32.分かりませんか
七海はたどたどしい口振りで、昨日会った出来事を説明した。
黛はそれを黙って聞いていた。
「―――と、言うわけなの」
「ふーん?」
聞いてはくれたが、感慨もなさそうな様子で黛は進行方向を見ながら相槌を打った。
「で?それで七海は何を悩んでいるんだ?」
そして馬鹿にすると言う口調でも無く、本気で分からない……と言った口調で黛は首を捻っている。
七海はガックリと項垂れた。
(そこからか……)
黛と七海の溝はやはり深くて遠いらしい。気持ちを共有する事など無理なのだ。
「も、いい」
溜息を吐いてプイッと外の景色に目を向けた。すると黛は落ち着いた声音で言った。
「おい、待て。ちゃんと最後まで言え」
「は?全部言ったけど?」
「言ってない。話は聞いた、昨日起こった事は分った。営業の立川って野郎にランチに誘われて、戻って来たら同じ課の岬って女に『立川に近付くな』と言われ叩かれそうになった。その後立川が喫煙室で話しているのを聞いた。立川の目的がお前を落として自分好みに仕込もうと言う事だと聞いて気持ち悪くなった―――そうだろ?」
「うん……黛君、ちゃんと話は聞いてるんだね」
なのにあの反応か。
と七海は更に残念な気持ちになった。
「当り前だ。俺が聞きたいのは、それでお前が何に困ってるのかって事だ」
「何って……言わなくてもわかるでしょ……」
「わからん、サッパリだ。言い寄って来る相手ってのは、大抵相手を自分の思う通りにしたいと考えているモンだ。岬って女みたいなのもよくいるよな?自分の好きな相手が自分じゃなくてこっちを気に入ってるから当て擦ったり、嫌味を言ったり周りを扇動したりしてこっちを貶めようとするんだろ?生きていればよくある事じゃないか?」
「……」
七海は口を噤んだ。
昨日あった事は七海にとってはまさに青天の霹靂だったが、モテる黛にとっては日常よく起こる出来事だったのだ。
「……そうだよね……私が気にするのが悪いのよね……」
自分とかけ離れた、何もかも持っている強い黛に相談したのがそもそも間違いだったのだと―――七海は何だか悲しい気持ちで俯いた。
するとチッと左側の髭面の男が舌打ちした。
七海はビクリとした。
これまで黛は七海がどんなキツイ事を言っても、冷静に突飛な持論で遣り返したり、笑って相手にしなかったりと、対応は間違っていると思うが七海に苛立ちをぶつける事など無かった。その黛が七海に向かって舌打ちした。
その途端、自分が恥ずかしくなった。
『絶交』と言い放っておいて、職場の人に辛く当たられたくらいで掌を返し助けを求め、理解してくれないからと言って苛立ち、落ち込む。
こんな身勝手な女がいるだろうか。




