第三章 1
「オオオオオオオオオオ!」
世界が崩壊してもなお、狂志郎の意識は虚空に溶けて力と一体となっていたが、不意に何者かが白の中に手を差し入れるとそこから引っ張り上げた。
果てしなく白い場所に引き上げられた狂志郎は自身が生物であった事を思い出したかのようにむせ込み、荒い息をした。
「私の助けを計算にいれていたわね、嫌な男だわ」
「はぁはぁ…………コンス」
地面から生えた柱に座り込んだコンスは淡々と語る。
「まあ、いいわ。柔軟性が無い分、したたかなのがあなたの強みだものね。結果的には上出来だわ。本来ならばあの人形はあそこで一度死んでいるはずだったもの。結構死んだ回数が多くなってきているからそろそろ厳しいのよね。正直この世界は諦めるしかないと思っていたのだけれど、まさかあなたが、『すでに存在しないモノ』を認識し、あまつさえあの状況を突破するなんて思ってもみなかったから嬉しい誤算だわ」
混濁した頭では矢継ぎ早に捲し立てられる言葉を理解する事ができず、狂志郎は断片的に聞き返す。
「すでに存在しないだと?」
「ええ。あなた達は“考えられない”ようにされていたけれど、ここならば不自然な物が多すぎた事を認識できるでしょう?」
「俺の記憶の空白…………まさか、炎のようにお前が?」
コンスは呆れたように言う。
「大外れよ。コーヒーでも飲んでその寝ぼけた頭を覚ましなさい」
ぱちん、と指が鳴ると宙にコップが現れる。おそるおそる手に取った狂志郎が中に入っている冷たい黒々とした液体を飲み干すと、その瞳にいつもの鋭さが戻った。
「不自然さ。クララが宿敵であるはずの炎のと共に映っていた写真」
「そう、そしてあなたの知らない“誰か”との記憶」
「俺が『神の手』を持ちながら『ゴッドハンド』ではない理由」
「あなたなら、これらがどういう意味を持つか分かるわね?」
狂志郎は少し考えて口を開く。
「誰かが何らかの原因で消滅し、事象が置き替えられたのか」
コンスはその答えに満足したかのように笑みを浮かべる。
「あなたのように頭の回転の早い人間だと話が進んでいいわね。これが知性の欠片も無いお馬鹿さんだとそうはいかないわ」
「炎のの事か?」
「さあね。というよりあなたはあの子をそう見てるのね」
「客観的事実を述べたまでだ」
くすくすとコンスは笑って続ける。
「消滅した“誰か”は消滅したからこそ“神”の干渉を受けずに始まりの刻への地図を持ち続けている。存在しないモノを認識するなんて気が狂ってるとしかいいようがないけれど、あなたはもう正気ではないのだから別に変な事ではないわね」
「それを俺に見つけさせるのが目的というわけか。その後は一体どうなる?」
「私は始まりの刻へと向かうわ。あなたはそれについて来てもいいし、病気を治して正気に戻してあげてもいい。信用できないというのなら、誓約書でも書いてあげるわ」
「一つ教えてくれ、その“誰か”は誰のせいで消滅したんだ?」
するとコンスは狂喜し、獣のような獰猛な笑みを見せた。
「いいわぁ……すごくいい。どうしてあなたという人は私をそこまで興奮させてくれるのかしら? 核心に迫る質問が出来た事へのご褒美に教えてあげるわ、それは“神”よ」
「神? えらく抽象的だな」
「『完全救済世界』を展開し、全ての人間を永遠の孤独に追いやった者の事よ。あれは救いなんかじゃない。幸せな夢を見させられているだけなのよ、現実に生きてなんかいないの」
「お前はそいつを倒すために戦っているのか」
「殺すためよ。私は正義の味方などではないわ。そいつが私の大切な物を奪ったから償わせてやらなくちゃ気が済まないのよ」
「復讐者というわけか」
コンスは苦笑して言う。
「意外かしら? これほどまでに大きな力を持ちながら単なる私怨で動いているのは」
「そうでもない。人が己の枠を超えた力を持つ理由は大抵が怒りと憎しみに起因するものだ」
「詳しいのね」
「ああ、さっき知ったんだ」
コンスが空間をすっ、と指でなぞると扉のように虚空が開き柑橘系の光が白い床に差し込んだ。
