第二章11 それは魔法少女なのかな?
ぴちゃぴちゃと湿った音が一欠けらの光も無い闇の中に響いた。それは自分から漏れ出た赤い液体をすする化け物の口が生み出した物だ。
咲月は何故か恐怖を感じず、それが自分に力を与えてくれる事が分かった。
(死にたくない…………。私から奏を奪おうとしたコイツを永遠の悪夢に落とし、私から奏を奪ったアイツを殺すまでは…………)
化け物は爬虫類染みた顔と鱗の付いた手で血をすすっていたが、やがて口を裂いたかのように不気味に笑った。
「GU、GU、GURURURURU…………」
その体から発する何か力のような物を化け物から与えられた咲月は“カッ”と目を開いて立ち上がると近くで茫然と座り込んでいたクマ印の前まで歩いて行った。
「あー……あー……」
精神崩壊でもしてしまったのか目は虚ろで口からは言葉にならない声が漏れだしている。それを見た咲月は吐き捨てるように言った。
「……デク人形が!」
そして怒りをぶつけるように叫ぶ。
「あなたさえ間違えなければ奏を失う事は無かったのに! あなたさえ……あなたさえ居なければ!」
目を金色に光らせた咲月の形相は凄まじく、もはや人間の物とは思えないほどだった。いや、もう人間ではなかったのだろう。思考は怒りと憎しみに染まり、相手を傷つける事でしか気持ちを落ち着ける事ができないように変化してしまっていた。
それを楽しむかのように背後で不気味な笑いをしている化け物がそうしたのだという事すら分からないほどに精神は完全に侵されてしまっていた。
無抵抗なクマ印の喉を蒼いナイフで切り裂く。
「さっきから耳障りなのよ、馬鹿みたいに声を漏らして!」
「ぐっ……が…………」
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!」
怒りのままに全身を切り刻むとナイフの刀身は折れて吹き飛び、すると今度はそれを投げ捨てて四肢の無くなった体の上に馬乗りになって狂ったように殴りつける。
「GURURURU…………」
やがて化け物が呼ぶように唸ると咲月は茫然と立ち上がり、それの後に続いて闇の中へと消えていった。
そして無残な姿となったクマ印だけが残された空間に一つの光が舞い降りた。それは先ほどの化け物と瓜二つの姿をしながら正反対の印象を与えた。そして同じように傍らには咲月と同じ姿の人間が立っている。
「可愛そうに…………」
その咲月はクマ印を見てそっと呟くと悲し気な表情をした。
「あれは本当に俺なのか? ……いや、ごまかすのはよそう。あれは俺だ。誰かが世界を無限に分断したから、俺も鏡合わせのように無限に振り分けられる事になった。本来なら、それの役目は心を持たない物が担うのだろう。俺達はイレギュラーなんだ。世界のコトワリはそのように変えられてしまったんだ」
咲月の背後の怪物がそこらに散らばっているクマ印の手足に白い息を吐きかけると肉塊は姿を変えて白と黒の二つの人形になった。
「今、彼女の力を戻せば俺がやってきて再び壊すだろう。だから君たちは無数の世界の中に紛れ、チャンスを待ってほしい。いつか、彼女の喉につけられた傷が癒えて再び声を取り戻すような長い時間の果てに再び巡り合おう。その時は彼女もきっと何かを見つけられていると思う」
黒の人形は不安げに言う。
「本当に時間が『私』に欠けていた何かを埋めてくれるんじゃろうか? 仮にそれが補えたとしてもあの歪完全な“神”を倒すほどの物なんじゃろうか?」
白の人形は心配そうに言う。
「それに『私』が例え“神”を倒せたとしても怪物と同じである以上、『私』はそれを超える邪悪になっちゃうんじゃないかな。それはあっちの怪物としては望んだ事なのかもしれないけど、あなたにとっては違うと思うの」
咲月は語る。
「分かってる。俺の行動が単なる復讐に成り果ててしまう可能性は。でも、人は怒りや憎しみを捨てる事はできない。それは人として必要な物だからだ。邪悪な生き物だからそれがあるんじゃない、その邪悪に抗うためにそれを持つんだと俺は信じたい」
人形達は淡々と語る。
「あなたは怪物にとっては裏切り者だよ。きっと想像を絶するほどの苦難が待ち受けてる。乗り越える事なんてできないよ」
「早めに諦めた方がええと思うよ。まあ、『私』はお前が負けん限りいくらでも付き合うけぇ、諦めかけても時間をおいてまたやってみたらええよ。時間と場所だけは膨大にあるけぇね」
ふわりと人形達は浮かび上がると闇の中を飛んでいき、どこかに行ってしまった。咲月は残されたクマ印の体に手を加え、一人の少女として再構築する。
「………………」
無言で佇む少女の前に白い小熊が現れる。ぬいぐるみのようなそれは少女の様子を丸い眼で見つめている。
「まずそうなヤツだな。魂をまるで感じないぞ」
「君は……スキャットマンの忘れ形見か」
小熊は自由に語る。
「俺はラー=ミラ=サン。俺は美味しいものが好き、だからこいつは『のかな』」
「のかな? それが彼女の名前なのかい?」
「違う、『NOかな』って言ったの」
それに反応したのか少女は言葉を紡ごうとする。
「の……かな…………」
喉が傷ついているからか、かすれるような小さなたどたどしい声だが、確かにそれは意思を持った呟きだった。それは魂を持たない存在ではありえない反応であった。
それを見た咲月は驚いたように目を丸くし、少し考えると小熊に言った。
「君は美味しいものが好きって言ったよね?」
「それが?」
「彼女は魔法少女なんだ。今はまだ落ちこぼれで全然美味しくないけれど、それを立派に育てあげればとても美味しくなるんだよ」
小熊は凄い食いつきを見せる。
「本当か!?」
「うん、本当。それはハチミツよりも甘くて、高原の水よりも澄んでいて、何日も煮詰めたスープよりも濃厚で、きっとこれより美味しい物なんてどこにもないんじゃないかなって思うくらいだよ」
「そうなのか! うー、ラー=ミラ=サンは考えただけでもたまらないぞ!」
「君が彼女を食べたいと思うのなら育ててみるといいよ。それは凄い時間のかかる事だと思うけど、きっとその甲斐があるはずだよ」
「分かったぞ、ラー=ミラ=サンはやってみる!」
咲月は意気込む小熊を見てくすりと笑った。これから始まる終わりの見えない旅もこの少しおバカとも言える道連れが居れば乗り越えていけるような気がした。
(魂は生まれた時に持っているとか、失ったらおしまいだとか、俺は信じない。きっとそんなに大事な物なら、何度だって取り戻せる。彼女が魂を手に入れるその日まで俺は戦う。奏ちゃんだけじゃなく、彼女も救いたいから。そうじゃなくちゃあの“神”と同じになってしまうから。俺は諦めない、必ず君達を救ってみせる)




