第五章 1
道下ことかの事をのかなは思い出していた。彼女が自分にとってどういう存在であるかという事を考えていた。無論、かけがえの無い友人である事に違いはない。戦いの中で出会い、それを終えても自分の傍に居た数少ない友人。
いや、友人というよりはむしろ好敵手であったといった方が正しい。お互いに相手を尊重しあい、そしてこいつだけには絶対に負けたくないと思っていた。仲が悪かったわけではない、逆に良かったからこそ置いていかれまいと願ったのだ。
血と炎の匂いのする異常な場所で出会ったならば、見て呉れこそ普通であれども、やはり中身は壊れているのだろう。のかな自身、普通であるとは思わなかった。巨大な怪物に正面から立ち向かい、打ち勝つ人間が普通であるはずがない。肥大化した勇気が自分にあるように異常な暴力性を包み隠す何かが他者にもある事を知っていた。
ことかのそれは邪神だった。己の精神を人ならざる者へと入れ替えれば確かに地獄を越えられる。初めに会っていたのがその邪神であるならば裏切りではないのだろう。しかし、同じ人間だと思っていたのかなはほんの少しだけ傷ついた。
僅かながら心を痛め、「まあいいか」と割り切った。それがのかなの良い所であり、ことかにとってたまらなく嫌いな部分なのだろう。その優しさという名の偏見はことかの心を苦しめる。のかなには大事な所で自己を遠くにおいてしまう癖がある。人間なら絶対に手放さない地点でそれをしてしまう。
結局の所、空っぽの人形なのだ。戦いの中でそれが一番自己を生存させる可能性が高いからこそそうした。正義などではない。もっと純粋な生き残るからこそ正しく、死ぬからこそ悪いのだという原始的な思想。それを退化と呼ばずなんというのか。
のかなは忘れてしまっている。コンスにより植え付けられた終鳴延奏の魂によって塗り替えられた心象風景。元はどんな色や形をしていたのかという事はすでに忘却している。しかし、何も無いように見えてそこには必ず何かが残されていたはずだ。そうでなければ劣化しているとはいえ終鳴延奏とはまるで違う物にはならなかった。
原始の海に呑まれず、全てを書き換えられてもここに立っていられた理由。それはきっと複雑なものではない。今は忘れてしまっていても、必ず最後には取り戻す事ができずだろう。なぜなら、答えは初めから持っていたのだから。
「…………よし」
仕度を整えたのかなは立ち上がると窓を開いた。夜の月は爛々と輝いている、そこに吹くゆるやかな風にまぎれて庭に降り立つとそのまま闇に潜んで裏口を目指した。ことかの居場所の見当がついた今、戦争をする必要もマリーの振りを続ける理由もない。なによりこれ以上誰かに迷惑をかけたくもなかった。
元々一人で行く事は決めていたのだ。仲間達に別れを告げずに行くのは少しさびしかったが、最後には捨てなければならないのだ。余計な情など持つべきではないだろう。
のかなは城を振り返った。マリーが力を見せつけるために建てたそれも今では自らの一部であるかのように感じられる。どこで誰が何をしているか灯りを見ればすぐ分かるほどに血肉が通い、慣れ親しんだこの世界の我が家だ。
(側近のやつ、まだやってるのか。早く休めって言ってるのに。コックは明日の仕込みをしてるんだろうね。るいちゃんとケリィはもう寝たのかな? 他の皆も今日は早いや。ライオネルの時からは何日か経ってるけど、やっぱりまだ疲れているのかな…………?)
