70.落ち込む理由
研修医になったばかりの黛だが、すでに主治医として受け持っている患者が何人かいる。
と言っても名ばかり主治医で、実際は指導医は診療方針を決め診療後、投薬する薬を決める時も全て指導医のチェックを受けその指摘通りに処方箋を作るだけだ。
まだ経験が浅い彼が重症患者を受け持つ事は殆ど無かった。
しかし今回新しく受け持った患者の精密検査を行った後、複数の臓器にがん細胞が転移している事が判明した。
手術をしても体力が持たないかもしれない、手術後そのまま息を引き取る可能性も否定できない。黛は指導医と相談してご家族に『もって半年』と説明した。その場で泣きながら震える相手に淡々と辛い事実を述べなければならない事に、普段滅多に折れない彼の心も流石に折れた。
その患者は二年前に健康診断を受けていた。勿論その診断は黛が行った訳では無い。直近の診断で分からなかった事に疑問を抱いたが、以前のカルテとX線写真を改めて確認しても、黛にも兆候を確認する事が出来なかった。あるいはベテラン医師なら小さなそれを見出す事が出来ただろうか、と考える。指導医はそんな事も稀にあるのだ、と言ってはいたが。
だけどもし、その診断の時もっと疑ってかかっていたら?―――事前にこういう事態は防げたのではないか。そして今自分が訳も分からず担当している患者に何か見落としがあったら……?勿論自分の診断には指導医が毎回目を通してくれているから、そんな事は起きないだろう。しかし万が一と言う事もある。
しかし毎日たくさんの患者を受け持たなければならず、一人に時間を割けば他の患者の診察時間を奪う事にもなりかねない。ベテラン医師ならその辺りの力加減の緩急を付けられるのだろうが―――目の前の症例の判断にも迷う自分にそんな絶妙な判断は難しい。
研修医はいずれ新しい研修医に場を譲り、違う受け入れ先で修業を重ねる事になる。見落としが仕方が無かったとしてもその後ずっと寄り添えない相手に、実力を伴わない非力な自分が目の前の相手を励ますような何を言えるだろう。自身が全く役に立たない人間のように思えて、黛は肩を落とした。
結局は自分の力不足。
いつもなら、悔しさをバネに努力するよう自分を鼓舞していたが―――初めて救いようのない患者を担当した黛は気持ちを立て直す気力が湧いてこない事に気が付いていた。
将来は父と同じ外科に行きたいと思っている。内科のように検討を立てて投薬し、アタリが悪ければ違う薬を試す―――と言う手探りをしなくても良いし、自分の性格には合っていると彼は思っている。しかし一々患者の行く末に悩み狼狽える自分が、果たして一人前の医師になれるのだろうかと疑問を感じ始めた。それともその内そんな状況にも慣れて感情を動かさずともよくなるのだろうか?
黛の父親は家庭で仕事の愚痴は一切言わなかった。というか殆ど親子の会話らしい会話を交わす事も少なかった。
そう言った葛藤を父親はどう処理して来たのだろうと、黛は不思議に思う。それともこんな事で落ち込んでしまう自分は医師としては不適格なのではないか―――などとまた不毛な事を考えてしまう。
そしてそんな風に悩んでいる事を一言も表に出したくない自分は―――もしかしたら幼い頃から疎遠と言える位の距離を保って自分に接する父親に似ているのかもしれない、と思い至った。こんなグズグズの自分と辛い現実を無邪気な子供に見せるなんて、黛にも無理そうだ。仕事人間の父親はいつも仕事の事しか頭にないと思っていたが―――偶に接する子供との話題にするには、そう言った話はあまりに濃すぎたのかもしれない、と何となく想像が付くようになった。
憂鬱な頭でそんな事を取り留めなく考えていた時、スマホに七海からメッセージが届いた。
『元気?時間できたらご飯食べに行こう』




