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14.チョコレイト・ディスコ


 明けて十四日である。

 二月の、十四日である。


 ミツルは出勤し、例のものを目にするその時まで、今日が何の日なのかを忘れていた。


「はいミツル君、これあなたの分ね」


 朝の挨拶に博物館四階の事務オフィスを訪れたミツルに、ウェーブの掛かったポニーテールを揺らしてユカリが小さな包みを渡した。


「これは?」


「チョコに決まってるわよ。ほら、男の子らしく包み開けちゃって」


 何やら企んでる様子のユカリに、ようやく今日がバレンタインデーだと思い出したミツルは戸惑いつつも従う。


 白いプラスチックフィルムの下から出てきたのは5センチ四方のホワイトチョコ。表面に食べられるインクでプリントされた写真に見覚えこそないが、彼には思い当たる節があった。


「これ、俺の初出勤のときの顔……」


「ふふふふん、これぞ三課名物ユカリさんの義理フォトチョコレートよ。課長にもカワラバンにも渡してあるから。んじゃね」


 ユカリが踵を返す側で、ミツルは自分の小さなポートレートをしばし見つめる。


 思い返せば去年の四月二十六日、今まさに立っている事務オフィスのエレベータ前にて、彼は初出勤のサプライズ歓迎を受けたのだった。

 写真の中では舞い散るクラッカーの紙吹雪に囲まれ、ミツルが呆然と目を見開いている。まったく非の打ち所がない間抜け顔だ。


「……俺こんな顔してたのか」


「ミツルさんももらったんスか? よかったら自分の分もどうぞッス」


 お茶のポットを運んでいたイワオがそれをのぞき込み、同じような板チョコを並べてきた。

 こっちはクラッカーではなくビックリ箱を突きつけられたイワオが、口をイの字に結んで白目を剥いた画像だ。

 髪はまだ左右染めではなく、意外にも真面目そうな黒の短髪だった。


「すっげえビビリ様だな」


「聞いたらヒロミちゃんの発案だったって、いやもう心停止間際ッスよ」


「そりゃ結構だが、こんなもの貰ってどうすりゃいいんだ?」


「適当に見せ合いして飽きたら食うッス。これで自分三回めッスけど毎回そんな感じッスよ」


「はあ、そうか」


「受け取れ男子!」


 威勢のいい声に男子二名が振り向けば、通路の奥でアンダースローのポーズを決めるミヤビの姿が。

 間髪入れず、民警ソフトボール部で鍛われた腕が赤い包みを勢いよくシュート。

 すんでの所で受け止めたイワオに続き、ミツルは第二球をどうにかキャッチした。


 と、悔しそうにユカリが指と舌を鳴らす。


「ミヤビさん、今年はそうは行かないッスよ」


「こんな扱いして大丈夫なのか」


「安心しなよ、中身はニセモンだから」


 ユカリは二人に市販のクッキーボックスを投げて渡した。


「バンはともかくミツルにまで取られるなんて。落としたらやらないつもりだったのに」


「去年顔面シュートしてくれた恨みは忘れないッスよ」


 そしてユカリ、ミヤビと来れば当然、彼女が来ないはずがない。

 二人の肩を後ろからつつき、ヒロミはボソッとつぶやく。


「隠した……探せ」


「探せって?」


「ヒロミちゃんのいつものアレッス。勘弁するッスよヒロミちゃん、去年の奴、見つかったのホワイトデーだったじゃないッスか」


「見つけられない、カワラバンが、悪い」


 それだけ言って去っていく姫カット小柄美人に、イワオが盛大なため息を吐いた。


「ミツルさん、だいたい仕事場のどこかにあるはずッス。参考までに言うと、去年の自分の奴は机の裏に強力ボンドで貼り付けてあったッス」


「いっちゃあなんだが、毎年こうなのか?」


「三課は義理チョコに手を抜かないッスから」


 三回の壮絶なバレンタインデーをくぐり抜けた男は、どこか満足そうなあきらめ顔で去っていった。

 ミツルは手にした二つの菓子を手で転がしたあと、ふっと昨晩の自分が何を見落としたのを覚る。


「……まさか、あいつらがチョコレートを?」



 ***



 ミツルの疑念は、しかし平常運転のハンガーによって棚上げされた。

 平常運転とはこの場合、対立するとなかなか決着が付かなくて尾を引く、という意味だ。

 班長が朝から技術者部会で留守なのをいい事に、ドルフィン班の二人によるドローン式チョコレート爆撃が技術班男性陣を襲う。


卑怯ひきゃうである!」


「うわわわあ」


 逃げ惑うツカサとイチローを、特大スパナを重しと抱えたドローンが低空で追尾する。


「馬鹿な事を考えてるからです! ミーちゃんやっちゃえ!」


「はーい、重い義理チョコがいきますよっと」


 普段は控えめで大人しいミナですら、けしかけるヒロコと一緒に無表情でドローンを操っていた。

 怒りで口調と視線が平たくなるあたりが担当する重機によく似ている。


「今すぐ設計直さないと、頭に2キロスパナが直撃しますよ先輩」


「言われて直すぐらいなら最初から設計しないのである! カワボリ、シマド、私は断じて屈さぬからな! うお来るでない! イチロー盾になれ!」


「……とても大人の職場とは思えない」


