10.瞳<ヒトミ>
バレンタインデーを翌日に控えた二月十三日。
昼休みが終わるとすぐ、スタンピード・パック改修案のプレゼンが始まる。
コンペの事もあって事務オフィス組やロボット四人娘、さらに特別ゲストまでがブリーフィングスペースにパイプ椅子を並べていた。
「金を出すからにゃ厳しく見るぞ。身内びいきは無しだからな」
そう最前列で鼻息も荒く腕組みする老人。
白い長髪に長いヒゲ、どこでも革ジャン姿のこの人物の名は東田元治。
イスルギ民警と交通博物館のオーナーにして救命重機係最大のスポンサー。そしてレンの祖父である。
「ごめんねグランパ。レストアが上がってくる日だったのに」
「気にするない。こっちの事だってカウンタックと同じくらいにワクワクしとるんだ」
「ゲンジさん、ついにあのLP400が出来上がったんですか?」
ヒゲなら負けじと、気合いの入ったアンカーヒゲを撫でつつトクガワが爺孫の会話に割り込む。
横で聞くミツルは最近知ったが、課長とオーナーが知り合ったのはオールドカーのオークションでだったらしい。さもありなん。
「おうよ、ジョー好みのイタリアンレッドに塗ってやったわい。良かったら今夜あたりドライブに付き合わんか?」
「それ是非お付き合いしたいですなあ」
「課長、同乗するなら交通課にパクられないように見張っておいてくださいよ。まったく〈エンジン爺さん〉は相変わらずなんだから……いてっ!」
ミツルは交通課にいた頃にゲンジに献じた二つ名をこぼし、そのスネをステッキで痛打された。
年甲斐のない態度で、交通インシデント常習犯は孫娘に心配そうな顔を向ける。
「なあレン、コイツとの仲は考え直さんか? 内燃機関の良さもわからん奴など、お前に相応しいとは思えんぞ儂は」
「グランパの趣味で私の恋人にケチを付けないでよ。まあ、考え直すのには同意だけど」
「同意かよ!」
「そこ、始まるから静かに」
ミツルたちがユカリにたしなめられたところで、大型パネルの前にツカサと彼の相棒イチローが立つ。
「それではこれより、我が機体設計班によるプレゼンテーションを開始する!」
「手元の端末に資料を公開しましたので、そちらをご覧ください」
いつもの大仰かつ尊大な態度を崩さないツカサの横で、常に眠たげな目をした美青年、イチローがプレゼン用の操作を担当する。
長い前髪で常に左目を隠すその姿。憂いを秘めた美貌にも関わらず浮いたウワサがないのは、もっぱらツカサの暑苦しさにその理由があるという。
そう語られるほど二人は常に一緒だ。
「百聞は一見にしかず! まずは我らが休日出勤して作ったデモ映像を見ていただこう! イチロー、やるのだ」
「はあい」
やる気のない返事はともかく、彼らの背景が白から一面の蒼穹へと切り替わった。
どこかの素材から引っこ抜いてきた雲上の景色に、下からヌッと灰色の機体が現れる。
鋭角なシルエットが特徴のステルス戦闘攻撃機F‐42EJ。国防空軍の主力機だ。超音速巡航能力を備え、雲を切り裂いて飛ぶその姿はシム画像とはいえ迫力がある。
と、次の瞬間、その上空を別の機影が高速でフライパスしあっさりと置き去りにした。
「まずはスワローから。これが新装備で可能になるモード・ダートである!」
ツカサの声で映像は二機目にズームアップ。
大写しになったそれは、細かに見れば確かにスワローバードだった。
ただし形態が普段とまるで違う。
新型のパックが鋭角のノーズコーンとなって機首を覆い、その曲線は従来の直線翼を半ばまでカバーしてダブルデルタ翼形を作る。
後部胴体は人型時のように縮められ、脚はスタビライザーとなって斜め下方に展開している。
タギシが進み出て解説する。
「パックに整流機構を持たせて高速飛行時の安定性を改良。そして春風発動機さまより提供の申し出があった小型PDJ、パルスデトネーションジェットエンジンを装備する事で推力を上げ、超音速巡航を可能とします」
説明に合わせて、翼面やスタビライザーの根本に増設された箱形エンジンが拡大される。
PDJは主に大圏飛行や近宇宙飛行用に使われる高出力ジェットエンジンで、完全静止状態からでも即座に推進力を発揮でき、さらに燃焼効率でもスワローの主機ガスタービンジェットを凌駕する。
ミツルも国内企業で小型化が進んでいるとは聞いていたが、それがスポンサーだったとは驚きだ。