「世界を直しておいてあげたわ。所詮はツギハギに過ぎないから次は無いわよ。今度あの技を使えば世界が負荷に耐えられるほんの短い時間の後に全ては無へと還る。よく覚えておきなさい」
「ああ、よく覚えておこう。その僅かな時間がどれほどのものなのかは分からないが俺に与えられた最後のチャンスだろうからな」
使わないという選択が無いというのは理解していた。黒幕が装備を持つ現代人であると確定した以上、まともにやりあったら勝ち目はない。あの技を使えば最悪道連れにはできる。だが、それでは意味がない。
失われた“誰か”を思い出し、それを消し去った者を倒さなければ何も変わらない。巨悪の存在を知りながら、何もできずに死ぬような事があってはならない。それは上級執行官うんぬんというよりも狂志郎自身のプライドの問題だった。
光へと歩みだした狂志郎の意識は段々と白くなっていき、それと比例するように誰かの呼ぶ声が聞こえてきた。
「…………君、あも………君」
「うう…………」
はっ、と狂志郎が目を覚ますとぼんやりとした視界の中に自らを見つめる人物の姿を見つける事ができた。
「良かった、気が付いたんだね」
「ここは…………?」
のかなは言う。
「宿の一室だよ。森の中に投げ出されていたみんなを私が運んできたの。どこだかは分からないけど、ずいぶんと時代が進んだみたい。各地にお店を配置したことかちゃんのおかげなのかな?」
「いや、多分人を馬鹿にしたような性悪女のせいだろう」
「それってコンスの事?」
「…………お前はあいつをそう見てるのか」
「天羽君だってそうじゃない」
「客観的事実を述べたまでだ」
話を変えるように狂志郎は言う。
「ところで牛若丸達や他の二人はどこだ?」
「牛若丸さんたちは分かんない、私たちしかそこには居なかったから。二人は辺りの様子を見に行ってるよ。多分、もうすぐ戻ってくるんじゃないかな」
「………………」
狂志郎はコンスとの会話を思い出し、不意に浮かび上がった疑問を口にした。
「お前は死というものについてどう思う?」
「え? なんで急に哲学的な話に?」
ため息をついて狂志郎は言い直す。
「……言い方が悪かったな。どうやらお前にとっての死は他の者とは勝手が違うらしい。世界を簡単に修復できる者ですら手に負えないような何かが関わっているようだ。それが気になってな」
「って言われてもなぁ…………。私は普通の魔法少女なんだよ、ちょっと落ちこぼれ気味だったり今はドラゴンだったりするけど、世界の根底に関わるとか『NO』じゃないんだから」
「NO?」
「錬金術師の『NO=エリィキッス』だよ。マスター・ノオって呼び方の方が有名かも。万物の真理に到達して『波動衝撃』の力を手に入れたまでは良かったんだけど好き勝手やりすぎて殺されちゃったんだ。……ああ、私だったらもっと上手くやれるのになぁ。でも、機械剣が無いし難しいかなぁ。せめて物質創造能力と概念破壊、もしくは月光の力を取り戻せれば三日で世界征服できるのになぁ…………」
「なにを……言っている?」
きょとんとした顔でのかなは言う。
「NOの話だけど? 心配しなくても私とNOは他人だよ? 『桑納のかな』はNOとは他人なの。例えその記憶と力と意識を持っていたとしても他人…………あれ? なんだろ、何かおかしいね。なにがおかしいんだろ? うーん、分かんないや。天羽君は分かる?」
「………………」
壊れた人形のような明らかに狂っている語りを聞いて、狂志郎は怖気を感じると共にある種の核心を得た。
(そうか、こいつは『人形』なのか。操り手の糸から解き放たれた瞬間に全てを破壊する危険性を持った。なんという事だ、知らなかったとはいえこれでは火薬庫の前で火遊びをしていたようなものだ。だが、現実はそれよりもずっと恐ろしい。こいつは最悪な事に強大な悪に立ち向かう習性がある。爆弾が火を求めてさまよっているのだ。いや、もしかしたら悪を生み出しているのはこいつ自身の…………)
