第三章 1
「あー! 落ち着かん!」
この間の狂志郎との戦闘から安全のために怪物退治に行く事のできないことかは警告が表示されているデバイスを見ると、いらいらした様子で部屋の中をうろうろとした。
これには本を読んでなんとか気を紛らわそうとしていたのかなも無視できずにため息をつく。
「『ことかちゃん、落ち着いてよ。めろんちゃんは心配いらないくらい強いんだから』」
「そんなの重々承知じゃよ。けど…………じっとしてもいられんのじゃ」
ことかの気持ちをのかなは分からないでもなかった。使命感というべきか義務感というべきか、そういう献身的な精神が自分達の中にはある。さらに過去の自分達の失態を現在の人間に拭ってもらっているとなれば平静でなどいられるはずがない。
パタンと本を閉じ、のかなは立ち上がった。
「『ふぅ…………こうやっていても気が滅入るし、近くまで行ってみる?』」
「さっすがのかな! 話が分かる!」
急に元気を取り戻した調子のいいことかを見て、のかなはため息をついた。
「『私達が命を狙われてるの本当に分かってるのかなぁ…………』」
「大丈夫じゃって、私の魔法があれば余程注視されない限りはばれんから」
『『はぁ………』」
気乗りしないのかなはことかに引っ張られるようにして外に出る。快晴の空から降り注ぐ太陽が眩しくて反射的にのかなは手でひさしを作った。
「ん? 眩しいの?」
「『ちょっとね。少し経てば慣れると思うけど…………』」
「我慢は毒じゃよ、魔法をかけてあげる。光の法則を統べるルーの名を持って告ぐ、【和らげ】光よ、っと」
ことかより放たれた力ある言葉はのかなの周りの空間に作用し、強い太陽光を和らげる働きをした。
「『ずいぶんマシになったかも…………。すごいね、ことかちゃん。まるで本物の魔法使いみたい』」
それを聞いたことかは思わず苦笑を洩らす。
「本物も何ものかなじゃって同じ魔法少女じゃろうに。…………ま、確かに音声魔法は一番魔法らしくあるかもね。道具も何も無しにやるわけじゃから。実際は体の魔法制御回路で構築した式に魔力を注ぎ込んでいるだけじゃから凄くもなんともないんじゃけどね」
「『それでも憧れちゃうなぁ。自分が出来ない事だから』」
のかなは魔法制御回路の呪いとして吃音を患っている。声による魔法が無くとも魔法少女らしく振る舞えてはいるが、それでも憧れというものはそう簡単に消える物ではない。
「けど、のかなにはスキャット詠唱があるじゃろ? それじゃ不満なの?」
彼によって練習させられたスキャット詠唱。吃音というマイナスを逆に利用することで常人では不可能な速度で詠唱することができるという恐ろしき技法だ。しかし、のかなはそれを積極的に使おうとは思わなかった。
狂志郎との戦いからのかなは恐怖や緊張で声が出なくなるということは無くなった。今までの敵とは違う圧倒的な強者と戦った事で成長することができたのだろう。だが、それでもまだ声を出す事に対する不安はあった。それはスキャット詠唱により吃音を肯定すれば、より症状が進んでしまうのではないかという不安だ。
最近は幻覚を見ないものの、やはり影は付き纏う。ことかの言った狂ってしまった者の話が怖くて、口をつぐんでしまう。
「『吃音が怖いんだ。それを肯定してしまう事で、自分の中の何かが崩れてしまうような気がして…………』」
「そうか…………」
ことかはのかなの幻覚のことなど知らない。だが、直感的にのかなの抱えている問題を悟ったことかは一つアドバイスをした。
「私にはお前の抱えている問題は分からん。聞いても答えんじゃろうし、私も無理に聞こうとは思わん。だから一つだけ言っておく、それは『納得』によって解決されるじゃろうと」
「『納得?』」
こくりと頷いたことかは記憶を探るように語りだす。
「こういう話がある。ある男が事故に会い、その後遺症で片手が自らの意志に反して勝手に動くようになってしまった事があった。外科的な治療は不可能で男は日々その事に悩まされ続けていた。そんなある日、ストレスで精神科医に行った男はそこである事を言われた。『手に話しかけなさい、納得させるように』と。馬鹿馬鹿しいと男は思ったが、手が勝手に動いて困っている事を何度も手に語りかけた。すると不思議な事に段々と症状は良くなっていき、いつしか手は勝手に動くことはなくなったという」
ことかは続けて言う。
「もちろん手が自らの意志を持ち言葉を理解したわけじゃない。話しかけることで自己暗示しただけじゃ。それでも男は『納得』した。手が自らの一部であるということを。失った者は『納得』しなければならない。自らの喪失を、今の自分自身を」
「『それが…………今の私に必要な事…………?』」
「さあね。必要かどうかは自分で決めることじゃ。ただ、私は伝えた。今のお前に必要じゃと思ったから」
「『…………うん』』
もし、また幻覚に会うような事があればのかなは話をしてみようと思った。幻覚と話をするなど非情に滑稽ではあるが、それが必要なのだと感覚で理解できた。
「音声魔法の魔力消費量は威力に関わらず常に一定。全ては詠唱の密度が決める。いつか望夜のパワーでも勝てないような敵が現れた時、のかなのスキャットが必要になる。私はそんな気がしとるんじゃ」
それを聞いたのかなは買いかぶりすぎたと苦笑するがことかはいたって真剣であった。だが、すぐにとぼけたような顔になると冗談めかしていった。
「分からんよ? 全ての因果は繋がっている…………そういう事じゃからね」
