16.ハナとエリカ
「あら最近よく会うわね。二十時間と十七分ぶりかしら」
「細かく計測すんなよ。気持ち悪い」
イスルギの中央にそびえ立つ複合オフィスタワー〈セレスティア〉の八十階。
捜査特別補助課の会議室で顔を合わせるなり、ハナとエリカは温度こそ違うが互いに嫌な顔になる。
「マリーちゃん知り合いなの?」
売れないミュージシャンを思わせる無精髭に、不健康そうに痩せた体つき。見るからに不良中年のふざけた表情。
捜査特別補助二課、第二班の班長である槍陣之助は部下と協力者の間に座って不思議がる。
「顔見知りです。あとマリーじゃなくてマリイなんで……ハナ笑うな」
「マリーちゃんですって傑作だわ。今度ミツルくんにも聞かせてあげようかしら」
「ミッチに聞かせたらマジ殺してやるからな」
「こらこらぁ、現職の捜特員が殺人予告なんてしないの。ほらマリーちゃん笑って、キミ可愛いんだからさぁ」
「もとはと言えば班長のせいだろうが!」
三人がやいのと騒ぎかけたそこへ、明後日の方向から咳払いが一つ飛ぶ。
「……本題に入りましょう」
エリカたちも列席する会議卓の中央席。黒スーツの細面が鋭い声と視線を三人に突き刺した。
五課副課長、笹目六花は男性顔負けの気迫でエリカたちを黙らせると、居並ぶ五課員たちに改めて三人を紹介する。
「そちらは捜特二課、二班のウツギ班長とマリイ捜特員。そして隣が特別協力者のシマダ巡査員です。調査班は初見でしょうから人物把握を」
事務的と言うにもそっけない言葉にエリカは顔を曇らせるが、ハナの方はごく小さく鼻をならした以外、特に気に止める様子もない。
「今回の緊急対応については、各課員すでに把握していると思いますので省略します。二課を呼んだのは捜査情報の開示と協力を仰ぐためです。ウツギ班長」
「はいはいっと。そちらから要求のあったこちらの案件について説明ね」
面倒そうに起立したウツギが二課の案件、すなわち埠頭で現在進行中と思われる密輸と206便のテロ疑惑について捜査経緯を各人のテーブル面に配布する。
「この二件は、現在個別の案件として捜査中。206の方はオレが、コンテナの方はマリーが追ってますけど、どちらもあまり進展してるってわけじゃないですね」
「結構です。あとウツギ班長、その態度はあまり感心できませんよ」
「いいじゃんリカちゃん。どうせ内輪の会議なんだし」
「ジンいい加減にしてよ……ではなく、そういう問題ではありませんウツギ班長」
調子を崩しかけたササメ課長に、強面の五課員たちが失笑を洩らした。
エリカは班長と課長の関係を勘ぐるが、両者ともすぐにケロリと素知らぬ顔とあっては疑問を手放さざるをえなかった。
代わりに、彼女は挙手をして場に問いかける。
「そっちの案件については、まだ教えてもらえないんですか?」
「協力態勢が確立されるまで、詳しい事は伏せておくように言われております」
「それはいらぬ心配ねササメさん。それとサカキさんも、聞いているんでしょう?」
ササメの冷たい言葉にハナの断言が重なる。
何を言っているのか、エリカが訝ったところに突然、その場のものではない声がか流れた。
『いやはや恐れ入ったね』
おそらく若い男性。自信のありそうな、それでいて響きの柔らかいバリトン。
『君を頼るといつも、変な方向から仕返しをされるな』
「私を呼びつけた時点で予想の範疇だわ。捜査会議なんて茶番はやめて、単刀直入に要件を話してもらおうかしら。石動榊グループマネージャー」
「GM!? イスルギ・グループの総統括役……」
エリカが衝撃に腰を浮かし、押し止めたウツギも軽薄の面に綻びを見せる。
「ええ、そしてこの場の責任者。もともと五課はグループ直属の危機管理部門、その隠れ蓑なのだけど、お二人ともご存じなかったのね」
「オレは知ってたぞ、リカに口止めされてたが。しかしまあGM自らお出ましとはね」
『驚かせて済まないねウツギ班長。君の事はササメさんからよく聞いてるよ。
