Bルート 1
「のかな…………」
歯を食いしばり涙を流しながら吐き出すようにのかなは言った。
「ああ、そうだ。私は殺す事しかできないんだ。生きているだけで周りに死をまき散らす疫病神なんだ。今やっとそれが分かった。どんなに綺麗な物に憧れたって所詮は醜いアヒルの子どもなんだって思い知らされた。だけど、だけど、だからどうしたって言うんだ! 綺麗じゃなくちゃ、美しくなければ許されないっていうのか? ふざけるな! 私は認めないぞ! この世の全てが私に歯向かうというのなら、全部ぶち殺してやる! 綺麗な物全てを鎖で繋いでその自由を奪ってやる! 時を巻き戻し、死すら生に変え、必ずお前を殺してやる! それは道理の通った正攻法では無理だ。それを為す為の力はどこにある? ここだ! 道理の通らぬ魔の法を持って、全てを奪い返してやる! 邪悪など知った事か! この邪悪な目を見ろ! 私は魔王だ! 魔王サンハートだ!」
のかなは己の中で何かの『スイッチ』が入るのを感じた。それに反応するように銀河水晶が輝きだし、宙へと独りでに浮かび上がる。それは『ハートブレイカー』と融合し禍々しくも力強い漆黒の杖へと姿を変えてのかなの手へとおさまる。
「今更武器を手に入れた所で何ができるというの?」
「魔法の力は魔力にあるんじゃない。心にあるんだ」
「はっ、そんな邪悪な心で!」
「怒りと憎しみを抱かずに戦える人間が居るか。それが無かったら歪完全だよ」
「いいわ。なら、汚いまま死んでいきなさい」
コンスの手を動く。空が加速し、全てが通り過ぎていく。それは錯覚だ。だとしても気づけば呑みこまれる。蒼いナイフの切っ先を自らに向けた瞬間、何もかもが自分という物に耐えきれずに崩れていった。
「蒼刀――――月光夜白」
攻撃の軌跡などまるで無く、のかなは全身から血を噴き出してその場に倒れる。おそらく自分に何が起こったのかすら分かっていないだろう。突然訪れた死はただ淡々とそこを流れていくだけで情も憐憫もありはしないのだ。
「のかな…………嘘でしょ、のかな!」
るいは叫んだ。叫ぶことしかできなかった。立ち向かおうとは露も思わなかった。僅かな怒りすら消し去ってしまうほどに目の前の存在は強大だった。
「そうやって睨み立ちつくす判断は決して悪い事じゃない。勝てない相手に向かうのは馬鹿のする事よ。時代に適応できない旧きモノは去り、新しいモノが来る」
コンスが手をかざすとのかなの体から光の球体が抜け出てそこに収まる。
「これでようやく全ての終鳴延奏の欠片が揃ったわぁ。長かったけど、その分感動もひとしおというものね」
「…………お前は一体なにをしようとしているんだよ」
「あなたは世界の始まりを知っているかしら?」
「そりゃビッグバンで全てが作りだされたんだろうさ」
「この世界においてそれは意図的な物よ。神の道具『なのか』によってこの世界は作りだされた。私はこの世界に散らばった『なのか』の要素を集め、あの子を殺した神へと復讐をする」
「神への復讐?」
「あの子の、終鳴延奏の可能性はこの世界に関わらず神の作りだした他の世界にまで浸食する危険があった。全ての人間に希望を持たせる事はある意味で思考の統制だわ。やり過ぎたのかもしれないわね。でも、それとこれとは話は別。神は終鳴延奏を殺した。だから神に復讐をし、私はもう一度あの子に会うために『なのか』の再生と終鳴延奏を復活のためのシナリオを作った。そして今、それは最終フェイズに入る」
地面がせりあがり、神殿のような地形へと変化する。その中央にコンスが立つと月が欠け始め、黒に包まれた新月へと変わる。
その時、何かに気づいたコンスが叫んだ。
「違う…………これは! ……きゃああああああああああ!」
同時、反転するようにその体の形が瞬時に書き変わると黒のベールを脱いで、新たなる存在としてそこに顕現する。その少女は居るだけでも凄まじい存在感を放ち、重力のように全てを押し潰すような威圧感を発していた。
