13.悪かった
「悪かった」
一転して頭を下げる黛に、七海は目を丸くした。
先ほどのメッセージを見る限りは反省しているようには全く見えなかった。
なのに目の前の黛は、神妙な顔をして頭を下げている。
珍しい物を目の当たりにして、七海は少し面食らいながらも頷いた。
「酔ってるからって何やってもいいと思ったら大間違いだからね。ちょっとは相手の気持ち考えなよ」
「すまなかった」
素直に謝罪の言葉を重ねる黛が、顔を上げて再び七海を見つめた。
七海も思わずジッと見返してしまう。
彼女は疑っていたのだ。黛が行動を起こす時は少なくとも本人は悪い事をしていると思っていない筈。確か昨夜は『冗談だ』とは言っていたけれど、少なくともついうっかり衝動的に行動した訳では無く、彼なりの理屈があるのだろうと思う。それを―――相手が不快に思うかどうかと言う事は別にして。
だからすんなり謝る黛を受け入れるのは難しかった。
七海は腕を組んで、ジロリと黛を見上げた。
「本当に悪いと思ってるの?」
「ああ」
神妙な表情で七海を見つめる黛は、嫌になるほど綺麗な顔をしている。
「なーんてな!」と茶化されるのではと警戒していた七海だが、どうやら本人は本気で謝っているらしい。溜息を吐いて腕組みを解いた。
先ほど小豆を掻き回しながら、七海の頭もクールダウンし始めた所だった。黛が反省していると言うなら、許すとまでは言えなくとも謝罪の気持ちを聞くぐらいの余裕はあった。
「分かったよ。もうああいう事、やらないでよね」
「ああ、今度からはやる前に事前に確認する」
「―――は?―――」
七海は耳を疑った。
黛は……というと至極真面目な顔だ。
嫌な予感がして、七海はソロリソロリと口を開いた。
「あのさ、な……んで、急に謝る気になったの」
黛が明後日な方向で反省しているのは分った。
自分が何故頭突きされ、絶交宣言されたのかを―――相手の気持ちをちゃんと把握していない事も。
お腹を蹴ったのは流石にやり過ぎたかも……と七海はほんの少し反省していた。しかし改めて反省する必要は無いと今思い直した。
そりゃそうだ。悪いと判っていたら最初からあんな事はしないだろう、いくらボロボロに疲れ切って酒に酔っていたからと言っても、意識が混濁している……というほどでは無かったように思う。要するにキスした事自体を悪いと思っている訳では無いのだ。
男と女の間には、マリアナ海溝より深い溝があると言う。
それを、七海は改めて実感した。
七海の問いかけに黛は頷いて、あくまで真面目に答えた。
「鹿島に相談したら『お前が悪いから謝れ、本気で謝れ』って言われた」
「―――」
絶句して―――七海は頭を抱えて呻いた。
「七海?どうした?」
それを黛は心配気に覗き込んだ。
屈託のない親切そうなその仕草に、七海はガッカリした。
そしてキッと彼を睨みつけ、ビシッと人差し指を突き付けたのだった。
「『絶交』継続!!」
「ええ?!」
心底驚いたように身を引く黛を、温度の無い瞳で見上げ七海は静かに言い放った。
「何で私が怒ったのか黛君が理解するまで、一緒に遊ばないから。ヨモギ大福も買ってあげない、食べたかったら自分で買え!!」
「え?ヨモギ……?何?」
古屋大福堂のヨモギ大福はすぐに売り切れるのだ。
今まで毎回確保できていたのは、長年通っていた七海がちゃんとタイミングを見て確保していたからだ。そして今では従業員として優先的に確保できる権利も得ている。
黛が顔を上げて店の入口を見ると、既に数人の客が店の中で注文を済ませている。限定品のヨモギ大福が売り切れになっているかもしれない。けれども黛は―――七海がいつもお土産で買って来ていたため、確保しづらいものだと言う事にはまだ気が付いてないようだった。
自分との『絶交』が黛に与えるダメージなど大した事では無いだろうと、七海は思っている。どうせ唯を挟んだ腐れ縁なのだ。
ヨモギ大福を確保しないと言う宣言こそ、本当の七海の意趣返しだった。
黛を睨みつけてから、七海は踵を返した。
「おい、七海……」
そして一気に走り去る。
足には自信がある。地の利にも。
しかし黛は追いかけて来なかった。
走りながら七海は、黛のオロオロと戸惑う様子を思い出した。
そう言えばあんなに慌てて戸惑う黛を目にしたのは、昨日を含めて初めてかもしれない。
チラリとそんな考えが頭に浮かんだが、別に気にするほどの事でもないか、とすぐにその事は頭の隅に追いやってしまった。