第三章 2
のかなが家につくと、部屋の中に見知らぬ少女が居る事に気づいた。ワンピースを着た小柄な少女、そこはかとなく小動物をイメージさせる。小熊とじゃれていたその少女はのかな達に気づくと純粋そうな笑みを隠して慌てて取りつくろった。それを見たことかはにやぁと意地の悪い笑みを浮かべる。
「ほぅ、意外とかわいい所もあるんじゃね」
「な、なんだよ。文句あるかよ!」
不機嫌そうになる少女はどうやらことかの知りあいらしい。警戒していたのかなは気を緩めてことかに問う。
「『この子は?』」
さらりとことかは言う。
「お前を待ってる間に襲ってきた、マリーの手下の魔法少女」
「『え?』」
予想外の答えに動揺するのかなに少女は胸を張って言う。
「そうさ。あたしは技の魔法少女、パウラ=マッカートニー様だ。技術と精密さにかけては宇宙で二番目の魔法少女だぜ!」
「『一番は?』」
不敵な笑みでパウラはうそぶく。
「そいつはここじゃあ言えないぜ。ま、教えてやる気もさらさらないけどな。どうせここで死ぬんだ、知らなくてもいい事さ!」
好戦的な台詞で自分のデバイスに手をかけるパウラ。のかなはとっさに杖を展開し、身を守るためにバリアを張ろうとする。
その時、二人の間にすっと割り込んだことかが言い聞かせるように言葉を発した。
「【沈め】、そして【動くな】」
「ほげぶぅ!?」
ことかの力ある言葉によりパウラは顔面から床に叩きつけられる。あまりの勢いのために死んだのではないかとのかなは心配するが、そんな事を全く気にせずことかは冷酷にパウラを見下した。
「ちょっと自分の立場が分かってないようじゃね。その気になれば従順な奴隷にもできる。それをしないのは私の優しさなんじゃよ? いくら温厚な私でも二度目は無いけぇね、それをよく心に留めておく事じゃ」
「ぐっ…………チクショウ…………」
どうやらパウラはことかの魔法により自由を奪われているようだ。のかなは改めてことかの魔法の恐ろしさを感じるが、それよりも恐ろしいと思ったのは目的のためなら平気で人の尊厳を踏みにじっていくことか本人の精神であった。
イスに座り、パウラを見下すようにしてことかは話し始める。
「さて、さっき完膚無きまでにぼろ負けしたお前を生かしておいたのはマリーに対する人質のつもりじゃった。しかし、話によればマリーの支配を受ける魔法少女は不死の力を授かるらしい。つまり人質は無意味という事じゃ」
ぷい、とパウラは顔を背ける。
「へっ! 分かってんならさっさと解放しろよ」
声が聞こえていないかのように無視し、ことかは話を続ける。
「しかし、まだ字引としての利用価値はある。そもそも私達はマリーについて知らなすぎる。システムに介入し魔法少女を支配する力、命さえ創造するその能力。いくらヤツが才能に恵まれた魔法少女だとしても何も無しにこれほどの力を発揮できるとは考えづらい。私達はその謎を知る必要がありそうじゃ。…………話してくれるか? パウラ」
「誰がお前なんかに!」
立ち上がったことかはパウラへと近付いていく。それに恐怖を覚えたパウラは思わず顔を反らす、ことかに顎を掴まれ強引に目を合わせられる。
「二度目は無いと言ったはずなんじゃけどね」
「ひっ! あああああああ!」
ことかの目が怪しく光る。その瞳に見つめられたパウラは苦しむような声を上げる。まるで脳を虫に食い破られているかのような叫びは傍で見る者の正気を容赦なく抉っていく。それに耐えられなくなったのかなは自分でも分からない内にことかの頬を叩いていた。
「っ!」
「はぁ…………はぁ…………!」
荒い息で自分のした事にのかな自身が驚いていると、ことかは冷静さを取り戻し悲しげに顔を伏せた。
「…………顔洗ってくる」
気持ちが先走り過ぎていた事に気づき、ことかは頭を冷やすために部屋を出た。その間にのかなはパウラを起こし、優しく汗を拭った。荒い息をしているパウラは虚勢を張る力さえ奪われてしまったのかすっかりしおらしくなっていた。
「悪いな…………。仲間なのに叩かせちまって」
「『ううん。間違っていたらそれを正すのが友達だから』」
「間違いを正すのが友達…………か」
パウラは自虐的な笑みを浮かべた。間違っていた自分の過去を愚かしく思うように。
「あたしにもそれくらいの勇気があればこんな事にはならなかったのかもしれないな…………」
