9.機体設計班
人工知能の研究の歴史にも凡百の技術開発史と同じく、夢の時代があった。
二〇一〇年代から二〇三〇年代の終わりまで、人々はその輝ける未来、そして恐るべき未来を様々に予想しあったものだ。
もっと万能になる、もっと賢くなるという人もいれば、人に取って代わる、人の仕事を奪うと嘆いた者もいた。
誕生から半世紀を経た今はというと、まあおおむねこんなものかという現実的な、夢も希望も失せた意見が大勢を占めている。
人工知能もやはり道具に過ぎない。希望も恐れも見果てぬからこそのもので、あらかた開拓された土地には眠っていないものなのだ。
「どうも、お疲れさまです」
ミツルが踏み込んだのはハンガー地下、正確にはフロート兼密閉テストコースと地表との間にある技術班の詰め所。
本来はここが重機係のオフィスなのだが、空きスペースの関係で手狭な上、全く日が入らないため人気がなく、主立った機材はハンガー内のプレハブオフィスに引き上げられてしまった。
今はもっぱらロッカールームと仮眠室程度の使われ方しかされていない。
ある一時を除いては。
「ミツルさんお疲れさまです。ちょっと手が離せませんけどいいですか?」
レトロな眼鏡をかけた柔和な青年、田岸有洋が半球形の設計用ワークスペースから顔だけで挨拶する。
彼が向かう機材は縦横奥行き全てが2メートル近い大きなもので、外見だけなら大昔の対戦ロボット操縦ゲームの筐体に似ている。この機械が重機係には三台もあり、あまりに場所を取るため上のオフィスではなく詰め所に残されていた。
ミツルが後ろから覗くと、やや歪んだ完全立体映像の図面に、タギシの操作で細かな変更が加えられているところだ。
「そっちからだと歪んで見えるでしょう。これ一人用の旧型機ですから」
「お構いなくタギシさん。差し入れにコーヒー持ってきたんで。あ、ノアサさんもツカサさんも、こっちのテーブルに置いときますんで」
「あいよ、助かるぜミツル」
隣の筐体から顔を出した野浅寿克がそう答え、トレードマークのリーゼントヘアを両手で整えた。
優男と野趣男。この二人はスワローの技術担当だが、同時に機体設計班でもある。
「図面やシムとにらめっこしてるとノド乾くんだよな」
「まだ設計案なのに凄い精密な線を引くんですね」
「時間ねえからな。先輩は通ったらそのまま加工機にぶち込むつもりだぜ」
ワークスペースから出てきたノアサがカップを手に三台目の筐体を向く。
そこには普段のやかましさなどどこへやら、一人黙々と図面と格闘するツカサの姿があった。いつものサングラスは外しているが、色の濃いゴーグル型着用端末のせいでやはり素顔は見えない。
「こっちの受け持ちはあらかたシムを通したから、あとは先輩待ちなんだけどな」
ノアサが示した球体画面では、図面を元にとてつもない速さで応力計算が繰り返されている。
量子計算機とクラウド処理の実用化によって、事業所レベルでも往事のスパコン並の処理能力は当たり前となった。
「……おっと、これでは駄目か」
タギシの独り言に画面ではエラー表示が咲く。と同時に内装されたエージェントが問題点を洗い出し、わずか数秒で解決すべき項目を提示した。
「タギッちゃんまた角を削りすぎたな?」
「うーん、こればっかりは僕の癖みたいなものだしね」
「そういえばお二人とも、本職ではないですよね?」
ミツルの質問にノアサもタギシもうなずきを返す。
技術班の七人はいずれも工科高専を出ている。だがどちらかと言えば現場専門で、まともな設計コースを歩んだのはツカサぐらいだ。そんな彼らが開発チームとしてやっていけるのも、全てはインターウェアあってのこと。
結局のところ、人工知能が人間にもたらした一番の恩恵は、身代わりではなく能力の拡張だった。
人生を削って専門分野に修身せずとも心得程度の知識があれば、あとは機械がそれを補ってくれる。手の本数が足りなければロボットやドローンが代わりになるのだ。
「一昨日のデモもそうでしたけど、僕ら的にはなんでエージェント技術を目の仇にするのかちょっとわかりませんね」
「人手不足を補ってくれるいい奴らなのにな」