「それは僕も同意します」


 キャットウォークでミツルと並んだタギシの同意は、同僚たちのはっちゃけぶりに当てられ少々やけっぱちだった。

 ちなみに彼とその横のノアサはすでに爆撃を喰らったあとだ。両名とも、大きく義理と書かれたチョコの包みと頭のタンコブが共に痛々しい。


「班長がいないとこうなっちまうのさ。係長が勤務調査コンプラカメラ切ってるしな。ま、すぐに決着付くさ、ほら」


 ノアサが頭をさすりながら指差せば、スパナにくくられた義理チョコの包みがイチローに直撃する。最後まで抵抗していたツカサも、ついに挟み撃ちに屈し仁王立ちで命中弾を受けた。


「これで互いに少しは穏やかになるでしょう。ガス抜きと思って大目にみてもらえます?」


「俺はどうこう言える立場じゃないですから」


 タギシに頭を下げられても困るミツルだった。

 とはいえ彼の言うとおり、ハウンド班とドルフィン班の衝突から深刻さが薄れたのはいい事だ。

 三人娘を説得するにしても喧嘩腰の四人では埒が明かないだろう。


「そういやあいつらは? 今日は俺の教育業務ティーチングの日じゃないけど」


「あの娘たちなら外出訓練だって準備してますよ。ミツルさんもついていったらいかがです?」


 初期には外出訓練に参加していたミツルも、そのたびに微妙な視線に晒され、最近はハナに任せっぱなしとなっていた。

 女子学生に囲まれる不審な男の図はもうこりごりだが、ハナも同行するなら少しはマシになるか。


 ミツルはタギシに礼を言い、プレハブオフィスの二階へ向かった。


「あらミツルくん、今日の事務はいいの?」


「どうせこの騒ぎで書類が止まってるんだ。俺もたまには付き合うさ」


 オフィスに備えてあるカジュアルスーツに着替えたミツルは、少し意外そうな顔をするハナに同行すると伝える。

 そこへ洗浄室シャワールームで身支度を終えた四人娘が上がってきた。


「あ、ティーチャ。一緒に来るの?」


 くるくる髪のボーイッシュ。サクラは印象に合わせたパンツルックで身体を跳ねさせ、一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに探るように視線を潜める。


「もしかして僕らに何か言うつもりじゃない?」


「言わないよ。気にするな」


「最近同行していただけなかったので、いい機会だと思いますよ」


 ブレザー姿でポニーテルを振って見せたのはアオイだ。その視線がどこか値踏みするようでもあり、同時に何か緊張らしきものが見て取れる。


「ですが例の件は……」


「それはぁ、あとでも構わないですよねぇ? アオイちゃん」


 レモンイエローの手提げバッグを示し、ショートワンピースのヒトミがアオイに笑いかける。


「そうですよ、後にしても大丈夫です」


 それにモノトーンのセイラールックのメーテルが同意した。


「ティーチャが気付かない方が好都合です」


「おそらくわかってると思うが、俺はもうわかってるからな」


 ミツルの声にメーテルがチロッと舌を出した。頭の丸帽子が幼い印象を強調してくる。


「はいはい、このぐらいにして頂戴な。スケジュールもあるし、出かけるわよミツルくん」


 すっかり引率が板に付いたハナがロング丈ワンピースの裾をはためかせ、彼らを社用のワンボックス車に詰め込んだ。



 ***



 外出訓練はロボット娘たちの対人能力と関係論理性を強化するために必要なものだ。会話すら一から学ばなければいけない彼女たちだから当然、人との接し方や自然な立ち振る舞いの学習は欠かせない。

 さらに日常的なアップデートも必要だ。人間は普段の生活から今の自分を組み立てているが、彼女たちはそれにすら専用の作業を要するのだから。


「ふうん、なるほど」


 昼下がりの公園を歩きながら、サクラがさりげなくつぶやく。


「何を見てましたかぁ?」


「向こうの子供たちの一人。一瞬、女の子だと思ったんだけど骨格見たら男の子だった。服装からは判別できないんだなあって」


 肩を寄せてきたヒトミに、サクラは遠くの遊具で遊ぶ子供たちを示してみせる。


「サクラちゃんは普段から〈視る機能〉が強いですからねぇ。私は十分ほど前に、周囲との関係性の特徴から気付いてましたよぉ」


 小声で意見交換する二人。

 ミツルはその後ろを追いながら不可解そうに首をひねった。


「なあハナ。だいぶ俺のやってた訓練と違うんだが。自由な意見交換を許可したのはお前か?」


「ええ、通信を介さずに言葉で表現するよう教えたわ。あの娘たちの今の課題は言語による表現の強化よ」


「内容が人間離れしてるんだが」


「どうせ誰が聞いてないわ。もし聞かれたとしても意味は理解できないわよ」


 ログ抜粋のレポートチェックで済ませていたミツルにとって、こういった会話が成されていたというのはちょっとした驚きだった。

 と同時に、なるほどこれならと納得もしていた。


「プレゼンが荒れた原因、お前にもあるんじゃねえか」


「私は見守り役よ。あの娘たちの言葉を受け止められなかったのは技術班の問題だわ。ミツルくんは彼女たちのレベルテン到達を不安に思ってるのでしょうけど、私はそうじゃないわよ」