後悔しているようであった。主体性を持たずに周りに従うだけの人形だった自分を。つらさから逃げて思考を停止していた己を恥じるようにパウラはぽつぽつと話しだした。
「かつてのマリーは最高の魔法少女だった。『魔法少女の掛け橋』とも呼ばれる特殊な共感システムを持ち、優しくて頼りがいがあって誰からも好かれるようなヤツだった。真実を知ってしまうまでは」
「『真実?』」
「怪物は一体誰が生み出すのだろうか。自然か? 宇宙の意志か? いいや、違うね。怪物は人が生み出すんだ。正確には魔法を使った時の世界への負荷が怪物を作りだすのさ。マリーはそれを知ってしまった。その時のマリーのショックは想像もできない。信じていた物が根底から崩れていったんだから」
怪物の元に魔法少女が現れるのではなく、魔法少女の元に怪物が現れる。アニメならそう珍しいものではない。だがここは現実だ。薄々勘付いていたのかなも真実を知ったショックは計り知れないものであった。
パウラは悲しげに話を続けた。
「戦いが戦いを呼ぶ事を知りながらもマリーは戦い続けた。だが、進化していく怪物と魔法制御回路の欠陥で狂った魔法少女達に仲間は次々と倒れていった。そして最後の一人が居なくなった時、マリーの中の何か重要な物が壊れてしまったんだ」
力には責任がある。最高の魔法少女であるマリーにはどれほどの負荷がかかっていたのだろうか。才能を持たないのかなには想像もできない。だが、その心が苦しみと悲しみに満ちていたということは強く感じ取ることができた。
「タガが外れるってやつかな。マリーは倫理的な問題で力の使い方を制限していた。それが無くなったアイツは魔王そのものだった。他者への共感は自分への共感の強制、すなわち支配に繋がり、圧倒的な力は死者さえも蘇らせた。やがて組織を支配し、戦いを終わらせたマリーはぽつりと呟いた。『始めよう』と」
「『始める…………? まさか!』」
「魔法制御回路の欠陥はアイツから日常を奪った。変身が解けなくなっちまった。アイツは一生魔法少女のままだ。老いる事も死ぬこともなく、永遠に戦い続ける存在になっちまったんだ。戦わない魔法少女に存在価値は無い。戦いを終わらせたマリーは自ら怪物を生み出したんだ」
いつからだろうか魔法少女が戦うための存在になってしまったのは。かつては戦いなど無く、日常にほんの少しの騒がしさと幸福をもたらすだけの存在であった。
だが、時代ともに戦わない魔法少女は廃れていき、戦う者だけが残った。それ自体は別に悪い事ではない。そもそも誰が悪かったわけでもないのだ。ただ時代がそう望んだ、それだけの事なのだから。みんな勇気付けてもらいたかったのだ、いかなる強敵も恐れない不屈の闘志を持つ魔法少女に。
戦う魔法少女は才能の世界であった。魔力量が物を言い、魔法適性が支配する強者の世界。そこでは誰一人として自由に生きる事は出来なかった。魔法少女とは憧れの存在であり、自己満足で完結されるべき物であるというのにそこには他者との比較だけがあった。
のかなは思う。自分達はあの時の素直な気持ちを取り戻さなければならないと、初めて空を飛んだ日のような純粋さを取り戻さなければならないと。そうでなければ自分達は永遠に戦いの奴隷だ。
誰かを傷つけることでしか自分を確かめられないというのならばこんなに悲しい事はない。たとえ不可能に近い事だとしてものかなはこの悲しみは止めなければならならないと思った。
「『私はマリー=マールを救いたい』」
倒すとかそういうものではなく、真の意味で助けたいとのかなは強く思う。それがどんなに困難かということは嫌と言うほど分かっている。
そもそも相手になるかどうかすら怪しいのだ、まして救うなど不遜にも程がある。だが言葉にしなければまず始まりもしないのだとのかなは発言を取り消すようなことはしなかった。
「救うだって? お前ごときにできるもんか」
「『そんなのやってみなくちゃ分からない。だってあいつは言ったんだ「君は不可能だらけの人間だが、やり方次第でそれは可能になる」って。私はその言葉を信じる。ゼロの私だってできる事があるって証明してみせる!』」
のかなは実力で言えばパウラの足元にも及ばない。だが、鋼鉄のような意志の力はパウラの心を揺さぶった。
(こんな貧弱なヤツの言葉があたしの心を熱くする、絶望して冷めきったあたしの心を。へっ…………面白れぇじゃねぇか!)
