27.我ら救命重機!
わずか十数メートルの水深が仲間たちの会話の妨げとなる。
機械として生まれたヒトミは時々疑問に思う。
なぜ自分たちの声、電波やレーザーと相性の悪いこの液体を、自分は好ましく感じるのだろう、と。
ドルフィンバード。イルカの銘を持つ救命重機は巨大客船と水中で並走しつつ、その横っ腹に開きつつある亀裂に素速くセンサーを向けた。
横向きに走る亀裂の幅はわずか数ミリ、長さも数メートル程度で、600メートルという船の全長からすればひっかき傷のようにも感じられる。
だがヒトミは知っていた。これは深刻な損傷に発展しかねないと。
だいたい船にせよ飛行機にせよ、圧力や流体に晒される乗り物はその強度を総体としての構造に頼っている。繋がるべき板や肋材が全て繋がっていて初めて、それらは圧力や重量に耐えられるのだ。
ヒトミがスキャンした結果では、このわずかな傷の下で肋材が四本も破損しており、それはじわじわと船全体の強度を蝕んで歪みを増大させている。
あと数分も経たずに内壁が破断して浸水が始まり、沈没せずとも〈アイオライト〉は航行に支障を来すだろう。
「ではぁ、治療と参りましょうかぁ」
誰に聞かせるでもなく甘い響きを捨て、彼女はもう一つの身体に新たな姿への変化を命じた。
乙女のための腕と鎧武者のための腕。
四本の強力なアームを展開し、姿勢制御のためにセンターナセルを直下に向けて倒立させる。
モード・フォーアームズ。
再設計を経てもなお残ったこの形態が、まさかこんなに早く役に立つとは。
ヒトミは動作に集中しながらも、思考のどこかで飛躍を止めなかった。
「強度再計算完了。ゲル充填箇所をマークですぅ」
小さなパワーアームで自身を船底に固定しつつ、彼女はブルーバードの際には使わなかった装備、対水圧硬化ゲルピストルを備えた大腕を慎重に亀裂へと向けた。
作業自体に派手なところはない。
破損した肋材に変わって充分な強度を得られるよう内部にゲルを送り込み、慎重に傷を塞げば終了だ。
人間の潜水士なら一時間はかかる作業も、彼女にとってはわずか数分の緊張で終わる。
水圧でめくれてしまいそうな鋼板を保持し、ヒトミはゲルピストルをゆっくりと操った。
彼女の不格好さを不思議に思ったのか、何匹かのイルカが彼女に並走し、うち一匹が自身の頭にも似た丸い操縦席をコツコツとくちばしで叩く。
「こらぁ、いたずらしちゃ駄目ですよぉ」
名前の由来となった海棲ほ乳類に苦笑しながら、彼女は作業とは別の、予備のタスクを使って周囲を見わたした。
巨大な船に関心を寄せるイルカたち。
蹴立てる波や鉄板に巻き込まれまいと逃げる小魚の群れ。
少し遠くにフォーカスを投げればまるでロケットのように海中を飛ぶマグロが見え、それを狙うサメは矢のようでありながら自在に水を跳ね回る。
――私は彼らの一部、そんな気がします。
もちろんそれは幻想であり、彼女おなじみの発想の飛躍だ。
硬い金属の身体はおろか、柔らかいガイノイド体だって無機物でできているのだから海という有機物の塊にとけ込めようはずもない。
だがそれでも、彼女はその美しさに一体になりたいという思いを抱くのだ。
「ですが私は……私たちは救命重機なのです」
今この瞬間も、彼女の使命は続いている。
船上のアオイやメーテルも、波間で彼女を待つサクラも、その使命を持って生まれ、それを願って育てられた。
水に満ちた世界にときめく心は彼女だけのものだろうが、胸に脈打つ熱い使命感は四人全てに繋がっている。
「私たちは人を助けるために生まれ、人と共に歩む者です。願わくば行く先に人々の幸せと……私たちの幸せがありますように」
会心の出来。
そう言いたくなるほど完璧に、そして短時間で損傷の修復が完了。
異形の四腕機は再び流線型の潜水艇へと戻り、自らの仕事の出来映えを眺めて惚れ惚れとなる。
そこに一匹のジンベイザメが水底から彼女を見上げ、またゆったりと沈んでいく。
まるで彼女を褒め称えるように。
「さて、皆さん心配しているでしょうからぁ、チャチャッと報告してしまいますかぁ。サクラちゃんも拾いに行かないといけませんし」
彼女は愛する蒼の世界を離れ、自分が救うべき世界へと浮上していく。
そんな風変わりな黄色の家族を、海はどこまでも蒼く深く、そして優しく包み込んでいた。
***
急転直下。あれよあれよ。あるいは一瞬の出来事。
四人娘がこなした全ての、そしてごく短時間の濃密な出来事を、ミツルは〈アイオライト〉の甲板で夕陽を浴びながらようやく理解し終えた。
擱坐同然のスワローは動かせそうになく、ガッツリ浸水したハウンドも右に同じ。ドルフィンは燃料切れだ。