「…………『あいつ』だ」
「のかな!? 死んじゃったんじゃ…………!」
血まみれのまま荒い息で体を起こしのかなは言う。
「別に致命傷ってわけじゃないよ、派手に血が出てるからそう見えるだけさ。ショックが大きかったから気を失っちゃったけど、大した攻撃じゃなかったんだ」
「そうなの…………?」
るいは話しながら言いようのない妙な感じを覚えていた。それがのかなから奪われてしまった“何か”がここに無いせいで引き起こされているのは窺う余地もないが、続きの無い道へと突き進んでいるかのように絶望的で息苦しく感じられた。
(…………ん? あれは…………)
のかなの首元に何かの鱗のようなゴミが付いている事にるいは気がついたが、その疑問は次の台詞でどこかへと飛んでしまった。
「それより問題は『あいつ』だ」
「のかな、『あいつ』って?」
のかなは後悔するように語った。
「どうして気付かなかったんだ。どうして思い出せなかったんだ。例え記憶を奪われてたって絶対に忘れちゃいけない事だったのに。私はまた繰り返すっていうのか?」
「だから『あいつ』って!」
ただ一言、
「『神』だよ」
杖を支えにしてのかなは立ち上がる。そして倒れているアリィの体を睨みつけて言う。
「いつまでやられたフリをしているんだ。いい加減起き上がってこい」
「ク…………クシシシシシ!」
平然と起き上がったアリィを見てのかなは吐き捨てるように言う。
「お前は昔からそういうヤツだった。奪ってばかりで何一つ自分の物じゃない。その邪神の姿すら奪い取ったものだ」
「久しぶりだってのにずいぶんな挨拶だネ、『伝説の』。まあ、でも礼くらいは言っておくよ。もし、君があとほんの少しでも冷静でなくてあの女に無残にもやられていたら、ボクの計画は何もかも駄目になって、そのまま死んでいくしかなかったんだからね、クシシシシ!」
「吐き気がするほど相変わらずだな。もう一度、暗黒へと回帰させてやる」
「できるかな? 『伝説の』。ボクは相変わらずかもしれないけど、君はずいぶんと変わってしまったようだ。まるで粗悪品のように力を感じない。いや、おそらく模倣に過ぎないのだろうね。あの錬金術師が作り出した『伝説の魔法少女』の模倣者。言うなれば『伝説の模倣者』ってわけだ。偽物であるお前が偉大なる本物であるかのようにボクの前に立つ――――ちょっと不遜すぎやしないかい」
「………………!」
凍りつくような視線にるいは恐怖し体を震わせた。自らに向けられたわけでもないのに、圧倒的な威圧感で動く事ができない。それはのかなが庇うように前に出るまで続いた。
「誰かの場所はどんなに手に入れようとしてもやはりその誰かの場所だ。私はこの世界でその事を教えられた。ならば私はずっと私の場所で私として進んできたんだろう。私はここに居て、他のどこにも居やしない。私は『伝説』を目指してはいない。私はただ立派な魔法少女になるだけだ!」
「クシシシシ! いいだろう。その1%たりともオリジナルに及ばない貧弱な力で邪ではない本物の神に抗ってみろ」
瞬間、『なのか』の瞳孔が“きゅう”と締まり、神経回路にパルスが走る。世界を七日で作り出した創造の力。その全てが慈悲無き暴力へと変換され、襲いかかろうと身構える。
それに対し、のかなは大きく呼吸をし、勇敢な姿勢で立ち向かう。
「おおおおおおおお!」
攻撃の太刀筋どころか方法すら理解できないとしても手から“放たれていた”波動の衝撃は時間軸、道理、因果にまで影響を与え、そもそも本当は発生すらできないはずなのにそれが発生するために必要な意志、行動、肉体すら生み出し、存続させる。
波動衝撃を奪う事はできない。奪われてしまっては“のかな”から発生する事ができなくなってしまう。それは許されざる事だ。だから奪われないし、失われない。ならば、全てはこの力の行使の為に作られた生贄なのか?