ことかはまるで遥か先の未来を認識しているかのようにどこか遠くを見ていた。その狭い視界には一体何が映っていたのだろう。のかなは知る由もない。ただ彼女も『納得』したのだ。『納得』してここに居る。それだけは間違いない。
(ことかちゃんは受け入れる事ができたのかな? 他の人とは違うその『視界』を)
強い心だ。世辞も無くそう思う。自らのパートナーを殺され、追手の恐怖におびえながら暮らしてきた。とてもこの年の少女のする経験ではない。
のかなは昔聞いた話を思い出していた。人を騙す者は疑り深いが故に騙されるのだと。全てを騙す魔法を使うことかは一体どれほどの疑念を抱き今まで生きてきたのだろう。何もかもが信じられなくなるような経験を経て、何故今平然としていられるのだろう。不思議でしょうがない。
ことかは前に言っていた、自分の魔法は信じさせる魔法なのだと。人を騙す者が騙されるというのならば、人を信じさせる者は信じさせられるのだろうか。文字の上ではただの言葉遊びに過ぎない。それでものかなはその二つに明確な違いを感じていた。
因果は繋がっている。人では考えもつかないような遠い回り道をして自分の元に還ってくる。ことかは知っているのかもしれない。のかなが吃音の代わりにスキャットを手に入れたように、自分の失った光がいずれ形を変えて自分の元へ還ってくることを。
(私も信じよう。『納得』して受け入れた先に希望があるという事を。困難を乗り越えた先に未来があるということを)
のかなの考えは祈りにも似ていた。確証などあるはずもない、悪い事の先にいい事があるなんて誰にも保障できない。それでもこの先の未来を後悔する事はないだろうと思う。『納得』とはそういう事で、運命とはきっとそういう物だから。
行く当てもなく街に繰り出した二人は年相応にふざけ、意味の無い話を繰り返す。学校の事、友達の事、昨日見たテレビの事、最近読んだ漫画の事等々。買う金も無いのに服屋で試着してみたり、無駄に買い食いしてみたり、カラオケで知りもしない歌を入れてみたり、好きでも無いのにゲーセンに行ったりもする。
自由で、当たり前で、奔放で、まるで古くからの知り合いのように二人は心が通じ合っていた。声の出せない少女と目の見えない少女。本来噛み合うはずの無い二人を繋げた魔法という名の奇跡。それは代償として二人に大きな試練を課す。だが、二人は乗り越えていけるだろう。過去を否定し忘却しようとする愚者たちに、辛くとも過去を背負い未来へ進んでいこうとする勇者たちが負けるはずはないのだから。
遊び疲れた様子のことかがベンチに座って息を吐く。
「ふぃー、遊んだって感じじゃね。少し休憩じゃ」
のかなは困ったような顔をする。
「『息抜きに全力出し過ぎだよ。めろんちゃんに悪いなぁ…………』』
「のかなだって全力で楽しんでたくせに」
にやにやとすることかに恥ずかしそうにのかなは叫ぶ。
「『そ、それは言わないで!』」
こうやって遊ぶのはのかなにとって久しぶりの事であった。声を上手く出せなくなってからというものどうにもそれが気になってしまって心から楽しむことができなくなっていた。
学校での友人であるるいとぐり子ができるだけ自然に振る舞おうとしてくれているのは分かるがどうしても負い目を感じていた。今日はそんな束縛から解き放たれた魔法少女ではないのかなの貴重な時間であった。
「『ことかちゃんがそこで休んでいるなら、ちょっと私お手洗いに行ってくるね』」
「そうか。じゃ、戻って来たら帰るとしようかな」
「『うん』」
そうして、のかなはことかと別れてトイレに向かった。その帰りにどこかで見た事のある後ろ姿を見つける。
(あれは…………天羽君?)
上級執行官である彼がこんな所を何の用も無しにうろついているとは考えづらい。見間違いである可能性もあるが確認してみる必要があるだろう。
(もしかして、また私達を?)
一瞬そう考えるが、狂志郎の性格を考慮するとその可能性は低い。それにこんな所でばったり会ったからといっていきなり戦いを仕掛けてくるような人物でもないはずだ。
そう思ったのかなは狂志郎の後を追った。しばらく追って狂志郎が角に消えると急いで底に向かうが何故かその先の道に狂志郎の姿は無かった。困惑したのかなが辺りを探していると背後から声がした。
「ずいぶんお粗末な尾行だと思っていたら、いつぞやの指名手配か。俺に何の用だ? 自首しにでも来たのか?」
突然の登場に驚いたため頭が白くなってのかなは上手く言葉が出せない。
「『えっと、あの、その…………』」
ふぅ、と狂志郎はため息をついた。
「残念だが今日はお前とじゃれているような暇はない。見逃してやるからどことなりと行け」
語る事は無いと言わんばかりに狂志郎は歩き出す。焦りながらものかなは行かせてはならないと強く思う。ここで行かせてしまったら次にいつ会えるか分からない、もしかしたら二度と会えないかもしれない。そうなれば真実を知る機会は永遠に無くなってしまうだろう。
しかし、今ののかなに狂志郎を呼び止める術はない。それでも行かせるわけにはいかないととっさにのかなは彼の服を掴んだ。
「手を離せ」
「『…………うう』」
冷たい視線を送るがのかなは一向に引きさがらない。狂志郎の力なら無理に引きはがすこともできたが、根負けした狂志郎は大きなため息をついた。
「コーヒーは好きか?」
「『え?』」
狂志郎に導かれるままに喫茶店に入ったのかなは炒られた豆の香ばしい匂いを感じる。