「?」
(次にこいつが死ぬような事があればコンスは世界を消し去るのだろうな。不意の事故でも起きたら最後、突然世界が無くなっていた…………タチが悪いというものではないな)
危険性を理解していても戦いから遠ざける事は出来ないのは分かっていた。全ての因果がのかなの死へと向かっている。一つが駄目ならまだ別の死因になるだけだ。遅かれ早かれ死ぬのなら、せめて近くに居た方が気の楽だと狂志郎は思う。
がらっ、という音がして偵察から二人が戻ってくる。
「お、気が付いたんじゃね、天羽」
「お帰りー」
「うん、ただいま」
狂志郎はめろんの頭にある角を見て、どう声を掛けたらいいか戸惑う。その視線に気づいためろんはそっとそれに触れると淡々と語った。
「人じゃないって辛いね」
「………………」
「人のままで居られなかった弱さ、他の方法を考えられなかった浅はかさ、自分の事しか考えられなかった愚かさ。何もかもが私を苦しめて、どこか隠れられる場所があるのなら今すぐにでも逃げ出したいくらいなの」
「しかし…………」
めろんはこくりと頷く。
「うん、分かってる。戦わなくちゃ克服できないって。自分の弱さと向き合って、もう嫌だって思っても投げ出さないで戦わなくちゃきっとどこにも行けないんだって分かったから、私はもう無力な事に嘆いたりはしないよ」
「そうか……ならば、俺から言う事は何もない」
「うん、ありがとう。天羽君」
めろんは狂志郎に微笑み、じっと見つめ合ったまま二人はしばらくそうしていた。そのなんとも言えない良い雰囲気に気恥ずかしくなったのかことかは場をかき乱すように言った。
「はいはい、ラブコメ空間はここまでじゃよー。歴史博士の天羽先生に時代考証をやってもらわなくちゃならんけぇね」
ことかは見てきた外の光景を簡潔に説明した。それを聞いた狂志郎は少し考えて言う。
「どうやら時代は最低でも西暦1800年代まで進んだようだな」
「西暦1800年!? 確かさっきまでの時代が西暦1000年くらいだから800年くらい進んだって事? 随分と進んだもんだね」
「蒸気船の成立が1807年のクラーモント号を正式とするならば驚くほどの事じゃない。時代が急激に進んだというよりはここが他に比べて遅れ過ぎていたと考えるべきだろう」
「私の店に蒸気船の噂が来た時点で外は1800年代じゃったって事か。なんでまたそんなにズレが…………」
「『金太郎』がここに居るからな。その話が成立しなければならなかったのだろう。その枷が無くなった今、時代の進む速度はどんどん早くなっていくだろう」
「時代が進んでいくとどうなるの?」
「『なにか』に『到達』する。その『なにか』がなんなのかは分からないが、おそらく世界は今の姿を保ってはいられないだろう」
「となるとそれを防ぐのが私らの役目というわけじゃな」
「うん、世界をこれ以上めちゃくちゃにされるわけにはいかないからね」
「…………ああ、そうだな」
定まった目的に意気込む皆に狂志郎は真実を言う事はできずに曖昧に誤魔化した。目の前にある全てがそう遠くない未来に何もかも消え失せてしまうなど分かっていても到底話せる事ではない。
そもそも自分の気が触れていて、妄想に囚われている可能性すら否定できないのだ。どうにもできない事なら己の内に留めておくのが正しい。例え空が本当に落ちてくるとしても空が落ちてくる心配をしても仕方ない。人間には領分があり、それを超えたことはできないのだから。
今考えるべき事は世界の破滅をどうこうする事ではない。失われた記憶を取り戻し、居たはずの『誰か』を消し去った恐るべき『神』へと挑む事だ。それが出来なければ今まで生きていた意味が無い。それどころか、これから生きる者たちの意味すら失われてしまう可能性すらある。未来は延々と続いていく、だがその進む道を決めるのはこの一瞬だという事を理解しなければならない。
できるのだろうか、とは思わなかった。しなければならないと誓い、狂志郎は拳を固く握った。




