第一章 6
話がまとまった事を知ると狂志郎は部屋を出ていった。月明かりの廊下で座り込み、底の見えない竹林の先の闇を見つめる。
しばらくそうしていると木の床が軋む音がして月の光が陰った。
「寝ていなくていいのか?」
問われた影は曖昧に微笑んでいる。
「さっきのはお前の仕業か?」
「いいえ、私が原因ではないわ。強いていうならあなたのせい、あれがあの子の『サガ』なのよ」
「性だと?」
コンスは言う。
「人形は人の心を映す鏡。これはあなたが望んだ事なのよ」
「俺が破壊を望んでいるというのか?」
「違うとでも言うの?」
狂志郎は顔を曇らせた。
「否定はしない。俺の中にあった怒りと憎しみ、それは事実だ。しかし、怒りを抱かずに戦える人間が居たとしたらそれこそ異常だ。俺はこの感情を間違った事だとは思わない」
「見捨てた事については?」
「……そうしなければ全滅していた」
くすくすとコンスは笑った。
「別に咎めているわけじゃないわ。私はあなたの上司でも無ければ親でも無い、それよりタチの悪いものだもの。あなたがどんな道に行こうがどんなモノになろうが、私の欲求を満たしてくれればそれでいい。私はそのためにあなたにヒントを与え、駄目だったら切り捨てるのよ」
「俺は操り人形か」
「自由とは限りがある物よ、限りの無い物を自由とは呼ばない」
「ならばそれを何と言う?」
コンスは答えた。
「『空』よ」
「空、すなわち虚無か」
「天羽君、あなたはあの子が怪物になりかけた時、どんな気持ちだった?」
狂志郎は正直に語った。
「例えようが無い。あんな精神状態は初めてだった。どこまでも続くなだらかな道を進んでいて不意に避けようのない崖が現れたかのような、はたまた永遠に晴れる事の無い暗雲に世界が包まれてしまったかのような形の無い絶望その物だった」
コンスは語った。
「それが『正義』と呼ばれている物よ。あなたはあの子を通してそれを見た」
「馬鹿な、あんな物が『正義』であるはずがない」
「私が嘘をついていない事はあなたが一番良く分かっているはずよ。だから考えなさい、その『正義』の意味を。あなたならきっと先の地平に到達できる」
「何故だ?」
「あなたの事を私に聞くの?」
「俺が聞いてるのはお前の事だ。何故、俺にそこまで期待する? お前の言い分では俺以外の人間でもいいはずだが?」
「………………」
くすりとコンスは笑った。
「頼まれたからよ」
「誰にだ」
「それは…………」
「おい、天羽!」
はっと狂志郎が意識を取り戻すとそこにはコンスの姿は無かった。やってきたことかは不思議そうに首を傾げた。
「夕飯できたよ。聞いとんのか?」
「ああ…………」
「なんか話声が聞こえてたけど誰か居たんか?」
「…………いや」
「じゃあ、気のせいか。人影は一つしか無かったもんな。それにしても独りごとなんてSAN値がヤバイんじゃよ。ここいらで一つダイス振っとく?」
「いらん。俺は正気だ」
「うわっ、その台詞はまずいヤツじゃ。勘弁するんじゃよ、のかなに続いてお前まで倒れたらとてもじゃないがカバーしきれんけぇね」
「フン、馬鹿馬鹿しい」
狂志郎は居間に向かうべく立ちあがるが、不意に焦げくさい臭いが鼻を刺し、顔をしかめた。
「おい、なにか調理に失敗したな? ここまで臭ってくるぞ」
「は? そんなわけあるか。今はこんなナリでも飲食店やっとるんじゃよ、望夜だって料理は得意じゃし鼻が馬鹿になってるんじゃないの?」
「気のせいじゃない、確かに感じる。これは…………」
狂志郎は集中し、辺りの状況を探り始めた。そして、ぱちぱちという何かの弾ける音を聞いて確信し、焦ったように言った。
「山火事だ!」
自然に起こったとはこの天気では考えづらい。その原因はあの『酒呑童子』だろう。生死を確認しなかった己の甘さを痛感し、狂志郎は歯噛みをした。
「ちぃ、あの男やってくれる!」
「どうする天羽?」
「炎のが倒れた今、戦えるのは俺だけだ。俺が囮になっている間に撤退しろ」
「戦うのなら望夜が居るよ」
「ヤツは第二世代魔法少女、デバイス無しでは無理だ。多少はやるようだが相手は人間じゃない、足手まといを増やすな」
「そんな言い方は無いじゃろ」
「………………」
ことかは苛立ったように言った。