席についた狂志郎は慣れた調子で注文し、仮面でも張り付けたような無愛想で対面に座るのかなを見た。
しばらくのかなは黙り込んでいたが、やがて意を決すると言葉を発した。
「『こ、この間は大変だったね』」
「…………俺をあざ笑う気か?」
「『そういうわけじゃないけど…………』」
狂志郎は無表情に問いかける。
「一つ聞きたい事がある。…………何故監視されていた?」
「『監視?』」
「ふむ、心当たりは無し…………か。これはいよいよきな臭くなってきたものだ」
ちょうど運ばれてきたコーヒーを狂志郎はすする。
「もう一つ質問させてもらう。お前は何者だ。組織のデータバンクにお前の名前は無かった。おそらくは消去されたのだろう、他にも色々調べたがお前の事は何も分からなかった。そこまでして隠さなければならない秘密、俺は上級執行官として知らなければならない」
「『でも…………』」
のかなは話そうとして止めた。自分が旧世代の魔法少女であることを話せば無関係である狂志郎を巻き込むことになる。狂志郎が味方になってくれることは心強いが無理に巻き込むのは本意ではなかった。
「心配するな。お前とこうして話した事で俺もお尋ね者なのは間違いないからな、今更だ」
確かに言われてみれば、上級執行官の狂志郎が指名手配犯であるのかなと話をしていればそれは内通していると思われても仕方ない。意図した事ではないとはいえ、少し罪悪感のあるのかなは申し訳なさそうに謝った。
「『ごめんなさい……………』」
「気にするな。お前の事を調べていた俺はいずれ真実に行き着きこうなる運命だった。それが早いか遅いかの違いだ。そんな事よりお前の素情を話してもらうぞ、いいな?」
「『………うん』」
こうなったら話さないわけにはいかないだろうと思ったのかなは自分が魔導大戦時代の生き残りである事を明かす。それを聞いた狂志郎は興味ありげに「ほう………」と呟いただけで意外にも驚いた様子はなかった。
「なるほど、お前のその古い技法にも合点がいった。隠さなければならないわけだ、この秘密は組織を崩壊させる。そして組織の崩壊は世界を混乱に導くだろう。俺も立場から言ったらこの真実について一考の必要がある」
おそらく組織の人間である狂志郎はこの真実を隠す側に回るのだろう。それが正しい選択だ。狂志郎はのかなと何の関係も無く、また組織はあまりにも強大すぎるのだから。
いくら上級執行官の狂志郎でも世界と戦う事はできない。無表情でコーヒーをすすり、答えを先延ばしにする狂志郎がのかなにはとてもずるい存在のように思えた。
やがてカップを置いた狂志郎はぽつりと呟いた。
「だが、例えどんな答えが出たとしても、俺はこの真実を示さなければならないはずだ」
「『え?』」
理解できなかった。この男は自分が何を言っているか分かっているのだろうか。それは全てを捨てて組織と戦うという事だ。この男は上級執行官というポストを捨てて、のかな達のために戦ってくれると言っているのだ。
「勘違いするな、別にお前のためじゃない。上級執行官は自らの判断にて行動する。それは相手が誰であろうと関係ない。自分が正しいと思ったら例え神が相手でも殴り飛ばす。それが上級執行官というものだ」
「『天羽君………』」
なんとも心強い話だ。実際に戦ったからこそ余計にそう思う。敵はあまりにも強大で立ち向かうことすら困難だというのに何故か希望すら見えてくる。それほど狂志郎の協力はありがたいものであった。
「安心するな。この事態の黒幕は執行官の指令すらねじ曲げる存在だ。その強大さは計り知れない。今までお前が無事だったのが不思議なくらいだ。おそらくは生かされていたのだと思うが、こうして秘密を第三者に話してしまったお前をこれからも生かしておいてくれるだろうか」
「『こ、怖い事言わないでよ』」
狂志郎という刺客が送り込まれてきた以上、すでにのかな達の存在は黒幕に知られている。だというのになんら手を打ってこないというのはやはり不自然だ。のかなには黒幕の考えている事は分からないが、何やら嫌な予感がしていた。
怯えるのかなを横目に狂志郎は首をかしげる。
(この女、どうにも読めんな。俺を殴り飛ばすだけの力と度胸があって、どうしてこの程度で恐れを抱く? 良く分からんな…………)
とりあえず疑問は置き、狂志郎は話を変えた。
「そう言えばもう一人はどうした? 姿が見えないようだが」
「『…………あっ! 忘れてた!』」
ことかを待たせたままにしていた事を思い出したのかなはしまったという顔をする。デバイスを取りだし急いでことかに謝罪と説明の通信を入れようとするのかなだが何故かこの場所が圏外になっている事に気づき、首を傾げた。
「どうした?」
「『なんか電波が悪いみたい。さっきまではそんな事はなかったんだけど…………』」
「…………なに?」
瞬間、狂志郎はパラダイム空間の展開を感じ同時に巨大なバリアを展開した。凄まじい勢いのダンプカーが突っ込んでくる。バリアに弾かれたダンプカーは大きく上に吹き飛んで地面に落ち、爆発して炎上する。
「『な、なんなの!?』」
「敵だ」
狂志郎は短く言うと二人分のコーヒー代を机の上に置き、店を出ていく。対するのかなは持っていたバッグを開けるとその中に入っていた魔法少女の服に早着替えをし、杖を展開してその後を追った。
外に出た二人は並行世界であるパラダイム空間で電線に足でぶら下がっている奇妙な魔法少女を見た。