問題点を修正して再度シムを走らせた二人は、ミツルに付き合ってテーブル話に参加する。話題は設計の話から例のデモ騒動へ、そしてエージェント労働についての意見に滑っていく。
「それはお二人が専門職だからじゃないですか? 世の中には結構、何の専門技能も持たない人っているもんですよ。イスルギはわりと例外ですし」
「この島は確かにな。にしたって昔みたいに苦労して手に職を、ってわけじゃないぜ。専門学校、いや普通の高校出たって就職に困らないだろ?」
「アサの言うとおりですよ。仮に専門技能がなくても拾ってくれる場所ならあるんじゃないでしょうか。もっとも、僕もアサも卒業したらすぐに民警コースだったんで、詳しい事はわかりませんけど」
ミツルは根っからの技術者二人に頬をかきつつ、内地で見聞きした話を二人に語った。
内地は、つまり日本列島の事だが、もちろんこのご時世なので労働のエージェント化が進んでいる。
しかし、かつてのインターネットやモータリゼーションがそうであったように、それはあくまで都市部に限った話だ。
過疎化や無人化に悩む山間部には未だにクラウドネットの加護は届かず、一極集中の流れは昔とさほど変わっていない。
「でも一方で、エージェントって人手を削っちゃうんですよね」
せっかく利便性を求めて都市に集まってきたのに、都市は人力を必要としない。
介護や接客、土木業などが優先的に自動化される今は、漠然と夢を追う若者にはさだめし生きにくい時代だ。
「人生設計を中学生までに完了しておかないと道に迷いますよ、今の日本って。迷ったまま俺みたいに大学院まで行ければいいですけど、駄目だったら安い手近な職で手を打つしかないわけで。どっちにしても不満は残りますよね」
「そういうのを吸い上げて〈人道会〉みたいなヤーさんたちが儲けてるわけか。でもって、しのぎを削りられそうだってんでイスルギに当てつけ、っと」
いつの世も技術は人間に課題を突きつける。
人は少ないが職はもっと少なく、そして誰もが望みの職に就けるとは限らない。
ある意味、当たり前の悩みなのだが、それを解決する術はまだこの世にはない。
「いっそイスルギみたいに内地でも給付金を出せば、不満も減っていいんでしょうけどね」
タギシが口にしたのは、イスルギ・グループから出ている個人給付金の事だ。
イスルギに住んでさえいれば一律に給付され、毎年グループの純利と島民の頭数に応じて額が決まる。一応フロート居住者に対する税補助の名目があるが、実際の所は企業によるベーシックインカム制度と思って間違いはない。
「タギッちゃん、あれはあれでばらまいて吸い上げる体の良い貯金箱だからな」
それに苦笑いしたのはノアサだ。
お金がもらえるので不満こそ出ていないが、この8キロ四方の企業城下町では、ほとんど全ての商活動がグループに繋がっている。
貯蓄半分と見ても半額は戻ってくる上に、それすらイスルギ銀行の預かりと来れば実質元手無し、税金フリーで人気を買うに等しい行為だ。
「ま、ズルイやり方ですけど〈顧客にして社員〉の満足を買うにはいいんじゃないですか。この島だけなら立派に通用――」
「うむ、上出来である!」
ミツルが話をまとめかけたところで、奥の設計ブースから野太い喝采が上がった。
三人が何事かと振り向けば、得意満面のツカサが中指立ててワークスペースから立ち上がる。
「ほう、ミツルもいたのか。ちょうどいい、これならばいかな兵器とて我らの重機にデカい顔は出来まいぞ!」
「よほどの自信作なんですか?」
まるで子供のような彼の喜びように、ミツルは一抹どころか山盛りの不安を抱えて目まいでひっくり返りそうになる。
とりあえず確認しようと席を立ったミツルを、しかしツカサが両手を広げて阻む。
「詳しくは発表を待て! ノアサにタギシ、ぼさっとせんで検算を手伝わんか」
「あーもう、ツカサ先輩も人使いが荒い」
「班長に頭上がらないからって俺らをこき使わんでくださいよ」
不満をこぼしながら作業に戻る二人に会釈を交わし、ミツルは詰め所からすごすごと退出するのであった。
「ろくな事にならない気がするな」
わりと的中してしまう予感を引きずって。