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15.イスルギの娘


 世間がバレンタインデーの午後を満喫している頃、イスルギ・クルーズの旅客ターミナル、その会員向け待合室に一人の中年男性が座っていた。


 パリッとしたブラウンのスーツ姿に上品な綾織の入ったマルーンのネクタイ。

 高級な天然皮革のカウチや本物の木を使った調度品に、違和感なく収まった男性は何をするでもなく、ただじっと正面を見据え、アンカーと呼ばれる尖ったアゴヒゲを撫でていた。


 十九川譲治トクガワ ジョージ。言わずと知れた三課の課長は、ちょっとした会合を控えてここにいる。普段から不審がられるほど外出の多い彼だが、今日の会合は普段の商談や接待とはわけが違う。

 今の彼は民警の職員ではない。その肩書きとは無縁の相手が待っているからだ。


「待たせたね、トクガワくん」


 鷹揚な態度で待合室に入ってきたのは、紫の縁取り入りの白軍服を着た、一見優しそうな背の高い壮年男性。

 国防軍の規定により胸に略章こそないが、そうでなくともこの人物に勲章の類がない事はトクガワも承知している。


「お久しぶりです。サトウさん」


「おいやめてくれよ、訓練生でも教官でもないんだ。今日は軍服も着てる」


 男性は白髪の交じった頭を掻き、椅子を立つトクガワに手を差し出す。


「そうですね室津ムロツさん。噂では一等陸佐に昇進とか」


「君が蹴った外事コースの一番上さ。ISCOイスコー副本部長の椅子に着いてきた階級だが単なる飾りだ。やる事もなく退屈だよ」


「それはまた、ご愁傷さまです」


 握手を交わした両者は、互いにさりげなく互いの背後を確認する。


「お付きのいない職場にいるらしいな」


「国防下がりとして気楽にやらせてもらっています。こんな所では何でしょう、船に場所を取っておきました」


「君の手配なら、少しはくつろげそうだな」


 トクガワがムロツを先導して待合室海側の扉を開ける。

 向こうに続いていたのは全面ガラス張りのボーディングブリッジ。

 正面には広く太平洋が、そして右にカーブしたブリッジの先には、海の青にも負けない深蒼の船体がそそり立っていた。


「〈アイオライト〉に乗った事はおありですか?」


 トクガワの問いかけに、ムロツは老いた顔を歪める。


「いや、私は君と違って贅沢とは無縁なものでね」


「なら話の種にもなるでしょう。あの船のラウンジはいい、なによりマティーニが絶品ですからな」


「君は好きだったな。まったく洒落のきつい男だ」


 鎮座する巨大な船の名は〈アイオライト〉。

 イスルギ・グループの誇る最新鋭の超豪華客船にして、イスルギ・コーポレーションの移動支社でもある。

 全長約600メートルの双胴型船体の上には一つの街区ほどもある施設が丸々載っており、宿泊、商業、娯楽そしてビジネスと、街として必要とされる機能が集約されている。


「それにしても運がよかった。寄港スケジュールは二月いっぱいでしたからね」


「君があの船で会いたいと言ってきた時には何の冗談かと思ったよ」


「ははははっ。払いの方は私持ちですから財布の心配はしなくていいですよ」


 間近に迫った縦の紺碧をチラリと見上げ、トクガワはムロツを連れてゲートを跨ぐ。

 船体を縦に貫き、船尾まで伸びる長大な吹き抜けが二人の視界を開く。遙か眼下の一般アーケードフロアは家族連れや若者たちでにぎわっているが、トクガワたちのいるフロアは無人といってもいいほど人の姿がない。


