4.内開きの扉
縦長な闇に一筋の光が差す。
それは軋る音と共に幅を増し、ついには人の通れる大きさまで開くと、光の中に細身のシルエットを現した。
「チッ、また外したか」
爽やかな声を不満に曇らせ、舌打ちも露わに閉め切られたコンテナに足を踏み入れるスーツ姿の若い女性。
彼女の名は鞠井恵梨香。イスルギ民警に属し〈捜査特別委託員〉の肩書きを与えられた、平たく言えば刑事だ。
「このコンテナで最後ですが、刑事さん?」
彼女の横から港湾作業員の若者がコンテナをのぞき込み、だが「なにもねえなあ」と首をひねった。
エリカは懐からペンライトを取り出して床に向ける。
「……いや、あるぜ」
男勝りの口調に眉をひそめつつ、作業員は鉄敷きの床に目を落とした。
彼女が照らす所には、幅40センチ程度のタイヤ痕が二メートルほどの間隔を開け、コンテナの壁と並行に伸びていた。
「またこれだ。これで四件目、いったい何だこいつは?」
エリカは手帳型の着用端末に何枚かの写真を出して考え込む。
いずれもタイヤの跡で、それもすべてコンテナの床に刻まれたものだ。
「フォークリフトでもないですね」
「んな事は知ってるよ。って済まない。ちょっと一人にしてくれないか?」
「あ、じゃ、帰りに声かけてくださいよ」
作業員がコンテナから出て行くのを見届け、彼女は端末で捜査資料を開く。
彼女が現在追っている案件は、一件のタレ込みから始まった。
港湾関係者を名乗る匿名の通報で、内容は密輸についてだった。
イスルギは日本から千キロも離れた公海に浮かんでいる。
その立地は東アジアの物流にとって非常に都合が良く、またメガフロートなので浚渫が不要という事もあって、コンテナ取扱量は年々増加の一途をたどっている。
それは正規の貨物のみならず、非合法のものについても同じ事が言える。
イスルギ海運のコンテナターミナルには毎日膨大な量のコンテナが出入りしているが、その中には不正な貨物も少なからず存在していた。
主立った密輸については海運の保安チームと税関、そして管理エージェントが目を光らせているが、その中でエリカたち〈特捜補〉が呼ばれるような案件は二つ。
一つは麻薬、そしてもう一つが武器だ。
「イスルギはテロに荷担しません、ってね」
匿名の通報はコンテナのナンバーを伝え、片言の日本語で「武器が入っている」と告げて切れた。
エリカを含めた特捜補第二班が急行したが、件のコンテナに残っていたのは謎のタイヤ痕だけ。通報の主は音声記録から外国コンテナ船の船員だと特定できたが、奇妙な事に通報の際にはすでにイスルギから二千キロも離れた海上にいる事になっていた。
とにかく謎また謎の状態で、特捜補はエリカと数人にウラ取りを指示し、そしてつい先日、彼女はある法則を見つけて、以降コンテナを次から次へと調べ歩いて来た。
「……あった」
コンテナの端まで歩いた彼女は、上を見あげて苦いため息をつく。
物自体はなんの変哲もない大型の蝶番。それがコンテナの後部扉に付いている。
だが取り付けが妙で、後部扉の上に内開きになるようにセットされていた。
下を見れば、フックで引っ張って固定できるように複数の丸カンが、やはり内側に打たれている。
つまり、この扉は内開きに改造されているのだ。
コンテナは普通、内容物をギリギリまで詰め込むために外開き、もしくはスライドするように扉を付ける。
だがこのコンテナは逆だ。これでは満載の時に後部扉が使えない。
しかしエリカはすでにピンと来ていた。この役立たずの扉が役立つ唯一の条件に。
「こういうコンテナを尻合わせに置けば、カメラに晒さず中身を移動できるって寸法だ。どこの誰にせよ、せこい事考えやがるぜ」
人工知能による省力化の影響で警備員の数は少ない。
代わりに監視カメラはやたらに多いこの埠頭だが、それは裏を返せばカメラさえ誤魔化せればよいと言う事。人の出入りが記録されてないのは不可解だが、少なくとも武器と思わしき荷物が写る事は避けられる。
これに気づいたせいで、エリカはコンテナに接して置かれたコンテナをハシゴする羽目になったのだ。だのに相手ときたら念入りに移動を続けているらしく、空振りを含めれば調べたコンテナはこれで二十個目となる。
『登録は全てタイの貿易会社だが、複数社にまたがってるせいで特定ができん』
同僚との会話記録に舌打ちし、彼女は側面扉へ引き返した。
事務が苦手な彼女としては、このコンテナを元にまた移動先をピックアップすると考えただけで目まいがしてくる。
そのとき、彼女の端末をコールの着信が揺らした。
表示には〈クソ班長〉とあり、彼女は憤懣やるかたない表情で左耳のイヤフォンを叩く。
「はい鞠井です」
『あ、マリーちゃん、オレオレ』
「……班長、切っていいっすか? あと俺の名字マリーじゃなくてマリイなんで」
『ちょ、待ってよマリーちゃん。用事があるんだって、緊急の用事』
彼女は軽い調子で無理難題をふっかけてくるこの班長が大の苦手だ。
しかし業務連絡ならと仕方なく、彼女は舌を出して先を促す。
『えっとねマリーちゃん。全日際の206便がテロっぽいって話、さっきあったじゃん。でね、カナコギのやつが現場行って写真取ったんだけど、マリーちゃんに見て欲しいのよ』
「は? いや班長、俺こっちがあるからやれないって言ったでしょ?」
『見るだけ見るだけ、ほらマリーちゃん半年前のロワゾオ・ノワール事件でメイン張ったでしょ?
その押収品と似たようなのがあったんで、マリーちゃんにも確取っときたいからさ、見るだけ、ほんの五秒、ね?』
「五秒ですね。はい一、二、三……」
『ちょ、マリーちゃんひどいわぁ』
班長の狼狽と共に端末にイメージが着信。
展開したエリカは投げやりな態度を一変させる。
「……班長、これって」
『ね、似てるでしょ? 爆発しちゃってるけど、外装部分とか……』
「俺、心当たりあるんでちょっと突っ込んできます!」
『いやでもマリーちゃんそっちは――』
通話を一方的に切り、エリカは自分のデータベースから別のイメージを出し、それを今のものと見比べる。
直径40センチほどの黒い球体。方や無傷、方や内側から爆ぜて粉々だが、表面に付いたカメラアイや、巻かれた胃カメラを思わせる黒いチューブなどはほぼ同じ――。
「…………ハナ、てんめぇ」
爽やかな茶の短髪の下で、涼しい瞳が肉食動物の輝きを見せた。
彼女はコンテナの壁を蹴って八つ当たりすると、雄叫びを上げて何処へと走り去っていった。