74.付き纏いではありません
見覚えの無い、手入れの行き届いた女性だった。
化粧はナチュラルなものの、睫毛はキチンとカールされていて眉も整っていた。派手さは無いものの身に着けている物は全て上質な物に見える。まるで人工的な美しい商品を見ているようだと、七海は思った。
確かに黛を呼び出したのは自分だが―――何故顔も知らない女性にそのような事を言われたのか七海は戸惑い、答えられずにいた。
キョロキョロと見渡せば、閉店近くのそこは客がまばらになっており、特に女性は七海の外は二人組の若い女性、それから年配のお一人様が座っているだけだった。
「もしかして、惚けているのかしら?貴女にお聞きしているのですけど」
「あの―――どなたですか?」
名乗りもしない人に、自分の事情を説明する必要は無いと思った。
キツイ視線を投げ掛けたまま、その女性はサラリとポニーテールを揺らして不躾な視線を七海に投げ掛けた。
「黛の同僚ですけど。伝言をいただきましたが、職員は個人的な呼び出しには応じられませんので、帰って頂けますか?そしてこう言う事はもう二度としないでいただきたいんです」
「いえ……あの、私は彼の友人で……」
「そう言って呼び出したがる人が後を絶たないので、黛も困っているんです」
確かにそう言う人間も多いだろうと言うのは予想が着いた。
『同僚』と言う彼女は黛への伝言を見て、親切心から注意を促しに来たのだろうか。眉を顰め七海を見下ろす様子は、如何にも迷惑そうだった。
七海は誤解を解こうと弁解する事にした。
「本当に黛君とは友人なんです。連絡も入れているんですが、多分まだスマホを確認していないだけだと思うんですけど……」
「例え連絡先を知っていたとしても、職場まで押しかけるなんて常識外れじゃありませんか?黛は忙しい身ですからもう止めて下さい。きっと貴女に気の毒だから強く断れないんだと思います。『友人』だと思っているのは……貴女の方だけでは?彼の優しさに付け込むのは―――止めてください」
七海は彼女を見上げたままそこで首を傾げて、沈黙してしまった。
腰に当てた手を大きな胸の前で組み直し、ヒールの女性は不快気に七海を睥睨した。
「―――聞いているんですか……?あまりしつこくするなら―――こちらもそれなりの対応をさせていただきますよ?」
完全に七海をストーカーと決めつけている。
七海は溜息を吐いて、息を吸った。
そして立ち上がり、それでも『ヒール+高身長』のキリリとした女性を見上げて彼女の勘違いを指摘したのだった。
「黛君が―――自分で『強く断れない』なんて、ある訳がないじゃないですか。彼は嫌な事は嫌と、ハッキリ相手に言う人です。だからそれを貴女に言われる筋合いはありません」
気の弱そうな容貌の態度の低い女が急にキッパリと宣言したので、女性は目を瞠って驚いた。
「は?」
「仕事相手や患者さん相手なら分かりませんけど―――普段の彼が優しくて相手を思い遣って遠慮して、人に気を持たせるなんて事―――する筈ありません」
女性は七海のの強い口調に、怯んでとうとう口を噤んだ。
拳を握る七海の主張は、続いた。
「相手に嫌われようと、何と罵られようと、黛君が言いたい事を言わずに口を濁すなんて事ありません。アイツは本当に口が悪くて―――」
其処まで口にすると、七海の頭に記憶の洪水が一気に押し寄せて来た。
その時々の感情が―――鮮明に彼女の胸に蘇って来て溺れそうになる。
「本当に人の気持ちを思い遣るなんて芸当、昔から出来ない奴で―――私にも結婚相手がいないだの、就職できるつもりでいるのかだの―――好き勝手に罵倒して、それから地味だの平凡だの、私が自分でも分かっている事をゴリゴリ抉るように揶揄ったり―――彼女が出来ても相手もしないで幼馴染の家に入り浸るわ―――ヨモギ大福は俺のだとか我儘な事言い出すし、アイツ以外にも食べさせようと二個買ってきたのに、隙を見て二個とも平らげるわ―――ゲームに集中したら返事はしないし、自分の自慢話ばっかりするし、ちょっと金持ちの家に生まれたからって私の事、庶民扱いして馬鹿にするし―――」
心底腹が立って来て、七海の眉はつり上がった。
その様子に気押されたように、ヒールの女性は組んでいた腕を下ろし一歩下がってポカンと七海を見つめている。
その時七海はハッと我に返った。
(ヤバいっ。この人、黛君の同僚だったよね?!こんなにアイツの悪い所ばっかり暴露しちゃったら―――仕事場でせっかく頑張ってるらしいのに……!)
七海は慌てて、首をフルフルと振ってフォローの言葉を探し始めた。
「あっでも―――黛君にも良い所あるんですよ?えっと、えっと……あ、そうだ!口は悪いけど―――嘘はつかないし。……ほんとーに有り得ないほど口は悪いですけどね!あと誰にでも損得関係なく、不意に優しかったりするし―――その所為で女の子が夢中になっちゃうから、本当に傍迷惑なんですけど―――あ!そうだ。それとモテるけど浮気とか二股とかはしませんよ!……そりゃ、態度悪いからすぐ振られるし、来るもの拒まず去るもの追わずで彼女のサイクル、えっらく短いですけど―――つ、つまり何が言いたいかと言うと―――」
褒めようとしているのに、何故か余計な注釈を付けてしまい七海は慌ててしまう。
自分でも褒めているのか貶しているか、分からなくなってしまった。
だから改めて声を大きくして、言い直した。
「ちょっとは良い所も、有るんです……っ!仕事も頑張っていますし、私の両親に会った時もちゃんと普通に社会人の挨拶が出来ましたし……っ」
するとゲラゲラと笑い声が聞こえて来た。
七海とヒールの女性は入口の方向を弾かれたように振り返る。
「お前っ……散々罵倒しておいて、俺のいい所それだけしか思い浮かばねーってどういう事?!それに全然褒めてねーじゃん!」
二人の視線の先で―――黛が腹を抱えて笑っていた。