しばらく思いを馳せた後、のかなは背を向けて歩き出した。もう戻ってくる事はないだろう。この風景は思い出に変えて、心の中にしまっておく事にした。
「待てよ」
聞きなれた声にのかなは振り返る。そこには待っていたかのように仲間達が居た。
「皆、どうしてここに?」
パウラは言う。
「水臭いぜ、マリー。私らを置いていくつもりかよ」
「だけど…………」
カイツは言う。
「つまんねぇ事は言うな。テメェの旅の終わりに俺達もつれてけ」
「そういう事だよ、魔王様」
「足手まといとは言わせないよ、のかな」
ケリィやるいにハロルドやペドロも続く。
「私の稲妻の力があれば勝利は確実となりますよ、お一ついかがです?」
「このペドロの医学も加われば布陣は盤石となりましょうぞ」
仲間達を見たのかなは過去のしがらみの強さに苦笑を漏らすが、すぐにその表情は真剣な物へと代わり、言葉を紡ぐ。
「ありがとう、みんな。けど、これは私個人の戦いだ。今だから言うけど、私はマリー=マールじゃない。ただの落ちこぼれの魔法少女なんだ。付いて来たって得なんかありゃしない。それにマリーを止めた今、あなた達の事はどうでもいいと思っている。この城や領地さえ、混乱して崩壊したってどうでもいいと思っている。私はエゴに満ちた邪悪な存在だ。付いてくるべきじゃないんだ」
「ふーん…………」
るいは言う。
「それだけ?」
「それだけ…………って。私はみんなを騙してた酷い人間なんだ。付いてきちゃいけないんだよ」
パウラはやれやれとため息をついて言う。
「お前がどういう人間かは私達が決めるよ。なんだかんだでお人よしのお前がそう簡単に切り捨てられるもんか。そういう人間ならそんな風に悩んだりしなかっただろ? そりゃマリーじゃなかったのはショックさ。だけど分かったんだ、マリーの意思はお前に引き継がれているって事が。それにお前が誰だろうと人が変わるわけじゃないんだし、特に問題はないだろうって私達は思うぜ、な?」
こくりと一同は頷く。ここに居る人間はマリーの幻影を見ていたのではない、しっかりとその芯にあるのかなの姿を見ていたのだ。
のかなは自らの浅はかさを恥じた。そしてこれほどまでの仲間に恵まれた事を感謝した。
「あなた達は馬鹿だよ。…………でも、ありがとう」
辟易した顔でカイツは舌打ちをする。
「ちっ、テメェに素直になられると違和感しかねぇ。いつも見たいにふんぞり返ってればいいんだ」
「確かにその喋りでは威厳がありませんな。このままでは指揮が下がります。いつも見たいに邪悪に笑ってください。「げへへ」という擬音が似合う感じにゲスっぽく、さあ!」
「してない! そんな笑い方した事ない!」
「やっぱ魔王なら黒カラーだよな」
「私は肩パットとかいいと思うな」
「ツノつけようよ、カッコイイよ」
「巨大化くらいはしてもらいたい所ですね」
「ねぇ、聞いてる? 貴様ら聞いてる?」
ふぅとため息をついたのかなはマリーの調子で喋る。
「――――分かった分かった。お前達の前ではマリー=マールでいよう。私としてもこの方がやりやすいし、今更変えるのも難だ。まったく性の無いやつらだ。これではおちおち静かに去ることもできん」
ふっ、とパウラは笑う。
「いいんじゃないか、慕われてるって感じでさ」
「そうは言うがな、パウラ。物事にはやめ時というものがある。それを見失うとひどい事になる。つまり下手をすると私は一生お前達の前でマリーの真似をする事になりそうだよ」
「それでいいよ、私にはもうお前しかいないんだからさ」
「パウラ…………」
困ったような表情でパウラは語る。