「にしても対抗意識丸出しじゃないか」
「キャシーちゃんに見せたらまた怒りそうだねえ」
ミツルの独り言にトクガワが相づちを打つ。
パネルでは文字通りダート、投げ矢のようなスワローがハイGヨーヨー機動で戦闘機の後ろを取り、通常モードに変形してこれを追尾していた。
「続いてはハウンド!」
画面は切り替わって、今度は災害現場と思わしき地上の様子に。
未だ炎を上げる建物を縫うように人型となったハウンドバードが走り回るが、肩のパックからは見なれぬ二門の砲身が生え、脚を覆う増加装甲も鋭く力強いフォルムに変わっている。
頭部には犬耳スキャナに加えカメラポッドらしき装備も増えていた。
今度はノアサが説明に回った。
「諫坂空力の37ミリエアランチャーは肩部ポッドに、つまりブルーだと腰部両脇に配しました。これが一番安定する位置なんで。
弾道把握には通常のセンサーだと距離が足りないんで、新しく追加が入ります。どっちもビークルモードでは車体後部に回りますんで、どのモードでも使用可能です。んで、弾体なんですが」
映像のハウンドが燃え盛る建物に向け射撃。弾は飛翔するそばから白煙に変化し、火を包み込むと一気に鎮火させる。
「この脱酸素消化剤がメインで、あとは緊急脱出補助用のワイヤユニットとか、化学消化剤とか、まあざっと五種類、両門計二十発を携行できるように設計してます」
高所の被災者を見上げたハウンドがその近傍にワイヤーを撃ち込み、脚パックから避難用動力滑車を取り出して設置する。
よく見ると遠くに瓦礫に阻まれた国軍の救助装甲車が見えるが、もうミツルは指摘する気も失せていた。
「足回りの装甲も改設計で強度を上げましたし、さらにPDJを二機内装してますんで、ブーストジャンプも大幅に強化されてます」
被災者を救助したハウンドはひとっ飛びに街路を越え、火事場泥棒なのか逃走する黒いトラックに粘着弾を発射。炸裂した液体の壁に絡め取られトラックは急停止する。
「よしよし、ではドルフィンを!」
ツカサの号令で場面は海中へ。
潜行するドルフィンに目立って妙な部分はないが、よく見ると脚部、つまり後部バルジのポッドが大型化し、さらに整流用の装甲も追加されている。
順調に海面下を移動するドルフィンの前に損傷したトラス構造物、油田の脚らしきものが見えてきたあたりで、再び前に出たタギシが画面を示す。
「ドルフィンは脚部パックの改良により、海難事故への対応性を上げる方向で調整しています」
目標に充分接近したドルフィンは、浮遊しながら奇妙な形態へと変形する。
後部バルジをブルーバード形態のように腕に変えたが、同時に船底を人型モードと同じ腕にシフト。
現れた巨大な五指と三指の腕がトラスの損傷を捕らえ、強烈な力で元の位置へとひねり直す。
「これがモード・フォーアームズ。力点が二倍になる分より複雑で力のいる作業もこなせます。
さらに小腕、アクティベイターの腕には追加で小型プラズマ・インパルスを装備し、脚部パックには対水圧硬化ゲル塗布ユニットも装備。小規模な船底修復もこなせますよ」
映像のドルフィンはタギシの説明に合わせ、破断面を硬化ゲルで接着した。
「これらの改装は、もちろんブルーバード形態でも充分に機能します。
ハウンドの脚部パックは剛性の強化と共にホイールから動力を引いて足関節を追加。全機合わせて八機の追加PDJにより機動性を増加。追加された装備も、ほとんど使用可能です」
「以上である、いかがか皆の衆!」
ツカサが締めくくったところで、最初に手を挙げたのはアキヒロ班長だった。
「やたら気合い入ったシムはいいとして。ツカサ、俺ぁどうにも気に掛かるんだが、そんだけ新機能詰め込んで増槽の容量は大丈夫なのか?」
「班長、残念ながら増槽は縮小する方向で考えております」
「え? 削るんスか?」
イワオが立ち上がり、資料を見ながら端末で計算を弾く。
「これだとLNGで最大……三時間しか動かないッスね。救助と移動で三時間は……」
「ふっふっふっ、そのときは件のときのように燃料を航空燃料に変えればよいのだ」
「ちょっと先輩!」
技術班の席で黙々と何かを計算していたミナ、川堀美菜がセミショートの黒髪の下でツカサを睨んだ。
「それってサバイバビリティの放棄じゃないですか!