やれるはずがない。そう頭では理解しているのにパウラは不思議な高揚を感じていた。まるで初めて魔法に出会った日のような、そんな懐かしい感覚を。
パウラは賭けてみたいと思った、いつかの魔法少女の面影を持つこの少女に。
「…………いいぜ、どうせ失う物は何も無いんだ。お前に協力してやるよ」
「『パウラちゃん…………』」
懐かれるのは慣れていないのかパウラは恥ずかしげに顔を背けた。
「べ、別にお前に感化されたとかそういうわけじゃないんだからな! ただ、最高の魔法少女たるマリーにお前がどう戦っていくのか気になっただけで…………。それに依然としてあたしがマリーの味方なのは変わりないんだ。今はただ悪の魔法少女に洗脳されているだけで、協力するのはあたしの本心じゃないんだからな! そこは重要な所だからな!」
素直じゃないパウラを微笑ましく思い、のかなはにこりと笑った。
「『うん、ありがとう』」
照れたようにパウラはぷいと顔を背けた。
「ふん、あたしは洗脳されてるんだから、礼を言われても困るっての」
「『分かってる。でも、ありがとうって言いたい気分なんだ』」
のかなは嬉しかった。かつては伝わらなかった自らの気持ちが素直に届くことが。もう魔法少女は分かりあえない存在ではないのだ。人は変わっていける。諦めず進み続ける限りきっとその意志は真実に届く。
(この才能の世界で私にできる事は少ないのだろう。それでも何もできないとは言いたくない。私もみんなと同じ魔法少女なんだから)
その時、頭を冷やしてきたことかが戻って来た。
「あれ? なんだか仲良くなっとる?」
すっかり打ち解けた様子の二人を見てことかは首を傾げた。どうしてこんなことになっているのだろうか。ついさっきまでは捕虜と看守の関係だった二人だというのに。いくら魔法で精神を消耗しているとはいえ不思議な話だった。
(何かの魔法か? …………いや、のかなにそんな器用な事ができるはずがない。ただ会話するだけでこうなったんじゃろう。相手に共感し、そこから自分の方に巻き込む。意識してやってるわけじゃないんじゃろうけど、マリーの“支配”にも似た力じゃな)
ふとことかは思い出す、のかなの家に押しかけた日の事を。あの時、本当はのかな本人にも軽い魔法をかけて状況を納得しやすくしたはずであった。しかし何故か魔法が通じず、結果として目玉を抉りだすようなパフォーマンスをしなければならなかった。
おそらく何かの対策を講じているのだとその時は判断したが、マリーの支配が通じなかったとなると話は変わってくる。精神系魔法のプロであることかが全力を出してようやく抵抗できる程の力をたかが魔法制御回路の故障でやり過ごせるものだろうか。
(まさか、のかなにも特殊なシステムが…………?)