「ジャネットのヤツ、来てくれなかった。マリーの、まして偽物の為に命をかける必要があるのかって逆に説得された。あいつが正しいんだって私は分かってるよ。この戦いが終わったらお前は元の場所に帰って、私の知らない誰かに戻って暮らしてくんだろう。そうなれば私にはもう何も残らない。仕事も辞めてきちゃったしな。お先真っ暗だぜ、ホントにさ」
「ごめん…………」
「謝るなよ。私はこの選択をした事をいつか後悔するかもしれないけど、間違っているとは思いたくはないんだ。お前ってさ、綺麗で正直憧れる。マリーの真似にしてもここまで出来るヤツは他に居ないだろう。その姿で初めて会った時はここまでやれるとは思ってもみなかった。凄いヤツだよ、誇っていい。私はそういう人間の傍に居るのが好きなんだ。まっすぐに夢追いかけてどこまでも行けるような姿が好きなんだ。私のせいで曇るなよ、足手まといはもうごめんなんだ」
「ごめん……あ! いや、そうじゃなくて、えっと」
「ぷっ…………あははははは!」
謝るのが癖になっているのを見てパウラは声を上げて笑った。それを見たのかなも苦笑を漏らす。
「ま、いいや。私に心配されるほどパウラちゃんは落ちぶれていないだろうし、悩む必要はないんだろうね。私は弱かったからそれより弱い人達を守らなくちゃいけないんだって思ってた。マリーになった事でその範囲が広がって正直溺れかけてたんだ。でも、私が居なくったって誰かはやっていけるだろうし、駄目だったらそれはそれでいいのかもしれない。魔法少女ってさ、アニメのキャラみたいに綺麗な物じゃないんだ。ただの傭兵に過ぎなくて、失望した人もたくさん居たと思う。だけど私は、いや、だからこそ魔法少女になってやろうと思った。本物の理想になろうとしたんだ。でも結局、それは自然な事じゃなかったんだ。アニメの中の人達は理想になろうとはしていなかった。その時点で私は偽物だったんだ」
「のかな」
「今までそれを否定する事だけを考えて生きてきた。でも、マリーの偽物でも出来る事があって、大事なのは形じゃないって分かったんだ」
ぎゅっと拳を握りのかなは決意を示す。
「アリィ=ジマーマン。聞いた話によれば他の邪神とは一線を画す力の持ち主らしい。偽物の私じゃどこまでやれるか分からないけど、それでも彼を越えられたのなら、長らく出す事のできなかった『答え』をようやく出せるような気がするんだ」
答え、それはのかなが抱いていた全ての疑問に対する解答になる。遥か昔と同じように心だけを武器にした名実と共に旧時代の魔法少女。何故、自分がこの戦いの時代に居るのか、力の魔法少女達と肩を並べているのか、その真実がようやく見え始めていた。
「行こう、いや―――行くぞ、我が軍勢」
のかなは足を踏み出す。全てを取り戻すために。
☆
ディズはウィタカの元に戻ることも出来ずに夜の街を彷徨った。胸中には敗北感だけが広がり、その顔は死人のようであった。もうすぐ死せる身であるからその色は間違いではないのだが、ただあまりにも無残だった。
こんな自分を誰が受け入れてくれるだろうか、ディズは思うが、こんな状態になってすらいまだ他者を求める卑しさに自ら嫌悪せずにはいられなかった。しかし、どんなに汚くなろうとも心の奥には消せない光があり、気がつけばそこに足を運んでいた。
「ずいぶんやつれたわね」
ぐり子は戸惑いも見せずにディズを受け入れると、いつものようにお茶を入れた。
「私の所には変なヤツばっかり集まるの。でも、人間はあまり寄りつかないみたい。あなたがここに来たって事はそのお仲間って事ね」
ディズは静かに語りだした。
『力を貸して欲しいんだ』
「それは何のために?」