疑問は無意味だ。考えて出る答えなら、そもそもこうやって争ってはいない。
「太陽光の波動衝撃!」
玉が割れるような奇妙な音と共に光彩が弾け、力の拮抗によりのかなは吹き飛ばされる。相手とて反動はあるはずだが、そもそものスケールの違いで衝撃を軽減する素振りすら見せない。
「恐ろしい。恐ろしいよ、お前は。一週間で世界を作り出すエネルギーと等価値な力。それはなんだ? 一体いつ生まれた? 誰が生み、誰が育ててきた?」
「くっ…………ううう」
「痛がったフリをするなよ。お前は人形だ。『なのか』と同じように模倣者に過ぎないんだ」
力の差は歴然だった。満身創痍であるのかなに対して、片や世界を作り出した怪物。万全でも勝つのは難しいというのにこの状況では一筋の光すら見つけられそうになかった。
だとしてものかなは立ち上がる。そうしなければ殺されてしまうからではない。まだ何も取り戻してはいないからだ。夢も希望も友も何もかも奪われたままで死んでいく事などできないからだ。
勝機などあるわけがない。だが、ネガティブに移行しないよう改造された精神はどんな窮地にあろうとも絶望せず、闇の中からあるはずもない勝利を引きずりだす。
「ウ、ウウウウウウウ!」
「獣のように唸ったって無駄サ。威嚇にもなりはしない」
「のかな…………一体何をしようとしているんだ?」
怒りだった。小さな体に収まりきらない怒りが噴き出し、唸りとなってあふれ出す。それは噴火の直前に熱せられた空気が洞穴を一気に駆け抜け、奇妙な音を生み出すのに似ている。
「おおおおおおおお!」
「!」
のかなの体よりあふれ出した緑色の光が空間へと侵食を始め、圧力に耐え切れなくなった空間がガラスのように砕けていく。それは人間の出せる力ではない。異界より噴き出した破滅の針だった。
「ふーん、なるほど。本体は“そっち”ってわけか。ほんの小指の爪の先程度でもこれだけやるって事は本体相手だとこの『なのか』じゃちょっと分が悪いかな。ま、無論その前に潰すけど」
“神”に命じられた『なのか』はあふれ出す力の圧力に屈することなく、のかなへと近づき殴り飛ばす。半ばトランス状態だったのかなはそれにより我に帰り、緑色の光は消え去るがまだ“接続”は切れていないようで人の言葉を忘れ去ってしまったかのように唸りをあげる。
「ウウウウウウウウ!」
「リミッターが外されてるみたいだね。お前にはこれ以上無いほどの痛みと絶望を与えてあげようと思っていたんだけれど、これじゃ興ざめだ。もういいや、死んじゃって」
「のかな!」
るいは祈るように叫んだ。誰でもいい、助けてくれと。しかし、ここまで経って誰も来ないという事はおそらく味方はもう誰も残っていないのだろう。現実は非情で、救いや奇跡などどこにもありはしないのだ。指の隙間から零れ落ちていく砂のように抗う事もできずに失っていくだけなのだ。
誰でもいい、助けてくれと。るいはどうにもならないと知りながら叫んだ。それは無力だが無駄でも無意味でもない。言わなければ伝わらない。どんな事でもやらなければ始まらない。同じように望まなければ奇跡は起こらない。
「…………!」
るいは不思議な音色を聞いた。初めは錯覚かと思ったそれが段々と近づいてくるのが分かった。だからるいは叫んだ。ここに居るぞと。ここに来てくれと。それが敵である可能性など微塵も考えなかった。
やがてそれはここに立つ。かつてと同じように、過去と未来を永遠に分かつために。
「君は奇跡の存在を信じるか?」
☆
「ぐっ…………!」
ハヤタは抉られた自らの肩を押さえ、膝をついた。だらだらとあふれ出す血は近くに居たディズにも降りかかり、そのナイフの月は鮮血で赤く染まっていた。
「『なんで…………なんでなんだよ!』」
今にも泣きそうな顔で訴えかけるようにディズは叫んだ。
「『ウィタカさん!』」
厳しい表情のウィタカはそれを崩さずに淡々と語る。
「何故、ですって? 助けてあげたのにそんな風に言われるとは思ってなかったわ」