逆さになっているわりに服やツインテールの髪に一切の重力が働いていないような様子の少女は頭のネジが外れたような調子で喋り出す。
「古来より魔女というものは吸血鬼や狼などの力ある者と同一視されてきた。故にボクがダンプカーを君達に投げ付けたとしても別におかしい事はない」
狂志郎は話に付き合わず、携帯電話のような何かの端末でその少女をスキャンした。
「データバンク照合…………該当データ無し。だが、骨董品のような装備を見る限りは旧世代の魔法少女といったところか。おい、炎の。お前の仲間のようだ。何か話してみたらどうだ?」
「『私達はそんな友好的な仲じゃないよ、おそらく昔からね』」
しゅたん、と地面に着地した少女は一切変わらない表情で人間の限界に迫るような奇妙なポーズを取った。
「ボクはジャネット=レオン。体の魔法少女。言うなれば人間かぶと虫。今から君達を殺そうと思うけど、そんなに気を悪くしないでくれ。君達が弱かったわけじゃない、ボクが強すぎたんだ」
「ずいぶんと自信があるようだな。あまり大口を叩くと今日の夜、枕に顔をうずめる事になるぞ」
「忠告ありがとう。ボクは今夜、枕を使わないことにする」
ジャネットのポーズは模範的な美しさを持つ狂志郎の構えとは対照的に自由が故の美しさがる。例えるなら生物の美しさを追求する芸術的な“美”だろうか。戦いに美しさなど関係ないものの、おそらくは達人同士である二人の対峙はそれ自体が一種の芸術であるかのように儚く、美しかった。
二人はしばらく見合っていたが、先に狂志郎が動いた。ギアが切り替わるようにジャネットのポーズが変わり迎撃の体勢が取られる。その刹那、狂志郎の腕が素早く動き何かを投げ付けた。スプーンだ。先ほどのコーヒーに付属していた金属のスプーンを投げ付けたのだ。予想外の動きにジャネットはとっさに反応してしまい、そのせいで完全であった体勢が崩れてしまう。そこに叩きこまれる強烈な回し蹴り、吹き飛んだジャネットはごろごろと地面を転がった。
「立て、この程度でやられるようなお前ではないだろう」
狂志郎が言うとすぅ、と糸でつるされた人形のように足からジャネットは立ち上がる。
「やれやれだね、普通の魔法少女だったら愉快なオブジェになっていた所だ。ボクも少し力を出そう」
再び奇妙なポーズを取るジャネット。そこには先ほどの蹴りのダメージなど微塵も見られない。狂志郎はその事について思考を巡らす。
(攻撃が通った感触はあった。即座に回復しているのか? 分からないな。バリアが無いのが不思議だったが、ようは張る必要がないということか。さすがに大口を叩くだけの事はある)
先ほどの狂志郎の攻撃は手加減の無い必殺の一撃だった。それを受けきられたという事は打撃によるダメージは望めないということだろう。たかが打撃を封じられた程度で手詰まりになるような狂志郎ではなかったが、この敵は中々厄介だと判断した。
「スゥゥゥゥ…………!」
驚異的な脚力によりわずか一歩で距離を詰めるジャネット、流れるような動きで拳を繰り出す。だが、狂志郎は一瞬前に反応し、すでにバリアを展開している。グローブ型のマテリアルドライブで強化したバリアは概念による攻撃さえ受けきる事ができる。並の攻撃では傷をつける事すら不可能だ。
繰り出された拳は何の変哲もない一撃に過ぎない。だが、それは狂志郎のバリアを容易く打ち破って突き抜けてきた。
「なにっ!?」
とっさにバリアの分の魔力を身体側の強化に回すが狂志郎は弾丸のような勢いで吹き飛ばされ、壁に激突する。かろうじて戦闘不能にはならなかったものの、ダメージが凄まじいのか狂志郎はこらえきれずに膝をついてしまう。
「くっ…………! ただの拳で俺のバリアと身体強化を破ったというのか!?」
涼しい顔でジャネットは呟く。
「無駄、無駄なんだ。理屈の通用しない圧倒的なパワーの前では全ての法則は無効化される。重力、距離、君の攻撃、君のバリア、君の身体強化さえも」
全てを無効化するとされるパワーの正体は不明だ。しかし、ジャネットの言っている事が本当ならばのかな達の攻撃は全て通用せず、相手の攻撃は全て防ぐことはできないということになる。この強大な敵にのかなだけで勝つことは限りなく不可能に近いことだ。
急いで身体のダメージを回復する狂志郎は叫ぶ。
「逃げろ炎の! ヤツの狙いはお前だ! お前ではヤツに勝てん!」
だが、のかなの答えはジャネットに杖を構えることによって返された。
「炎の…………!?」
例え敵わない相手だとしても引き下がるつもりは毛頭なかった。彼女が旧世代の魔法少女であり、今の世界を混乱させるというならば同じ旧世代であるのかなはそれと戦わなければらない。単なる義務感や責任感からではない、彼女を救うために戦いたいとのかなは思う。
かつてことかが言っていた。自分達が争っていたのは魔法制御回路の呪いのせいだと。今対峙している彼女も本当は戦いたくないはずだ。自分は彼女を救わなければならないとのかなは感じた。同じ旧世代として、なにより魔法少女として。
ジャネットは淡々と語る。
「へー、向かってくるんだ。うん、いい感じだね、カッコいいよ君。ボク少し興奮してきちゃった。さすがはマリーの言っていた人だ」
ぴくっ、とのかなは反応する。
「『マリー? もしかしてマリー=マールの事?』」
「そうだね。マリーは君に一目置いているんだ。正確には君のパートナーだった『スキャットマン』の教え子である君に」
