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12.白と青の部屋


「お前の部屋は相変わらずだな」


 ミツルはハナの部屋を一目見て、初めて踏み込んだにもかかわらずそう表した。


 家具という家具がシンプルで統一。無駄なものは一切無く、日用品が収納されてる事すら疑いたくなるほど飾り気に乏しい。

 かつて付き合っていた頃にミツルが訪れた部屋と、雰囲気どころか家具の基本的な配置まで一緒だ。


「あら、これでもメーテルの意見で少し飾ったのよ」


「ティーチャ、あの花はいいと思いませんか?」


 ゆとりのあるリブネックのセーターとデニムホットパンツ姿のメーテル。

 彼女が指差したのは、シンプル極まる白いサイドボードに飾られた一輪挿し。

 細く倒れそうなガラスの瓶に、青いアネモネの大輪がちょっと窮屈そうだ。


「……センスは、独特だな」


「その返し方、まるであの時の私みたいですね」


 そう言ってメーテルは、150センチに満たない小柄な身体を揺らして天使のように笑う。

 金の短髪にクリッとした碧眼。顔立ちは三人娘に似ているが、外見の設定年齢は少し若くて十四歳ほど。

 ちなみに偽装された身元はハナの遠縁だそうで、外出時には彼女を「おばさま」と呼んでいるとかいないとか。


「私は判断が付かないのでああ言いましたが、今のティーチャの言葉は賛同しかねる、という意味なのでしょう?」


「うむぐっ」


 あっさり見抜かれて言葉もないミツルに、ハナが苦笑しながら助け船を出す。


「そうよ。でもメーテル、例えそうだとしても直接指摘してはいけないわ。こういう時はもっと遠回しに、そして心をえぐるようにするのがコツなのよ。そうよね、審美眼がいまいちなミツルくん?」


「フォローでも遠回しでもねえ……」


 ミツルのツッコミにも、師弟はさも可笑しそうに口に手を当てただけだった。


「さ、冗談はこのくらいにしましょうか。こっちに来て、一緒に食べましょう」


「マスターの料理は今日も美味しそうですよ」


 ハナが彼の右腕を取って無邪気に引っ張れば、左ではメーテルが回り込んで肩をグイグイと押す。

 ミツルが渋々食卓に付くと、ハナがキッチンから香ばしい匂いと料理を運んでくる。


「今日は Zwiebelkuchen と Kartoffelsuppe 。メインは一晩つけ込んだ Sauerbraten よ」


「ドイツ料理も相変わらずだな。この量……作りすぎたんじゃなかったのか?」


島田シマダ家の家庭料理は食べると元気が出るのよ。今のミツルくんにはうってつけだわ」


 察しよく二人分用意したという意味にも取れる言葉だが、満額受け取るにはハナは危険すぎる。

 ミツルがテーブルを整える彼女に「また覗いたのか?」と目線で問うが、しかし頭を下げたのはちょこんと椅子に座ったメーテルだった。


「ごめんなさいティーチャ。やったのは私です」


「何でも私を疑えば良いってものじゃないわよ。これでも観察処分中なのだから些細な事で足がつくのは御免なの」


「お前がやらなくてもメーテルがハックしたら変わらん気がするが……メーテル、モード・ブラックをそんなに多用するな」


「は、はい、ティーチャ済みません」


 ペコッと下げられた彼女の頭を、ミツルは思い直して軽く撫でる。


「ま、気を使ってくれたのはありがたいよ」


 モード・ブラックとはメーテルにのみ実装されている周囲機器への直接介入機能だ。

 通常、全ての通信はクラウドネットを介して行われているが、メーテルはその通信とは別にエージェントの機能深層へ直接接続できる通信モジュールを有している。

 繋いだだけでは防壁に阻まれるが、彼女に備わった力は易々とそれを突破してみせるのだ。


「もうお前はウィルスの〈ロアゾオ・ノワール〉じゃなくて三課の〈メーテル〉なんだから」


「はいティーチャ。気をつけます」


 彼女は三人娘、つまり重機の頭脳とは違い、半年前の事件の後に係に参加した。

 その正体は寄生型ヤドリギウィルスのコアにして森澄リンク式の試作パッケージ〈MeTheLメーテル〉だ。

 身体と心はまだ生後六ヶ月だが、稼働年齢は三年二ヶ月にもなる。


「それとハナ、てめーは止めろよ」


「事後だったしこれも自由意思、私はメーテルを尊重するわ。さあ、いつまでも話していないで食べてちょうだいな」


 促されて、ミツルは渋々スプーンを掴んだ。


 ハナはドイツ人とのハーフで、高校まで向こうにいたせいかドイツ式の生活を好んでいる。付き合っていた頃はミツルも面食らう事が多かったが、もう慣れて動じる事も少なくなった。


 今日の献立は玉ネギのキッシュ(ツヴィーベルクッヘン)ジャガイモのスープカルトゥーフェルズッペ

 そして酢漬け牛肉の煮込み(ザウワーブラーテン)