「十五階から上はビジネスとファーストしかありませんから人目は安心ですよ」


「それでも君のように手すりに寄りたくはないね。私は高いところが苦手なんだ」


「初耳ですな。ラウンジは窓のない席を取ったのでご安心を」


 無人のレッドカーペットを進む二人。

 上層階直通の長いエスカレータに乗ったところで、トクガワは周囲に改めて目を走らせ、小声で背後のムロツに問いかけた。


「ところでムロツさん、例の件はどうですか」


「いきなりだな。君をそんなに焦らせるとは、よほど今の職場が気に入っているようだね」


「好みの遊び場ですし、古い車にも事欠きませんからな。それより――」


「わかっている。イリヤ陸将も含め外堀から突っついてるところだが……ちょっと焦臭い動きもあってね」


「キナ臭いというと?」


「外事コースの君なら知っていよう。あの《・・》組織のことだよ」


「ああ、例のあれ(・・)ですか。でもあの組織はあくまでも外事の案件でしょう? なんで国内の技術開発計画で名前が出てくるんですかねえ」


 登り切った彼らの正面で控えのドアマンが重厚な扉を開く。くぐった先は落ちついた雰囲気の、そして広く薄暗いバーラウンジ。

 その一番奥の席を目指しながら、トクガワは手帳型着用端末(ウェアブレット)を出して使えない事を確かめる。


「ここなら通信機器お断りです。ラウンジの名にもなったディオゲネスは、瓶の中の静寂で思索を養ったといいますからな。この瓶には少し酒が入ってますが」


「酒で養えるのは思索じゃなくて鋭気の方だろう。君の疑問だが、私の調べでは答えは単純のようだぞ」


「というと?」


 二人が席に着くや周囲にレースの帳が降り、男装をしたウェイトレスがメニューを持ってくる。

 それを手振りで下がらせ、ムロツはメニューを見るふりをしながらつぶやいた。


「標的がイスルギなのだと、そういうことだ」


「国内企業を標的にしますか……とうとうそんな時代になったんですね」


 トクガワの目も、メニューを透かして過去へと向けられる。


「とにかくまずは何か戴きましょう。詳しい事はゆっくり伺います」


 彼は手を上げてウェイトレスを呼び、そして顔を下げてひと言。


「その〈EGRETイグレット〉の事も含めてね」



 ***



 重機係へ帰る途上、ミツルは無言で道路の先を睨む。


 なにか一つ解決すると別の悩みが彼にのし掛かる。

 目の前が明るくなった途端に、また闇の中に突き落とされた感じだ。

 ハナを連れて行ったのが捜特員、つまりイスルギ限定の刑事たちなのはわかるが、五課といえば特殊部署と聞いている。


 ――まさかこの前のハッキングを咎められたか……しかしそれならコンプライアンスが先に動くはず……。


 そんなミツルを見かねたのか、助手席に座ったメーテルがポツポツと語りはじめる。


「ティーチャ、そんなに気にしないでください。マスターに危険はありません」


「あいつの身を心配してるわけじゃ――いや、お前も何か知ってるんだな?」


「はい、ですが……」


 短い返答だったが、メーテルは迷うような気配を語尾に重ねた。

 直後、遠隔操作でフロントグラスが偏光プライバシーモードへと切り替わり、ダッシュボードに盗聴防止アプリのインジケータが浮かぶ。


「メーテル?」


「はい、私の自由意思で、ティーチャにお話ししたいことがあります」


「僕らは落ちた方がいいかな?」


 後席からサクラたちが機能を切ろうかと訊ねるが、メーテルは首を横に振った。


「いえ、是非サクラさんたちにも情報の共有をお願いします」


 そう言われ、バックミラーの奥で三人は姿勢を正して聞き耳を立てる。

 もちろんミツルも、現状を知っておくべきだというメーテルの判断を受け入れた。


「マスターは表向き司法取引による保護観察処分となっていますが、実際は少し異なります。確かに司法取引はありましたが、イスルギ本社による身元引き受けによって、余罪も含めて書類を送検されなかったんです」