改設計とはいえこれじゃ意味ないですよ。新装備も電力や燃料を食うんですから、いくら何でも無茶です!」
「しかしカワボリ、これぐらい詰めておかないとコンペに勝てんのだ」
そのまま論戦にもつれ込むする技術班を尻目に、ミツルの横でトクガワ課長が嘯く。
「……本音が出ちゃてるねえ。どうしますゲンジさん? 若い衆は勝負しか見えてないみたいですけど、こんな調子でお金、出ますかねえ」
「そうさなあ。ま、勝負に勝ちたいのが若さだ。人の金で勝負しようってのがちょっとアレだが負けたらそこで終わりなんだろう? 出してやりたいのは山々だが……」
最王手のスポンサーを渋らせる事態に、ミツルはどうにか収拾をつけようと腰を浮かした。
さりとて重機係の悪癖、専門用語の応酬に収まりが付かず、結局打つ手は見当たらない。
ゲンジの向こうでレンも困惑した様子だし、ハナはやれやれと首を振っている。
そのままヒートアップし、いよいよプレゼンかケンカか判別しづらくなったそのとき、突然ハンガーの空気を大声が裂いた。
「僕はイヤだ!」
全員が手を止め声を潜め、その主、背の低い少女を見つめる。
彼女、サクラはあどけない顔にはっきりと怒りの表情を浮かべ、同じく席を立ったアオイやヒトミと共に場の全員を見据えた。
「こんな装備いらないよ! 僕は……僕らは競争のために作られたんじゃなくて、人を助けるために作られたんだよね? 誰かを負かすためだけの装備なんて欲しくないし、みんなにそんな事でケンカして欲しくない! だから僕はこんな装備いらない!」
「サクラの言うとおりです。この装備をそのまま採用した場合、改設計前と比べて総合的な稼働率は低下すると考えます。もっと具体的な案を、機能を削るか切り替えるかを考えるべきではないでしょうか」
サクラほど怒りを見せないが、続くアオイの言葉には微かな、しかし確かに侮蔑に近い響きが含まれていた。
最後にヒトミが無言で一人一人の顔を順に見つめ、ゆっくりと語り出す。
「私たちは自律型ロボットですから、発言に何の権利も無い事は承知しています」
その口調から普段の甘さが消えている。
彼女が識別用の記号を捨てた事に、ミツルは困った笑顔の奥にある判断、というか感情を察して背筋を凍り付かせた。
――ヒトミが怒ってるだって!?
「ですがその上で言わせてもらいますね。
私たちは、このような形の争いも、そしてそちらの思惑による勝手な設計改悪も望みません。コンペティションの要件を満たさねば私たちが使えないとおっしゃるなら…………例え壊されてでも拒否いたします」
穏やかだが堂々たる宣言に、もはや誰も何も言えない。
そんな時間が一分ほど過ぎたあと、突然ゲンジが呵々と大笑する。
「かはははっ……ようぞ言うたその通りだ。なあお前ら、儂はヒトミちゃんに味方するぞ」
「ゲンジさん?」「グランパ?」
「どれ、ロボットに権利がないなら儂が後ろ盾になろうか。
お前ら、頭冷やしてこの娘たちを説得できない限り、改装の予算は出さんからな。それとミツル、教官殿」
「お、俺ですか」
「そうとも。お前が一番あの娘たちと親しい、だから審判になって説得が叶えば儂に知らせてくれ。ああそれと……お前は説得禁止な」
ゲンジにジロリと睨め付けられ、ミツルは思わず後ずさった。
「教官が説得したんじゃ意味はなかろう。お目付役は……レン、頼めるか?」
「それってグランパ、私もミツル君と同じ審判って事?」
「そうだ。お前らにしか制御できんのでは、後々困るだろうからな」
最後は冗談めかして笑っていたが、突きつけられた課題の重さが等しく課を打ち、困惑させる。
エージェント班の主力二名を欠いた面子で、いったいどうやって人工知能を説得すればよいのか、そもそも機材である彼女たちを説得するとはどういう事か。
誰もが顔をつきあわせる中、ゲンジは飄々とした笑顔を三人娘に向ける。
「これで良いかな、嬢ちゃんたち?」
「ありがとうございます、オーナー」
静かに頭を下げたヒトミが、その作り物のはずの瞳が。はっきりとした怒りと挑戦を湛えて三課の全てを見据えていた。
私たちを納得させてみなさい、と。