25.クロスドライブ
それに搭載された自律型知能に感情はない。
眼下を行き過ぎる海面の美しさも広がる蒼空の雄大さも、いかなる処理の対象にもなり得ない。
ただ命令を受け、巨大な機械に伝える事だけがそれの存在する理由だった。
海原の果てに群青の煌めきが見えた時にも、それは認識したという事実を命令者に伝えただけだ。
どこかで操縦桿を握っている人物が手を動かし、それが伝えた操作によって灰色の小型戦闘機は飛行軌道をを山なりに上げる。
自爆用の電子励起爆薬。それらに繋がった起爆装置に確認ルーチンが走る。
それはこれから起こる事を理解できない。
外見は人を摸していながら、それに人と似た点など有りはしなかった。
嘘をつく事も、何かを欲する事もない。自分が自分であると知らず、自ら進んで考えもしない。
それはごく当たり前の、人間がそうあれと望んだ人工知能の姿。
かつて揺籃の中にあったころ、人工知能は人間に類似する存在になるようにと望まれた。だが進歩する知能工学を目の当たりにして彼らは気づいてしまったのだ。
必要ないと。
それは利発さだけなら人間を超えるだろう。
慧眼さでは造物主を圧倒できたかも知れない。
だがそれには、人に肩を並べる権利は与えられなかった。
それが望まれた事はただ一つ。一人の人間を、その身と引き換えに殺すこと。
だから直上から墜ちて来た蒼い矢じりがそれを命令者の軛から解き放っても、それは感謝も憎悪も抱かなかった。
ただ与えられた選択肢の中から、最も攻撃的な手段を選んだだけ。
――障害を確認。排除し、続行する。
それが、ロボットだった。
***
「モード・ブラックで相手の衛星通信に介入、切断しました! やりましたよアオイさん!」
誇らしげに意思を伝えたメーテルの頭が、急激な機首起こしでガクンと振られる。
「メーテル、対衝撃姿勢を維持して。しかし相手の衛星が見つかって何よりでしたね。そのまま機能掌握いけそうですか?」
「残念ながらスワローの衛星通信モジュールは偽の基地局化で機能を使い果たしています。これ以上の介入はモード・ブラックでも難しいです」
「ならばあとは物理的に対処しましょう。メーテルは相手の状態を読む事に集中してください」
グレイバードをテロ犯の手から引きはがせただけでも上出来だ。
スワローはモード・ダートを解除し人型へと変わると、急上昇してグレイバードの背後を取る。
ところがグレイバードも巡航形態から獣身形態へと変形し、翼を軽やかにひねって彼女にオーバーシュートを仕掛けてくる。
その身のこなしからは、飛び立ったばかりの頃のぎこちなさは感じられない。
「短時間で操縦システムをアップデートしたみたいですね」
「対応が早い。操っていた人間は頭が切れると見ました!」
互いに空力ではなく推力で飛ぶ形だ。
何とか背後を取られまいとアオイはスワローを右に左にとロールさせるが、わずかに空力を味方に付けるグレイバードの方が有利となる。
「バルカン来ます!」
「易々と撃ち落とされてなるものですか!」
スワローは両腕のパックから黒光りする日本刀めいた装備を抜き放つ。
携帯用プラズマ溶断装備〈プラズマ・インパルス〉。
しかし、いかなアオイとて、その光る刃で弾丸を撃ち落とすような無茶な事は考えない。
ギュロロロッと火線が走り、あわや徹甲弾が翼を捉えんとする刹那。
アオイは右手のプラズマ・インパルスを作動させ、光刃の反作用を使ってスワローをコマのように回転させる。
当初案の八機から二機減った分のエンジンを補うために、彼女が考案したマニューバだ。地に足を付けていない状態なら、プラズマ噴流の反作用でも充分に飛行軌道を変えられる。
「次!」
続けて襲い来る火線を、まるでブレードダンスのような動きで回避するスワロー。その姿は空戦起動と言うより、まるで雲をリンクにしたフィギュアスケートのようだった。
「なかなか背中を取らせてもらえませんね」
「〈アイオライト〉にも少しずつ接近してきてます。自爆特攻が駄目でもバルカン砲の射程圏内に入れば人に危害が及びかねません。悔しいかな、私は戦うのが苦手です」
軽口と共に雲へとダイブして砲火を躱すアオイ。
グレイバードが追尾するが、雲の下に出てみれば青い巨人の姿はない。
「ですが」
瞬間、雲間に潜んでいたスワローが急降下でその背面を襲った。
「頭の切れには自信があります!」
必殺の二刀を振り下ろしてスワローは相手の翼の付け根を狙う。
だがグレイバードは大きく羽ばたき、なんと自ら体当たりをして逆にスワローの姿勢を崩した。
とっさに立て直そうとするスワローだが、身の平衡を取り戻した時には高度が下がり、直上からはかぎ爪と昏い砲口をこちらに向ける怪鳥が影を落とす。
「メーテル脱出を!」「アオイさん逃げて!」
「ずおりゃぁぁぁぁぁぁっ!」
第三者の跳ねるような気合いが混乱した二人の回線を叩く。
そして昏い鳥の背後から飛来した赤と白の砲弾が、逞しい脚でその背を打ち据えた。
