29.機械仕掛けのイカロス
国防を謳った組織にテロリストが入りこみ、その機材を強奪。
一部では〈グレイバード・ラヴィッシュド〉と呼ばれたその事件は、死者が出なかった事を幸いに詳細は伏せられた。
だが事件が与えた衝撃はイスルギと国防軍双方に広く、そして深く影響を及ぼした。
国防軍ではプロジェクトの統括責任者であった入谷宗貞陸将がプロジェクト推進派と共に更迭され、その娘でプロジェクト主任であったカサンドラ入谷も、事件終息への貢献を勘案されてすら重い処分を受けた。
もとより税金の無駄遣いという意見のあったプロジェクトはこれで完全に命脈を絶たれ、今度こそ凍結ではなく完全破棄されてしまった。
これにより技術コンペティション事態が「無かった事に」され、重機係は敗北こそ喫したが重機を接収される事はなかった。
まさにペッパーの言っていたとおり「しかしあなた方には幸運かも」というわけだ。
そう、幸運というなら話はそれだけに留まらない。
プロジェクトの消滅を受けて〈F.L.A.M.E.〉関連の技術資料は条件付きでイスルギ・グループへ譲渡され、重機係は念願のフレーム建造技術をまんまと手中に収めた。
プロジェクトに協力していたイスルギ重工も予算回収のために重機係に鞍替えし、四年にわたった広報三課の雌伏の時代は、ついに終わりを告げたのである。
***
二〇六三年四月二十六日、夕刻。
久しぶりの緊急出動に沸いた午前中はあっという間に過ぎ、重機係のハンガーはいつも通りの緩やかな喧噪の中にある。
「ドルフィンの洗浄終わりました班長!」
「よし、これでようやく里帰りの準備ができたな」
ツカサの報告に「骨が折れるこったぜ」と額の汗をぬぐうアキヒロ班長。
彼らが見上げる架台では船舶火災の救助から戻った三機が整備を受けている。
まだススや重油の汚れが目立つスワローとハウンドとは対照的に、ドルフィンは新品同様に輝いていた。
「やっこさんたちの到着はいつだって?」
「もう三十分もないですな」
「馬鹿野郎! なら暢気に報告してねえで迎え入れ準備を手伝え!」
班長のにドヤしつけられあわわと走りだすツカサ。他の班員たちも慌ただしく動き回る。
そんな技術班の様子をキャットウォークから見下ろしつつ、ミツルとレンはファイル型端末である工程への最終確認を行っていた。
「制御パッケージはこんなもんか。機能のわりにコンパクトに仕上がったな」
「念願の第二世代だからね。補助プロセッサも良いのが入ってるから、思い切ってコードを削減してみたんだ」
処理こそ軽いが複雑に絡んだ重機制御プロトコルを見て、ミツルは彼女の肩を抱くと頭を寄せてそっとつぶやく。
「レンは凄いな。俺なんてまだまだだ」
「またそうやって私を褒めて、君には自分を下に見て欲しくないんだけどな」
「悪ぃ、クセだ」
さりげなく頬にキス。
婚約はしたものの、のっけから忙しい毎日でまだ結婚の日取りすら決まっていない二人だった。
「来たよー!」
と、ハンガーの入り口からサクラがくるくるカールの髪をわっさわさと振って駆け込んでくる。彼女は技術班にひとしきりふれ回るとキャットウォークを駆け上がり、ミツルとレンに飛びついてきた。
「こら落ちる! やめんか!」
「待ちきれなかったのか?」
「そーだよ。だってずっと待ってたんだし。ね、格好良くなってるんでしょ?」
――娘というより息子だなこりゃ。
お転婆を通り越してやんちゃに育っていくサクラに、ミツルは軽くため息を吐いた。
そこへサクラの声に呼ばれたアオイたちやハナが合流し、そして博物館の赤ドアを開けてぞろぞろとオフィスメンバーたちまで姿を現す。
「皆さん野次馬ですか?」
「ま、そういわないでミツル君。みんな待ってたんだから」
どう考えても課員たちを引っ張ってきた風情のトクガワ課長が、センスを片手に呵々と笑った。