その考えをことかは馬鹿らしいと否定する。ただでさえ才能の無いのかななのだ。特殊なシステムを組み込む事など不可能に決まっている。
もし仮にできたとしても魔力が下がる程度ならまだいい方で最悪魔法が使えなくなるほどの弱体化を余儀なくされる。それに手術後はしばらく魔法を使うことも不可能になるはずだ。あの時代では魔力のある者を狙う狂った魔法少女に狩られてお終いだろう。人より魔力を持つ存在が何の魔法も無しに人の中に隠れる事などできはしないのだから。
全ては夢物語だ。当たり前の理解を何かに理由付けなければ納得のできない悲しき黒魔法使いの妄想だ。それでもことかは思考を止める事は無かった。才能も無く、根拠も何も無いのに溢れ出る思いだけで道を切り開いていく彼女のような存在に自分もなりたかったから。
(魔法少女に必要なのは案外簡単な事なのかもしれんな…………)
暗闇の多い視界でことかは二人を茶化しに行く。その姿はいつもと変わらない飄々としたものだ。自分の歩んでいる道が正しいかどうかなどまるで分からないが、今だけは光の中を歩んでいると確信できた。
(怒りも憎しみも忘れてしまいたい。このままじゃ私は大切な物を失ってしまうじゃろうから…………)
マリー=マールとの戦いの時は近い。本来ならばそれに備えて対策を練るなり訓練をするなりあるのだろう。だが、のかなは学校の友人に会いに行くと心に決めていた。
相手はあまりにも強大だ。生きて帰れる保証などどこにも無い。いや、どちらかと言えば生きていられる可能性の方が少ないのだろう。もし命乞いをして見逃してもらったとしても精神的には支配される。それによる変化が些細なものだとしても、やはりそれはもう今ののかな達とは全くの別物なのだ。マリーに負ければのかな達の存在は永遠にこの世界から消滅させられることになる。
だから悔いは残したくない。この先に待ち受けている事が例えどんな事であろうとも、きっとそれは“今”という世界からの地続きになる。何か憂いを残したままで未来に行く事は絶対に避けたかった。
(…………やっぱり大きいなぁ。お掃除大変じゃないのかな?)
しばらくお金持ちの友人である鐘紡ぐり子のやたら大きな屋敷を眺めていたのかなはこうしていても仕方ないとインターホンを押した。
すると自動的に門が開かれ、それに対し特に思う事もなく慣れた調子でのかなは中へと入っていく。途中で会ったお手伝いの人に聞き、のかなはぐり子の居る部屋にたどりついた。
「いらっしゃい」
「よう、のかな」
すでにもう一人の友人の佐下るいも来ているようだ。さすがは決断と行動の早さには自信があると自負するるいであると言えるだろう。
のかなは軽く挨拶を返すと何かのゲームをやっているるいを後ろのソファーから眺めているぐり子の隣に座った。持っていた荷物を近くに置いて、ぐり子が注いでくれたお茶をこくりと飲む。
「ふぅ…………」
冷たいお茶で渇いたのどが潤され、のかなは少し落ち着いた気分になった。思い返せばこんな静かな気持ちになったのは久しぶりの事だ、肩の力を抜いて楽になりたい所だがこの先にはマリーとの戦いが待ち受けている。息抜きもほどほどにした方がよさそうだ。
ぐり子は美味しそうにお茶を飲むのかなを見てくすりと笑った。
「あなたって本当に幸せそうな顔でお茶を飲むのね」
照れた様子ののかなはスケッチブックに手早く書き綴る。
「『そ、そうかな? 別に普段と変わらないと思うけど………』」
にやにやしながらるいは言う。
「いや、のかなは気付いてないかもしれないけど実は凄く面白い顔をしてるんだよねぇ。そうだ! 一回写真に撮ってみようよ。ほら、飲んで飲んで」
「『そんな事言われて飲めるわけないでしょ!』」
恥ずかしそうに叫んだのかなを見て、るいは声を上げて笑う。ふぅ、と呆れたため息を漏らしたのかなは気を取り直してコップに口をつけるがタイミングを見計らっていたようにるいの変顔を見せつけられ、こらえきれずに飲みかけのお茶を勢いよく噴き出した。
「ぶほっ! …………げほっ! がほっ! がほっ!」
傍らで見ていたぐり子がすかさず突っ込みを入れる。
「あんたは悪戯好きの男子か!?」
「ひーっひっひっひっひ!」
