28.タイミングの良い?男
お風呂に入りパジャマ兼用の部屋着に着替えて二段ベッドの下に腰かける。今日も上の段の住人は遅くなるようだ。このところ、実験で一日中大学に張り込む事も多くなった。
今日の出来事を思い出すと気が滅入った。
岬にいきなり糾弾され、叩かれそうになった事。
敵意を向けられ、七海はただただ怖くなった。
彼女は立川を好きなのだろう。だから七海に敵意を向けてきたのだ。……ただホストがどうこうと言っていた部分については、七海には全く意味不明だった。ホストクラブどころか、若い男女が踊るような『クラブ』にも行った経験さえ無かった。
そして『平凡地味子』と吐き捨てるように言われ……。
一瞬そんな場合じゃないのに(上手い事言うな)と何となく七海は感心してしまったが。
でも。と七海は思った。
立川は仕事のお礼のために七海をランチに誘っただけだ。
それに何故七海が責められなければならないのだろうか?七海がどうしても一緒にランチをしたいと言った訳じゃない。むしろ立川は営業で鳴らしたテクニックを使って、断れないように七海を上手に誘導したように感じる。最初は分からなかったが、後から思い返してみるとドンドンそんな風に思えて来た。
そして喫煙室の出来事。
これをどう解釈して良いのか、七海は戸惑っていた。
モテた事も男性経験も無い自分が何故三人の男を手玉に取る『魔性の女』と呼ばれているのか。それが岬がホスト云々と言っていた事と関係があるのか。何の根拠でそう言ったのか分からないが、噂を流したのは岬らしい。
立川はその噂を信じていないようでホッとしたけれども、如何にも楽し気に、趣味の話でもするかのように口にしていた台詞があまりにおぞましくて―――鳥肌が立った。
『それにあーいう地味なタイプの方が仕込みがいがあるんだよ。昼と夜のギャップがあるのが良い』
(『仕込む』って何をだ。『昼と夜ギャップ』って何?!生々し過ぎるよ~!!)
七海は顔を覆った。
ランチの時の立川は落ち着いていて朗らかで、とても感じが良かった。さすが営業部のエースだと七海は感心したものだ。
話術も巧みだし、親しく無い相手と上手く話せない七海の話を引き出すのも上手で―――単純にスゴイ人だなぁと、尊敬の気持ちを抱いた。
(それが、あんな目的のためのお誘いだったなんて―――!怖い、怖すぎる!)
明日どんな顔をして会社に行けば良いのか分からなかった。
立川と顔を合わせたら?「昨日はランチご馳走様です、有難うございます」とか言うべきなのだろうか……そんな台詞、笑顔で言うなんて無理だと思った。
岬に会うのも怖い。営業部まで噂を流しているとすると……当然課内で彼女と仲の良い伊達や中村の耳にも、そのような噂が入っている筈だ。二人もそんな風に自分を見ているとしたら……
ブーッブーッブーッ。
「うわぁっ」
スマホが突然震えて、七海は飛び上がった。
表示を見ると『まゆずみ』と浮かび上がっている。七海は咄嗟に電話を取って、開口一番こう言った。
「黛君!助けて!」
『へ?……あ?』
「もう私どうしたら良いか分からないよ~~!!」
『えっと……そっか。どうした?』
「それが……」
『ん?あっスマン!宿直室なんだ。今急患が入ったらしい。またかける!』
ブツッ。ツーツーツー。
「あっ……黛君?」
突然切れたスマホを見つめ、七海はボンヤリとしていた。
そしてだんだんと、平常心が戻って来る。
我に返って、頭をプルプルと振ってみた。
すると―――少しだけ……少しだけだが―――重苦しい空気が、軽くなったような気がした。