輸送機は垂直離着陸できないし、そもそも〈アイオライト〉のヘリポートは三機が並べば隙間などない。
イスルギ本社が好意で貨物船を寄せてくれるらしいが、その船と〈アイオライト〉が合流するのは早くとも翌朝とのこと。三機を残すわけにもいかず、彼らは空軍の輸送機と一旦ランデブーしたヒトミの提案で、この船に降り立っていた。
ミツルが状況詳細の端末片手に事態を完全把握する頃には、三機の周囲にはちょっとした人だかりができていた。
船を救った英雄たちを一目見ようという、感謝というよりは興味本位の観光客たちの視線の先で、パイロットスーツ姿の四人娘が手を振ってファンサービスに余念がない。
そんな人だかりとは少し離れたテラスで、ミツルたち四人はビーチチェアにもたれ船員からの感謝の気持ち、主にコーヒーやドリンクの差し入れを楽しんでいた。
……言い間違いはない。四人だ。
ミツル、レン、ハナはいいとして、なぜか当然のようにキャシーがそこにいた。
「君は、輸送機の指揮をどうしたんだ?」
「イスルギまで返らせるぐらい、空軍の機長ならどうという事はありませんわ」
ジト目のレンに、ハナは持ち前の高慢さで鼻を天に向けた。
「そんなに邪魔だと思われなくとも、状況詳細を貰ったら迎えのヘリで引き上げますからご心配なく」
「そうしてくれると助かるね。君がいるとどうにも落ち着かないよ」
「何ですって?」「お、やるの?」
「やめろって二人とも」
人格の段階で相性が悪いのか、レンとキャシーがにらみ合う間にミツルが嘆息して割り込んだ。
ガルガルと猛るレンを片手で押し止め、彼はキャシーに真剣な顔を向ける。
「輸送機を貸してくれて助かった。それと、試作機を二機ともおシャカにしちまって済まなかった」
「いえ、私こそテロ犯にいいようにされてしまって、申し訳ありませんでしたわ」
「アンタもこれから大変だろうが、どうか気をつけて」
ミツルから詳細データの入ったメモリスティックを受け取り、キャシーは一瞬くしゃっと泣きそうになるが、しかし気丈に堪えて胸を張る。
「これでも国防軍人ですもの。この程度の逆境でくじけたりはしませんわ」
「そうか……ま、縁があったら、重機係ならいつでも遊びに来るといい。といってもコンペティションの判断次第でどうなるかわからんけどな」
「私から……その、私からも、口添えを、してみますわ」
例えは悪いがシノンを思わせる仕草で言葉をつっかえさせ、栗毛の彼女は夕焼けにそびえる三機の重機をはにかみながら見上げた。
「姿形はともかく、充分に素晴らしい機械じゃありません?」
「うちの自慢の娘たちだからな」
「なら、大切にするべきですわね。ちょっとの傷は名誉の負傷という事にしてくださいな」
「いやちょっとじゃないし」
いい雰囲気の所悪いけど、とレンがツッコミを飛ばしたが、キャシーは肩をすくめて三人に背を向けた。
気のせいか、ミツルはその背中から何か憑き物が落ちたような、晴れやかな匂いを感じていた。
「今日はなんて日かしらね。ね、ミツルくんもそう思わない?」
今まで黙っていたハナが、キャシーが去るなりミツルに抱きついてくる。
「は? 何の話だよ」
「ペッパーを取り逃がした上に、危うくメーテルまで木っ端微塵にするところだったのよ。今日の私はちょっとあり得ないぐらい傷心なの。ミツルくんに慰めて欲しいわね」
目を三角に尖らせたレンが、ミツルからハナを引きはがし牙を剥く。
「却下だハナ! 役立たずは役立たずらしく一人で反省してればいいだろう」
「放任主義で出番のない係長には言われたくないわ」
「んだコラァ!」
おなじみのキャットファイトに呆れつつ両者の処理に手を焼くミツル。
その肩を後ろから四人娘たちが抱きよせる。顔をのぞき込んできたサクラに、彼はちょっとドキッとしながら質問した。
「ファンサービスは終了か?」
「もうそろそろ日暮れだしね。ティーチャは一日お疲れさま」
「お疲れさんはお前らの方だよ。四人とも本当によく頑張った」
肩越しのミツルのねぎらいに、メーテルとアオイが顔を見合わせて笑った。
「そう言っていただけてありがとうございますティーチャ」
「あわやという場面もありましたが、終わってみれば我ながら良くできたと思います。ティーチャのフォローのおかげでしょう」
「いやいや、最後の方とか正直何が起こってるかすらわからなかったぞ。よくまあ消化剤使おうなんて思ったもんだ」
「それは私の発案ですよぉ。ティーチャだってサクラちゃん助けるために危険な事したんですから殊勲賞ものですぅ」
ショートボブを揺らしてヒトミが微笑み、ミツルの頬をツンツンとつついてくる。
直前でレンとキャシーを降車させたとはいえ、今考えればよくもまあ特攻なんてやったものだ。まかり間違えば機関銃で撃たれていたし、そうなればミツルは今ごろ棺桶の中だったろう。
