59.彼氏ってどんな人?
岬は暫く言い訳のような恨み言のような事を呟いていたが、キッパリと対応する伊達とやんわりと同意を避ける中村の気持ちを動かす事ができないと理解すると大人しくなった。そしてワインを二杯ほど続けて飲み干すと「すいません、帰ります」と言って数枚千円札を出してテーブルに置き、バッグを持って立ち上がった。
中村が「真由……」と呼び止めると一時立ち止まったが、振り向かずそのまま店の出入口に向かって歩いて行った。
田神が立川に「立て替えといて、明日払うから」と言って立ち上がる。
立川は頷いてヒラヒラと手を振った。
扉を押してフラフラと出て行った岬の後を追うように田神が店を出て行くと、その場の皆の緊張がドッと解放され、気が抜けた雰囲気が漂った。
「やっぱなぁ~、噂を聞いた時は『まさか』と思ったモンな。だけど意外過ぎて、返って真実っぽい雰囲気出てたよ」
「そ、そう……?」
七海が戸惑うように返事をすると、営業部の小池が安心したように笑った。親しくは無いものの七海と同期入社の彼とは顔を合わせれば挨拶をする仲だった。
「田神さんの話って四割眉唾か御伽噺だよな」
「そんな事言ってて、お前が一番食い付いていたろ」
調子の良い事を言う郡山を小池が小突いた。自分の噂話を話題にされているのに、思わず七海は笑ってしまった。
「それにしても伊達さん凄かったですねー!『姉御』って呼びたくなりました!」
小池が嬉しそうに伊達を持ち上げた。伊達は肩を竦める。
「誰にでもあんな風に言うわけないじゃないわよ。真由はあれでいて結構次の日ケロッとしているから言い易いの。メンタル弱そうな人には言わないわよ」
どうやら伊達にとっては岬は遠慮なく話せる相手であるらしい。
七海にもそう言う相手はいるので、何となく関係性に想像が付いた。
「それにしても噂ってコワいね」
原因を作った当人の中村が、そんな事もすっかり忘れて感心したように溜息を吐いた。
すると郡山がケラケラ笑いながら言った。
「中村さんにも噂、ありますよ。スッゴイ年上の男の人と不倫してるって言う……」
「へえ、マジですか?」
小池が食い付くと中村が口に含みかけたワインを少し噴き出した。
すかさず七海が手元の使い捨ておしぼりを差し出した。中村は礼を言いながら口元やワイングラスを拭ってから慌てて否定した。
「そんな訳ないでしょ!不倫なんかしてないわよ!……そりゃ、かなり年上だけどさ……」
頬を染めて俯く中村を皆が囲み、彼女は嫌々スマホで相手の写真を皆に見せる破目に陥ってしまった。
「おお~」
「渋い!」
「中村さん、おじ様好きなんすねー」
若い男性二人が中村の彼氏の写真に食いついているのを、他人事のように七海は眺めていた。自分が矢面に立たない位置は彼女の定位置で、安らぎの場所だった。
ところが中村の影に隠れてニコニコ油断している七海に、立川が話を振って来たため、彼女はまたしても話題のテーブルに引き摺り出される事になってしまった。
「で……江島さんの彼氏って、どんな人?」
柔らかい笑みを含んだような低音に振り向くと、立川が穏やかに微笑んでいた。
(もう誤魔化せない)
七海はそう思った。
正直に彼はいないと言うべきか。
それとも仮の彼氏の写真を見せて話を終わらすべきか。
数秒逡巡した後、七海は顔を上げて立川を見返したのだった。