「『私はただ……ハヤタと仲直りしてほしくて…………』」
「なに甘い事言ってるのよ。あなただって知ってるでしょう? こいつは殺人鬼なのよ。今だって私が助けなければあなたは殺されていたのよ。それとも死んでいた方がよかったとでもいうの?」
「『ち、違う…………。けど!』」
「なら、黙っていて。こいつを殺した後に話を聞いてあげる」
「『ウィタカさん!』」
とどめを刺そうと瞳に光を溜め始めたウィタカを見て、ディズは迷いながらも庇うようにハヤタの前に出る。
「どきなさい! 死にたいの!?」
ウィタカは瞳から光線を放ち、ディズの足を穿つ。しかしディズは痛みにもだえながらも一歩も退かずにそこに立つ。
「『うぐっ!』」
「その男に守る価値なんて無いのよ。分かっているでしょ!」
ディズは苦しみながらも必死に訴えかける。
「『駄目だ……駄目だよ、ウィタカさん。気持ちに嘘をついちゃ駄目だ。本当は分かってるはずなんだ。こんな事間違ってるって』」
「じゃあ、そいつを許す事が正しい事だとでも言うの?」
「『………………』」
「答えなさい! ディズ!」
「『………………っ!』」
そうだ、と断定する事はできなかった。ハヤタが正しくない事は誰の目にも明らかだ。己のエゴの為に動く怪物。それはディズも同じだ。だからこそ二人は素直に殺し合う事ができた。
しかし、ウィタカは違う。自分の為ではなく正しい事のために動く。それをエゴで塗り潰す行為は例え卑しく浅ましい怪物であろうともやってはならぬ事だ。
ディズは答えが出せないで居た。過去と未来、どちらに寄り添っても破滅しか待ち受けない。いくら鉄を容易くへこませる怪物であろうとも、どうにもならない事は数えきれないほどある。それでもまだ諦めてはいなかった。奇跡でも起きなければこの場がどうにかならないというのなら、奇跡を起こそうと思った。
いや、最早可能性など信じていなかった。遥か遠くの地の蝶の羽ばたきがこの地で天を揺らす嵐になる事はもう分かっていた。これは賭けだった。この世界をいつまで尊敬していられるかという。たった一瞬微笑むかどうかに全てを捧げた。
殺す事が勝利だというのなら、そもそも価値を感じていない。だから怪物の力というのはきっと破滅の暴力器官ではなかった。およそ道理の通らぬ馬鹿げていてくだらなくて、それでいて綺麗な物のはずだ。
風が――――吹いた。
誰にも操れないはずの物が導かれるかのように動きだす。それに理由を求めるのは馬鹿げている。理屈だけで動くのなら、そんなに息苦しいものもないだろう。考えなくてもいい、光へと手を伸ばすようにゆっくりと感じ取ればいい。
両手を広げ、じっとウィタカを見つめていたディズはふと何かに気づいたように視線を逸らす。その先には風が集まり、一つの体を形作った。
「おーお、やってるやってる」
下品な声と共に現れたのは仙人のチェンだった。品定めするようにじろじろと眺め、じゅるりと舌舐めずりをする。
「へへっ、なんだか知らないが仲間同士で争っているらしいな。ちょうどいい、両方とも頂いちまうか!」
「何よ、あんた。ここはお子様の来ていい場所じゃないのよ。今すぐ消えなさい」
「誰がお子様だ。イラっと来たぜ。まずはお前から食ってやるか!」
チェンは地を滑るように走り出す。ウィタカはそれに向けて完全に殺すつもりで光線を放つが、命中する直前、その部分に自ら穴が開きかわされる。
「なっ!?」
「ばーか! 攻撃が直線的過ぎるんだよ。そんなの一度見せたら通用しないっての」
「くっ…………!」
次のチャージを完了させる暇も無く、チェンは接近を終えて勢いよく襲いかかる。
「ひゃっはー! めしだー!」
「『ウィタカさん!』」
ディズは助けるために動こうとするが打ち抜かれた足が枷となり動きが止まる。むなしく延ばされた手は宙を掻き、そして…………
「………………」
突如として割り込んだ大きな嵐が全てを吹き飛ばした。
