84.帰り道で
「今日は自転車じゃないの?」
「雨降りそうだったからな。結局降らなかったけど」
店を出てすぐ、黛はタクシーを拾った。
見送ろうと、七海は少し離れてその様子を眺めていた。
しかし黛はドアの前で立ち止まると、彼女を振り返って動きを止める。
(何で乗らないのかな……?)
といつまで経っても乗り込まない黛をキョトンと見上げると―――無言の黛がドアに手を当てつつ、片方の掌で誘導するように七海の乗車を促した。そこで、彼女は漸く彼の意図に気が付いた。
「い、いいよ……!まだ地下鉄全然あるしっ……!」
唐突にレディファーストを示されて、七海は焦る。
そう言えばこういう奴だった……!と分かっていた筈なのに、七海は真っ赤になって両手を上げ拒絶の意を示した。
「……二子玉の駅までなら、いいだろ?どうせ一人乗っても二人乗っても同じ料金だ」
「ま……そ、そう言えばそうだね……」
黛の負担が増える訳では無い。
今回は『こどもの国経由で!』なんて無茶は言い出さないようなので、七海はホッと胸を撫で下ろした。それでは、と遠慮なく同乗させて貰う事とする。
ガラス窓の外を眺めるとも無しに見ると、街の明かりがびゅんびゅんと速度を増して流れていく。黛も七海も暫く無言のままお互いそれぞれ反対側の景色を眺めていた。
暫くしてふと、七海はチラリと隣に目をやった。
彼の物憂げな表情はうっかり見惚れてしまうほど美しいと、七海は改めて思う。時折明るい光にその輪郭が縁どられる度にドキリとした。
そして彼女はスタバの前で黛が言っていた言葉を思い出し、クスリと笑みを零した。
『お前は俺の”顔だけ”は好きだからな』
確かにそれは事実だった。
黛がどんな人間か面と向かって話して知る前から、七海は黛の顔を好きになったのだから。
でも、と思う。
美男子と目が合うとクラクラしてしまう面食い体質の七海だが、やはり今でも彼女が一番好きな顔は黛の顔だった。あの時は『顔だけしか好きでは無かった』と思ったが、一つでも変わらず一番好きでいられる部分があるなんて、本当は凄い事なのかもしれない。
顔だろうと、性格だろうと、体格だろうと、癖だろうと。
他人の一部分をずっと気に入っている、という状態は貴重な事だ。
『運命にしたい』動機が、そんな些細な事でも良いのじゃないか……と何となく七海は最近思うようになったのだ。
七海は確かに面食いだが―――黛の顔を好きだと思ったのは……その顔に滲み出る雰囲気とか、潔いという概念を超えた正直さとか、七海と違って周囲を気にしないで自分の良い所も悪い所も曝け出せる強さとか―――そう言う全体の佇まいごと、好きになったのだと思う。
だから男性として好きでは無いと認識して、別れを切り出した後も―――友達として付き合って来れたのだ。
やっかいな性格も、真摯と言えるくらい正直な言動も。
そして真っすぐに七海を心配してくれた真心とか、意外と頼れる所とか。笑い上戸な所とか。
それに今日も―――目の前の加藤に、ハッキリ失礼な事を言い放つ黛を何だかんだ突っ込みつつも痛快に感じた。黛は七海を自分の身内として、加藤からキッパリと守ってくれたのだから。その行動に優越感を感じなかったと言えば嘘になる。
(やっぱり好きだなぁ)
と改めて七海は本人を目の前にして思った。
彼を好きだと思ったのは、勘違いや気のせいじゃないのだと―――今改めて実感し直していた。
そんな事を考えていたら、いつの間にか長い間黛の横顔を凝視してしまっていたらしい。
黛がクルリと七海の方を振り返った途端、ギクリと心臓が跳ねた。
そのまま何と言って良いか分からず、ジッと七海を見る端正な顔と精悍な視線を、七海はドキドキしながらただ息を呑んで見返したのだった。
誤字修正2016.7.13(雫隹 みづき様へ感謝)