スキャットマン。それがのかなのパートナーの通り名であった。自身が吃音であるが故にスキャット詠唱を生み出した魔法使い。彼の事を知る者は少ないが、マイナスをプラスに変えるような偉大な存在であったと語られている。
「仲間になってくれないかな、桑納のかな」
「『…………どういう意味?』」
「言葉通りさ。マリーはすでに組織を掌握している。いわばそれは世界を支配していることに等しい。その力を持ってマリーは魔法少女のための世界を作ろうとしているんだ。その理想に君の力を貸して欲しい」
「『魔法少女のための世界?』」
「そう。今までの閉じた世界の出来事ではなく、もっといろんな人にボク達の事を理解してもらうんだ。みんなの理解があればボク達のような悲しい存在は生まれなかった。そんな歴史を繰り返さないために、ボク達は魔法少女が生きるにふさわしい世界を作りたいんだ」
「『ふさわしい世界…………』」
何と聞き心地の良い言葉だろう。魔法制御回路の呪いに苦しめられてきたのかなにとっては夢のような話であった。今まで隠してきた魔法少女の苦しみも孤独も理解してもらえるというのならばこんなに嬉しい事はない。
だが、のかなは杖を強く握りしめ言った。
「『お断りします』」
それが分からないとジャネットは言う。
「君は苦しみを知る人間だ。断る理由はないと思うけど」
「『確かに私に理由はないよ。でも、マリーはことかちゃんからたくさんの物を奪った。私はそれが許せない。私はマリー=マールを認められない!』」
「…………そうか、残念だね」
ふぅ、とため息をつきジャネットはまた奇妙なポーズを取った。
「もっと早く君を見つけていれば殺さなくて済んだのに」
明確な殺意がのかなに向けられる。凄まじいプレッシャーにのかなは思わず唾を飲み込む。勝てないと直感で分かった。だが、逃げるわけにも屈するわけにもいかない。生き残るためには立ち向かい勝利するしかなかった。
(考えるんだ、勝つための方法を。数学の方程式を組み立てるみたいに。あいつの言っていた事が本当ならばすでに勝つために必要な物はそろっている。あとはそれを正しい順序で使っていくだけなんだ。信じるんだ、私自身を! あいつの言葉を!)
のかなは懐を探り戦力を再確認する。そこにはいつもの火の鳥とそれを調整したかく乱用の分身がある。手には杖型のマテリアルドライブ『ラヴハート』が、遠くには行動不能の狂志郎が居る。狂志郎はまだ動ける状態ではない、この様子では援護は期待できないだろう。
敵は狂志郎の必殺の一撃を受けきる耐久力と逃げる間も与えず一瞬で接近するスピード、そして一撃で倒しきる破壊力を持つ。まともに戦ったらとてものかなの敵う相手ではない。
(そう…………まともじゃ駄目なんだ。頭の中の狂っている部分を最大限に動かして誰にも予想できない事をしなくちゃこの人には勝てない!)
覚悟を決めたのかなは分身を展開し、様子を窺う。
「デコイを展開したんだね。でも、それは時間稼ぎにもならないよ」
ジャネットの取る奇妙なポーズは一切の無駄なく流れるような動きで分身を破壊していく。残像が出ているような錯覚すら覚えるほどにそのスピードは凄まじく、あっという間に分身は消し去られてしまった。そのまま一気にジャネットは本体を狙う。
「スゥゥゥゥ………………!」
繰り出された必殺の一撃は完全にのかなを捉えた。どこにも逃げることはできない。だが、のかなは逃げる気など毛頭なかった。
(私が勝てるとしたらこのタイミングしかない! 敵を追い詰めて逃さないことだけに集中しているこの瞬間しか!)
のかなは考えた。どうすれば自分がこの強敵に勝てるだろうかということを。しかし、出てくる答えは不可能ばかりだった。勝てるはずもないのだ、無敵のパワーを持つ魔法少女には。
たかが火の鳥を飛ばせるだけの魔法少女ではアリとゾウ以上の差がある。だが、のかなは諦めはしなかった。
(アレをやるしかない…………!)
この危機的状況にあって、のかなは杖を背中に回し逆に体の力を抜いた。そして網膜に焼きついたあの時の狂志郎の姿と同じように体を動かす。
「まさか…………『恐怖に先立つ者』を!?」
できるわけがない。そもそも見よう見まねで出来るような単純な技ではないのだ。原理を知り、深い理解を得なければ発動すらあやういというのに、のかなは己の感覚だけでそれを再現しようとしている。成功など万に一つもありえない。
ジャネットの攻撃に反応してのかなの体が動く、明らかにタイミングが合ってない、失敗だ、狂志郎は思わず苦虫をかみつぶしたような顔になる。
だが、それは次の瞬間には驚きに変わっていた。
「なっ!?」
のかなの腕がジャネットの腕に弾かれ、そのままカウンターの形でジャネットのボディへと向かっていく。
(そうか、『恐怖に先立つ者』を直感的に避けられるほどの反応を持つヤツだ。来ると分かっている攻撃ならカウンターできる確率は高い。だが、それは防御を完全に捨て去った場合だ。普通なら恐れが邪魔になるだろう。…………もっともこいつにはそんなもの無用の長物だろうがな)
ジャネットの無敵のパワーを乗せたのかなの拳はあらかじめ包帯のように巻きつけておいた紙による炎でさらに破壊力を増す。
のかなは全てを拳に込めるように叫んだ。
「これが私の全力全開!」
クリーンヒットした拳は全ての法則を無効化する無敵のパワーが加わった事によりジャネットの心臓に致命的なダメージを与え、その動きを止める。
「ぐぅっ!」
