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12.早朝から小豆を煮てます

翌日七海はいつも通り朝三時に起きて、大福屋に向かった。


昨日家に到着したのは夜の十時だった。黛が沈没するのが早かったので、焼き鳥屋を出たのが九時前だったのだ。

二段ベッドの下で妹の寝息を聞きながら、あれこれ考えてベッドの上でゴロゴロしていた七海だったが、寝つきが良い性質たちなのでほどなく夢の中へ旅立つ事ができた。

そしてグッスリと眠り、スッキリと目を覚ましたのだった。







和菓子屋の朝は早い。


身支度の早い七海は三時半過ぎには近所の大福屋に到着していた。

老夫婦が営む和菓子屋はパートを雇っているが、専業主婦のその人は土日は家族と過ごすために休みを取っている。


大学時代バイトをしていた七海は、土日の朝方だけ店の手伝いをしているのだ。

と言っても掃除や洗い物がメインで、商品を作る作業にはほとんど手を出さない。最近やっと小豆洗いだけでは無く小豆を煮る作業を手伝わせて貰えるようになった。

立ちっぱなしで鍋を掻き回していると、日々の些末な迷いや苛々が湯気に蒸されて一緒に空気に溶けていくような気がする。


七海の勤めるお菓子会社は本業に支障が無い範囲であれば、届け出れば兼業を認めている。同じような業種なので、七海の届け出はすぐに受理された。認められなければボランティアで通おうかと思っていた所だ。



一通り和菓子作りが終わって、片づけ作業に入る。


バッグを覗くと、スマホがチカチカ点滅していた。


『ヨモギ大福食べたい』

『おーい』

『ななみー』

『……』

『返事くれ』

『怒ってるのか?』


メッセージが断続的に、そして一方的に送られてきていた。




全く反省の色が見えないメッセ―ジに、七海は肩を落とした。

しかし小豆を掻き混ぜている内に、やや頭の芯が冷えて来てこう思うようになっていた。




スッゴく腹が立って、頭突きして蹴りをいれて『絶交!』って言い放ったものの……後悔は全くしていないのだけれど……。


結局されたのは軽いキス一つ。


初めてじゃないと見栄を張ったものの、勿論ファーストキスだ。だから自分は憤って良い、そう思えるけれども―――二十五歳でキスされたぐらいで大騒ぎしてたら―――例え口を噤んで顔を逸らしても、処女だと大声で言っているのと同じじゃないか……と七海は気が付いた。


「いや、許さないよ?今後の私の為にもアイツの為にも、その方が良い」


と、白い作業着と帽子を脱ぎながら七海はブツブツ呟いたが―――冷静になればなるほど、怒りより物悲しさが滲んでくるのだ。




恋愛経験値が違い過ぎると言う事実に。




黛にとってはたかが、『キス一つ』

その先も『やってみるか?』で済むくらいの軽い行為なのだ。彼にとっては。


状況を思い起こしてみると。

あの時パニックになった七海は『やられる!』と怖くなったが―――黛は別にどうしても七海とやりたいと言うほどの熱意も無かったように思う。

そりゃそうだ、と七海は思った。いまだにモテ過ぎて告白を断っているくらいなのだから。別に黛は女に困っている訳ではないのだ。


七海は思った。


ここで関係が切れるのも致し方が無い。

だけどもし彼が今後きちんと反省するならば―――不用意に七海を巻き込むような行動を起こさないと約束させれば良い。友達としてこれからも付き合うなら―――ちゃんと線引きを明確にして置かないと。




しかしあの忙しさなら今後の付き合い云々に関わらず、また余裕で一ヵ月くらい顔を合わせないままになるのだろうな、とも彼女は思う。

その時、彼が昨日の事を忘れてケロリと現れたら……グリグリと頭を小突くくらいはするかもしれないが、自分は普通に接してしまうかもしれない。


怒りを持続できない所が七海の稀有な長所であり―――短所でもあった。







「じゃあまた明日、よろしくお願いしまーす」


着替えて店先を通りすがる時に、挨拶をする。

大福屋の古屋ふるやさんの奥さんはマトリョーシカのような小柄な体を少し揺らして、柔和に目を細めて頷いた。


「明日もよろしくね」

「はい!こちらこそ!」


ガラリと古い木枠で囲まれたガラス戸を引き分けて、外へ出る。

するとガードレールにもたれるように座っていた男が俯いていた顔を起こした。




「黛君……」




そこにいたのは、昨夜七海が絶交宣言を投げつけたばかりの―――黛本人だった。



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