腹を抱えて笑うるいはこんなにおかしいことは無いと床をどんどんと叩き、丸くなって震えていた。ぐり子の持ってきたタオルでふきだしたお茶を拭いたのかなは不機嫌そうに顔を背ける。ようやく笑いの治まったるいは指で涙を拭いながらのかなの機嫌取りに向かった。
「ごめんごめん。まさか吹きだすとは思わなくてさ」
「『ふんだ、るいちゃんなんて知らないんだからね』」
「そんな事言わずにさ、機嫌治してこっちを見てよ」
「…………」
ちらりとるいの方を見たのかなはひょっとこタヌキの面という卑劣なトラップにかかり再び笑わせられる。普段ならくすりとも来なかっただろうが、先ほど噴き出した時の衝撃が残っていたためにこらえきれずに笑いだした。
ひとしきり笑ったのかなは怒るのも馬鹿らしくなり仕切り直すように大きく息を吐いた。
『はぁー…………。普段はこんなに笑わないんだけどなぁ、るいちゃんのタイミングが絶妙過ぎるんだもん』
やれやれとぐり子は肩をすくめる。
「るいはノリで生きているような人間だからね、そりゃ流れを読むのも得意でしょうよ」
「すねるなって、ぐり子。のかなを独り占めにはしないからさ」
「『独り占め?』」
不思議そうに首を傾げたのかな、さりげなくるいは話をそらす。
「そんな事よりさ、服も濡れちゃったし乾くまでぐり子に着替えを借りたらどうかな? ちょうどここには服もたくさんあるみたいだしさ」
「あなたのためにあるわけじゃないんだけどね…………」
『ごめん…………迷惑だよね』
しゅんと落ち込んだのかなに気にしないとぐり子はほほ笑みかける。
「のかなはいいのよ。そのままじゃ風邪をひいてしまうわ、早く着替えに行きましょう」
「『うん…………ありがとう、ぐり子ちゃん』」
ぐり子に手を引かれて歩くのかなの後ろ姿を見ながらるいは肩をすくめて苦笑を洩らした。
「ふぅー…………やれやれだね」
広い屋敷の中では服を置くためだけの部屋がある。そのあまりの服の量はのかなが一日一着でも何年かかるのだろうかと考えてしまう程であった。
鏡の前に立たされたのかなはまるでぐり子の着せ替え人形のように何度も服を着せかえられた。自分で着替えられるとのかなは訴えるが、ぐり子の強引さに押し切られてしまう。
「『ぐ、ぐり子ちゃん、くすぐったいよ』」
「着替えってこういうものでしょ? 私の家ではお手伝いさんに着替えさせてもらうのよ」
「『学校では普通に着替えているじゃな…………』」
ひゃ! という声を漏らしたのかなは言葉を書き終える前にペンとスケッチブックを取り上げられる。
「ほら、そんな物を持ってちゃ着替えさせにくいでしょ。そこに置いておくわよ」
(ううう…………)
反論の自由を奪われたのかなは諦めてぐり子に従う。ファッションショーじゃないんだからと断ったものの、何故か写真まで撮られてのかなはとても恥ずかしい気持ちになる。ぐり子は楽しんでいるようであったし、自分も実は少し楽しかったのでのかなはこれもまた思い出だと割り切ることにして渋々納得する。
やがてやたらとフリフリとした姫のようなドレスに落ち着き、イスに座らせたのかなの髪をぐり子は櫛で梳き始めた。
「相変わらず綺麗な髪ね。何か特別なトリートメントでも使っているのかしら」
「『特に変わったことはしてないけど…………』」
「じゃあ、元々の髪質なのかもね。私は髪が痛みやすいから羨ましいわ」
櫛が髪を通る刺激が心地よい。しばらくのかなはその感覚に身を任せていた。それを見たぐり子は静かに優しいほほ笑みで櫛を動かし続けた。
「ねぇ、のかな」
短い返事ならのかなも吃音の影響は受けない。
「なに?」
「ううん…………なんでもないわ」
目の前の鏡に映るぐり子の顔は悲しげであった。まるでこれから永遠の別れを経験するような悲壮感に満ち溢れていた。おそらくのかなの雰囲気から感じ取ったのだ、のかなにこれからどういう未来が待ち受けているかという事を。
あくまでそれはただの勘に過ぎず、のかながとぼければ容易にごまかせただろう。しかしそれはぐり子に嘘をつく事だ。魔法少女だということが隠さなければならない秘密であるとしてもそれを免罪符にして真実から遠ざける事はのかなもしたくはなかった。