ダメージが流しきれず魔力供給が途絶え、無敵のパワーが失われた無防備な状態のジャネットにのかなは連続で攻撃を叩きこむ。
「火鳥爆炎! 炎翼飛翔! 誰にも負けない炎影連打ぁぁぁぁぁぁ! おおおおおおおおおおおおおおおおお! 不死炎の光焔! 太陽光の波動衝撃、オーバーロードぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
炎のコンボ、空中への打ち上げ、それからの拳の連打、さらに高く打ち上げた所にさらに力を増した駄目押しの連打を叩きこんだ。
「輝け! もっと…………もっと!」
大きく吹き飛んだジャネットは受け身も取れずに地面に叩きつけられる。
「う…………ぐっ…………」
激しい攻撃により、ジャネットはありとあらゆる骨が砕けるほどのダメージを追う。さすがのジャネットも全身の骨を砕かれてはどうしようもなく、その場に倒れ込んだまま行動不能となる。
「これが…………マリーの認めた力…………!」
燃え盛る炎を纏うのかなはその熱さのままに無表情のジャネットに言い放つ。
「『時代は変わったんだ。あの時のような後悔はもうしない。例え誰が相手でも、私はみんな救ってみせる! 私は魔法少女なんだ!』」
荒々しい太陽の日差しのような叫びはジャネットの心を揺さぶる。今まで死を肯定していたからこそ生きようとするのかなの意志は強く心に響く。無表情なジャネットも心なしか苦々しい顔をしているように見える。
もう戦いは終わったとジャネットに背を向け、復帰した狂志郎にのかなは言った。
「『帰ろう、ことかちゃんが待ってる』」
「そうだな…………」
のかなの後に続いて狂志郎は歩き出そうとする。しかし、上級執行官としての勘が得体のしれない違和感を訴え、立ち止まった。
(待て…………。どうしてこの女を倒したのにパラダイム空間が解けない? このダメージでは空間の意地などは不可能だ。そうだというのにいまだ空間は存在する。すなわちそれは…………)
結論に到達した狂志郎は叫んだ。
「油断するな、敵はまだいるぞ!」
発動者が居なくなればパラダイム空間は消滅する。まだパラダイム空間が存在するということはここに誰かが残っているのだ。
警戒しながら二人は辺りを見渡す。しかし、どこにも敵の反応は確認できない。
(そんな馬鹿な、俺の感知能力でも見破れない、この女のような特殊な存在が他にも居るというのか? まさかマリー=マール…………?)
その時、背後で何かが動く気配を感じ狂志郎は振り返った。それを見た瞬間、思わず目を見張った。そこでは全身の骨を砕かれたはずのジャネットが立ち上がっていたのだから。
「なんだと!?」
驚く二人を尻目に蘇ったジャネットは淡々と語る。
「ボクは不死身なのさ。だから無駄、無駄なんだ、全てが」
もう一度戦闘体勢を取るのかなと狂志郎。だが、全力を出し切ったのかなと傷ついた狂志郎にすでに戦う力は残っていない。対するジャネットは相変わらずの無表情で奇妙な攻撃態勢を取る。
いつも冷静沈着な狂志郎に焦りの色が見える。
「万事休すか!」
「スゥゥゥゥ…………」
二人は焦りながらも応戦しようとする。だが、ジャネットが凄まじい速度の攻撃を放つ。パワーとスピードが両立した凄まじい一撃だ。まともに食らえば人間などただの肉片に変えられてしまうだろう。すでに集中の切れてしまったのかなはその速度に対応できない。降りかかってくる圧倒的な暴力に目を閉じて体を縮こまらせた。
(駄目! やられる!)
そうしてしばらくのかなは恐怖に震えていた。しかし、一向に痛みが来ない事を不思議に思い、目を開く。すると目の前には見知らぬ少女がくっついてしまいそうなほどに顔を近づけてのかなの事を見つめていた。
驚いたのかなは思わず声を出す。
「ひゃっ!」
するとその少女はそれを見て満足そうに笑うと割り込んできた狂志郎の手刀をかわして大きく後ろに下がった。
むぅと頬を膨らませて不機嫌そうに少女は言う。
「ひどいぞ、狂志郎。私が来なかったらお前は死んでいたところだというのに」
「敵に情けをかけられて喜ぶものか…………。マリー=マール!」
「『この人がマリー=マール!?』」
のかなに名前を呼ばれたことが嬉しいのか満面の笑みでマリーは手を振る。
「うむ、よろしく頼むぞのかな」
ばんっ、と胸を張ってポーズを取ったマリー、それだけを見る限りは普通の魔法少女と変わらない。トリコロールカラーの外見はアニメの主人公のようであったが、小柄な体系であるせいかことかの言っていた圧倒的なプレッシャーなど微塵も感じられなかった。
自身の影響を受けていない様子を見てマリーも不思議そうな顔をする。
「むっ、“支配”が効かないのか。さすがは『スキャットマン』の教え子だな」
「『支配?』」
「そうだ、マリーは魔法少女の王だから魔法少女を支配できるんだぞ。たとえばこんな風にな」
マリーの指差した先には何かに縛られたように地面に転がっているジャネットの姿があった。マリーに抗議しようとしているようだったが声を封じられているらしい。
「でものかなは支配できないみたいだな。変身してないし、魔法制御回路も壊れているみたいだからな。まあ、そんな満身創痍の体では支配できてもできなくてもマリーには関係ないけどな」
目的の分からないマリーを警戒しながらのかなは問う。
「『あなたは何をしに来たの?』」
マリーはきょとんとした顔で言う。
「何をって…………お前達を助けに来たに決まってるだろう」
狂志郎は眉をひそめた。