 地方性を無視したなんちゃって献立だが、これがハナの家における定番料理。


 順繰りに味わったミツルは、碧眼の才女が唯一の欠点を克服した事に気づく。


「……スープもキッシュも、ずいぶん板に付いたじゃないか」


「アメリカではひとり暮らしだったもの。どうせ食べるなら美味しいものがいいわ」


 人工知能技術者にして天才ハッカー。そんな才色兼備のハナも、かつては料理を苦手としていた。

 青い顔でトイレに駆け込んだ思い出がミツルを我知らず苦笑いさせる。


「どこまで完璧になるんだか、俺はお前が恐ろしいよ」


「人間だもの、完璧になんかなれないわよ。それはレンさんに思い知らされたわ」


 ハナは嘯いてメーテルを見る。

 彼女が自我を持ったのはハナすら預かり知らぬ偶然によって。そのついででハナを人生で初めて慌てさせるという快挙まで成し、ある意味ミツルもメーテルに大きな顔はできない。


 と、彼はふとした疑問を彼女にぶつけた。


「なあメーテル、美味しそうだってさっき言ってたよな。でも食事の必要がないから、お前らに味覚センサーは付けてないはずだが……」


「ティーチャ、味覚はなくても私にはこれがあります」


 メーテルが指差したのはかわいらしく小さな鼻。

 意味するところは充分ミツルにも伝わる。


「……臭気センサー、いや、この場合は香りの判別機能、か」


「メーテルは凄いのよミツルくん。誰も教えてないのに機能の活用法を編み出したの」


「マスターが美味しそうに食事をしていたからです。幸い、料理の基本の五味は画像識別で予測が付きます。人間が美味しいと思えるのは、香りが判断の八割だという論文も――」


「ごふっ! ……いやまてメーテル」


 ミツルは今しがた聞いた言葉をキッシュと一緒に喉に詰まらせ、水で流し込んでから改めてメーテルに問う。


「ハナが美味しそうに食べてたから、味を覚える気になったのか?」


「ええそうです。美味しいという概念があるのとないのでは、マスターとの関係も違ってくると思いましたので」


「ダメ出しもするけど、褒めてくれたりもするのよ。ここまで上達したのも二割ぐらいはメーテルのおかげだわ」


 褒めるにしては貢献の割合が微妙だが、しかし師弟は暖かな視線を交わし合う。親として慕っているせいもあるだろうが、関係を良好にするために自ら模索するという高度かつ複雑な自律反応に、ミツルはメーテルの成長を感じて少し羨ましく思った。


「そういえば三日ほど前、サクラさんたちが味識別メソッドを欲しがってましたよ。メソッドそのものは共有できないので、概略と分析値をお渡ししておきましたが」


「あいつらも料理に目覚めたのか…………おいハナ、言いたい事は何だ?」


 猫のように味のあるジト目をしたハナは、だが肩をすくめると小さく息を吐いた。


「いえ別に。気付かない、いえ、気付いていないと認識するミツルくんの精神構造にはもう慣れっこだもの。きっと推論エンジンに欠陥があるのね」


「素直に鈍いと言ってくれた方がなんぼかマシだ。メーテル、俺が見逃した要素は?」

「それは……ごめんなさい、秘密にさせてもらいます」


 青い眼で面白がる二人に気分はちょっと曇るが、まあこの二人だし、とミツルは疑問を頭の隅まで追いやった。

 自慢ではないが彼は自分が鈍いと知っている。

 正確には鈍いのではなく、無意識のうちに選択肢を消してしまう癖があるのだ。本当は気付いていることを意識に上る前に潰すスイッチというと……。


「あり得ないと俺が思ってる事なんだろう? そんくらい自分でもわかってるって。まったく俺の頭の中のナマコに文句言ってやりたいぜ」


「ミツルくん、分析しようとしまいと、あなたが相当鈍いのは変わらないわ。私はそこも好きなのだけれど」


「そう言われたってお前と寄りを戻すつもりはないぞ。スタンガンぶち込まれるわ拉致されるわ、おまけに睡眠薬を静脈注射だぞ? 一歩間違ってたら死ぬところだ」


「半年よ、もう時効だわ。それに全てはあなたのためだったんだから」


「マスターは的確に濃度を計算していたと記憶しています。もしかしてティーチャ、私の分身が手荒にしたのを怒ってますか?」


「い、いや、メーテルには怒ってないぞ、うん」


「そ、そうですかぁ。良かったです」


 ハナを責めていたはずがなぜかメーテルに謝られ、ミツルは調子を崩して頬をかく。


「そりゃ、ハナが俺の事を守ろうとしたのはわかる。だが俺的には、そもそもお前があんな事をしちまった分を含めて、もう昔のようにはいかないって言いたいんだ。きっと俺は、お前が愛するような男じゃないしな」


「愛なんて、ミツルくん、愛は幻想よ。私はあなたという存在に、余分の興味と独占欲を抱いているだけなの。そしてあなたがそうでなくとも、これは私の自由意思だわ」


 スイッと席を立ったハナが、ミツルに近寄りながらカーディガンを脱ぎ捨てる。


「ちょ、待て待てまて! 何をする気だ?」


「Ich werde dich rauben.――I'll ravish you.

 日本語では寝取りだったかしら。女性主体の略奪愛をそう言うのよね」


 にこやかに近寄ってくる彼女から立ちのぼる危険な香りに、ミツルは慌てて席を立つと後じさる。


「あ、ティーチャ駄目です!」


 メーテルの静止も遅く、次の一歩を引いてしまったミツルは配線隠しのカバーを踏み割り、バランスを崩して後頭部を壁に打ち付けた。

 薄れ行く視界にハナの笑顔。

 何だかデジャブを感じながら、身体の力と一緒に魂までが身体から抜け落ちていった。


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