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28.ハッピー・バースディ


 〈アイオライト〉の誇る大水槽を望む階段式多層構造レストラン。

 ロイヤルクラスの乗客にのみ許された最上階のラグジュアリフロアで、レンタルのタキシード姿がどことなく似合わないミツルが緊張しながら相手を待っていた。


 ――いやいや、俺が取ったチケットはそんなに高くないぞ。


 全てはキンカの差し金だった。

 空いてたとか言って彼とレンが案内されたスイートももちろんロイヤルクラス。宿泊代だけで本来彼が取ったチケットとは桁が一つ違う。

 いくら彼女がイスルギと能力のみならず血筋でまで繋がってるからといって、これはさすがにやりすぎでは無かろうか。そう思わずにはいられない彼だった。


 ゆったりと一流ピアニストの生演奏が流れる中、彼は二人席の片側でガチガチに固まる。


 ちなみに同じフロアにはハナと四人娘のテーブルもあるのだが、彼とは何重もの青いレース織りカーテンで仕切られた反対側のサイドにある。

 まったく気の利く事といったら、彼とは雲泥の、いや月とスッポンほどにも開きがあるものだ。


「ま、待たせたな」


「いや大丈ぶっ――…………レン、だよな?」


 男装のウェイトレスにエスコートされテーブルに現れたのは、豪華な結い髪を銀糸のクリスピンでシニョンにした、とても愛らしく、それでいて活発そうな美少女。

 身に纏うショートドレスは浴衣のデザインを織り込んだ薄紫の逸品。上品ながらも大胆なカッティングで、深く切れ込んだ襟ぐりからは白く滑らかな肌と鎖骨のラインが覗き、肩のラインも開いて涼しそうだ。

 

 レンといえば常時ウェスタンルックで、デカいゴーグル付けて、おかっぱで。そんなイメージしか持たないミツルには、彼女の大変身は破壊力が大きすぎた。


「わ、私はドレスだけ貸してくれといったんだ。だがキンカさんが、特別な席には特別な装いをといって……いろいろ人生初の体験をさせてもらった。エステとか、プロのパーティーメイクとか……」