『初めは絆を取り戻すためにと思った。でも、それは無理だ。そのための方法なんてまるで分からない。零れた水はもう盆には戻らない。私に残された時間で出来る事なんてもうほとんどない。だから、やるべき事はじゃなくてしたい事は何かって考えた。映画を見たり、美味しい物を食べたり、気持ちいい事をしたり、色々考えた。でも、みんな何か違った。私のしたい事はただ一つ、あの人に勝ちたいって事だったんだ。骨の髄まで怪物になってしまった。元の人間の私が見たら嫌悪するだろう。それでも、私は勝ちたい。負けたままじゃいられない。怪物として、力を否定されたままじゃどこにだって行けないんだ』
訴えるように熱く語る。
『お願い、鐘紡さん。私に力を貸して!』
「………………」
ぐり子はしばらくの沈黙を見せた。それは思考時間というよりもこの場の空気感を楽しみ、喜んでいるようであった。
「成長したわね、あなた」
すっ、とぐり子が身に着けていたリングを外す、そしてそれをディズに見せつけると言う。
「これはアンジェラの形見よ。そこの影で盗み聞きしている邪仙が持ち帰ってきたアンジェラの方向力場を術でこういう形にしたの。パワーは落ちるけど、多分あなたなら方向力場が使えるわ。アンジェラの修理には時間がかかるからあなたに貸してあげる」
渡されたリングを身に付けるとディズは目の波長を変えて同調を図る。静電気のような衝撃と共にパスが通った事を確認するとそっとリングに触れた。
『あんなに強いこの人が倒されるなんて、正直恐ろしいよ』
「あなたが挑もうとしているのはそういう相手よ。怖いのなら止めてもいい。でも、そんなつもりはないんでしょう?」
こくりと頷いたディズは取り出したナイフを月にかざした。何かに共鳴するように光るそれはどこかへと導こうとしているようだ。その先に何が待つのかは分からないが、おそらく予想した通りの男がそこには居るのだろう。
『くっ………………』
立ちくらみのようにディズは膝をつく。残された時間はもうあまり長くはないのだろう。もはや血を吸いたいとも思わない事が死の間際である事を理解させた。
「闇の中に居ても、死が怖い?」
『正直に言えばね』
「それでいいのよ。不完全だから美しく、だからこそ罪は許される」
『私は…………なんて卑しい怪物なんだ。でも、きっとその傲慢さがある意味でこの世界にとっての救いなんだろう』
立ち上がるとディズはテラスへと出た。蒼い白い月の光を受けて大きく深呼吸をするとぐり子に最後の視線を合わせた。
『鐘紡さん』
「何かしら?」
『私は私だ。この世界の『のかな』じゃない。期待されても困るよ』
「…………あの時は悪かったわ」
悲しげな笑顔でディズは言う。
『あぁ、こんなにも簡単な事だったんだ。こうしておけばよかったんだ。けど、あの時の私はどうしようもなく臆病で弱くて何もできなかった。今もその根底は変わっていない。それでも何かをしようと思っている。私は『勇気』を持つ事ができたんだ。たくさんの物を失ってしまったけど、最後に人間としての『勇気』を手に入れる事ができた。私は幸せ者だ』
ぐり子は厳しい表情で言う。
「そんな幸せ、私は認めないわよ。それは独りよがりだもの。ここで私が待ってるって事、絶対に忘れないで」
『…………うん』
生きる事なく死ぬ事はない。動き出した事で滅びに向かうのだとしても、何も持たないまま生まれてきたのだとしても、後悔はしていない。全てが破滅に向かうしかないのならここで立つしかない。この闇の中で立つ事の意味を知る時、瞬間は永遠になる。
『行ってきます』
夜の中へと飛び出したディズは感覚に慣れるために方向の力を使い、空を駆ける。行き場所は決まっている。ハヤタの待つ場所へと。
(なに…………これ…………)