「太陽光の波動衝突!」
棘が炸裂するような奇妙な音が響き、光彩が弾けた。予想外の攻撃にチェンは防御姿勢すらとる事ができずに断末魔をあげる。
「う、うぎゃぎゃぎゃぎゃ!」
「消えろ、目ざわりだ」
「ぎゃひー!」
吹き飛んだチェンは地面に落ちるとしばらくは痙攣をしていたが、やがて息の根が止まったのかぴくりとも動かなくなる。
ディズは脅威が去った事にほっと息を吐いてハヤタを見た。
「『ハヤタ、やっぱりあなたは…………』」
「………………」
ハヤタは己の手をじっと眺め、呟くように言った。
「神様の話を知っているか? 神様というのは二種類ある。理由のある神様と理由のない神様だ。理由のある神様は道理が通って正しい方へと人を導いてくれる。一方理由のない神様はとりとめが無くて無茶苦茶でそりゃどうしようもないもんさ。でも、人を最後に救ってくれるのは理由のない神様だけなんだよ」
「ハヤタ…………」
「俺は理由なく君を助けた。君に理由なく助けられたあの日のように。貸し借りとかそういう事じゃない。これは“答え”なんだ。誰かを模倣していた俺が何者だったのかという、たどり着いた真実なんだ」
ハヤタは斬られた腕を取り、ギターを拾い上げると背負い、ディズを見た。
「ディズ、君の勝ちだ。俺は怪物の“フリ”をしていただけだが、君は本物の怪物だった。初めはとても信じられなかった。だって俺は確かにあの時君を――――殺していたんだから」
「嘘よ!」
青ざめた顔でウィタカは嘆くように叫んだ。
「嘘よ…………そんなの嘘よ! だってまだ生きてるじゃない!」
「嘘じゃない。その証拠に君に抉られた足が再生していないだろう。本来ならそんな怪我、かすり傷程度にもならないはずだ。ましてそれが原因で助けに行けなかったなどあるはずがない」
「……! ディズ!?」
今にも泣き出しそうなウィタカにディズはただ曖昧に微笑んで言った。
「『ウィタカさん。私はね、初めっから死んでたんだ。本当は生き返ってなんてなくて、死んだまま動いていただけなんだ。だから悲しむ必要はないんだよ』」
「ディズ!」
「『本当は誰かの手の平の上で踊らされていただけで自分の意思すらなかったのかもしれない。だけど…………私はそれで十分だった。例え私の意思じゃなくても、私はこの私で、私のままで到達する事ができた。見てよ、この奇跡! 私が起こしたんだ、他の誰でもない私が起こしたんだ。過去も未来も絶望しかなかった。だから私は時を止めた。死んでいく今を必死に繋ぎ止めて、瞬間を永遠にするためだけに私はここまで来た! 私は幸せ者だ。こんな気持ちで逝けるのなら、後悔なんてあるわけない』」
「ディズ!!」
立ちくらんだかのように顔を押さえ、ディズは膝をつく。それでも駆け寄ろうとする手を払い、言葉を続ける。
「『先に行ってよ、まだ敵は残ってる。こんな所で立ち止まってる暇は無いはずだよ』」
「だけど、ディズ!」
絞りだすようにディズは叫び、
「『行けよ! 私はもう…………』」
それでも気丈に続けた。
「『…………先に行ってよ。必ず追いつくから』」
「………………」
ウィタカはもう何も言わなかった。さよならも言う事ができないのはきっと死すら捻じ曲げた故の罰だったのだろう。もう二度と会う事は無いのだと知りながらも、また会えるかのように背中を向けて歩き出した。
「行きましょう」
それは誰に向けた言葉だったのか。ただ泣く事しかできない自分の無力さがウィタカの心に砕けたガラスのように突き刺さった。
「『………………』」
二人が穴の中へと入って行くのを見届けたディズは分かっていたかのようにやってくる足音に答えた。
「『私、できたよ』」
「よく頑張ったわね」
「『………………うん』」
その手が優しく触れて、ディズは静かに目を閉じた。ぐり子は名残惜しそうにしばらくそうして居たがやがてアンジェラのリングを回収して、かちりと腕に嵌めた。
「…………彼女は幸せだったのかしら?」