 向かいの椅子に着き、テーブルに指を遊ばせて恥じらう彼女の姿に、ミツルは心臓を木っ端微塵にされるような魅了の発作に襲われる。


「よかったじゃ、ないか。いや俺もヘアセットとか受けたんだよ…………すげえな、ロイヤルクラス」


「冗談抜きで王侯の待遇だね。ところでミツル君、似合ってる、かな?」


 ミツルの、主観では32ビートに相当する高速の首肯に、彼女は頬を赤らめてうつむく。

 もうどこから見ても深窓の令嬢にしか見えないし、ついでにそんな高速でも崩れない彼のヘアメイクも驚異的だ。

 やはり恐るべしロイヤルクラス。


 まるで初めて彼女の部屋に泊まった時のように、二人の間に気まずい沈黙が満ちる。

 だが今日は違う。どちらともなく、ふふふ、くつくつ、と微かな笑いが起こり、やがて二人して暖笑を交換しあう。


「本当に凄い誕生日になってしまったな。ありがとうミツルくん」


「いやいや、俺だけの努力じゃこうはならねえよ。あいつらの、みんなのおかげさ」


 ミツルの当初の計画だって清水ダイブものの努力で成されたわけだが、一度水に流れたこの席が今こうして最上の姿で蘇ったのは、三課の仲間たちの努力のおかげだ。

 そういう意味では席に着いているのは二人でも、レンを祝うのは皆だとも言える。


「そうだな、その通りだとも」


「とはいえなんだ、ま、俺も少しは頑張ったし」


「どっちなんだよミツルくん」


「……どっちだろうな」


 再びどちらとも無く笑う二人。


 頃合いと見て静かにレースの帳をウェイターが開き、二人にシャンパンを注ぐ。と、今まで鳴っていたピアノの演奏がピタリと止まった。


 全休符にして四小節分の静寂。


 やがて始まった演奏は、誰もが知るあの曲だった。

 けして華やかではないが穏やかなアレンジに乗って切々と、生誕を祝う気持ちが金剛石の煌めきを音に与えてくれる。


「こ、れは、キンカさんか?」


「いや、これは俺だ」


 ミツルがウェイターに目配せすると、彼はリキュールカートから二つの包みを取り出す。

 一つはそのままレンの目の前に、もう一つはさりげなくミツルの手に渡して貰う。もともとこのプレゼント自体はディナーに織り込まれていた。

 本来はピアノではなく下のフロアのジャズで、プレゼントも彼が直接持ち運ぶ予定だったのだが。


「ハッピーバースディ・トゥ・ユー」


 レンの目の前の包みは、素直に彼女の生誕を祝うもの。

 サプライズの慣習に従ってレンが包みを開けば、中から現れたのは瀟洒だが気取らないデザインの腕時計。

 驚くレンに、ミツルは自分の左手首、いつもなら着用端末ウェアブレットをつけている部分を示して見せた。


「ペアウォッチなのか」


「お互い必要はないけどな。ただ、俺たちには時間・・が必要だし、俺たちを繋げたのも時間だった。そう思ったら自然とこれになったんだ。気に入ってもらえるかな?」


「もちろんだ、大事にさせてもらう」


 そう言って時計を頬に当てて微笑んだ彼女に、彼はピアノの盛り上がりに合わせてその隣に跪いた。


「ミツルくん?」


「そしてハッピーバースディ・ディア・マイ・ラブ」


 彼が包みから取り出し、レンに献じたのは空色の小箱。

 赤、青、黄、紫の四色のリボンがあしらわれたそれに、その意味を悟った彼女はただほろりと、一筋の涙をこぼした。


「ちょ、レン大丈夫か?」


「ああ、大丈夫。大丈夫だとも……ただ私がこんなに幸福になって良いのか、ちょっと自信を持てそうにない――きゃっ!」


 ミツルは小箱をレンの手に預け、それごと彼女を両の腕でかき抱いた。


「お前は幸せになっていい、そんなの当たり前だ。大丈夫、俺は何があってもお前を見捨てたり怖がったりしない。

 Every real story is a never ending story.

 手紙、読んだよ。お前の物語だってきっと、きっと俺がハッピーなものにしてみせる。だから、受け取ってくれないか?」


 ミツルへのバレンタインデープレゼント。

 あの本の緋絹の表紙の下に、その告白は潜んでいた。

 英語で書かれたそれを読み解いたミツルが、絶句してしまったレンの告白。


「お前が生まれてこない方がよかったとか、誰もそんな事思っちゃいない。ゲンジさんだってそうだったろう? 課のみんなも一緒だし俺ももちろんそうだ。それにお前がいなかったら、あの娘たちだって生まれてこなかった」


「ミツルくん、私は君の言葉を、信じようと思う。答えは……Yes だ」


 彼を見上げたレンは涙に濡れていたが、確かに笑ってくれていた。


「ありがとう」


「こちらこそ、生まれてくれてありがとう」


 二人が口づけたその瞬間、青いカーテンが開かれる。

 そこに並んだ四人の娘にレンはおろか、ミツルですら驚きで目を丸くした。

 このサプライズはさすがに彼のものではない。


「レンちゃんお誕生日おめでとー! ってティーチャなにしてんの!?」


「こらこらぁ、そんなに驚いたふりをしないんですよぉ。予測はすでにできてましたよねぇ」


「そうです。ここは拍手でお二人を祝福する場面ですよ」


「いやアオイさん、ヒトミさん。たぶんサクラさんは本当に気付いてなかったものと……」


 説明不要の四者四様。

 四色のドレスもフワフワと彼らを取り巻く娘たちに、レンも今日ばかりは笑顔で応じる。

 カーテンの控え袖から出てきた純白チャイナドレスのハナが、やや視線こそ冷たいものの暖かい拍手を二人に送った。


「サプライズ。たしか三課の伝統だったかしら」


「いやこれはおめえの趣味の方だろ。心臓破れるかと思ったぞ」


「あら、振った男に優しくする謂われなんて無いわよ。それにミツルくんだから、これでも少しは手加減したもの」


 悪びれる様子のないハナに、レンが遠慮がちに訊ねる。


「……いいのか?」


「駄目、なんて言う権利が私にあるかしら?

 安心して、私の愛は一方通行なの。あなたとミツルくんがどうなっても私の愛には関係がない。それに、私もあなたが生まれた事を寿いであげたい気分なのよ。今日は」


 ハナがスッとレンを抱きしめ、何かを耳元で囁く。

 ミツルにその内容は伝わらなかったが、レンがクスリと笑った気配や、四人娘が彼に向けるなんだか居心地の悪い視線で、おおよその察しは付いた。


 ――俺の弱みとか心当たりがありすぎる。


 まあ、一方的にレンをどうこうするような恋愛ではなかったし、この先も彼女にそんな事をするつもりはない。

 元カノが婚約者に彼を脅すネタを提供するぐらいはドンと来い、だ。


 彼が決めた覚悟をふり返ったレンのイタズラな顔が早速ぐらつかせたが、幸いキンカが彼らを様子見に現れ、レンの化粧が崩れたと知るや化粧室に引っ張っていった。

 儚げな印象や謎めいた言動のわりにわりとアクティブな人物らしい。


 ミツルが目を転じれば、五階建てのビルに匹敵する大水槽でジンベイザメがふいっと顔を背けた。

 爆発をご所望なのかもしれないが、残念、今のところ彼にその予定はない。

 彼がある日掴んだ幸せは、まだ今日も健在なのだ。


 青い鳥の化身の娘たちに囲まれ、愛を受け止め、そして受け止めてもらえて。

 心配は少なく、喜びは多く。前途は開け、災いは水底へと消えて。


 青い海の上で、彼は今日も幸福しあわせだった。


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