本当は僕も出席したかったんだけど、あいにく地球の反対側にいるからね。これで勘弁して欲しい』
それぞれのテーブル面にウィンドウが開き、三十代前半の青年が映し出される。声のイメージとは少し違うが濃いグレーの髪で少し角張った、そして妙に青白い顔。
普段は見る事のない雲上の人物にエリカが姿勢を正すが、相手は彼女を見ているわけではなかった。
『それじゃあササメさん、僕が議事進行を引き継ごう。ところでシマダさん。その二人に詳しい経緯を話す事に賛成の理由は?』
「人を頼る時に詳しい事を隠す理由があるのかしら? ついでに言えば、この二人が〈EGRET〉の工作員である事を疑う理由も、ね」
聞き馴染みのない単語をエリが問いただそうとするが、ハナがそれを手振りで制して画面のサカキを見る。
彼は少し迷っているようだったが、やがて小さく手を打つとうなずいた。
『……なるほど、君がそう言うならそうなんだろう。ウツギ班長、それとマリイ捜特員。詳細に入る前に誓約書を認証して欲しい』
何が何だかわからないままに、エリカは新たに提示された書面を読む。
それはかなり高度な機密についての守秘義務を含んだもので、もし認証すれば今日の会議を含め、五課に関連するあらゆる情報を秘匿せねばならない。
エリカはためらいの気配を洩らす。
と、画面の中でサカキが形のよい眉をわずかに上げた。
『マリイさん、あなたは拒否しない方がいいと思うよ』
「エリ……履歴を消し損ねたわね」
ハナがぼそりと言ったそれで、エリカは自分がしくじったと悟る。ペッパーについてクラウドを漁った記録がどうやってか五課、もしくは上に漏れていた。
「……くそっ。ああはいはい、わかりましたよっと」
エリカがやけっぱちに指を置く横で、班長が顔色ひとつ変えずに認証する。
「どうせオレもそうなんでしょ?」
『ご明察だよウツギ班長。申し訳ないけれど、限定協力の話はこの場で無効だ』
「班長まさかあんた」
「だよ。オレってリカの個人的協力者だもん」
上司をエリカが疑いの目で見たのもつかの間。ササメの視線で黙らされた二人は、続くサカキの言葉を待つ。
『では話を始めようか。各員理解していると思うけど〈EGRET〉がテロの二次計画を進めている。問題は時間と目的、つまりいつ誰を狙うかなんだよ』
「サカキ様、それについてはすでに調査班が推定を上げていると思いますが」
『うん。標的が妹で今月の下旬に決行の恐れ有り。でもササメさん、折角の推定資料だけどこれでは民警に号令はかけられないよ。マリイさん?』
「えひゃっ?」
いきなり水を向けられたエリカは思わず跳ねるが、幸い怪訝な顔を向けられた程度で済む。
『あなたの捜査を、ここでちょっと説明してもらえるかな』
「捜査ですか。えっと、ですね――」
エリカはコンテナの案件、特に例の内開きコンテナとそこで見つかった不審なタイヤ痕について周囲に説明する。サカキとササメは静かに聞いていたが、五課の出席者の中には何人か、首を傾げる者や顔色を変える者がいた。
「――以上です。失礼ですがこれがいったい」
『うん。とても重要な証拠なんだ。調査のオオクマさん、君ならこのタイヤ痕、何のものかわかるよね?』
「はいっ!」
意気込んで、と言うより半ば狼狽しながら起立したのは、五課の調査班に所属する男だ。エリカの報告に露骨に青ざめていたのも彼だった。
「トレッドパターン、輪幅および状況から推察するにこれはランナバウト。おそらくはSATI社の〈フラットヘッド〉シリーズのものと推測されます」
ランナバウトと聞いて、さすがのエリカも固唾を呑む。
続けて配布された資料には、見間違いようのない軍用装備の図面が挟まっていた。通称通りに頭部センサーポッドが扁平で、狭所移動のために手足を折りたたむ機能まであるらしい。
エリカの袖を引き、班長が小声でつぶやく。
「こいつは――確かに武器だわな」
『マリイさんの調査によると、コンテナには常に三台分のタイヤ痕があった。つまり最低三台、イスルギにランナバウトが荷揚げされているということだ』