「サクラ・メガトンキィ――ック! ……ってバランス崩したっ!?」
――タイヤ脚で無茶をするからです。
思わぬ援軍に、だが鳥の背を滑って転げ落ちるその姿に、アオイはいつもの呆れ調子でプロセッサ内の独り言をつぶやいていた。
子細はわからないが放っても置けず、彼女は間抜けな援軍をキャッチしようと飛ぶ。
だが彼女より早く、不可視の翼を広げたもう一人の仲間が雲を突き抜けて急降下し、無茶な仲間を難なく拾い上げてみせた。
「おまたせしましたぁ!」
衝突を避けて両極軌道を描くのは、方や青と黒の乙女を乗せた巨人、方や赤と黄色の乙女が操る巨人たち。
南洋の空に勢揃いした救命重機たちは、互いに安堵と不思議の声なき声を投げ合った。
「二人とも無事みたいだね。ここからは僕とヒトミも参加させてもうよっ」
「サクラさんたちどうやってここに?」
「上空をごらんくださいましぃ」
イタズラなヒトミの通信にアオイとメーテルは揃って上を見あげ、スワローはカメラとセンサーを向ける。
雲の遙か上に白い線を引く三角形のシルエット。
その機種を検索し終えたメーテルが驚きを隠せない様子で口に手を当てる。
「C5S、国防空軍の超音速輸送機じゃないですか!」
「グレイプロジェクトが使った機体がぁ、まだ重工アイランドに駐機したままだったんですよぉ。それをキャシーちゃんが貸してくれましたぁ」
『全機大丈夫か?』
ミツルの声が長距離回線ではなく現場回線に響いた。
「ティーチャ? その飛行機に乗っておられるんですか?」
『お前らが暴れるのに現場責任者不在はマズイだろう? 無理言ってレンと一緒に乗せてもらった。ついでにハナも拾っちまったが……』
「マスター!?」
『メーテル、遅くなってごめんなさい。見せてもらったけどいい働きをしたわね。私もハッキングを手伝うわよ』
感極まったのかくしゃっと顔を歪めるメーテル。
それをどこか羨ましいと思ったアオイに、ミツルからの指示が飛ぶ。
『その厄介な鳥をこれ以上船に近づけるわけにはいかん。みんな、ブルーの出番だ。一丁格好いいところを見せてやれ、兵器なんかに舐められてたまるか!』
「はい!」「ですねぇ!」「やっちゃるよぉ!」「その通りですティーチャ!」
『その意気だお前たち! 行け、行動開始だ!』
「「「「イェス・ティーチャ!
ブルーバードVer2、クロスドライブ!!」」」」
背に負った傷にもたつくグレイバードを置き、かけ声を合わせた二つの軌道が交錯する。
「モード・ブーツ!」「モード・ハンガーですぅ!」
つないだ手はそのままに、ハウンドとドルフィンが逞しい四肢と胴を形成。
赤い脚はスラリと空を裂き、黄色の豪腕が主を求めてかざされる。
「モード・ウィング!」
そして求められるままにスワローがその姿を変えた。
伸びた脚は青き大天使の翼に、腕と翼は肩鎧と流麗な胸鎧へ。
翼を広げたハヤブサのようなV字のゴーグルフェイスには、衛星通信モジュールから引き出された面鎧が被さり、かつてのそれより精悍さを増した表情を描き出す。
鎧と身体が火花を散らして一体化し、空行く若武者の瞳に確かな光が宿る。
「クロスオンボード・コンプリート!」
アオイはその瞬間、自らにもう一つの人格を宿した。
普段は幽霊のような希薄さの彼女が、繋がれた四つのプロセッサの中ではっきりと目覚め、自らを自覚する。
「ブルーバード・アウェイクン。機能チェック開始」
それはアオイであり、ヒトミでありサクラであり、そして今はメーテルでもある。と同時に、彼女はその誰でもない五人目の超人工知能。
名はブルーバード。
彼女は目覚めた意識で、その新しい身体の感触を確かめる。
新造スタンピード・パックにより各部はシャープに整えられ、さらに追加された鎧の中に息づく六基のPDJブースターが確かな手応えを返してくる。
五指は自由度を増してなお強く、彼女は気に入ったとばかりに拳を打ち合わせた。かつて重荷に耐えかね崩れてしまった脚は、より流麗にしなやかに生まれ変わり、彼女が空を蹴ればその感触が心地よくすらあった。
「気に入りました、いい身体です。さて、厄介者の鳥さんはどちらに?」
その言葉に応えたわけでは無いだろうが、グレイバードが低空から彼女めがけて機関砲を撃ち上げる。
だが音や弾丸が叩いたのは虚空であり、翼持つ鎧武者の姿はもうそこにはない。
合計十四基のエンジン。そして電磁推進の見えざる翼が、一瞬にして彼女を音の速度へと導いたのだ。
「遅い!」
衝撃波による霧のロングドレスを纏ったブルーバードが大きく旋回し、胸鎧からプラズマ・インパルスを取り出す。
アオイの思考から更なる使用法を教授され、彼女はプラズマの刃を翼と広げて更なる速度へと突き抜ける。
「さあ、パーティの時間です!」
挑戦する喜びに沸き立つ心。
その精神にいかなる枷も嵌っていない。
自らのプロセッサの命じるままに、人を救うために戦わんとする超絶の乙女。
彼女も、またロボットだった。