違反である。もと交通課勤務として、ミツルは撤去が必要な理由に山と当たりを付けた。
「まず止まってるだけでダウトだ。アオイ、持ち上げて違反車置き場へご案内しろ」
『しかしティーチャ、乗員はどうしましょうか』
彼女のためらいを反映してか、スワローは周囲のビルより高いところをクルリと旋回する。
「構わん、怪我しそうになったら飛び降りるさ。ゆっくり持ち上げてやれ」
アオイが訊ねてミツルが判断。この流れこそ人工知能と人間の関係だ。
判断と責任は人間にある。だから人間が万一の場合まで覚悟し、そして相手が容易く命を張らないと判断する。
――そうさ、十番目の壁を越えたなら、おそらく俺など必要としない。
彼はさっきの疑念に自答し、降りてくるスワローバードに目をやった。
蒼い鳥は巨人となって中央分離帯めがけてゆっくりと降下。
その熱排気にプラカードを持って行かれたデモ関係者がミツルに食ってかかるが、彼は平然と言い放つ。
「監視ヘリやドローンの接近は、届け出の際に注意を受けたでしょう」
目前にスワローが着地。アオイの声が街宣車を打つ。
『イスルギの市交通条例に従い、今からその車両を撤去します。乗員の方は車のスイッチを切って速やかに降車してください』
「うるせー公僕! イスルギの犬はすっこんでろ!」
車の男の罵声を皮切りに周囲から抗議の声が上がり、スワローは屈んで動きを止める。
偏光モードの操縦席の様子はわからないが、ミツルにはスワローの鋭角の頭部が、恫喝するようにアゴを上げたように感じた。
おもむろにスワローは繊細な五指を街宣車の下に差し入れる。
怯えた運転手がドアを開けて逃げ出すが、街宣台の男はタイミングを逸したのか、はたまた高をくくってか、台に立って降りようとしない。
スワローは数秒待ち、そして一気にダンボール箱よろしくワゴン車を中に持ち上げた。
「ゆっくりだと言っただろう! 怪我でも負わせたら」
『問題ありません。私には全てわかっています』
慌てて台にしがみついた男をスワローが威圧的に見下ろす。
男が腰を抜かして車の端に寄った瞬間、彼女はまた一気に全身をたわめた。バランスを崩して男が転落する。しかし車はすでに地面に近く、さらには足場の微妙な傾きを受けて男の姿勢は一回転。
結局、彼は両足から綺麗に着地しストンと尻餅をつく。
『この通りです。ではティーチャ、行ってきます』
車を持ち上げ離陸する彼女の言葉には、微かにイタズラの気配が宿っていた。
だが冷や汗を掻いたミツルは、遠ざかるスワローに向けて届かぬつぶやきを投げる。
「……おいおい、せっかく納得しかけたのにこれはないぜ」
確かに彼女には全てわかっていたのだろう。人にも車にも傷一つ負わせていない。だが茶目っ気というにはその芸当は危険すぎる。
そのときだった。
背中に乾いた拍手が浴びせられ、ミツルは何事かと後ろを向く。
彼は思わず身を固くした。
中央分離帯の生け垣から出てきた、長身で顔立ちの良い美女。薄い栗毛と鳶色の瞳はイスルギなら珍しくないが、その服装だけでミツルを緊張させるに充分だ。
――白軍服に緑の縁取り。この女…………国防陸軍か!
女性はフッと笑って拍手を止めると、彼に寄って握手を求めた。
「なかなか面白い見世物でしたわ。あれがあなた方の誇る、救命重機ですのね」
「あなたは?」
「ああ、失礼」
女性は軍服の内ポケットから名刺を取り出し、折り目正しくもどこか押しつけるようにミツルに差し出した。
「初めまして大幸充巡査員。私は国防陸軍、準陸尉技官の入谷・カサンドラと申しますわ」
贅沢にもパルプ紙の名刺が、ミツルが内ポケットを探して見つけた社用の安物ラミネートカードと交換される。
相手は少し顔をしかめ、それをポケットに無造作に突っ込んだ。
「準陸尉さん、ですか……いったい」
「キャシーで結構ですわ。本日は視察に参りました」
皆まで言わせず、尖った声と視線がミツルを正面から貫いた。