あれこれと答えを考えたのかなではあるが、口から出てきた言葉はとても簡潔だった。
「大丈夫」
奇跡的に詰まらずに言えたその言葉はぐり子を驚かせると共にその顔から陰りを取り除き、ほほ笑みを取り戻させた。
「そうね…………。のかなが大丈夫というからには大丈夫なんでしょう。あなたはそういう人だわ。傍で見ていると凄く心配になるんだけど、ふとした瞬間に私の方が元気づけられているの。傷ついた鳥がまた飛び立つように私に勇気と感動を与えてくれる。自分では気づいてないかもしれないけどね」
「『…………そんな事』」
書きかけのペンを止め、ぐり子は首を振る。
「否定しないで。あなたは自分で思っているよりずっと凄い人間だわ。少なくとも私はそう思う。大切なのは可能性を否定しない事よ。言霊って知ってるかしら? 良い言葉は良い事を呼び、悪い言葉は悪い事を呼ぶ。そう簡単にできる事じゃないのは分かってるけど、下を見るのを止めて顔を上げて胸を張って生きられたら素敵だと思わない? きっとあなたはそれができる、そんな気がしているの」
のかなのこれまでの人生は否定だらけであった。才能に否定され、パートナーにも拒絶された。しかし、道を切り開いてきたのはそれに抗い、未来を肯定する意志であった。意志が先立ち、それに勇気が引き寄せられ、それに偶然が伴い、未来が開いた。
もうのかなは分かっていた。かつて傷つけられた心の翼がすでに癒え、いつでも飛べる状態である事を。あと必要なのはほんの少しの勇気とタイミングであった。
「『ありがとう』」
ぐり子は何も知らない。何も聞かず、ただほほ笑んだ。それだけで十分だと理解していた。たとえ相手の全てを知らなかったとしても心が通じる事を知っていたから、今の状態で十分満足であった。
櫛を置いたぐり子はのかなの手を取って歩き出した。
「おしまい…………っと。早く行きましょう、るいが待ちくたびれているわ」
のかなは嬉しそうにこくりと頷いた。
「うん!」
そして、るいの元に戻ったのかなは会ってそうそうその格好を笑われた。るい曰く「似合い過ぎてて返って笑える」そうだ。るいは笑い上戸なので特に笑われることについて思う事はないが容姿を褒められる事があまりないのかなは少し照れくさそうにした。
それから三人はいつものように遊んだ。無計画に、ただ自分達が面白いと思う事を好き勝手に、この時間が永遠に続くかのように日が暮れるまでずっと遊んでいた。未来に対する不安を微塵も抱く事の無い少女の心で。
やがてのかなとるいはぐり子と別れ、家に帰る事となる。暮れかけた夕日を遠くに眺めながら他愛の無い話をして二人は歩く。
その去り際にるいはぽつりと呟きを漏らした。
「勝てよ、のかな」
「え?」
あまりに唐突でのかなは返す言葉が思いつかない。おそらくるいもそのタイミングを狙っていたのだろう。くるりと背を向けるとのかなが慌てて返事を書いている間にさっさといってしまった。
返事を聞かなかったのはおそらくのかなに心残りを持たせるためだろう。るいは基本的にからっとした性格だが、芯の部分で意地の悪い所がある。言うなれば人を楽には死なせてはくれないのだ。未練を失くす事が死に向かう者の整理にもなる事を知っていたるいはのかなに釘を刺した。
去りゆくるいの背中はのかなにはこう語っているいるように思えた。
「お騒がせは自分の役目なんだ、のかなには譲れないね」
本当に迷惑で、本当に…………本当にありがたいエールだ。なぜ何も話していないのに二人は勘づき、ここまで信用してくれるのかのかなには理解できない。自分もまた彼女達と同じように当たり前のように相手を信じているというのにのかなは二人の考えが至極不思議であった。
(…………また学校で会おうね)
のかなは渡せなかった言葉を胸に強く未来を思った。
☆
はっきり言えば望夜めろんがのかなに手を貸す道理はなかった。のかなたちはまがいなりにも犯罪者であり、現組織の魔法少女であるめろんが手助けすればそれと同じになってしまうからだ。
しかし、めろんは身勝手な大人の事情を納得できるほど正義感を持っていないわけでもなく、なによりのかなは大切な友人であった。