そこを上空から見渡せばコールタールのような黒が大地を包み込んでいた。そしてその中央には巨大な穴が。怪しく光るその底はディズにとって懐かしい輝き、裏世界へと繋がっている事を直感的に理解させる。ハヤタはまるで門番のようにその前に立ち、何人たりとも生かして向こう側には行かせないという気迫が感じられる。
地上に降り立ったディズは地面を覆う黒の滑らかな感触を靴底に受けながら、ハヤタへと相対した。
『ハヤタ』
「…………君か」
『一体何が起ころうとしているの?』
「その質問は正しい。この現象と俺に関係の無い事を認識している」
『でも、完全に無関係ってわけでもないんだよね』
「そうだ。ここから先は誰も通さないように言いつけられている」
『誰に?』
「神によってだ」
それが単なる比喩的表現にとどまらない事は怪物であるディズには簡単に理解できた。ハヤタがギターを構えるのと共にゆっくりとナイフが抜かれる。蒼い刀身に月の光を集めて燦然と輝きを放つ。
「君は俺には勝てない。分かっていて立ち向かうならそれは勇気ではなく無謀だ」
『怪物ってのは愚かさ。自ら火に向かうようだ。けれど、負けっぱなしじゃどこにも行けないんだよ』
「ならば戦いの海の中に埋もれていけ。君に未来は無い」
『私は可能性を欲しがらない。もしもって言うのは飽きたんだ。それにあなただって私が来る事、ちょっとは期待してたでしょ?』
ハヤタはふっ、と笑った。
「…………まあな」
来るはずが無いとは思わなかった。だが、それはただの無謀として来るはずだった。こうしてほんの僅かながらも可能性を持って立ち向かってくるなどハヤタは夢にも思わなかった。
後悔だけのはずだった。直情から飛び出し、無念より生まれた存在ならば絶望に浸り、ただ自棄になるのが関の山だ。鏡映しの英雄がその背中を押してくれているのか、そのバイアスは闇の中に居ながらも、いや暗がりに居るからこそ光の尊さを理解し、空に手を広げるようにまっすぐに傾いていくのか。
この少女は想像の外側に居る。何が起こるのかまるで理解ができない。その捉え所の無さは不安ではあるが、少し面白い。
「殺し合いだというのに少し興味がある。君がどこまで進化していくのか」
才能とはなんだろうか。それを単なる能力の発露だと表現するならば時代を築いてきた英霊達への冒涜に他ならない。おそらく機会の不平等こそがその本質であり、有り体に言うならばただの幸運なのだろう。誰がコインを投げてもその面が出る確率は二分の一に過ぎない。だが、いざという時にだけ必ず狙った面が出たり、そもそも常に勝ち続けたりする人間もごく稀にだが居るかもしれない。確率はあくまで二分の一だ。単に人の短い人生においては試行回数が少ないだけで、それは絶対に変わらない。
機会の不平等がある事は認めるしかないのだろう。しかし、同時に絶対的ではないのだ。確率の魔を越える事ができる可能性が零ではない事をディズは理解している。
(できない事よりできる事だけを考えよう。可能性を求めればそれに呑みこまれる。私が信じるのは二つでいい、あの人の力場とこのナイフだけで!)
ディズは大地を蹴った。近距離で勝てるとは思わない、それでも近付かなければ斬り付けられない。魔法使いではないのだから自分の手が届く所まで踏み込まなければならない。ハヤタのギターはその巨体に似合わない凄まじい速度でディズを襲う。慣れない方向力場では反射など叶わず逸らすのが精いっぱいだ。初見故に隙が生まれるが、素手とナイフの激突であってもいまだ理はハヤタにある。
手に集まった光を斬ろうとするが、そこにあるグローブごと斬れるほどの熟達はない。薄皮を斬るものの本体には届かず、返しの一撃をなんとかかわしてディズは身を引く。
(攻撃だけじゃ駄目だ。白刃の見切りがなければまた同じようにやられる。攻撃の軌跡を、死線を『視る』んだ!)