「もう懲りたよ。指揮車両も潰しちまったし……明日課長になんて言おうかなぁ」
「その課長だけど、ティーチャにコール入ってない?」
サクラが彼に左手の着用端末を示す。
慌てて、しかも顔を青くしてそれに出たミツルは、しかし映された柔和な顔に拍子抜けする。
『ミツル君お疲れさま。聞いたよお、指揮車両でランナバウトに突っ込んだんだって? もっと命は大切にしないと労災じゃ済まなくなっちゃうからね』
「すんませんでした」
『ま、その話はまた明日以降ね。それより君にいいお知らせがあるんだ』
課長のいいお知らせとは大概ろくでもない知らせの事だ。が、今回だけはその法則も当てはまらない。
『〈アイオライト〉のディナーチケット、払い戻しができなかったからまだ有効だよ。それとある人から君たちに今夜の宿泊券まで貰っちゃった。本人がそろそろ渡しに来ると思うけど、間違っても失礼の無いようにね』
それだけ言うと、トクガワはサッと通話を切ってしまう。
図らずもレンの誕生日を祝えるとわかって喜びに手を叩きそうになったミツルだが、背後で鳴った高いヒールに四人娘共々振り返る。
なぜか娘たちが揃って目をまん丸にする中、一人だけ不思議そうなミツルにその人物が声をかけた。
「あなた方が、機動広報三課ね?」
夜霧のような灰色の髪。
一瞬シノンというかペッパーを思い出したミツルも、すぐに別人だと気付いて肩から力を抜いた。
長い髪の色こそ同じだが、他のどこを取っても似ていない。青いドレスを纏った清楚な雰囲気の少女だ。
「ええ、俺たちがそうですが、そちらは?」
「申し遅れました。私は……ふふっ、最近意外な方とよく会うのでつい名乗るのを忘れてしまうわ。許してくださいな。そう、私は石動菫花。この船のオーナーと、イスルギ・コーポ戦略室の室長をしております。以降、お見知りおきを」
「……はぁ……――はぁ!?」
差し出された細い手を何気なく取り、そこでようやくミツルは驚愕に顔を引きつらせた。
目前の少女こそ今回のテロの終始一貫した標的であり、彼のような一介の平社員からすれば冗談抜きの雲上人。名実共にイスルギのプリンセスだというのだろうか。
「あの石動菫花、さん?」
「どの石動菫花かは存じませんが、おそらくあなたの想像の通りの、石動菫花です。そうそう、あまりに面白い事をお聞きになるので、つい本題を忘れそうになりましたわ。こちらを、お納めになってくださいな」
彼女の背後から黒スーツのボディーガードが現れ、いかつい顔のわりにフレンドリーな笑顔でミツルたちに一本ずつ何かを配っていく。
ミツルの手の平にも載せられたそれは、飾り彫りが施された黒檀のキーホルダー。目立つ場所に三桁の数字が金象嵌で入れられ、当然ホルダーというからにはこれまた金の鎖で鍵がぶら下がっている。
「お部屋とお食事を用意させていただきましたの。命を救ってくれた事への、ささやかなお礼だと思ってくださいな」
「僕らにも、いいの?」
イスルギ本社の幹部ともなれば四人娘がロボットだと知っているだろう。サクラの当然の問いかけに、彼女は屈託のない微笑みを浮かべる。
「もちろん。私は客人が人間かどうかで差別はしないわ。標準規格の充電ユニットと整備用の端末も備えましたから、どうぞゆったりとくつろいでください」
それを聞いた四人が嬉しそうにはしゃぎ出す横から、レンが不思議そうな顔でキンカをのぞき込んでくる。
「私は鍵を貰ってないんだが?」
「東田漣さんね? あなたと大幸さんは昨日からの乗客名簿に名前があったから、チケット情報に合わせてスイートを用意したのだけれど、お嫌だったかしら」
「つーことは――この鍵か」
手の中の鍵を見てのミツルのつぶやきに、嬉しいやら驚くやら恥ずかしがるやら、とにかく顔を真っ赤にしてへたり込むレンであった。
「喜んでいただけたようね。さて……」
ポンポンっと手を叩いたイスルギの姫は、笑顔で暮れ染めの空の一点を指差す。その御髪が不透明な灰色から透きとおった蒼銀へと急速に染め代わり、目を見はったミツルたちの前で彼女は艶然と微笑んだ。
「〈アネクラ〉があなたたちに言っているわ。『アネクラの姫を守ってくれたあなたたちに、最大の感謝と賛辞を送る』と」
フラリとその姿勢のまま傾いだキンカを、例のボディーガードが姫抱きに抱える。
彼はミツルたちにディナーの時間を伝えると、意識を失った主を腕に深く一礼して去っていった。
今の数分は、いったい何を意味したのだろう。
ミツルは理解もままならないまま、とにかく誰かから感謝されたという事実を受け取って、それを仲間と分かち合ったのだった。