「お前は何を言っている、刺客を差し向けたのはお前だろう」
困ったようにマリーは頭を押さえた。
「私は見張ってるだけって言ったんだけどなぁ…………。皆血の気が多くて扱いに困る。この前だって、のかなに挨拶してきてって言ったら、何故か狂志郎を送っちゃったって言うし…………。のかなが殺されないかひやひやしたぞ。挨拶といったら普通お菓子とか持っていくものだ。皆常識知らずだからマリーは困ってしまうぞ」
はぁ、とため息をつくマリーはただの苦労人にしか見えない。だが、のかなはそうは思わなかった。自分達があれほど苦戦したジャネットを何の苦労も無く拘束し、狂志郎の攻撃を軽々と避けたこの少女をただの人間と同じに扱えるはずもない。それに何よりことかのパートナーの真相を聞くまでは何があっても気を許すわけにはいかなかった。
「『マリー! あなたに一つ聞きたいことがあるの』」
「何だ? 私の知ってる事なら何でも答えようぞ」
「『あなたは本当にことかちゃんのパートナーを殺したの?』」
急に元気を失ったマリーは申し訳なさそうな顔で答える。
「…………あー、うん…………。悪いとは思っているんだ、私も殺すつもりはなかった。でも、気が付いたらみんなが殺しちゃってたんだ。あれからずっとことかの事が気になっていた…………。さっき謝ってきたのだが、余計に嫌われちゃったみたいなんだ。マリーは何か悪い事をしてしまったのだろうか…………?」
「『ことかちゃんに会ったの?』」
「ああ、ちゃんと謝って私が再現したことかのパートナーに会わせた。そしたら、なんだか凄く怒って追い返されたんだ…………。マリーはことかの事がよく分かんないぞ…………」
「『再現した?』」
虚空にイスを出現させたマリーはそれに座って足をぶらぶらとさせる。
「全ては方程式の塊。式を再現すれば同じ物が生まれる。ことかのパートナーは死体があったから簡単に再現できたんだ。そこに居るジャネットをさっき再生したようにな」
のかなはジャネットの言葉を思い出す。死を取り上げられているとはマリーの力により蘇させられるということだったのだ。本人の意志も関係なく、まるで人形のように再生させられるジャネットは一体どんな気持ちなのだろう。無表情にのかなを見るジャネットの表情からは何も読み取ることはできなかった。
まだ若いのかなにとって死者を冒涜するなどという事は分からないが、感覚的にこれが許し難いことだという事は理解できた。
「『上手く言えないけど、それは何か間違ってるよ。人は方程式なんかじゃない。一度死んだ人が蘇るような事があっちゃいけないんだ』」
それを聞いたマリーは物分かりの悪い生徒を教える教師のようにため息を吐く。
「お前もことかと同じ事を言うのだな。それが『納得』ってやつなのか? 生き返る事以上の『納得』があるとは私は思えない。どんな話だってハッピーエンドがいいに決まってるじゃないか。みんなが居て、温かくて、それ以上の幸福が他にあるっていうのか?」
「『それは…………』」
確かにマリーのいう事は正しい。倫理などという感情を除けば人を生き返らせることは悪いものではない。のかなも自分の周りの人間がもし死んだとしてそれを生き返させられることができるとしたら喜んでそうするだろう。
しかし、のかなはこうも思う。すでに死んだ者を蘇らせる事は生きている者にまたその人を失う悲しみを味わわせることなのではないかと。プラスではない歪んだ考えだと思う。
だが、それでも生きている者は過去を背負って今を生きている。良かった事も悪かった事も苦しみながら全て『納得』してここに居るのだ。勝手に人を生き返らせて死んだ過去を無かったことにするのは自分の歩んできた道を否定することに他ならない。
あの時の悲しさや嬉しさを価値の無いものにしてしまってはいけない。生きている者には未来がある。過去だけが全てではないのだ。
「『…………幸せってなんだろうね。私もあいつがずっと一緒に居てくれたらと思った事が無かったわけじゃない。出会いがあれば別れがある、それだけは誰にも変えられない真実。でも、別れたからって一緒に過ごしてきた時間が無駄になるわけじゃない。思い出は心の中に残り、私を未来へと送りだしてくれる。ことかちゃん、めろんちゃん、アルト君、天羽君。別れの先で私はたくさんの友達に出会えた。これがあなたの言う幸福以上の物なのかは分からないけど、胸を張って誇れる私の大切な今なんだ』」
のかなの瞳に強い力が宿る。それは未来を見据える光だ。二度と戻れない過去を後悔せず、先に進もうとする鋼鉄の意志だ。
理解し合えない。二人はそう理解した。マリーの攻撃を警戒し、のかなは防御体勢を取る。すっと魔法を放つようにマリーの手が前につきだされる。そうして二人はしばらく見つめ合っていた。
やがてマリーは目を伏せ、手を降ろして背を向けた。
「…………また聞きにくる。のかな達はどこにも逃げられんからな、ゆっくりと時間をかけて分からせてやる。覚悟しておくのだな」
帰るぞ、と拘束を解いたジャネットに呼びかけ、マリーはどこかに繋げたゲートを通ってその姿を消した。同時にパラダイム空間が解かれ、世界は元の騒がしさを取り戻す。しばらく辺りを警戒していた狂志郎は安全を確認するとふぅと息を吐いた。
(この事態、マリー=マールをどうにかしない限り収拾はつかなそうだ。しかし、マリーと戦うという事は支配されている全ての魔法少女と戦うという事。取り巻きの時点で苦戦している俺達に勝機はあるのか…………?)