「来たッスよ。キャリアまで新品スねぇ」
ハンガーにしずしずと入ってくる二台の新型キャリアトラック。
白い覆いを掛けられた荷物に合わせて大型化された二台は、自動運転でハンガーを半ばまで進み、そこから技術班の手で三機の架台に横付けされる。
そこでアウトリガーが展開されるや、キャリアトラックの荷台は架台へと変形していった。
「遠出の時に積み替える手間が減るね。これだけ使えるなら他の分も発注しようかな」
「課長、よく予算続きますね」
「はっはっは。いいスポンサー捕まえちゃったからね」
「早く覆いを取ってよ。みんな見たがってるのよ」
ミツルがトクガワに煙に巻かれた側で、ユカリが技術班に野次を飛ばす。
下でミナが手を振り、手前の台の覆いをヒロコと共に掴んだ。各部のワイヤロックが解除されフリーになったそれを彼女たちが走りながらめくる。
徐々に露わになっていくのは、縦横が5メートル近い大きさの、白地に黒のライン塗装の全地形対応車両。
四輪のタイヤは全てハウンドと同規格のオムニトラクションドライブ。
両側の駆動用ブロックは優美な流線型のカウルの下に収まり、中央のブロックには滑らかだが幅の広い操縦席。
後部には一風変わった、六角柱を組み合わせた形のコンテナが収まっている。
「かっこいー!」「ほぉ、これはまた」「無駄がなくなりましたねぇ」
第一印象にキャットウォークの面々が沸く。
下で班長が手を上げて合図。
「架台の連係を確かめるぞ。電源は繋いだか? よし、アクティベイター変形始め!」
新型架台に備わった六腕マニュピレータが白と黒の車体を持ち上げる。
すると新型車両は電磁流体の鋭い流動音を何重にも奏で、その姿を一気に崩した。
タイヤハウジングは四輪をヒジやヒザとして俊脚を露わにし、操縦席は持ち上がって背面にスライド。コンテナがそれをカバーし、後部からは細くしなやかなスタビライザーが持ち上がる。
そして最後に、多面グラスカバーで構成されたスマートなセンサー部が現れた。
「〈パンサーバード〉アクティベイター良し! 架台も異常ありません!」
ツカサの報告と共に、再び白の台座に置かれたその姿はスマートな四足獣。
キャットウォークはやんややんやの大騒ぎだ。
「あれがパンサーバード……新しい指揮車両」
「オオカミよりはずいぶんマシになっただろう?」
ニヤリとするレンに、ミツルは声もなくうなずいた。
以前の改造パトカーが残骸に成り果てたあと、ボックス車を臨時の指揮車両として使ってきたがそれも今日限りだ。
そして彼女の言葉でもわかるように、この車両の骨格はあの〈グレイウルフ〉のものを引き継いでいる。
プロジェクトが解散して行き場を失った機材を、重機係が三機のフレームのついでに引き取り改修したのだ。もちろん修理のついでにとんでもない改造が施されているのだが、有人機という基本性質は変わっていない。
「ミツルくん、明日からこの子の面倒は任せたよ」
「頑張って乗りこなしてみせるよ、レン」
そう、この機体のハンドルは彼に委ねられていた。レンの作った第二世代制御プロトコルは、機体の有人制御すら視野に入れているのだ。
興奮も収まらぬうちから、野次馬の中に「もう一機、もう一機」というコールが起きる。下の班長が「やかましいわ!」と怒鳴るが、しかし顔はまんざらでも無さそうだ。
そして技術班が次の架台の覆いを六人で持ち、一斉に取り払えば……。
現れたのは鋭角のシルエット。
白地に紫と黒のライン塗装。
幅を取るダブルデルタ翼は折りたたまれているが、その高速性は鋭角の操縦席からしっかりと伝わってくる。
「ティーチャ、これが私の、私の身体なんですね!?」
メーテルが破顔してミツルに横から抱きつく。
その風貌が常より大人びて見えるのは気のせいではない。