おそらく、やろうと思えば死線を『視る』事はできるだろう。しかし現在、視界領域は『光奪い』と方向力場へのコネクトが占有している。これ以上の負荷に脳が耐えられるかは分からない。もし耐えられたとしても限界を越えた活動は残り少ない寿命をさらに縮め、必ず死をもたらすだろう。
だが、勝つにはそれしかない。元々まともにやりあって勝てる相手ではないのだ、己の死すら受け入れなければ到達することなどままならない。
『…………ぐうっ!』
死線は赤い亀裂として大地に刻まれる。代償として視界内の景色の変質を招くが、そんな物は今必要としていない。捨てておけばいい。
生き急ぐかのように加速する斬撃は速さよりも焦りが勝り、空回りする。視ているのは誰か、視られているのは誰か。その目が無意識に空間をなぞり、ハヤタはそれを視て対応する。体で感じ取る事ができず、視界に捉えなければならない事が魔眼唯一にして最大の弱点だ。
方向力場を貫通し、体へと届いた攻撃はついにディズを膝付かせる。息はあがり、魔眼の負荷により自滅しかけている。致命的なまでの実力差、付け焼刃の限界だった。
『はぁはぁ…………』
「君の目は確かに大したものだ。どんな防御でも貫き、雨のような攻撃でも見切る。だが、使い手が未熟では驚異にはならない」
『くっ…………う』
攻撃手段の多さが強さに直結するわけではないのは目の前のハヤタが証明していた。ギターと体術だけでここまでの圧倒を見せる。さらにまだ奥の手を隠している事を考えればディズが勝てる可能性などほぼ無いのだろう。
「勝ちたい気持ちだけで勝てるほど甘くはない。君は行き詰まりだ。先を考えない者に勝機は無い」
『先…………?』
「世界はこれから再生する。終鳴延奏の復活によって」
『それがあなたの望みなの?』
「…………俺は彼女が居てくれればそれでいい。何をしようと元と違う存在であろうとも、居るという事が重要なんだ」
『………………』
ディズはハヤタの思いの強さに触れて、口を閉じた。勝ちたいだけの空虚な自己がこれほどまで強い気持ちの男に勝てる道理が無い。今の自分に何が残っているのだろう。ウィタカやぐり子を思い浮かべてそれを糧にしようとしても脆くも崩れ去っていく。怪物となった時点で他者を捨ててしまったのだ、いくら人の振りをしてもその欠落は取り繕う事ができなかった。
(何も残っていない…………立派な事なんて言えないし、あるのはただの薄汚い欲望だけだ。初めから邪悪だった。間違っていたんだ。でも…………だからなんだっていうんだ!)
挫けそうになりながらもそれを振り切り、ディズは苛立ったように口にする。
『勝利に許可が必要なのか? 立派じゃなくちゃ生きてちゃいけないっていうのか? 私は裁かれる側の存在だ。けどそれはあなたにじゃないし、増して終名延奏にでもない。私は怪物だ。でも、ごちゃごちゃ理由をつけなくちゃ何もできないくらいなら空っぽの怪物のままでいい! あなたは自分に嘘をついている。それが立派な事だっていうなら私は…………私は! 絶対に負けるわけにはいかないんだ!』
腹の奥底から声を張り上げてディズは叫んだ。自分が弱者で勝てるはずが無いと理解していても立ち向かわなければならなかった。それは勝ちたいからでも、誰かが大切だからでもない。悲しかったからだ。誰もが自分を偽って、本当の気持ちを閉じ込めてそれで回っている世界を受け入れることなどできない。人間は否定する事ができない。それはあまりにも強大すぎるから、出来るのは愚かな怪物だけだ。全てを無くしてしまったからこそ、何かを無くしてしまう心配をする事無く、世界に楔を打つ。
『おおお…………!』
視界が歪み、脳が痛む。
『おおおおお…………!』
何のために抗い、何を得られるというのか。
『おおおおおおお…………!』
意味は求めない。それよりも、もっと、もっと。
『おおおおおおおおおおおおお!』
でたらめではない。体に刻み込まれた蒼き月の光の記憶が、その一撃を打たせる。
『蒼刀――――月光夜裂!』
「……! その技は!」
ナイフとギターという歴然としたリーチの差が光により補われ、斬り取られたハヤタの片腕が宙を舞う。だが、怯む事無く片手で繰り出されたギターの一撃は命中すれば間違いなくディズの肉を抉り取る。奇跡的な一撃の代わりに限界に陥ったディズは避ける事すらできずにそれを待つ。
そして当然のようにそれは――――――
『…………え?』
肉が薙がれ、鮮血が月を紅く染めた。