狂志郎はちらりと横を見た。そこに居るのかなはじっと自らの手を見つめている。まるで手の中に己の過去が映し出されているかのようにその表情はどこか悲しく、ぎゅっと手を握り締めてのかなは瞳を閉じた。
連絡を取り合うために狂志郎とデバイスのアドレスを交換したのかなは狂志郎と別れ、ことかの元へと急ぐ。マリーの言葉通りことかからのメールには旧世代の魔法少女と交戦した事が書かれていた。心配はいらないともあったが、宿敵であるマリーと邂逅したことかの気持ちが気になりのかなは歩を早める。
待ち合わせ場所に着くと不自然なほどいつもと変わらない調子のことかがそこには居た。
「よぅ、のかな。天羽とのデートは楽しかったか?」
予想外の言葉にのかなは恥ずかしそうに顔を赤くしながら反論する。
「『ちょっ…………! そんなんじゃないってことかちゃんも知ってるでしょ!』」
「たはは、ばれたか」
ひとしきりのかなの恥ずかしがる様子を堪能したところでことかは不意に素に戻り、話しだした。
「…………のかな、話を聞いてくれんじゃろうか?」
『改まってどうしたの?』
「いや、ちょっとな……………」
ことかはしばらく話すべきか迷っていたが、やがて呟くように静かに語りだした。
「………遠ざけてしまったんじゃ、偽物とはいえ私のパートナーを。本物じゃないのは分かっとる、それでも本物にしか思えなくて私は拒絶したんじゃ。怖かった、記憶の中のアイツが偽物で上書きされていくのが。否定されたアイツは記憶のままの悲しそうな顔で去っていた。昔と変わらない残り香を漂わせながら」
悲しみと怒りに体を震わせながらことかは激しく言った。
「誰が………誰が定義するんじゃ? 本物と偽物を一体誰が定義してくれる? それは本当に正しいのか? その正しさは一体誰が決めるんじゃ? 私には………私には分からんのじゃ…………! アイツは偽物だったんか? それとも本物だったんか? これで………本当に良かったんか? ………何も………何も分からないんじゃ…………」
『ことかちゃん……………』
ここまで動揺することかを見るのはのかなにとって初めての事であった。先ほどまで冷静を装っていたからこそ余計に驚きが大きい。だが、驚いてばかりもいられない。近い内にまたマリーと会う事になるのだ。その時にこんな状態では戦う事すらままならない。
この先に起こる事が例えどんな事であれ、それを受け止められるようのかなはことかの精神を落ち着かせることに決めた。
(ことかちゃんは答えを求めている。自分が信じられる絶対的な答えを。それを与える事は多分そんなに難しい事じゃない。でも、それは自分で分かっていかなくちゃいけないことなんだ。そうじゃなきゃ、後で絶対後悔すると思うから)
ことかは嘘と真実の狭間に居る魔法少女だ。その心は鋼のような強さを持ちながらも実は繊細で傷つきやすい。マリーによる圧倒的な現実で傷つけられた心は揺るぎない真実でしか癒すことはできない。
今の自分にできる事がそれほど多いとは思わないが、のかなはできる限りの真実を見せようと心を開いた。
「『偽物か本物かなんて私にも分からないよ。でも、それはきっと分からなくてもいいと思うんだ。どっちが正しくてどっちが間違っているかなんて誰にも分からない。みんないい事と悪い事が合わさってできている。大切なのは無理に肯定する事でも否定する事でもなくて、ただありのままを受け入れることなんじゃないのかな?』」
ことかはうつむいたまま、ただじっとその言葉を聞く。
「『分かりあえばいいと思うんだ。偽物だとか本物だとかは関係ない。ことかちゃんは記憶が変わるのが怖いって言うけど、記憶よりも大切な物をことかちゃんのパートナーはたくさん残していってくれているはずなんだ。ことかちゃんも本当はそれを分かっているはずでしょ?』」
「のかな…………私は…………!」
「『不安…………なんだね。でも、そんなに怖がらなくてもいいと思うんだ。きっと向こうも怖いと思ってる。だから、お互いに一歩踏み出せばいいと思う。そんなに距離は離れていないはずだから。届かない距離じゃないんだ。手を伸ばして触れてみなくちゃ何も分からない。後ろには私が付いているからことかちゃんは安心して前に進んで。もし足がすくむような事があれば背中を押してあげるから、ここに私は居るから』」
にこりと笑ってのかなは続ける。
「『辛い気持ちは私に分けてくれればいい、代わりに私は楽しい気持ちを分けてあげる。だって私達はそのために集まったんだから』」
「…………!」
はっとしてことかは顔を上げた。その台詞はかつてことかがのかなに言ったものと同じであった。あの時の少女は苦しみの中で生きているような悲しい存在であった、それは今も変わっていない。
だが、今、目の前に居る少女は悲しみを背負いながらもそれに抗う強い意志の力を持っていた。成長したのだ。様々な友との出会い、戦いを通して。かつてことかが言った言葉は巡り巡ってことかに帰って来た。
人はそれを因果という。
「ははは! そうか! そういう事じゃったか!」
あまりに痛快でことかは声を出して笑った。先ほどまでの陰気を吹き飛ばし、陽気を呼び込むような力強い笑いだ。やがてそれが治まった時、そこにはいつもの自信に満ちた道下ことかが存在していた。
「『きゅ、急にどうしたの? ことかちゃん』」
圧倒されたのかなの頭をことかはにやりと笑うと立ち上がって手でくしゃくしゃと掻きまわした。
「私に説法なんて百年早いんじゃよ」
「『あうぅ………』」
帰るよ、ことかはそう言って歩き出した。
ことかにもう迷いはなかった。因果が巡るものだとするならば自分の思いはきっと届けられるはずだから。間違っていてもいい、自分には間違いを正してくれる友が居る。だから己の気持ちに嘘をつかず素直に生きていこうと思った。そうすればお互いに素直になれるはずだから、お互いに分かりあえるはずだから。
「全ての因果は繋がっている………そういう事じゃからね」