「さあね。少なくともいい気分で逝けたんじゃないの? 俺はやられ役やったからくたくただよ。とーぶんはこういうのはごめんだね」
チェンは体の調子を確かめるように首をこきこきと鳴らした。
「さて、これからどうするかねぇ。馬鹿弟子の不始末は片づけたし、やる事ないならあいつらの後でも追ってみるか?」
「………………」
ぐり子は異界への入り口をじっと見つめ、くるりと踵を返した。
「遠慮しておくわ。だって私にそこを通る資格は無いもの」
「ふーん。まあ、行ったら人間のままじゃ戻ってこられないだろうから、その判断は正解だよ。俺としては行く選択をしてくれた方が変わってく経過が見られて好みだけどな」
「趣味が悪いわよ」
チェンは意地悪く笑った。
「ひっひっひ、よく言われるよ」
「ここは空気が悪いわ。早く家に送ってくれる?」
「焦るなよ。仮に家でやりあう事になったら家が壊れる。そしたら保険が下りないぜ、それでもいいのか?」
「…………ちょっと待って、あなた何を言ってるの? まるでまだ敵が居るみたいな…………」
はっ、としてぐり子は辺りを振り返った。ここは確かに静かな場所だが、それにしても静か過ぎる。どんなに静寂が世界を包んだとしても完全なる無音というものはありえない。目に見えないほど小さな生き物、風のざわめき、草木の鼓動。生命音とも言うべきあらゆる物の雑音がどこにでも存在する。
だが、それは今は無い。まるで未来と繋がるための“何か”を奪われてしまったかのように今と未来が切断されている。
「おかしいわ。別に『どこもおかしくない』のに『おかしい』わ。一体なにが起こっているの?」
「小姐よ。悪いが仕掛けさせてもらうぜ。どうせ死体なんだ、壊れちまっても文句は言うなよ!」
「ちょっとチェン!」
まるで手品のように何本もの宝剣を持ちだしたチェンはそれを指の間にはさんでディズへと投擲する。だが、それは当たる直前で風船のように破裂して壊れてしまう。
「こいつ!」
「………………」
目を開き、ゆっくりと立ち上がった“それ”は片手に蒼いナイフを携え、静かにたたずんでいる。その圧倒的な威圧感にさすがのチェンも冷や汗を掻く。
「おいおい、怒らないでくれよ。軽い冗談じゃないか」
「………………」
(ヤバイな、逃げる隙がねぇ。しばらく畜生からやり直しか?)
チェンが庇うように前に出ながらそれを睨みつけていると、何かに気づいたぐり子が口を開いた。
「あなた、『のかな』よね?」
「………………」
それは肯定するかのように、にやりと笑った。
「そう言えばモニター越しだけど一度会っていたわね」
「どうしてあなたがそこに? あなたはのかなの別人格ではないの?」
「これも『のかな』よ。どこもおかしい所はないわ」
「あなたはのかなの味方なの?」
「死に際に助けなかったのだから敵だとも言えるし、蘇らせたのだから味方だとも言えるわね」
「あなたの目的は?」
「当ててみなさい。ハワイに招待するわ」
「ここまでの事で結論が出せるというのね。なら、とても簡単な事よ。あなたはのかなの敵でも味方でもない。その先にある何かへと到達するために行動しているだけなのよ。その事から考えればこの世界は何度か繰り返しているのかもしれない。少なくとも、あなたの行動には確信が存在するように思えるわ、それは単なる予知能力だけでは考えられない事よ」
「………………」
それは曖昧に微笑んで返す。
「なるほど、あなたはそう考えるのね」
「それは“今回の”という意味?」
「逆に問わせてもらうわ。あなたは時間という物を磁気テープのような物だと考えているのかしら。上書きすれば消えてしまう都合のいい物なのだとでも?」
「繰り返していないと言うのならばあなたの確信はどこから来るの?」
「私は可能性を信じない。それだけよ」
「つまりは総当たり。あなたにとって私は一体何人目だというの…………?」
「………………」