「そうだ、これが〈イーグルバード〉。今日からこれがお前の重機だ」
「嬉しいです! ティーチャ、マスター、それにレン係長。試しに乗っても良いですか!?」
喜びを抑えきれない金髪碧眼の少女に、並み居る現場責任者は班長の顔を探る。キツネ顔の技術者は面倒そうに、しかし満足げにうなずいた。
「出られるぜ。飛行許可は出てないから低空で、海の上でやれよ嬢ちゃん」
「ありがとうございます!」
言うや否や、メーテルはキャットウォークの手すりを蹴って新たな愛機の目の前に飛び降りる。
彼女の身体は三人娘に先行し、イーグルバードに合わせて第二世代へと改修済み。人間を超える身体性能を支えるその骨格には、人体サイズまで小型化された〈F.L.A.M.E.〉が備わっている。
彼女がコフィンに収まると直ちに架台から燃料ポンプが接続された。
「もう無茶苦茶だな、一気にどんだけテストする気やら。おめえら、嬢ちゃんお願いだ。本番並みの気合いを見せな!」
『アイサー!』
『メーテル、オンボード・コンプリートです! 続けてモード・アクティベイター!』
イーグルの主機、二基のPJDに火が入り、パンサーの時と同じ架台の上で変形を開始。
イーグルバードは相棒と同じく回収された〈グレイバード〉をその原型としているが、改修の度合いでは遙かに上回っている。
主翼を翼として展開する点は共通だが、乗員保護の必要がないだけ細身に形状が絞られ、胴内に収納された機首の代わりに精悍な頭部が現れる。
やや前進翼形状の翼を広げ、しっかりと二本の脚で立つ半禽半人の巨人。
それを乗せたキャリア架台がヘリポートへのリフトに接続され、天に開いた空へと彼女を押し上げていく。
ミツルたちがハンガーの外に駆け出し、ふり返れば、夕日に照らされたイーグルバードはさながらイカロスの彫像といったところか。
『皆さん、ちょっと行ってきます』
「日が落ちる前には帰ってこいよ」
『はい!』
機械仕掛けのイカロスは胸に空気を深々と吸い込み、金属の翼に揺らめく陽炎を纏わせる。
分かたれたジェット噴流が彼女から重量を奪い、半人の大鷲は海風にふわりと離陸した。
見上げる課員たちの他に、博物館の公園に遊びに来ていた子供たちからも歓声が上がった。頭上を白と紫の大天使がフライパスし、沈み行く太陽を追って海の上を滑っていく。
「ミツルくんもパンサーに試乗してみる?」
「いや俺は明日からでいいかな」
「明日から、とか言ってると、いつまで経っても君は動きそうにないなあ……ね?」
「……それもそうか。じゃ、ちょっとメーテルのお守りに行ってくる」
課員の人だかりに隠れてレンと口付けを交わし、ミツルはハンガーに向かって駆けていく。
――レンとの事も、ちゃんと取り組まないとな。
そんな自嘲は、だが新たな相棒を前に海風に吹き散らされてしまうのであった。
***
遠く離れた真夜中の海上で、夕暮れに飛ぶイカロスを神の視座から眺める者がいた。彼女の髪は、芽吹いた新芽の若緑色に夜風になびく。
「面白いものが見られたわね……」
それに答えるのは、脳裏をくすぐる楽しげな笑い声。
「あなたがそんなに子供だとは知らなかったわ。でも〈アネクラ〉、あなたが彼らに入れ込むなら、確かな理由があるんでしょう?」
脳裏の声が一瞬で潜まり、謎をかけるような低音の囁きがこぼれる。
「そう、まだ星詠みは話せないのね。でもいずれわかるでしょうから、今はあなたの遊びに付き合ってあげる」
キンカの髪が色を失い洋上の風に同化する。
彼女は深蒼の船縁に立つと手すり越しに海原の向こうへ、海と繋がる全てに言葉を投げるのだった。
「世界に、幸せな夢と安らかな眠りがありますように」
グレイバード・ラヴィッシュド
-機動広報三課・救命重機係2-
The END.