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35.大丈夫です


ロッカー室の扉に手を掛けると、向こう側から岬と伊達、中村が笑い合っている声が響いた。


一瞬、ドキリとして七海の体が強張る。

自分の事を話題にして笑っているのだとしたら……。


『大丈夫だ』


頭の上、高い所から声が聞こえたような気がして、我に返った。


『お前みたいないい奴を嫌う奴なんて滅多にいない』


小心なだけの自分を『いい奴』などと思った事は無いが、傲慢で容赦ない黛の言う台詞には説得力があった。事実はどうあれ、少なくとも黛がそう信じてくれる事に偽りはないだろう。彼は相手の都合の良し悪しを考えず、いつも正直に言葉を使うから。


七海は一旦深呼吸して、グッとノブを掴んで扉を押した。


「おはようございます」

「おはよー」

「おはよう、江島さん」

「……」


少し声が震えたかもしれないが、何とか笑顔で挨拶で出来た。

すると伊達も中村も、いつもどおり普通に笑顔で挨拶してくれた。その様子に取り繕った様子が無くてホッとする。どうやら話題は別の事らしい。七海の考え過ぎだった。


しかし岬はソッポを向いてあからさまに七海を無視した。


『理由も無く嫌う奴はそんなにいない。それこそ岬って女みたいに、利己的な考えしか出来ない奴くらいだ』


また高い所から声がした。


それで七海は(そうだ。これは私の問題では無く岬さんの問題なのだ)と冷静に考える事ができた。


だけどもし黛に助言を貰えなかったら、自分はきっと疑心暗鬼になって伊達と中村に変な態度を取ってしまっただろう。そして特に七海にキツク当たってないのにそんな態度を取られた二人は、七海に悪感情を抱いたかもしれなかった。


岬に抉られた心の傷はジクジク痛むし、無視されればやはり悲しい。

だけどそれに振り回されていつもの自分を失えば、一方的に七海を貶めた岬の『手伝い』を自ら買って出る事になってしまう。


(とにかく仕事に集中しよう)


三年目でやっと要領も分かって、難なく進められるようになったのだ。七海に出来るのは手に入れた大切なものを失わないよう頑張るだけだ。胃は痛いがここは踏ん張り所だと七海は気合を入れ直した。






喫煙室の前を通り過ぎようとした時、扉が開いて中から出てきた人物とぶつかりそうになった。


「すいません」

「江島さん」


咄嗟に謝った七海を見下ろしているのは、営業部の立川だった。


「あっ立川さん……」

「お使い?」


七海が抱えた荷物を確認し、酷薄そうな一重の目を朗らかに和らげて立川は微笑んだ。

その笑顔から昨日の鬼畜発言が放たれたとは、どう考えても信じがたい。

背筋がブルリと震えたが、七海は両足を踏ん張ってニコリと笑った。


「はい、企画部まで。あの、昨日はご馳走様でした。ランチ美味しかったです」


『安心してニッコリお礼を言え。冷たい態度なんか取ってお前の株を下げる必要は無い。キャラクターに似合わないからな』


ヒドイ言い方だが、気持ちは伝わった。

七海は誰にでも笑顔で対応していた。その姿勢を変えずに今まで通り貫こうと思った。


立川は笑みを深めて言った。


「こちらこそ付き合ってくれて有難う。楽しかったよ―――今度は夕飯、付き合ってよ。飲みに行こう」


あの話を立ち聞きしなかったら。七海は社交辞令と受け取って頷いていただろう。

だけど聞いてしまったからには、黙って「いいですね」と返す訳には行かなかった。


とても恥ずかしいが……言わねばならない。


「えっと、その―――」

「どう?」

「あのっ、立川さんとランチに行ったって言ったら彼……に怒られてしまって。男の人と二人でご飯食べに行ったら駄目だと……言われまして……」




(どの口が言うんだぁぁ……!)




七海は全身真っ赤になった。

カッコ良い営業部のエースに夕飯に誘われて、『二人きりで』と言われた訳でも無く告白された訳でも無いのに牽制するような台詞を『平凡地味子』である自分が口にするとは。


そもそも立川の台詞自体が社交辞令の可能性もあるのに。


いや、昨日の喫煙室の会話を聞く限り、そうでは無いとは分かるのだが……少なくともそれを聞かれていないと思っている立川は、七海の自意識過剰な返事に引くかもしれない。




(いっそ引いてくれ!呆れてくれ~!まず、私が私に引いちゃってるけどねっ)




耐えきれずに俯いた七海の頭の上から、笑い声が聞こえた。


「じゃあ、皆で行こう。営業と総務でさ。田神に頼まれているんだ、岬さんと飲みに行きたいから渡りを付けろって」


顔を上げると気を悪くした様子も無く、立川は優しい視線を七海に投げ掛けていた。

そこに年上の余裕を感じ、彼が営業部の超人気物件でだからこそ岬が七海を牽制したのだと言う事に思い至った。

七海は一層恥ずかしくなって、沸騰したように体が熱くなるのを自覚した。




『まあ、でもソイツそんなに悪い奴じゃないかもよ』




と言う黛の台詞が頭に浮かんだ。

そしてボンヤリと『逃した魚は大きい』と言う諺を思い出す。


七海の春は遠いのかもしれない。



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