答えを出さず、やはりそれは曖昧に微笑む。緊張感に耐え切れなくなったチェンが悲鳴のように叫ぶ。
「おい、小姐! もしかしてあいつと『会話』してるのか?」
「そうよ。聞かなくたって分かるでしょ」
「分からんねぇから聞いてんだよ。こんな高度な暗号かけて“目”で会話されたら、いくら俺でも読めねえっての。…………あっ、そっか。ふーん、そーゆーこと」
「なによ、その反応」
チェンは嫌悪感を露わにして言う。
「お前ら通じてんのね。そりゃ仲間なら符丁を知ってて当然だよな。俺とした事がすっかり騙されちまったぜ」
「……ちょっと、何言ってるの。別に知り合いってわけじゃないわよ」
「いや、別にそれでも構わないけどよ。俺を巻き込まないでくれよな。下手に真実を知ると、危険だからな。俺は何も知るつもりはないぜ。例えこの世が地獄だって、知らなけりゃ悲観せずに居られる。真実が常に尊いだなんて馬鹿の言う事だぜ。ま、知っちまったらその時はその時だけどな。こいつはどうやら小姐に選択権を与えたようだ。俺を巻き込むか、巻き込まないか。今の会話を聞かせちまえばそれでおしまいだってのに、性格の悪いヤツだぜ。けど、俺も盗み聞きみたいなモンで真実を知るのはゴメンだ。だから、かえってこの方が都合がいい」
「チェン、でもあなた今、知りたくないって」
ため息をついてチェンは言う。
「言い訳が必要なんだよ、察してくれ。なまじ力があるせいで俺が能動的に動こうとすると世界が混乱する。一所懸命アホな“フリ”をしなきゃなんねぇんだ。あれは戯れ、これは気まぐれ、やってるこっちが嫌になる。言い方は悪いが小姐みたいな子どもの頼みを聞くって言うなら、それなりに力になれるだろう。さらに俺が真実を知らないって言うなら、もっと力を出せる。俺の言いたい事が分かるな?」
「使われてやるから責任はこっちが持てって事?」
「そ、信用してくれていいぜ。こんな恐ろしいヤツに目を付けられたら裏切りたくても裏切れねぇ」
「この人、そんなに怖い人なの? 私には優しそうにすら見えるけど」
チェンは驚いたように言う。
「正気か!? いやはや“鈍い”っては恐ろしいね。俺はこんな怪物には初めて会ったぜ。なんなんだこいつは、すげー曖昧なのに全体で見るとヤバイってのが一瞬で分かるんだ。地獄の閻魔ですらこうはいかねぇ。おそらくこいつが本気になったら世界は一瞬たりとも持たないだろう。逆らうなんて馬鹿のする事だぜ」
「ふーん」
「あっ、興味無いのね。まあ、小姐からすれば俺もこいつも大差無いだろうからなぁ…………」
ぐり子はそれを見て言う。
「あなたはこれからどうするつもりなの?」
「聞いてどうするつもり?」
「チェンに言わせるならあなたは世界を滅ぼす力を持ってる。気にならないって方が無理じゃない?」
「道理ね」
「その力を無駄に消費するくらいなら…………まどろっこしいわね。単刀直入に言うわ。――――その力、私によこしなさい」
「………………」
瞬間、噴き出した闇が世界を覆うかのように広がっていく。
「おおお、おい! 小姐! 今何言ったんだ!? なんかすげー怒ってるように見えるんだけど!?」
それは冷たく告げる。
「あなたに貸す力など無いわ」
「どうかしらね。あなたは私に貸しがあるんじゃない?」
「貸し?」
「私はディズに力を貸した。でも、その利子はまだ払ってもらってないわ」
「それを私に払えと?」
「私はその体に貸したのよ。しらばっくれるつもり?」
「………………」
死の体現とも呼べる闇の瘴気が広がり、嵐のような恐怖の中でチェンは札を取りだして結界を構築しぐり子を守りながら悲鳴のように叫ぶ。
「ひぃぃぃぃ! 本調子じゃないんだから、勘弁してくれぇ! キツイんだぜ、これ!」
「信用してほしかったら持たせなさい!」
「小姐は鬼か!?」
ぐり子はたたみかけるように言う。
「どちらが道理が通っているのかよく考えてみる事ね」
「私の力ならそんな道理、容易く無に還せるわ」