 足を止め、枝葉の影が落ちる顔でハナが四人を順に見る。


 相談を終え芝生の広場に走り出ていくサクラ。

 半ば隠れん坊のように追いかけ合うアオイとメーテル。

 そしてこちらにゆったり寄ってくるヒトミ。


「レンさんの放任主義に賛成してるわけじゃないの。でもブレイクスルーが未踏地点だからって怖がってはいけないわ。いつそのときが来ても、しっかり受け止めてあげなさいな」


 肩をすくめたミツルを置いて、ハナはヒトミと何かを相談しはじめた。

 中心街にほど近い森林公園。海風の名残を受けて少し騒がしい葉擦れの中、ミツルは同僚たちに言われっぱなしの自分を整理しようと一息つく。


 彼女たちをもう少し信用しろ。怖がってはいけない。


 彼は自分が情けなかった。言われるまで恐怖に気付かなかったのがそれに輪をかける。


 半年前、彼女たちに自我と欲求の煌めきを見て喜んだミツル自身が、成長著しい姿に恐怖を覚えてしまう。

 それは結局のところ、自分が彼女たちに置いて行かれるのではないかという強い焦りから来るものだ。

 まだ三十路に踏み込んでもいないのに、まるで子の成長に驚く親のような心境だった。


 もちろん彼女たちの本質は重機。

 将来的には全世界で彼女たちのクローンユニットが人と協調し活躍する事が彼らの夢だ。

 しかしだからといって、彼女たちの今を縛り付けていい理由にはならない。

 伝説だろうが自負だろうが、傲りは戒めるべきだ。


 ――人といられる機械には、人と同じ事を許すべきだ。


 人工知能に対する方針としてはかなり異質だが、そうでなければ彼女たちは人間を真に理解できないだろう。

 相手が対等だから言葉を尽くすし、理解しようとする。

 上であれ下であれ立場が違えば尊重を勝ち得る事はできまい。


 そう気付いた時、彼はしばし自分の立場を頭から消して、ただ四人の娘たちを見やった。


 子供にボールを投げ返すサクラは、誰に教えられなくとも投げ具合を加減する。

 アオイもメーテルも、決して人の進路を邪魔はしない。

 ヒトミが何を企んでいるかはともかく、ミツルに聞かせないのは彼の事を慮っているからだろう。


「四人ともいい子に育ったじゃないか、なあ」


 誰にともなくそうつぶやき、ミツルは考えを締めくくった。

 聞きつけたハナが戻ってきて彼に柔らかくうなずく。


「ええ、あの娘たちは自分たちに向けられる人間の意思を受け取って、ちゃんと受け止めて返しているの。その仕組みが人間と違う倫理的論理式モラルコードであるだけで、そう育った事には変わりがないわ。ミツルくんも肩の力をお抜きなさい。真実は単純なものよ」


島田華シマダ ハナだな?」


 だしぬけに硬質な声が掛かり、二人の後ろから複数の足音が接近してくる。

 ミツルがふり返れば黒スーツの男が数名、彼らを包囲するようにゆっくりと距離を詰めてきていた。

 耳にインカム、一目でわかる精悍さ。

 民警の警備部あたりにおなじみの雰囲気だ。


 思わずハナを庇おうとしたミツルだったが、彼女はそれより早く黒服へと進み出る。


「そちらは特捜補の五課ね。もしかして呼び出しかしら」


 黒服の一人がうなずき、ハナは彼らに肩をすくめる。


「この格好で信じられないだろうけど業務中なの。できれば夜にしてくださらない?」


「緊急の要件だ。同行してもらう」


「おい、お前らいったい」


 心持ち声を荒くしたミツルの周りに異変を察知した四人娘も集まってくる。

 若い女性に睨まれた黒スーツは目にわずかな動揺を浮かべながらも、しかしキッパリと言い放つ。


「これは通常の社員には関係のない事だ。業務に戻れ」


「ごめんなさいミツルくん、みんなを係に戻しておいてくれないかしら」


 目立った事ではない。視線でミツルにそう投げ、ハナは優しく口角を上げた。


「それとヒトミちゃん、メーテル。手伝えなくてごめんなさいね」


「いえ、後は自分たちでどうにかしますからぁ」


「マスター、お気を付けて」


 それらの言葉を受け取ったハナは、黒服に囲まれて木陰へと去っていく。


 わけもわからず立ちつくしたミツルには、さすがの四人でも言葉を見つけかねる様子だった。


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