45.それは既視感です
土曜日、いつも通り大福屋の手伝いを終えた七海が引き戸を開けると、何だか見覚えのある光景が目に飛び込んできた。
ガードレールに体重を預けて、こちらをボーッと見ている美しい男がいる。
「よぉ」
「黛君……」
手を上げる黛に歩み寄ろうとして、七海は「あっ」と叫びクルリと踵を返した。そして引き戸を開けて大福堂の中へ戻ってしまう。
「……」
黛は上げた手を、ゆっくりと下ろした。
暫くすると七海は袋を手に、ガラスの引き戸をガラガラと開けて店を出て来た。
そして黛に歩み寄るとそれをそのまま彼の目の前に突き出した。
「あげる」
「え?」
「ヨモギ大福。限定品だから早く買わないと売り切れちゃうの。お礼に貰って?」
「お礼?」
心当たりの無い黛は首を傾げた。
「えっとー……その、『彼氏の振り』?助かったよ。結局まだ黛君の事は公表していないけど、提案して貰った事で随分気持ちが落ち着いたの。立川さんの誘いも断れたし、課の先輩にもちゃんと挨拶できた。岬さんにはまだ無視されるけど……」
「別に俺は何もしていない。七海の普段の行いの成果じゃないか?―――まあ、でもくれると言う物は貰うけど」
黛は袋を受け取った。
頬が緩んでいるのが分かって、七海はホッとする。
何だか黛に一方的に世話を掛けているようで、落ち着かなかったのだ。ヨモギ大福一つで機嫌を取れるなどとは思っていないが、素直に喜んでいる黛を見ると七海も目尻が自然と緩むのを感じた。
「今日、お昼どうするんだ?」
「今日は―――これから洗濯と掃除して、それからご飯……かな」
「一緒に食べようぜ」
「いいけど―――それだけ言う為に待ってたの?」
メッセージアプリでも、メールでも電話でも、連絡を入れるだけで事足りる。
「え?ああ―――」
何となく黛らしくない行動に七海は首を傾げた。
もし七海が休んでいたら、ずっと待つことになった筈だ。
「スマホに連絡くれればいいじゃん」
「―――」
七海がポロリと放った台詞に、黛は顔を上げてジッと彼女を見た。
「『絶交』してんだろ?連絡するなって言ったじゃん」
すっかりそんな事を忘れていた七海は、一瞬黛が何を言っているのか分からなかった。
そして言葉の意味を理解した後も、何故そんな事を黛が言うのか理解できなかった。
「この間、電話して来たでしょ?」
「あれは―――でも『宿題』も解いて無いし」
「『宿題』?」
黛が何を言っているのか、七海には更に意味不明だった。
首を捻る七海に、黛が少し苛立ったように言った。
「お前が言ったんだろ、『何で怒ったのか理解するまで、遊ばない』って。またメッセージ無視されたくない」
「あ、ああ~……」
七海は自分が放った言葉を、やっと思い出す事ができた。
あまりに色々な事があり、様々な事を考えた所為で―――すっかり自分のやった事や言った事を忘れてしまっていた。というか、蒸し返されるとあまりに恥ずかしい。自分の幼さや浅はかさを突き付けられるようで。
そして『絶交』って何だ。
と我ながら恥ずかしくなる。
どう考えても、相手に対して甘えている人間の台詞だ。わざわざそんな事を言い放ち走り去った二週間前のの自分が目の前を通り過ぎて、アッと言う間に消えていく。
残像がフラッシュバックのように現れて、七海は真っ赤になってしまった。
自分の気持ちを一から十まで分かって欲しいなんて、何様だと思った。
そして一体自分は黛の『何』のつもりなのだろう……。
今では少しずつ、七海は自分の怒りの理由に検討が付きつつあった。
自分でさえ把握していなかったその気持ちを、勝手に推測しろと七海は言ったのだ。
そして何となく―――もう黛にその事について追及されるのはマズイ気がしている。
「自分で言っておいて―――悪いけど……もうそれ、忘れてくれる?」
「え?」
これ以上この話を蒸し返したく無いので、七海は急いで話を変えた。
「もしかして車?洗濯終わるまで、どっかで時間潰す?それとも―――家来て待ってる?」
「七海の家に?」
「そう、誰か彼かいると思うから落ち着かないかもしれないけど―――」
「行く」
黛が即答したので、七海は頷いた。
「じゃあ、行こう。車乗せていってね」
2016.6.13誤字修正(雫隹 みづき様へ感謝)