「なら、すればいい。損をするのはあなただわ。私の存在はあなたにとって味方になりうる。それをみすみす逃す程、馬鹿なようには思えないのだけれど」
「………………」
それは闇の放出を止めて、語る。
「この世界は“もしも”の連続で作られている。もしも、ウィタカの助けがディズを庇うのが精いっぱいだったら。もしも、チェンが介入してくれなかったら。今の光景は少し変わっていたかもしれない。道は二つに一つ。僅か十回の選択ですらありえたはずの道は千を越えるわ。たった一つの正解に行きつく可能性は0.1%にも満たない」
「それが生きるという事よ」
「でも、それを100%にする力がある。それが『交渉術』よ。道理を束ねて無茶を普通にする力。あなたは恐るべき暴力達を甘えさせ、怒らせ、求めさせ、導き、従えた。結果から見れば常人離れした凄まじい神の所業だわ。でも、それは何でも無い事の繰り返しで成り立っている。つまりは『道理』なのよ」
それは丸い月のような微笑みを漏らした。
「あなたは私に『どうするか?』を聞きながら答えを言わせなかった。私の口から出る言葉は可能性だから。高圧的な言い方で怒らせ時間を稼ぎ、望む答えを作り出した。面白いわ、あなたは。“人外”を従える才能があるのね。ならば私は。“人外”としてそれに敬意を払う必要がある。いいわ、あなたの“ナカマ”になりましょう。コンゴトモヨロシク、うふふふふ………………」
それは一瞬でぐり子の近くにとりつくと耳元で囁く。
「でも、忘れては駄目よ。シンデレラの魔法のようにあなたの力は不安定。感情をさらけ出し、冷静でなくなればその瞬間にはもうあなたは居ない。闇があなたの味方で居てくれるのはその手綱を握っている時だけなのだから」
「覚悟の上よ。道理で渡り合うつもりなら、誰よりも誠実であるのは当然でしょう? それにあなただって同じ覚悟をしているのでしょう?」
「うふっ、ふふふふふ、あはははははははは!」
ぐり子の見たそれの目は金色に輝き、とても人の物とは思えないほど光に満ちていた。そして、それを見返すぐり子の目は一筋の光すら見えない程の漆黒であった。
不快な笑い声だけを残し、まるで初めから居なかったかのようにそれは消える。だが、そこに居たはずのディズが居なくなっているという事はやはり夢ではなかったのだろう。
止まっていた時間が動き出し、新鮮な空気の中でぐり子は深く息を吐いた。
「小姐。まさかあいつを『従えた』のか?」
「何故そう思うの? 『見逃してもらった』や『追い払った』ではなく」
チェンはぐり子から視線を逸らして言う。
「俺の口から言わせる気かい? 勘弁してくれよ」
「悪かったわ。ちょっと当てられちゃったみたい」
「…………小姐はなんなんだ? 何故、知るはずもない言葉が分かる? 何故、あんなモノと渡り合える? それは『道理』が通らないぜ」
ぐり子は淡々と語る。
「私は知っているのよ。おそらく“初めから”ね。だから、持っていた物を組み立てるだけで良かった。その形が正しいだなんて確証はどこにもないけどね」
チェンは答えを返さずに思考をした。
(時を止める事、それは今と未来を繋ぐ“何か”を奪い去る行為だ。逆に言えばその“何か”によって時間は接続できるのかもしれない。接続ができるのなら、切断もできるんだろう。答えは無数に存在する。確かな事はあいつが“神”にも等しい存在だって事だけだ)
風を呼び、ぐり子の家に戻りながらチェンはさっきまでの事を心の奥にしまいこむ事にした。おそらく、この真実を誰かに伝えようとすればその瞬間に『居なかった』事にされるだろう。時間が磁気テープのような物ではないという事は喜ぶべき事ではない。連続してすらいないというのなら、どんな物ですら不確かだ。
チェンは舌打ちをし、嫌だ嫌だと独りごちた。自らの居る場所が崖だと知らなければ不安も無しに寝返りを打つ事すらできるのだ。無知が愚かだと知りつつも、それでも無知を望まずには居られなかった。