「本社による身元引き受け? あいつ、本社とも何か取り引きしたのか」


「その通りです、ティーチャ。本庁預かりになった詳細事項と、本社と取り引きしたのは同じ内容だとマスターはおっしゃっていました」


 メーテルは一度言葉を切り、ミツルや後ろの三人が理解する時間を与える。

 やがてミツルがうなずいたことで、彼女は言葉を続けた。


「マスターの身元引き受けの条件として、本社からは特定事態における無条件の協力が提示されていました。マスターは了承したと思われます」

「特定事態、とはどういう場合なのでしょうか?」


 アオイの質問に、メーテルは残念そうに首を振った。


「私も詳しい事は聞かされていません。ただし推測は可能です」


「〈人道会〉の事でしょうかねぇ」


 小首を傾げたヒトミが会話に入りこむ。


「半年前の事件で〈人道会〉がクライアントではないかと、レンちゃんもティーチャも疑ってましたでしょぅ?」


「でもハナには半分不正解だと言われたな」


「そうでしょう。〈人道会〉はあくまでも人員の手配と計画への出資だけで、プランニングも資材調達も違う組織が行っていましたから」


 さらっと放たれたメーテルの爆弾発言に、一拍おいてミツルだけでなく三人娘すら刮目した。


「おいちょっとまて! なんでそんな事が分かった?」


「記憶からの類推です。断片的ではありますが私も当事者ですから。

 〈人道会〉はほとんど現場にノータッチでした。というより記録から推論するに、おそらく彼らはある組織に雇われ、名前を貸したただけの協力者に過ぎません」


「その組織って?」


 サクラが身を乗り出し、メーテルの静かな横顔を覗く。

 彼女は少し顔を反らし、何度か思い出すように首を揺らした。


「詳しい事は私にも。ただマスターはその組織を〈EGRET(イグレット)〉と呼称していました。組織からマスターへの接触は常に一人の女性に限定され、必要な資材や装備は全て海外からの違法貨物の形で届いていました」


「一人の女性…………ペッパー、か」


 メーテルの言葉にミツルが自分の予測を組み立て、口に出す。

 だがそれを聞いたメーテルが目を丸くする。


「ティーチャはペッパーをご存じなのですか!?」


「ん、あ、いや、昨日気になって調べただけだ。詳しくは知らん。……そうか、だからエリはハナに噛みついたのか。でも資材調達がその――〈EGRET(イグレット)〉で、例の球体ロボットもそこが使ってるとすれば……」


「つまりぃ、206便の事故をテロと考えるとぉ、半年前の事件と同じ組織が関与している事になりますよねぇ」


「私もその可能性を感じました。206便のCPAに潜り込んだ時に感じたあれは、今考えるとたしかに〈XRC5〉のものだったように思います」


「……とにかく、ハナが呼ばれた理由はわかった」


 ミツルはいつの間にか迫っていた四人の顔に、諭すような目を向ける。


「206便がらみで協力させられてるなら、心配はいらないんだな。まあ事件だとしてもお前たちどころか俺にだって捜査権はないしな、変な憶測はここまでだ」


「そうですね、私もマスターに関する心配を消したかっただけです。事件に関しては特捜補に任せるのが妥当だと、私も考えます」


 メーテルの言葉に三人娘がうなずき、再び後部座席に収まる。

 ミツルは再び道路の先を見つめながら、しかし自分の言った事を心中で納得できなかった。


 ――本当に、一つ解決するともう一つ乗っかりやがる。



 ***



 〈アイオライト〉のラウンジでマティーニを舐めていたトクガワは、ふとムロツの背後、離れた席に帳が降りるのを見て薄い笑いをこぼす。


「おっと、これまた凄い人がお出ましですな」


「誰の事かねトクガワくん?」


「職場の話です。ムロツさんが心配するような事では……はて?」


 トクガワの目がパチパチと高速でしばたいたのを不審がって、ムロツすら背後をふり返る。

 ラウンジの暗がりの中、自席の帳を抜けた長い髪の女性、いや少女が、青いロングドレスの裾をゆったりさせつつ二人の席を目指してくる。

 彼女は大胆にもレースの帳を手で払いトクガワとムロツを確認すると、無邪気な笑みを浮かべて赤い瞳を細くする。


「あなたが……機動広報三課の、トクガワ課長ね」


「い、いやあ光栄ですなご存じでおられるとは……あぁ、これは失礼」


「失礼ですが、あなたは?」


 慌てて頭を下げるトクガワに対し、なおも不審な顔のムロツは少女を誰何した。少女は大した悪気もなさげに頭を下げ、そしてドレスをつまんで一礼。


「私とした事が、紹介を忘れて失礼しました。

 国防軍情報保全隊副本部長の室津純一ムロツ ジュンイチ一等陸佐、私は石動菫花イスルギ キンカといいます。この船のオーナーをしておりますので、以後、お見知りおきを」


 そういって彼女、キンカは夜霧のような灰色の髪をふわりと揺らした。


石動イスルギ……という事は、あなたはまさか」


「はい。そのとおり、この家の娘です」


 彼女が両手で示し渡すが、それはこのラウンジでも、そして船でもない。


 イスルギの全てを。彼女はイスルギの娘だった。


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