「このスマシが! 黙って気取っていればそれで済むと思うんじゃないよ! のかなを見捨てようとしたから、今度は自分が見捨てられる番じゃと? ふざけるな! 確かに人死には少ない方がええ。じゃけど、それはお前が死んでいいという事じゃないよ。私達は長生きするために戦っとるんじゃない。生きるために戦っとるんじゃ!」
肯定するようにすっ、と障子をあけてマタギ姿のめろんが出てくる。
「私にも手伝わせてよ。特別な力は無いけれど、ここには特別な思い入れがあるからね」
「光の…………」
狂志郎は難しい表情をしていたが、止めても無駄だと思ったのか口を開いた。
「分かった。だが、手負いとはいえあの男を甘く見る事はできない。間違いなく呼んでいるであろう仲間と合わせて対処する事は今の俺には無理だ。お前達の力が俺に劣る以上、撤退する以外に手は無い」
「仕方ないじゃろうな。ジイさんがのかなを運んで逃げるまでの時間稼ぎじゃ」
「無理だと感じたらすぐに退却しろ。その際、俺の事は気にしなくていい。お前が倒れた場合は回収してやるから心配するな」
「天羽、じゃけぇ死に急ぐなと」
「勘違いするな。俺は上級執行官。その気になれば『ジョウント』で退避できる」
「じょ、じょうん? よく分からんが手段があるという事じゃな」
「ああ」
狂志郎は複数の足音の訪れを感じ取ると大地へと飛び出した。
「敵が来るぞ、さっさと炎のを連れ出せ!」
「望夜、天羽の事頼んだよ」
「うん、分かった」
ことかとめろんは互いに違う方向へと動き出し、少しの間を置いてぱちぱちという炎の燃える音の中から包帯を巻いた酒呑童子が現れる。
「よう、さっきはよくもやってくれたな。その礼に来てやったぜ」
「そんな体で俺に勝てると思っているのか?」
「いるさ。人間如きがいくら粋がろうとも怖くもなんともない。俺が恐れるのはあのガキみたいな化け物だ。ああいう危ないヤツは弱っている内に駆除しておかないとな」
「下種が。貴様はこの上級執行官、天羽狂志郎が処刑する」
「ははっ、一丁前に正義面か。…………俺はな、無力な癖に正義を振りかざすヤツが一番嫌いなんだよ!」
静かに手があげられると酒呑童子が引き連れてきた山賊達が狂志郎を取り囲む。善性の欠片も無い下卑た人間達を見て狂志郎は不快な顔をした。
「貴様ら、その男が鬼だという事を分かっていて従うのか?」
賊の一人が言う。
「金払いがいいからな。あんたには悪いがここで死んでもらうぜ」
「………………」
「けけけ、可哀想にどうやらびびっちまって声も出ないようだなぁ!」
狂志郎は淡々と語りだした。
「…………刑法202条『森林放火罪』、刑法第222条『脅迫罪』、刑法203条『殺人未遂罪』」
「は?」
「それが貴様らの主な罪状だ。無論、余罪は数えきれないだろう。後は地獄の閻魔にでも教えてもらえ、俺は裁判官じゃないんでな」
軽く体をほぐすと狂志郎は地面に向けて勢いよく蹴りを放った。周囲に爆音が鳴り響いたのを合図として姿を消し、目にも止まらぬ速度で敵陣へと切り込む。軽く数人熨された所で賊達は段々と割に合わない仕事だと理解し動揺し始めた。
「な、なんだこいつの強さは! ばっ、化け物か!?」
「天羽……ま、まさかあの無手最強の天羽流か!?」
「天羽流だと!? 本物だとしたら命がいくつあっても足んねぇ! や、やってられるか逃げ…………」
「おいおい、誰が逃げていいって言った?」
「ごふっ…………!」
逃げ出そうとした賊を虫けらのように殺し、酒呑童子は怯えた山賊達に言う。
「ほらほらぁ! 金払ってんだからさっさと戦えよ。俺に殺されるのかアイツに熨されるのか、どっちがマシかなんて考えなくなって分かるだろ?」
「ひっ、ひぃ…………」
仕方なしに狂志郎へと襲いかかる山賊達だが、金に目が眩んだのがそもそもの原因なのだから自業自得としか言いようが無い。追い打ちをかけるように竹林の中からめろんの矢が飛ぶ。それを見た酒呑童子は山賊の体を鷲掴みにすると肉壁にして矢を受けとめる。
「ちっ、厄介だな。あっちを先に潰すべきか」
「させるか!」
「させますぅ!」
ロケットのような勢いで飛び上がった酒呑童子は幽霊のように竹を渡っていく。異常ともいえる身のこなしは体重すら消失させたかのように竹は全くしならず、その速度は草原を駆ける馬のように速い。