「おそらくもっとあるでしょうね」
平然とそう言うのはハナだ。
「私の知る〈EGRET〉、特にペッパーは用心深い人物だわ。アシがついたのが三台なら、予備を含めて十台前後はあると見るべきよ」
『そのペッパーなんだけどシマダさん。直接会った事があるのは君ぐらいなんだ。今回はそのことで呼んだんだよ』
「人相風体の確認かしら。おそらく役には立たないわよ」
「ハナ、何でそう言いきれる?」
エリカの質問に、ハナはテーブルをタップして一つのファイルをテーブル中央の立体プロジェクタに送る。
映し出されたのは二十台後半から三十台半ばくらいの、パッと見かなり特徴の多い人物だった。派手な開襟のワンピースに日焼けした肌、髪は微妙な色合いの灰色で、その目は淡い緑に見える。
「これは私が隠し持ってたデータをもとに作ったペッパーの精密モデル。でもね、これ何の役にも立たない情報なの。だって……」
モデルの肌から日焼けが引き、髪が黒く染まる。エリカは怪訝に思うだけだったが、ササメが机を軽く叩いてため息をついた。
「偽装皮膚ですね。毛髪や皮膚に特殊処理を施して、場合に応じて外見を変化させる軍用、主に諜報用の手術です」
「彼女はかなり高度な施術を受けてる。むしろさっきの素顔の方が希でしょうね。偽装皮膚、FDはニュートラル状態では日焼けに見えるし、あの髪の色もそうだわ。この色が私と会った時のペッパー。そして――」
ペッパーの姿がさらに変化する。
今度は金髪碧眼で肌は白く透き通り、顎や頬骨の位置まで変化する。さらに眼鏡まで装着されてはもう完全に別人だ。
そこでサカキが深く首肯する。
『でも、どんなに顔形を変えても出会った人間の印象は誤魔化せない』
「そこで私を猟犬代わりに使うのね。構わないけど、彼女がイスルギに戻っている証拠はあるのかしら?」
「三ヶ月前に彼女の偽名を使った人物が、内地経由でイスルギに渡航した記録があります。しかし足どりがどうしても掴めず……済みませんサカキ様」
『いいよササメくん、僕らも人間だもの。ただ妹が――〈アネクラ〉が言うには、彼女はイスルギから出ていないそうだよ。〈EGRET〉の性格からして、インドの事件と同じで幹部級の工作員を送り込んだなら関与は確定だろうね』
「ちょっと、すみません」
いいかげんわけがわからなくなり、エリカは彼らの会話を中断させる。
「結局、このヤマはどうなってるんですか。俺には全然理解できない」
「エリは本当に相変わらずね」
ハナが嘆息してエリカに向く。
「かいつまんで言えば〈EGRET〉という国際テロ組織がイスルギ本社を狙ってるの。それも半年前に私に頼んで失敗したから直接動いている。サカキさんたちはそれを止めたがっているけど、今のところ206便のように後手に回ってるのよ」
「じゃあ、あれもテロなのか」
『あの飛行機には僕の妹が乗っていた。シマダさんたちのおかげで助かったよ』
「おそらく標的は変わってないわ。敵がどこから攻めてくるかはともかく、エリはそのカードを一枚暴いたのよ。次に狙う相手の手札は、ペッパーね」
「いや、ノッてるところ悪いんだが、お前がその組織に通じてないって言い切れるのかよ」
ササメ課長が立ち上がり、エリの疑念にビシリと声を叩き付けた。
「それについては五課が全力で調査しました。マリイ捜特員の心配もわかりますが、ここは協力をお願いします」
『さしあたってはコンテナの関係先から手繰ろうササメさん。ああ、あとお二人は仲がいいみたいだから、組ませてあげたらどうだろうか』
「その方がよさそうですね。正直、シマダさんの相手は五課員には重いですから」
なぜか会議室のあちこちから安堵の息が上がる中、エリカはそのやり取りを飲み込むや否や暗澹たる気持ちで顔見知りを睨む。
「しばらく、ハナに、同行?」
「事態が解除されるまで帰宅も許可されないわよ。エリ、ホテルの部屋は散らかさないでね」
予想を超え、そして受け入れたくもない事態に、この世の終わりのような気分に陥るエリカであった。