そもそもめろんは組織を相手にする不安やそれにより絶望的な状況に立たされる事実などまるで頭に無かった。考えていたのはのかなの話に聞いたマリー=マールという少女を助ける事だけだ。
もちろん天才魔法少女であるめろんが不安を知らないというわけではない。むしろ戦いの中に居る分、そういう事には敏感であると言えるだろう。だが、めろんは切り替えがとても上手い人間であった。その切り替えは思考の切断とも例えられる常軌を逸したものだ。それが天才とされる所以なのだろう。ともかくめろんの思考にはマイナスなイメージは欠片も存在しなかった。
めろんが魔法少女になる前はその異常性から人を受け入れられないでいた。人の気持ちを理屈としては理解できる。ただ、思考を切り離せない人間が面倒くさくて仕方なかった。魔法少女になってからも出会う人間は日常の物がそれに変換されただけで特に変化の無い事を詰まらなく思っていた。
おそらく自分を満足させる人間など一生現れないのだろう。そう思っていた。のかなと出会うまでは。
初めてのかなに会った瞬間、めろんは体に電気のような物が走ったように感じた。それがデバイスの疑似魔法制御回路構築システムによる物なのか、それとも生理的な現象なのかの区別はつかなかったが間違いなく言えることはそれが運命の変わる時であったという事だ。
胸がどきどきとした。緊張しているわけでもないのに落ち着かないような気分で不思議な高揚感があった。今までめろんは恋という物を経験した事は無かったが、おそらくそれはこれに似た感覚なのだろうとぼんやり思う。
のかなが喋れないという事を知った時、めろんは奇妙な興奮を覚えた。その吃音というのかなの欠落を膨れ上がった自身の異常性で埋めたいという欲求が湧いてきたのだ。それがどうすれば発散できるのかめろんは知らなかったが、とにかく自分達はとても相性がいいのだろうと考えると凄く嬉しくなった。
それからずっとのかなの事を考えていたが、ふと一つの疑問が湧いてきた。それは自分がのかなではなくその欠落が好きなのではないという疑問だ。この様なマイナスの思考は容易に切り離すことができたが、何分初めての事であったのでしばらくの間このマイナスを楽しんでみようとめろんは思った。
悶々と疑問について考えていためろんはことかとの出会いによって解を得る事になる。彼女もまたのかなと同じ欠けた人間ではあったが、会った時に痺れるような感覚は無かった。すなわちそれは欠落が好きなのではなくのかな自身が好きである事の証明だ。思考の繰り返しでより理解が深まった事をめろんは嬉しく思った。
のかなは普通の人間とは違う。そう感じるのはのかなの魔法制御回路のせいか、それとも精神的なものなのか。おそらく両方なのだとめろんは考える。
普段は常人と変わりないのかなは立ち向かうと決めた瞬間にギアが切り替わるのだ。自分の才能の無さや恐怖や絶望を切り捨てて勝利だけを目指すマシーンになる。人間性を損なうことなくそこまで変われるのはある種の能力だ。それにめろんは強くシンパシーを感じる。欠落と増長という対極のベクトルでありながらも同じ性質を持っているという事実がめろんの心をわくわくとさせる。
最近、マリーの刺客の魔法少女である心の魔法少女という人間に出会ったが、あまり強くないという事しかめろんの印象には残らなかった。それよりその後やってきたマリー=マールの方にめろんは興味を惹かれた。
支配とかいう奇妙な能力によりめろんは服従心が呼び起こされたがそれは作られた感情であり詰まらないものなので切り捨てた。それを見たマリーは驚いたようだったが、すぐにそれは喜びの笑みに変わった。おそらく彼女もめろんと同じように求めていたのだ、自分と対等な存在を。
興味を持てる存在が居ないという事は詰まらないことだ。それを嫌というほど知っているめろんはどうしてもマリーをその退屈な世界から助け出さなければならないと思った。それが自分に課せられた使命だと感じられるほどに。
(教えてあげなくちゃ、世界はこんなにも光に満ちてるって)
パラダイムの仮想空間に光の咆哮を放ち、世界は溢れだした光に包まれた。逆流した輝きの中で静かにめろんは目を閉じた。