本来なら接近してくる相手など弓の餌食だが、三次元的に襲ってくる相手には分が悪い。狙いが確実ではないと理解した瞬間にめろんは一目散に逃げ出していた。だが、デバイスによるフォローが無ければ身体能力は少女の物にすぎない。あっと言う間に追いつかれて接近戦に持ち込まれる。
「ばあ!」
「…………!」
めろんは腰から山刀を抜いて応戦しようとするが、身体能力の差か抵抗といえることもできずに得物を弾き飛ばされてしまう。
ふと酒呑童子は気づいたように言う。
「ん? 暗がりでよく見えなかったがもしかしてアンタが『かぐや姫』か? ふーん、ガキだが器量は悪くねぇな。殺すには少し惜しい。どうだい、俺の物になるなら命だけは助けてやるが?」
「………………」
めろんは憎しみを込めた目で睨みつけた。
「そうかい。じゃあ、死ね!」
「光の!」
狂志郎は間に合わない事を悔やむかのように叫んだ。めろんは瞳を逸らすことなく正面から死を見つめた。
鮮血が着物を赤く染めた。
「!」
「お……おおっ…………!」
「なにっ!?」
だが、その血はめろんの物ではなかった。遠くに逃げたはずの翁が庇うように覆いかぶさり、その背中を赤く染めていた。
「おじいちゃん!」
狂志郎は近くに居るであろうことかに向けて怒鳴った。
「何をやっている! 逃げろと言ったはずだぞ!」
「私は止めたんじゃよ! じゃけど、この体じゃどうにもならんよ!」
「くっ…………!」
めろんは茫然とした様子で必死に翁の体をゆすった。
「おじいちゃん! おじいちゃん! おじいちゃん…………!」
「あーらら、ちょいと予定が狂っちゃった。運のいいヤツだなぁ」
「逃げろ! 光の!」
「だけど次は無いぜ。それともまた誰か庇ってくれるのか? どうなんだぁぁぁぁ!?」
絶望の瞬間、狂志郎は自身の感覚が加速するかのような奇妙な錯覚に陥った。己の背後に何者かの息遣いを感じ、それは地の底から響くようなおぞましい声で語る。
「『ワタシ、ヲ、ミステル、ノ、カ。スクッテ、ハ、クレナイノカ』」
「はぁはぁはぁはぁ…………」
「『オ、マエ、ハ、セイ、ギ、デハナイ。ナ、ラバ、オマエ、ハ、ナニ?』」
「くっ…………うっ!」
分けのわからない感覚に支配された狂志郎はただそれから逃れる事しか考えられず、反射的に己の背後に向けて拳を打ち込んだ。
「うっ、くっ、あ! うわあああああああああああ!」
「天羽! どこを打っとるんじゃ! そこには何もない、空じゃ! 空間虚無じゃ! そこには何もない! 何もありはしない!」
「ああああああああああああああ!」
確かに何もない場所だった。しかし、ざらついた岩のような感覚がそこにはあり、檸檬色の風味が耳を通り抜けて、炎からはカラメルに似た匂いが視界から感じ取れ、痛みが手の中で握りしめたゴムボールのように歪んでいた。
バラバラになった自己が空間に散らばって、霧散していく。暴走した感覚が一瞬をあたかも永遠であるかのように見せかけ、やがてそれは一点に収束して弾ける。
「ああああああああああああ!」
奇妙だった。白いペンキのような軌跡が賊共を殴りつけ、時間がゆっくり流れているのかスロー再生のようにのろく落ちていく。
行かなければと思った瞬間にはすでにめろんの前にたどり着いており、殴ろうと考えるまでもなく白い軌跡が空間に塗りたくられる。
「え?」
ことかが認識した瞬間にはすべてが終わっていた。賊共は倒れ、酒呑童子はあまりダメージが無いようではあるのもの気を失っている。
何が起こったのかも分からない。これを行ったであろう本人ですら信じられないように煙の上がった自分の拳を見つめている。地面に焼き付けられた炎の線だけが瞬間移動などではなく凄まじい速度で移動したのだという事を証明していた。
「一体なにが…………?」
思考に耽る間も無く、突如として暴風が巻き起こる。爆弾でも破裂したかのような嵐は地面すら容易くむしり取り、何もかもを汚くかき混ぜていく。
「くっ!」
狂志郎は咄嗟に近くのめろんを引き寄せると守るように覆いかぶさる。
「あわわわわ! と、飛ばされるぅ!」
「世話を焼かすな!」
宙を舞っていたことかをキャッチした狂志郎はもう一人の少女の姿を探すが、どうしても見つけられず巻き上げられた砂に視界は遮られた。




